AMX(仮)「FTO……GO」
イーグルの押し殺した一声がトリガーとなり、機体は倉庫の天井を突き破って大気圏内に舞い上がる。本来、天井は格納機構によって自動的に開く仕様だったが、裏コードの駆動下にあるFTOは、そのような整備設計を気に留めることなく、物理的な突破を選んだ。
それを見て、ジェオは内心で頷く。「これは確かに、補佐が必要だな」と。バイザー越しに、彼は制御パネルに映る各種センサーデータを監視し続けていた。
都市の遥か上空、大統領府の管制エリア。その宙域に、赤い機影が浮かんでいる。
クライスラーの駆る機体、AMX。深紅のそのフレームは、まるで有機的に脈動しているように見えた。AMXは、美しいほどに鮮烈な青翠のレーザーをFTOへ放った。即座にイーグルは反応し、FTOの精神バリアを展開。高出力ビームはバリアに拡散し、周囲の大気を激しく振動させる。
「開戦の合図、というわけですか。先手を取られましたね」
「気を抜くなよ、イーグル。AMXはFTOを上回るハードウェアを積んでると、データを確認した。性能差は明らかだ」
ジェオの言葉に、イーグルは小さく笑った、そんな気配がバイザー越しに伝わってくる。彼の精神状態はすでに、通常のパイロットの域を超えつつあった。戦闘本能が、理性を凌駕しようとしている。
FTOとAMX。
ふたつの巨影は、都市の上空で表面張力のような緊張を帯びて、沈黙を保っていた。だがその均衡は、秒単位で崩壊へと向かっていた。
*
深紅の機体、AMXが攻撃姿勢を取ったが、イーグルはあえて動かなかった。分析が先だったからだ。目の前の敵を一瞬で破壊するより、戦闘手段の根幹にある最適解を見出す方が、彼にとっては重要だった。戦場における沈黙もまた、ひとつの戦術だ。四基のビットを射出して、攻撃に備える。
「イーグル、戦うのはいいが、ここは市街地の上空だ。敵を大統領府から引き剥がせ。可能な限り地表に誘導しろ。地上なら、軍の支援も見込める」
ジェオの声が、彼には狭すぎるコーパイ席から飛ぶ。主搭乗シートの裏の仕切り奥に、無理やり格納されていたものだ。最初から複座式の汎用タイプとは違う。レーザーを受けたシールドのダメージログを見ていたイーグルも、AMXの性能が尋常ではないことを即座に理解していた。
だが、次の行動を取ったのもまたAMXだった。漆黒の空間に、三条の光跡が走る。精神エネルギー誘導ミサイル。個人の精神波長に追従するその兵器は、逃げ場を限定するための最新鋭兵装だった。
「来るぞ、イーグル」
FTOは囮のように一瞬、その場で動きを止めたかに見えた。しかしその次の瞬間、爆発的な加速で垂直上昇し、三発の誘導ミサイルを引き連れて宙に舞う。機体が描くのは鋭利な弧。空間を斬り裂くような軌道だった。イーグルはタイミングを見計らって、FTOの高出力エネルギーシールドを全周展開。ミサイルがシールドに接触すると、凄まじい閃光とともに空中で爆散した。散った破片が、夜の市街地に流星のように煌めきながら降り注ぐ。人々がその下にいることを考えれば、悠長に空中戦を続けているわけにはいかない。ジェオは眉をひそめた。
「これ以上、ここで派手にやるわけにはいかねえぞ」
FTOが光の粒子とともに宙を駆けた。急激な加速で重力が身体を潰すように圧し掛かる。ジェオはシートに沈みながら、舌を軽く口内の上に浮かせた。戦って死ぬのは構わない。だが、こんなところで舌を噛み切って倒れるのは、あまりに間抜けだ。
「FTOはスピードに特化した機体です。こういう、中距離の牽制合戦には向いていませんね。おそらく、あちらもまだ様子見でしょう」
そう呟いたイーグルの言葉に、昂ぶりが混じっていた。
「強引にでも引きずり下ろします。串刺しでも構いません。こちらは超長距離兵装を最低限にして軽量化を徹底しています。接近して一撃、すぐに離脱、そのスタイルに持ち込めば、勝機はある」
裏コードの影響だろう。抑制されていたイーグルの激情が、微かに漏れ始めている。
「強くなくても構わない。まずは牽制しろ。長距離ミサイルを撃て。あいつの出方を見る」
と、ジェオが言いかけて、すぐに訂正した。
「待て。あいつは大統領府の真上だ。ミサイルは使えん。ビームガンでいけ。あの赤いAMXのシールド出力を計測できるはずだ」
FTOの可動アームが展開され、標準装備の高出力ビームガンがわずかにせり出した。照準が固定され、薄青の輝きが砲口に灯る。
「行きます」
イーグルの短い一言。ジェオは後部座席でバイザーを通じ、すべての計器を睨みつける。狙いは撃破ではない。あくまで情報の収集。シールドの偏光反応、エネルギー吸収率、機体の反応速度。全てが次の戦術の鍵になる。
FTOのビームは、鋭い軌跡を描きながらAMXへと一直線に伸びた。都市上空を走るその光線を、AMXはまるで試すかのように正面から受け止めた。赤い機体は一歩も動かず、青白いシールドがその攻撃を無効化する。
「これでは埒があきません。やはりこちらからも出ます」
イーグルの声が、バイザー越しに荒ぶる。
「駄目だ、イーグル!」
ジェオの制止が届くより先に、FTOは一瞬で間合いを詰めていた。閃光とともに、FTOは急降下。AMXとの距離を取るや否や、四基の自律戦闘ビットがランダムに解き放たれた。イーグルがバイザー越しに視線を走らせる。脳波リンクが即座に作動し、ビットは意思を持ったように空中へと散開した。ビット全基が高速で軌道を描き、AMXを多元的に包囲する。正面からのFTOの牽制射撃に合わせ、上下左右からビームが交差し、合計五方向から攻撃する。立体的に斉射されたAMXの赤い機体が、初めて軽く後退した。しかしその瞬間、FTOの背部が展開し、まるでAMXの動きを待っていたかのように、誘導ミサイルが射出され偏差追尾する。
「衝撃波、来るぞ、イーグル」
青白い空気の壁が、球状に炸裂。ビットの一基が回避不能の爆風に巻き込まれ、軌道を逸らされる。
「ったく、対ビット用の衝撃場か」
イーグルは即座に残りのビットへ指示を切り替え、ダミーフィールドの展開を命じた。レーダーへ擬似情報を生み出し、AMXのセンサーを攪乱する。その間にFTO本体は一気に接近。イーグルの操縦が激しさを増し、ビームソードの出力を最大にする。FTOはAMXの懐へ滑り込み、左腕のバルカンを牽制として叩きつけた。火花と衝撃のなかで振り下ろした右腕のビームソードは、しかし、AMXのシールドを破れない。FTOの火器管制システムがソードの出力危険域を知らせる。
そのときだった。
AMXが静かに腕を上げる。人型の五本指が、まるでFTOを鷲掴みにしようと広がった。機械とは思えない、ぬめりとした意思のような動きに、イーグルは咄嗟に攻撃を止め、急速に後退する。空中を翻りながら、牽制射撃を続け、距離を取った。
「シールドのデータが出たぞ」
ジェオが低く言う。イーグルは、息を詰めながら首を振った。
「いえ、あれは、通常のファイターメカの武装では太刀打ちできません」
FTOはクリスタル都市の内殻を突き抜け、外殻へと飛び出した。イーグルの操縦で、極限にまで高められたスピードに機体が唸りを上げ、光粒子が軌跡を描きながら大気を切り裂いて上昇する。
「イーグル、来る」
ジェオの警告と同時に、赤い影が迫る。AMXがFTOの最高速を上回る機動で、一直線に突進してきたのだ。イーグルが即座にシールドを全開。刹那、二機はクリスタル構造体の外殻に激突した。双方向に展開されたバリアがぶつかり合い、空間そのものが震えたかのような重低音が響く。
FTOは機体ごと押し込まれ、防壁にめり込む形で止められる。直後、AMXが腹部へ零距離射撃を叩き込んできた。重連ガトリングが火を噴き、シールドを焼く。その猛撃を、イーグルは精神の集中で耐え抜いた。
「くっ……」
衝撃で機体が揺れる。シールドは破られていない。だが、それは奇跡に近い抵抗だった。AMXの装甲もまた、FTOの攻撃を弾き続けている。互角とは言えない。明らかにこちらが劣っていた。
FTOの後方から、分離したビットユニットが回り込み、AMXに向けて一斉にビームを照射した。斜線が交差し、赤い機体を包囲する。しかし、AMXのシールドは微動だにせず、すべての射撃を吸収する。
「ビットのビームも通らないか」
ジェオが歯噛みする。戦術的に囲んだはずの火力が、一切効いていないのだ。ビットは衝撃場によって防御機構が破損していた。防御を任せ、FTO本体が全攻勢にシフトするのは不可能だった。特殊装甲に恵まれた強固なフレームとはいえ、このままでは破壊されるのは時間の問題だった。
イーグルの脳裏に、冷たい疑念が過った。
(これは、やり過ぎだ)
ザズに、ハード面でFTOを上回ると聞いてはいた。だが、目の前のAMXは、すでに戦術兵器の範疇を超えていた。FTOは、オートザムが世界に誇る最先端機体。通常型でさえ、他国に対し十分な抑止力を持つ。それが完全に圧倒されている。
(このAMX、なぜ存在しているんだ)
オートザムはすでに他国と停戦協定を締結し、軍縮と雇用安定を国是として掲げていたはずだ。緑化計画の推進も、環境再生を旗印に掲げる政権の柱だった。
ならば、なぜ——。
「父は、一体何を考えている......?」
誰に向けたとも知れないイーグルの呟きが、FTOの赤く警告色に染まったコクピットに落ちた。答えの代わりに、シールドを叩く衝撃音がまた一つ、鳴り響いた。AMXは、FTOをまるで玩具のように扱った。赤い巨影が白い機体を掴み、地殻近くの剥き出しになった岩肌へと叩きつける。その衝撃で、FTOは山肌に深くめり込み、機体を包む防護フィールドが激しく閃光を放つ。間髪入れず、AMXは全兵装を起動した。炸裂音の嵐がFTOのコクピット内まで押し寄せ、制御パネルには次々と赤い警告表示が灯る。
「シールド出力、限界域に到達。残存耐久値、七パーセント」
耳障りなアラートが鳴り響く中、イーグルは一点を見つめたまま、目を細めた。ジェオの声が遠い。コクピットを染める赤光の中、彼は静かに確信する。
(搭乗者は、この世界の人間じゃない)
AMXの挙動は、戦術理論の一切を無視していた。冷静さを欠いた攻撃の連打。防御を度外視した突進。そして何より、その構造だ。人型に過剰に寄せたフォルムは、明らかに「戦術」ではなく「執着」から生まれていた。
「イーグル、シールド破損まで残り十秒」
背後でジェオの緊迫した声が飛ぶ。シールド発生装置の完全破損までのカウントダウン。だが、イーグルの口元にはわずかに笑みが浮かんでいた。
「壊れるなら、壊れていい」
FTOが持つシールドは確かに強力だ。しかし、それが限界を迎えたときのために、イーグルにはもう一つの手札がある。機体とは独立した、搭乗者の精神エネルギーを増幅し展開する個体用シールド。裏コード発動中である今の彼なら、それが可能だ。損傷自体はまだ最小限。だが、このままでは埒が明かない。イーグルは次の局面に備え、精神を集中し始めた。
そのとき。
ブツッ、と通信ラインが割り込んだ。
《こちら、AMX》
音声のみ。映像もコード情報もない。ただ、奇妙に落ち着いたその声だけが、コクピットに響いていた。
「おまえの大切にするオートザムは、地球の要素にすぎない」
通信回路が強制的に開かれ、AMXから声が漏れた。ノイズ混じりの、掠れた音声。けれどその奥には、確かな人間への憎悪が潜んでいた。
「おれは、おまえたちの愚かさが憎い」
その瞬間、FTOのシールド発生装置がついに限界を迎えた。防護フィールドが崩壊し、アラートが叫ぶように鳴り響く。しかしイーグルは、怯まずに精神力を増幅させ、独立展開型の予備シールドを発動。精神エネルギーの光壁が、間一髪で機体を守った。
「最下層の研究室を……おまえは見ただろう」
予想外の言葉と共に、AMXの攻撃が突然止んだ。圧倒的だった殺意が、なぜか語り口へと変化している。
「あれは『人間の実験室』だ。おれは知っている。オートザムが崩壊せずに存続できるのは、試験管の中で人間を生産し、その精神を解析しているからだ。倫理も、命も、全ては国家維持の道具だ」
「それでも」イーグルは息を整えながら言葉を発した。「それでも僕たちは、生きていかなければなりません」
「何のために」
問いは鋭く、冷たかった。だが、イーグルの答えは揺らがなかった。
「この国を守るために」
一瞬の静寂。そして、通信の向こうでクライスラーは嗤った。
「守るだと? おまえの存在は、他人の犠牲の上に成り立っている。そのことすら理解できないなら、おまえたちは、生きている資格がない」
再び、AMXが動き出した。
「よく無駄口を叩く男ですね。抑うつ気質なんじゃなかったんですか」
イーグルの皮肉が通信回線に乗ってAMXへと届く。だが、クライスラーは短く鼻で笑っただけだった。
その隙を突くように、FTOは岩肌を破砕しながら姿勢制御を回復、一気に上昇する。外気はもはや危険域だった。瘴気の渦巻く大気が、クリスタル構造体の外に満ちている。FTOのコクピットは密閉されているが、万が一、装甲に亀裂が入れば命取りとなる。
「イーグル、外は瘴気だ。マスクの確認をする。シールドが破られたら、生き残れないぞ」
ジェオの声に、イーグルは短く応じた。ジェオはすでにFTOの支援要請を軍基地へ送信済みだったが、環境への対応が優先だ。彼は即座にコンソールへ目を走らせ、搭載装備を確認していた。
「あった。マスクはふたつ。ただし、戦闘機動中に装着する余裕があるかは別問題だ」
FTOは大気の渦を抜け、瘴気を裂くように飛翔する。その背後を追って、AMXが姿を現した。まるで獲物を仕留める肉食獣のように、無音で距離を詰めてくる。今度は、FTO側から通信回線を開いた。イーグルの声は、静かに、しかし鋼のように響いた。
「クライスラー。貴方は『チキュウ人』ですね、そしてかつての魔法騎士」
イーグルの言葉に、回線の向こうでわずかな沈黙が走った。ヒカルたちがセフィーロに持ち込んだ品々。腕時計、ビデオカメラ、熱効率に優れた調理器具。彼女らの道具と、クライスラーが戦闘に用いていた兵装との設計思想は、あまりにも似すぎていた。ただの偶然ではあり得ない。イーグルは、かつて『創造主』から語られた世界の多層構造の話を思い出す。ヒカルたちが発したチキュウ訛りの言葉、ランティスがオートザムに滞在していた頃に話した『柱』という概念、そしてセフィーロでの療養中に断片的に集まった情報。そのすべてが今、クライスラーという存在と結びついた。
そう、チキュウ。魔法騎士の原郷。おそらく、あの星もまた、終末を迎えつつある。オートザムと同じように、環境汚染に蝕まれながら。
だとすれば、クライスラーの目的は。
「沈む舟から脱出した難民、ですか?」とイーグルは静かに問いかける。
その瞬間、通信回線の雑音が一瞬止み、クライスラーが冷たい息を吐いた。
「貴方がオートザムを憎み、僕を殺すとして、それでチキュウは救われるんですか」
イーグルの声は冷静だった。だがその言葉の背後には、怒りでも嘲りでもない、純然たる疑問が込められていた。
「念のため申し上げておきますが、通信は全て録音されています。発言は慎重に」
「知るだけ無駄だ。おまえは死ぬのだからな」
返答は短く、嫌悪に満ちていた。
「イーグル、地表基地より通信。対空防衛砲の発射準備完了。すぐに離脱だ」
ジェオの声が割り込む。
「了解。しかし」
その言葉の途中で、空が赤く染まった。地対空砲が火を噴いたのだ。複数の光弾が、闇に溶け込む赤い機体、AMXへ向けて次々に放たれる。超高速で回避機動を行いながらも、数発が確実に命中した。イーグルがクライスラーとやり取りしていたあいだ、ジェオは地表軍と戦術的な「会議」を済ませていた。報告によれば、発射されたのはAMX専用に調整された迎撃ミサイル。つまり、同じ施設が兵器と、それを無効化するための兵器を、同時に、同所で開発していたということだ。イーグルには、その意図が理解できなかった。
クライスラーの機体は、攻撃を受けながらも即座にシールドを再展開した。FTOと同じく、精神エネルギー増幅器を用いた個体シールドだ。主発生装置は破損したのだろう。
奇しくも条件はイーグルとクライスラーの両者で同等になった。違うのは、搭乗者の意志と、精神だけだ。
「来い、イーグル・ビジョン」
クライスラーの挑発に、イーグルは即応する。FTOは一気に翔び、翼から小型ミサイルを連続射出。赤い尾を引きながら、高速でAMXに襲いかかった。これは挨拶だ。だがAMXも遅れはしない。残存ミサイルを一斉発射し、正面から迎撃する。空中で爆炎が交錯し、精神エネルギー波と熱波が空を撹乱した。直下の軍事基地では計器が一斉に狂い、アラームが鳴り響く。
「イーグル、長引かせるな」ジェオの冷静な声が入る。
「さすが元・魔法騎士ですね」イーグルはわざとらしく感嘆しながらも、目は熱を帯びていた。
地表軍の回線が割り込んだ。『FTO、何をしている。退避して我々に任せろ』
「僕はまだやり足りません。援護をお願いします」イーグルはつまらなそうに言い、無駄な交信を切る。
FTOは空を駆け上がる。速度限界を超え、翼のスラスターが光を引く。彼の精神波を受けた機体は、もはや意志を持つかのように滑らかに舞った。AMXもそれを追い、共に上昇する。雲を突き抜けると、そこは濁った対流層の上。大気は重く淀み、しかしその向こうに、まるで夢のように、セフィーロの光輪が、ぼんやりと浮かんでいた。イーグルは視線を逸らさない。夢を見た地、幻の理想郷。その残光を背に、彼はFTOを急旋回させた。
「終わらせましょう、クライスラー。あなたが何を背負っていようとも、僕は譲らない」
クライスラーの応答はなかった。代わりにAMXが加速。重力に逆らう鋭い軌道で迫る。両者は限界にまで研ぎ澄まされた精神力をぶつけ合い、コクピット内の計器を赤く染め上げる。
「おまえに、何がわかる」
クライスラーの声は一瞬、機械的なフィルタを外したような、生々しい「人間の怒り」の色に染まった。だがイーグルは揺るがなかった。
「僕はあなたのことをわかっているとは言いません。けれど、あなたがチキュウで何を見て、何を失ったか、想像することはできます」
FTOとAMXは、厚い雲海の上で静止した。大気の境界を越えてまでの戦いの中、ふたりは言葉という剣を交えていた。
「ばかばかしい」
「けれど、そういう絶望を見た人が、今この瞬間、まだ『言葉』を使おうとしている。それが、僕には救いに見えます」
「救いだと?」クライスラーは嘲笑した。「おれが今しているのは殺し合いだ。自分の思想を通すために、おまえを殺す。それだけだ」
「それだけで終わるなら、なぜさっき、攻撃の手を止めたんです?」
その一言に、クライスラーの応答が詰まった。沈黙が、電子の荒波のように通信回線に広がった。
溜息とともに、AMXが再始動する。だがその動きは、どこか焦りをはらんでいた。イーグルは追うようにFTOを旋回させ、近接戦闘へと突入する。ビームソードとエネルギーブレードが交差し、衝撃波が空を裂く。二機は激しくぶつかり合いながら、互いの精神エネルギーを削り合う。装甲を貫けない攻撃でも、精神エネルギーは確実に蝕まれていく。
「僕は、貴方を殺すために戦っているわけではありません」
「殺すつもりで来なければ、お前が死ぬだけだ。地球は破滅に向かって突き進んでいる。知的生命体と呼ばれる存在がいながら、弱者は死に絶え、一握りの富裕層だけが支配を拡げている。気候は狂い、争いは終わらず、確実に崩壊している」
その言葉には、冷徹な現実が滲んでいた。世界の全てが逆行し、荒廃の淵に沈んでいく様を見据える者の冷たい思念が感じられた。
「それを聞く限り、チキュウを愛しているようにも聞こえます」
「……やはりおまえが気に食わない」
言葉は鋭く、敵意を孕んでいた。双方の間に流れる空気は重く、緊迫している。
突然の動き。AMXは、イーグルの反応が及ばない速度で、赤く光る右腕をFTOのコクピット横に深く貫通させた。冷たい金属が機体の厚い装甲を破り、内部に穴を穿つ。そこから瘴気がじわじわと浸透し、空気の純度を蝕んでいく。酸素マスクが二つ、無機質に天井から吊り下がっている。しかし、それを装着する猶予はなかった。AMXは、串刺しにしたFTOを伴い、高速で空間を駆け抜けていた。重力の圧迫が強まり、イーグルとジェオの体はシートへ押しつけられる。揺れるマスクは、無意味に空間で激しく振動を繰り返していた。
「シールド」
イーグルの声は静かに響いた。即座に、彼の右手に接続された兵装デバイスから、エネルギーシールドがコクピットに展開される。光を帯びた薄膜が半透明に空間を遮る。応急的な防御だが、持ちこたえるには十分だった。
「ばかやろう……おめえ、こっちが見事に串刺しにされちまったじゃねえか」
怒気混じりの声が、機体内の通信を震わせた。ジェオの苦悶が滲んでいた。
「僕は『最強』ですから、串刺しにされるのも、経験としては悪くないですね」
イーグルは冗談めかして言ったが、その声は真剣だった。FTOを護るシールドと、コクピット内部に展開したシールドの両方を保持するのは、非情なまでの集中力を要した。AMXの巨体は、FTOを掴み上げると、迷いのない動作でそれをクリスタル状の構造体へ叩きつけた。衝撃が、重い。装甲が悲鳴を上げ、骨の軋むような金属音が響いた。コクピット内の温度が、串刺しにされた個所から、じわじわと上昇していく。瘴気が充満し、視界が霞んでいく。空気は変質し、呼吸が徐々に困難となる。FTOは緊急事態と判断し、自動的に脱出コマンドを実行した。だが、そのシーケンスは完了しなかった。イーグルは、すでにハッチの駆動系統へアクセスし、搭乗者権限で制御回路を遮断していた。脱出は拒否される。FTOはAMXからの攻撃に耐えるだけになった。
「イーグル! もういい、降参しろ」
ジェオの叫びがコクピット内を震わせる。それは焦燥に満ちていた。
「お前、今……生身のシールドを張ってるんだぞ! FTOに接続したままでそんなことをしたら、ダメージが、お前にフィードバックしているだろ」
その言葉は事実だった。FTOの破壊された各部が、痛覚を通じてイーグルの身体に還元されてくる。内臓が揺れ、骨が軋む。皮膚の下で神経が焼けそうになり、物理的損傷を伴って、体中から出血していた。だが、降伏は選べなかった。選んだ瞬間、命が消える。それは直感だった。降りれば、このまま殺される。その確信が、彼の中に静かに根を張っていた。
「くそっ、ならシールドを俺に回せ」
ジェオの声は叫びに近かった。言葉の端々に、イーグルを想う不安が滲む。
「その間に、何とかしろ。お前だけが頼りだ。俺には、もう何も案が浮かばねえ」
「了解。そちらに任せます。カウントダウン、三、二、一、どうぞ」
イーグルの応答は、冷静だった。だが、それは極限下で意識を保つための仮面にすぎなかった。
「ぐおっ――」
ジェオが呻く。次の瞬間、身体を襲ったのは、凄絶な負荷だった。内臓が急激に圧迫され、視界が歪む。喉の奥から突き上げるような感覚。思わずうつむくと、口から濁った胃液が吹き出した。どす黒い血。シールドのフィードバックが、単なる幻痛の領域を越えて、彼の肉体そのものにダメージを与えていた。だが、それでも止まることはなかった。イーグルは、血まみれのまま、攻撃を受け続けるFTOの右腕を辛うじて操作し、標的へと伸ばす。砲身は、AMXのコクピットを正確に捉えていた。まばゆい光が一気に噴き出す。エネルギー同士がぶつかり、空間そのものが軋むような感触を発する。AMXの強力なシールドが進路を阻むが、それでもイーグルは押し込んだ。力ずくで、あまりにも強い意志で。
「ぐ、うああああっ!」
後部シートから上がった悲鳴。ジェオだった。精神リンクを通じた過負荷により、彼の右拳の骨が砕ける音が機内に響いた。だが、彼に構っている余裕はない。亀裂が、AMXのシールドの中央に現れる。残っていたビットが追いつき、亀裂に張り付いて自爆コードを送信する。それを見逃さず、イーグルは自身の精神エネルギーのすべてを、右手に集中させた。それは限界を超えた動作。ビットの爆散と同時に、コクピットハッチを殴りつける。
「なっ――」
クライスラーの驚愕が漏れた。ありえない事態だった。性能において圧倒的に劣るFTOが、AMXの防御を破ったのだ。AMX、そのコクピットに今、直接の衝撃が走っていた。軍人ではない、鍛錬された人間でもない、ただの一般人であるクライスラーの肉体は、衝撃に耐えられなかった。胸部への一撃が致命的となり、彼の身体はその場で硬直し、沈黙した。