ささやかな幸せ「少し飲みすぎてしまったな。そろそろお開きにしようか」
「そうだな……先生、新作の試食手伝ってくれてありがとな。助かったよ」
「ふふ、どういたしまして。今回も美味しかったよ」
最近、ファウストとの晩酌が日課になっている。今日は新しいレシピを考えたため、酒を飲むついでに味見をしてもらった。彼と過ごす時間は、穏やかでとても心地が良い。お互い長い間1人で暮らしていたこともあって、気が合うのだろう。
ファウストが去ってから、とたんに静まり返った自室。ネロは食器を洗いながら思考を巡らせた。
フィガロを殺すからお前も協力しろ。ブラッドリーにそのようなことを言われた。もちろんネロは了承した。裏切った罪を償える最後の機会だと思ったから。……悔いを残すことなく、死ねると思ったから。
しかし、フィガロを殺すことは、同時にファウストを裏切ることを意味する。なぜなら、フィガロはファウストと親しい関係にあると予想できるからだ。ファウストは以前、フィガロに対して冷たい態度を取っていたが、最近は少し雰囲気が和らいだ気がする。親しくなった、というよりかは元通りの仲になったという感じだろうか。
ファウストが重たい過去を抱えていることには、なんとなく気がついていた。だが先日、彼は東の魔法使いたちに自らが火炙りになった経緯を打ち明けた。ヒースクリフは苦虫を噛み潰したような表情をしていた。シノの表情は……前髪に隠れて見えなかった。
打ち明けるまでに、どれほどの葛藤があったのかは容易に想像できる。しかし、ファウストは覚悟を決めた。きっとその裏にあるのは、先生役としての責任感。そして、信頼の証。
――信頼の、証。
ブラッドリーを裏切った罪は、決して許されるべきではない。だが彼は、ネロを殺そうとはしなかった。再開した瞬間に殺されでもしていたら、ファウストとの関係を築くことは出来なかっただろう。その恩も込めて、任された役目を全うしたい。
しかし、ファウストをこれ以上傷つけたくないと思うのも事実である。親しい相手が殺されたと知ったら?しかも、それにネロが加担していたと知ったら?ファウストに失望されるのは仕方がない。ネロは友人として、自分の手で彼を傷つけるのが許せないのだ。
誰も傷つけずに、役目を果たすにはどうしたらいい?
いっそ、馬鹿でかい魔物なんかに遭遇して、全てを放り出して楽に死ぬことが出来たなら……
いや、こんなことを考えるのはやめよう。そろそろ寝なねれば明日の朝起きられなくなってしまう。
片付けが一段落すると、ネロは寝巻きに着替えて寝床についた。
「おはようございます、ネロ!わぁ、今朝はオムレツですか!?」
翌朝、 朝食の支度をするネロに話しかけてきたのはリケだった。
「ああ、そうだよ。お前さん、昨日魔法の練習頑張ってたからな、ご褒美だよ。」
「知っていたのですか!?ありがとうございます!ネロは、僕たちのことをよく見ていますよね。僕はネロのそういうところが好きです」
「ちょっとリケ、ずるいですよ!ボクだって、ネロさんのこと好きですからね!!」
リケの後ろからひょっこり顔を出したミチルは、少し不貞腐れたような顔をしてそう言った。それから2人はどちらの方がよりネロを好きか張り合い始め、照れたネロはもうお手上げになってしまった。
「おはよう、ネロ。今日も愛されているな。」
「も〜、先生まで茶化さないでくれよ……今日早いな、どうしたの」
「なんとなく、そういう気分だっただけだ」
「そう?先生の分、分けてあるから持っていけよ」
「さすが、気が利くな」
珍しく早く起きてきたファウストはネロと短い会話を交わした後、食器を持って去っていった。
大好き。ありがとう。普段なら嬉しい言葉が、ネロの心に重くのしかかる。相棒を裏切った罪を背負いながら、友人を裏切ろうとしている。こんなにろくでもない男を純粋に好きと言って貰えることに、罪悪感を覚える。
せめて、この穏やかな時間が少しでも長く続きますように。そう願わずにはいられなかった。