白雪と紅椿 小話 紅炎は白雄から頼まれた文を届けるお使いの帰りにてくてくと目抜き通りを歩いていた。というのも白雄から何か欲しいものを見つけなさいと課題を与えられたからだ。紅炎が毎月のように貰った給金をそっくりそのまま弟たちに渡してしまい、自分では少しも使おうとしないので、とうとう白雄は弟たちの生活は俺が守るからお前はもっと自分のことを大切にしなさいと言ったのである。そこまでしてもらうのは流石に申し訳がないと思ったが、弟たちに聞いてみれば、もう随分前から白雄の使いが食料を持ってきたり家事をしたりで面倒を見てくれていたらしい。紅炎が気にするといけないからと口止めされていたのだという。
そういう経緯があり、紅炎はより一層白雄への忠心と敬愛を深め、言われた通り欲しいものを見つけるためにこうして目抜き通りを歩いていた。目抜き通りはこの都でも指折りの有名店が軒を連ねているだけあり、金さえあればここで手に入らぬものはないと言われているほどだ。今でこそ白雄の使いで目抜き通りの店に来ることが多いので歩き慣れているが、そうでもなければ都外れの長屋暮らしの紅炎には生涯縁のない場所だっただろう。物珍しいものから高価なものまで様々ある。
紅炎は反物の店の前で足を止めると店先にあった美しい唐織の反物を見上げた。雪みたいに白くて綺麗だ。きっと白雄に似合うだろうなと思った。こんなに貴重な反物を着物に仕立てるだなんて、まだまだ見習いに毛が生えたような紅炎の給与では無理なのだが。その時、この店の旦那が紅炎を見つけて声をかけてくる。
「これは練様のところの。どのようなご用事でしょうか」
大店の旦那様だというのに白徳や白雄の人徳により、紅炎のような下っ端にまでこうして礼儀を尽くしてくれる。本来なら野良猫の仔のように煩わしげに追い払われてもおかしくない身分だというのに。小柄な紅炎からすると随分と大きな旦那を見上げて言った。
「申し訳ありません。今日は文の使いではないのです。とても綺麗な反物で白雄様によくお似合いだと思ったので……」
「そうでしたか。確かにこれは貴重な反物です。生半可な人間では着こなすことはできないと思いますが、若旦那様ならば着られる反物も喜ぶほどでしょうね」
旦那は好きなだけ見ていいと言ってくれてそれから仕事に戻っていく。紅炎はしばしその反物を着た白雄を想像して目を輝かせていたが、課題は紅炎が欲しいものを見つけることだったと思い出し、子犬のようにふるふると頭を振って反物問屋から離れた。
紅炎は首を捻りながら考える。白雄の側仕えになるまでは生きるので精一杯で、何か欲しいだなんて考えたこともなかった。生きるのに必要な物以外は贅沢品という生活だったのだ。それが白雄の元へ来てからというもの、食事がちゃんとできるどころか、綺麗で立派な着物にお茶におやつまで与えられるようになったのだから、紅炎はかなり贅沢な生活をしていると言える。今以上に一体何を望めばいいというのか。白雄はとても難しいことを言うなと紅炎は思った。こうして色々見て歩いていると、白雄にぴったりだなと思うものは色々と見つかるが中々ほしいものは見つからない。
どうしようかと思いながら歩いていると、キラキラと光るものが目に入って顔を上げた。光っていたのは陽光を弾いて輝く瓶のようだ。高級菓子店なので瓶に収められた色とりどりの美しい金平糖が並んでいる。空のような色合いの金平糖が多い瓶。菜の花のような黄色が多めの瓶。それぞれ特徴となる色が違っていて見ていて面白い。白雄がくれた金平糖は紅葉のような赤色が多い金平糖だったなと思って見ていると、雪のように白い金平糖が多い瓶を見つけて足を止める。まるで雪解けの季節に蕗の薹が芽吹くように、淡い緑や黄色の金平糖が白の合間から覗く美しい瓶だった。
紅炎の脳裏に「俺の名前は平仮名だと"はくゆう"と書くが漢字だと"白雄"と書くんだ。これは色を表す漢字で雪なんかはまっしろだろう?白という漢字はこのように書くんだ」という穏やかな声が響く。奉公を始めたばかりの頃、字の書き方を教えてくれた時にそう教えてくれた。白は白雄の名前に入っている美しい色なのだ。そう思ったとき初めてこれが欲しいという欲求が紅炎の中に生まれた。お茶の時間にお出ししたら白雄は喜ぶかもしれない。二人で食べるには十分な量があるので、紅炎も食べられるのだし紅炎の欲しいものとして買っても問題ないだろう。白雄が喜ぶ顔を想像すると紅炎の胸はそわそわして喜びに満ちた。
紅炎がじっと瓶を見ていると、好きなように店内を見させてくれていた女将さんが微笑みながら穏やかな声で話しかけてくる。
「練様のところの坊ちゃん。その金平糖が気に入りましたか?」
「はい。雪みたいに白くてとても綺麗で……おいくらですか?」
そうして教えてもらった金額はとても紅炎のひと月分のお給金で買える値段ではなかった。この頃、砂糖は輸入に頼りきり、僅かな薬や菓子に使われるのみで大変高価なものだったのだ。庶民の口にはまず入ることのないものである。それを自分の側仕えとはいえ奉公の子供に気前よく与えてしまう白雄の懐の深さは驚くものがあった。
女将は値段を聞いたきり黙り込んでしまった紅炎を見守りつつ笑みを深めて言う。
「以前、若旦那様も金平糖をお買い求めにいらっしゃいましたが、その時は紅葉のような赤が多い瓶を選んでいかれました。きっと若旦那様も坊ちゃんの紅葉のような御髪を見て選んだのでしょうね」
「あの……ありがとうございました。また来ます」
「はい、お待ちしております」
まだ全く人馴れしていない紅炎にも女将は始終親切だった。ぱたぱたと駆けていく紅炎の小さな背を店先で見送ると、店内に戻った女将は従業員の若い男に声をかける。
「そこの白い金平糖、取り置きしておいてくれるかしら」
「女将、いくら練様のところの若旦那の側仕えと言ってもまだ子供ですよ。買いになんて来ないのでは?」
訝しげな顔をしながらも棚から金平糖を下ろした男に、女将はため息をついて呆れた風に言った。
「あなた、まだまだ修行が足りないわね。もっと見る目を養わなくてはこの世界でやっていけないわよ」
この金平糖ひと瓶は確かに高価だが、女将は将来的に金平糖ひと瓶どころではない利益が出せることを予感していた。あの奉公の子供は白雄にとってただの使用人じゃないのだ。噂では命を狙われた白雄を信じられないことにあの幼い少年が命懸けで助けたと聞く。その上、初めてあの子供を文の使いによこした時、文には自分の側仕えとなった子だからよしなに頼むと書かれており、それと共に結構な品物を持たせてよこしたのだから。それは何もこの菓子店だけではなく、この目抜き通りに店を構える信頼できる取引先全てに対して文を持たせて行かせたようだった。それ以降、取引先として信頼を寄せる店にはあの赤毛の子供が使いに来るようになった。白雄はまだ若いが既に頭角を表しつつある白徳以上の傑物だ。今のうちから繋ぎを深めておくに越したことはないと女将は思っていた。
そういえば噂に聞いた話、赤毛の子が使いに行かなくなった呉服問屋などは業績不振でますます規模縮小の憂き目に遭っているとか。商売には人付き合いが最も重要だが、付き合う相手はよく選ばねばなるまい。そう思いながら女将は帳簿を確認しに店の奥へと戻っていった。
それから紅炎は空き時間にも駄賃を稼ぐため、武芸の師匠である李青龍に相談して仕事を紹介してもらうことになった。なんせ給金だけだとあの金平糖を買うのがいつになるか分からない。師匠の青龍は自分で仕事を探さず相談したことをどうしてか褒めてくれて、別途駄賃を稼ぎたい理由を聞くと、なぜか目頭を押さえながらいい仕事を知っていると言ってくれた。そして仕事の簡単さに対し、やたら報酬のいい仕事ばかりを勧められるようになったのだ。あまりの報酬の良さに首を傾げたくなる紅炎だったが、きっと青龍の人徳でこのような割りのよい仕事が集まるのだろうと納得する。そうして青龍の知人の宴席の手伝いで下働きをしたり、青龍の屋敷の煤払いをしたりして真面目に稼いだのである。
半月ほど真面目に働き、あとひと月も働けば次の月の給金も合わせて金平糖が買えるだろうとほくほくしていると、ある日唐突にやけに真剣な面持ちの白雄に呼び出された。白雄の私室ではなくなぜか仕事をするための書斎に呼び出されたので、きっと何事か重要な話に違いないと、緊張の面持ちで書斎に赴く。白雄の前に正座をして座り込むと腕を組んだ白雄が重々しい口調で言った。
「紅炎……」
「はい」
「お前はまた俺に何か隠し事をしているだろう。青龍と何事かやっているのは分かっている。あの忠義者に何をしているのかと問いただしたが、私の口からは言えませぬの一点張り。青龍が俺に口を割らないなど余程のことだ」
「そ、それは……」
そういえばこっそり武芸を始めた時もこんな風にバレてしまっていたっけと思い出す。できれば秘密にして驚かせたかったがそうはいかないだろうかと伺うように白雄を見るが、相変わらず厳しい表情を崩さない。
「白雄様……」
「駄目だ。そんな可愛い顔をしても駄目なものは駄目だからね。お前は目を離すと信じられないような無茶をするのだから」
駕籠の中に閉じ込められている間に紅炎が瀕死となった事件は白雄のトラウマである。あんなことは二度とあってはならぬと、白雄は何事も楽観視しないようになった。そんな白雄を見て紅炎は観念したようにポツポツとわけを話し始める。白雄みたいな真っ白で綺麗な金平糖が買いたいこと。それをお茶の時に出したら喜ぶかもしれないと思ったこと。お金が足りなくて青龍に相談して駄賃を稼ぐようになったことも包み隠さず全部だ。話し終えると白雄は両手で顔を覆ってわなわなと震えていた。紅炎は驚いて慌てる。
「白雄様……!? 具合が悪くなったのですか!? お医者様を呼ばないと……!」
「違うんだ……あまりにも嬉しすぎて……話を聞いただけでこんなにも嬉しいのに、実際にお茶に出されたら嬉しさのあまりどうにかなってしまいそうだ」
「そ、そんなにですか……?」
「あぁ。嬉しすぎるあまりにこれをお前にやりたい」
そう言って文机の抽斗から取り出した巾着を渡されたが、やけにずっしりしたそれの中を見ると銀子がぱつぱつに収まっていて、紅炎は驚いた猫のように飛び上がると慌てて白雄に返した。金平糖がひと瓶どころか五個も六個も買えそうな量だ。不満そうな白雄に自分でしっかり稼がないと意味がないからと説得しやっとのことで納得してもらったのである。
それから使用人の部屋に置くには不用心だからと、紅炎の金平糖貯金が入った瓶は白雄の部屋で保管することになり、少しずつ貯まっていくそれを見て二人揃って楽しみにする幸福な日々が続いた。そして一か月程が経ち、予定通りとうとう貯まった貯金を手に紅炎は店に向かう。白雄も行くと言うので、結局護衛も共に連れて大きな手に手を引かれながら向かうことになった。
白雄と共に目抜き通りの例の高級菓子店に赴くと、以前来た時と変わらずキラキラとした瓶が棚に並んでいる。しかし、紅炎が一番綺麗だと思った白い金平糖が見つからない。当然だ。あれからもう一か月以上経つ。なぜいつまでも残っていて買えると思ってしまったのだろう。あれは商品なのだから誰だって買う権利があるというのに。紅炎は自分の世間知らずさに嫌気が差した。買えると思って悠長に構えていた紅炎が悪いのだ。
花が萎れたようにしゅんとしてしまった紅炎の頭や細い背を撫で、白雄は顔を上げる。するとちょうど良く奥から出てきた女将が白雄と紅炎を見て微笑んだ。
「これは白雄様に坊ちゃん、いらっしゃいませ。ご来店ありがとうございます」
「お久しぶりです。この子と金平糖を買いに来たのですが、白い金平糖の瓶は売れてしまいましたか?」
「いいえ。またいらっしゃると思っていたので取り置きしておりました。すぐにお出しして」
「はい。ただいまお持ちいたします」
女将の指示で従業員がすぐに奥から商品を持ってきてくれる。盆の上に乗せられた金平糖の瓶を見て紅炎は目を輝かせた。どうなることかと思ったがまだあってよかったと、一瞬前の落ち込みようが嘘のように歓喜に満たされる。懐からお代を入れた巾着を取り出し差し出された盆の上に乗せると、代わりに瓶を取り上げて持ちあげる。人生で初めて生きるため以外に自ら買い求めた金平糖を間近で見て、紅炎は子供らしくふくらとした頬を赤らめて喜んだ。目を細めてそれを見守っていた白雄は、紅炎の赤髪を慈しむように撫でながら女将に礼を言う。
「取り置きまでしていただいてありがとうございました」
「大したことありませんわ。大事なお客様ですし、坊ちゃんがまた来るとおっしゃいましたので」
「そうでしたか。お陰でこうして無事に買えました」
「何よりでございます」
「そうだ、今度当家で茶会をするのでその時の菓子もぜひお願いしたいですね」
練家と付き合いのある有力者が集まる茶会だ。そこで評判になれば更に手広く商売がやれるようになるだろう。美しいかんばせに笑みを浮かべた白雄を見て、女将も笑みを深めて頭を下げた。
「お任せください。必ずやご満足いただける品をご用意いたします」
「頼もしいことです。今後ともよろしくお願いします」
白雄も頭を下げてそう言うと紅炎を連れて屋敷へ帰った。その瓶の中の金平糖がなくなるまで、紅炎はしばらくお茶の時間になると白い金平糖が出してくれたが、今まで食べたどんな菓子よりも美味しく思えたのは言うまでもない。人間の感情とは不思議なものだ。こうして味覚にも影響するほど紅炎の気持ちが嬉しかったのだ。金平糖がなくなる時、惜しんだのは紅炎よりむしろ白雄だったかもしれない。白雄があんまりなくなるのを悲しむものだから、また買ってくれると約束してくれたくらいだ。これではどちらが主人だか分からないと、この後何年経っても二人の間で話題に上って笑い話となるのだった。
END