『夏の終わり』カカオビワンドロ『夏の終わり』
「じゃあ行ってくる。一時間で戻るから!」
「分身体残してくれて助かります。んじゃあ、お気をつけて」
自らの分身が怒涛の勢いで書類仕事をこなす中、本体のカカシはシカマルの前を通り抜けた。火影室を出て、早足で秘密通路へ向かう。火影の羽織を火影室に置いてきたのは、目立ちたくないし、なにより速く歩きたいからだった。
大戦中、うちはオビトはカカシの精神世界で別れを告げたものの、すぐに現実世界での実体を得た。六道仙人の好意だったが、その姿はカカシの精神世界での幼い姿と同じ、十代前半の身体に戻されていた。
子供の姿で現世に残されたオビトは、すぐ隣のカカシを見上げ、ナルトの前に佇むミナトを遠い目で見つめ、横たわるマダラを一瞥したのち、自らの手の平を眺めた。オビトはカカシに別れの挨拶をしてくれたときのような顔はしていなかった。この身で何ができるのか、そんなものがあるのかと、じっと考えている様子だった。
とは言え、今やオビトはカカシと住処を共にしている。
オビトの身体は、歯車が狂ったあの時──柱間細胞が移植される前に戻っている。カカシが任務を共にしていた頃のオビトと姿形は寸分違わない。表情こそ暗いが、時折見せてくれる控えめな笑顔には柔らかい色が見え隠れしている。オビトも、今の木の葉でなんとか生きようとしてくれているところだった。
しかし、悩ましいことが一つだけあった。柱間細胞に慣れていたせいで、オビトには弊害が残っていたのである。
「やっぱり」
玄関を開けてすぐ。カカシは室内に篭った熱に眉をしかめた。食卓に放置されていたリモコンを手に取り、エアコンの電源をつける。新築のこの家には最新型の空調を取り付けてある。エアコンの風向きルーパーが動き出し、冷えた空気がリビングを覆っていく。
「空調消すなって何回言えばわかるの!? ちょっと、オビトどこ!」
カカシが喚くと、廊下からぺたぺたと足音が聞こえた。見れば、寝間着の浴衣姿のオビトがリビングに入って来た。胸を掻きながら眠たそうにしている。昼時だというのにたった今まで寝ていたらしい。
無理もない。オビトはまだこの身体に慣れている途中なのだ。疲れていなくても子供の身体はよく眠る。柱間細胞も無いし、適応にはそれなりの時間がかかるのだから仕方ない。とは言っても──
「うるさい……暑くないからいい……」
オビトは瞼をぐりぐりと擦っている。一緒に昼食を摂るつもりだったが、オビトは怠そうにしていた。なによりこの湿度と気温である。オビトをこのまま放置すれば死にかねない。
カカシはひとつため息を吐いて、オビトを抱きしめた。オビトの頭頂部はカカシの鎖骨くらいの高さにあった。今のオビトは体重も軽い。カカシは、寝ぼけ眼のオビトを姫抱きし、いつも一緒に眠っている寝室へと運んだ。
ベッドにオビトを寝かすより先に、寝室のエアコンをつけた。やはり電源はオフにされていた。朝出るときにカカシを見送って、すぐに消してしまったのだろう。カーテンだって、カカシが朝開け放ったままになっている。だからこそ、ここまで温度が上がってしまったのだろうが。
ベッドに寝かされたオビトは、緩く瞼を開いてベッド端に座るカカシを見つめていた。もう眠ってしまいそうな顔だ。
「オビトは涼しい部屋でゆったりしてたらいいから。身体だけは子供なんだし……涼しい部屋にいたら疲れないし、きっと一日起きていられるよ」
カカシの言葉にオビトが瞼を開く。
「……だが、今のオレにやることなど無いんだ。ただお前の家で黙って過ごすのは、」
「〝オレたちの家〟ね。一緒にいるだけでオレは幸せだし、電気代も考えなくていいから。それに、オビトはオレの恋人になってくれたでしょ? 恋人のお願い、聞いてよ」
戦後、考えすぎて塞ぎ込みがちだったオビトを励ましたい一心だった。カカシはオビトが前向きに生きられるように努力を尽くした。その過程で想いを告げてしまったが、オビトはその感情を跳ね除けなかった。
告白の返事はもらっていないものの、カカシが「付き合ったと思っていいんだよね?」と言ってもオビトは反論をしないのだ。ついこの前した初めてのキスでも抵抗されなかった。オビトなりに受け入れてくれていると、カカシは喜ばしく感じていた。
「……」
黙り込んだオビトに、火影塔で買っていたスポーツドリンクを手渡した。オビトはゆっくりと身を起こして、ペットボトルを傾けこくこくと飲んだ。飲む量が少なければもっと飲めと言っていたところだったが、オビトも喉が渇いていたらしかった。
やっぱり強がりだった。
ぷはっと口を離す。オビトの唇の端から一滴の水が垂れ落ちる。オビトはその一滴を手背で雑に拭って、再び背中をベッドに落とした。
──うわ〜……。
たった今潤されたオビトの唇は、つるりとした光沢を放っていた。水を携えた蕾みのような口元に、勝手に胸が高鳴ってしまう。
カカシはどうにか自制して、伸ばした手でオビトの頭を撫でるに留めた。短髪の奥にある地肌は熱い。
「ほら、熱が篭ってる。結構ヤバかったんじゃない?」
「……別に。そもそも汗なんてものは大して出ない」
オビトが、頭を撫でていたカカシの腕をやんわりと掴む。力任せに離されてしまって、生意気に思ったカカシはベッドに乗りあがり、オビトに覆い被さった。掴まれた腕を抜いて、オビトを見下ろす。
「今は違うでしょ。ホント強がるねぇ」
オビトの首元にはじっとりとした汗が滲んでいた。そこに唇を寄せる。身長差は三十センチほどしか無いが、少年の身体と大人の身体では体格差がかなりある。どちらかというと薄い方であるカカシの身体でも、オビトの身体を簡単に覆えてしまう。
そんな中で、オビトは他人事のように目線を外していた。カカシは、口布を下げ、オビトの首に唇を密着させた。赤が落ちない程度に軽く吸って、オビトの顔を確認するために上体を起こした。少年の頬はほんのりと赤く染まっている。
「しょっぱいよ。やっぱり汗かいてるじゃん」
カカシが言うと、顔を反らしていたオビトは目線だけでカカシを睨みつけた。猫の威嚇のようだった。大戦中とは全く違う、オビトが持っていた本来の可愛らしさをそこに見出してしまう。
「それは……お前が腹減ってるから、そう錯覚しただけだ」
「錯覚かぁ」
そうかな?
カカシは、オビトの脚で手を滑らせながら再び首元に吸い付いた。寝起きのせいで、オビトの浴衣は乱れかけていた。足元なんて、オビトの意思次第では、がばっと開けてしまうくらいだった。すっかり柔肌に変わっているオビトの脚の感触に、腹の底に沈めた欲がのそりを首を上げる。それを感じながら、カカシはオビトの背中に腕を押し入れて襟口を下げた。オビトの細い首が更に顕になる。
「おい、カカシ?」
「あー……ちょっとごめんね」
どうせオビトは観察期間なのだ。まだ暫くは外に出られない。だから、キスマークを避ける理由もない。
我慢をしなくていい理由がトントン拍子で浮かび上がる。
カカシはオビトを抱きしめながら、肩や首、鎖骨にキスを落としていった。がちがちに固まっているオビトの肩が可愛いので、それを解したくて無意識にオビトの身体を抱き寄せていた。既にオビトに乗り上げていて、カカシもオビトに身を寄せているので、これ以上密着することはできないくらいなのに。どれだけ触れ合っても足りない。
「ぅ、……お前」
オビトが、漏れ出た嬌声を誤魔化すように言葉を続ける。だがオビトは、一度カカシの胸をトンと叩くのみに留めて、それ以上何か言うことはなかった。しかし、この小さな抵抗は、確かに渦巻きかけたカカシの欲望を一時的に停止させた。
「ん……」
「オビト」
最後に、カカシはオビトの唇に自らを重ねた。舌を入れると、オビトは辿々しい動きで追いかけてくれた。
あぁ好きだ。
カカシはゆっくりと身を起こし、オビトに微笑んだ。
「ね、しょっぱいでしょ? オビトは汗、かいてました」
「……知らんっ!」
「わからなかったわけじゃないでしょうに」
この程度に収めなければ。
カカシは、オビトから少し離れベッドサイドに脚を下ろした。同時にオビトが勢い良く起き上がる。手早く浴衣を直していくオビトだが、首や頬、耳が赤いのは変わっていない。抵抗しなかったくせに不服ではあったのか、ムと口元を尖らせている。カカシとは目を合わせようともしない。
──嫌われて……は、ないよな。
六道仙人に生を許されたオビトは、身体の変化について軟弱になったと感じているらしい。その結果自分の前で強がるのが幼く見えて、カカシは当時のオビトを透かして見てしまっていた。今のオビトも全部含めて可愛くて、オビトの何もかもが好きすぎて、今日は自重が叶わなかった。
どんなことでも頼ってくれていいとわかって欲しい。だけれどもこんな様子では、せっかく付き合ってもらったのに見限られてしまうかもしれない。カカシは一旦渦巻きかけた欲望を振り切って、ベッドに座っているオビトに身体を向けた。
「さ、昼飯食べよ」
「別に腹は減ってない」
「いーや、どうせ朝も食べてないだろうから食べてもらう。次に『お腹すいてない』って言ったらお姫様抱っこで運ぶよ」
「……馬鹿言え」
呆れた声色だった。オビトは、すすすっとシーツの上で身体を滑らせ、カカシの隣に座った。下ろした足をぺたんと床につけて、カカシを見上げる。僅かに顔を傾け、寄せられた眉の間に皺が寄っていた。
鬱陶しそうに睨まれているものの、オビトが怒っているようには感じなかった。全部知っていると言いたげな顔で、オビトが呟く。
「お前がそうやって運びたいだけだろうが」
オビトの目はカカシの本心を見通している。オビトはフンと鼻を鳴らしてから、カカシの目の前に立った。緩く伸ばした腕を広げている。まるで、抱きしめられたい子供のような仕草だった。
「え」
「それで運べばいい。したいなら」
「え、え。え? あ、えっと、いいの? 常にお姫様抱っこで?」
「常なわけあるか。今だけだ」
いいの、いいの!? いいの!?
内心暴走しそうだったが、余計なことは言わないように我慢した。カカシは、少年の気が変わらない内にオビトを抱きかかえた。オビトの両腕が首の後ろで繋がれる。
「何よりも丁寧に、丁重に運べよ」
オビトは命令口調で言い放った。
オビトにならどんな命令でも従えるから、カカシにとっては至極簡単なことだった。
「はーい」
カカシは極力揺らさないように注意して、オビトを固く抱きしめた。ぷらぷらと揺れるオビトの足先が何にも当たらぬように、そして少しもずり落ちることが無いように、食卓を目指す。
オビトはカカシの胸に顔を寄せていた。カカシからはオビトの髪の毛しか見えなかったが、きっとまた恥ずかしそうだったり不服そうだったりしているのだと思った。いや、今回は自分で許したことなのだから、少しぐらい嬉しがっている可能性も捨てきれない。そういう希望を持ちたい気分だった。
オビトと一緒に食事を摂る時間が好きだった。夏が終わっても、昼には帰ってこよう。幸せに顔を綻ばせながら、そう胸に誓ったカカシであった。
了