被験体337番の記録 白い床、白い天井、白い服、たまにやってくる黒いマスクの大きなひとと、あとはみんな同じかお、かお、かお。
それがぼくの世界のすべてだった。
いつだったか、マスクをしていない大きなひとに出会ったけれど、そのひともぼくとおんなじかおだった。
ぼくらのかおはかわいいけれど、そのひとはぼくらよりシュっとしていて、すこしかっこよかった。さすがぼくのかお。
だからきっと他のマスクの人たちもみんなおんなじかおをしているのだと思った。この世界はおんなじかおの人しかいないのだと。すてきなかおだからしょうがないね。
だから今日、白いドアがウィーンと開き、マスクの人がつれてきた子のかおを見てぼくはさんかくの目がまんまるになるほどおどろいた。
ぼくと全然ちがうかおをしている。
服はおんなじ、大きさもおんなじ。
でも、かおがちがう。
ぼくらは目がさんかくでまっくろなひとみ、口はかわいくふにゃっとしていて、髪は毛先がぴょこぴょこと外にはねている。
その子の髪はふわふわしていて、口は小さくて、まるの半分みたいな目の形で、まつげが長くて、きれいな黄色のひとみをしていた。
髪はおんなじ黒だけど、全然ちがう。
他のぼくは興味がないようで、扉を見向きもしなかったけれど、ぼくは本を読んでいた手を止めて、その子のかおをじっと見ていた。
黄色いひとみと目が合った。
とたん、パッとそらされていまう。
性格はちょっと小さいぼくとおんなじみたい。あんまりしゃべらない気弱なぼく。それなら、仲良くなる方法をしっている。
マスクの人たちがでていき、ぽつんと部屋に残されたその子に近づく。
ぼくに気づき、後ずさろうとしたその子の目の前に、ぼくは持っていた畳まれた紙をだし…
「じゃじゃーん!」
ボンッと変形させてみせた。
2色使って作る、伸びる折り紙だ。
目をそらされるなら、目を引くものを見せてやればいい。
「す…すごい!」
案の定その子は黄色いひとみを輝かせてこちらを見ていた。
「あっちに折り紙たくさんあるよ!一緒にやろ!」
その子には興味が尽きないけど、話を聞くにはまず仲良くならなければ。
ぼくのその提案にその子は
「うん…!」
と笑顔でついてきてくれた。
そんなところも、気弱なぼくとおんなじだった。
「でね!あの子も折り紙が上手でさ、〝つる〟っていうのを教えてもらったんだ!外にいるいきものなんだって!すごいだろう!あの子、外から来たんだ!ぼく、あの子ともっと仲良くなりたいから、新しい折り方教えてよ!」
「もう俺に教えられる事はねぇよ…お前器用だし…もう折り方ぐらい自分で生み出せるだろ」
興奮して早口で話すぼくの前で、気だるそうに答えるのは大きいぼく。
いっぱいしゃべるぼくとちがって、口数は多くないけど、気弱なぼくみたいに弱そうには見えない。そういうの、なんだかかっこよくてぼくはちょっとあこがれている。
おしゃべりは大好きだからやめる気はないけど。
ここは、大きな白い部屋の本棚の上の狭い通路をこっそり通るとやってこれる小さな白い部屋。
大きな部屋ではたくさんのぼくが暮らしているのとちがって、ここでは大きいぼくと小さな茶色いいきものだけが暮らしている。
茶色いいきものは、けんきゅうじょが作ったいきものだ。彼もぼくとちがうかおをしている。彼はかいぞうをされて今の姿になったらしいので、もとは同じかおなのだと思っていた。しかし、この世にぼくとちがうかおもいると知った今、彼の元のかおはどうだったのかも気になるところだ。
まあざんねんながら彼は話せないので、すぐには知ることができないけど。
「しかし…違う顔のヤツ、なぁ……」
大きいぼくが何か考えている。
「それも外から来た、なァ……」
「……」
「うん!あの子にもっと外の話を聞きたいんだ!」
「やめとけ」
「え⁉」
大きいぼくと茶色いのが渋いかおをしている。茶色いのも、大きいぼくと同じことを言いたいのだろう。
「どうして!」
もちろんぼくは抗議する。
外のことだって、あの子自身のことだってぼくはもっとしりたいのに。
「外のことを嗅ぎ回ってんのがバレたら、処分されるかもだろ」
「うぐっ」
処分。たくさんいるぼくらの中に、何人かいなくなったぼくがいる。
やせほそったぼく、頭がわるかったぼく、足が動かなかったぼく。
いつの間にかいなくなっていた彼らのことを、不思議に思って大きいぼくに話したら、それは処分されたんだと聞かされた。
処分とは、もう会えなくなること。
処分された中には外に興味を持って部屋を抜け出そうとしたぼくもいた。
大きいぼくや茶色いのともう会えなくなったら悲しい。
「うう…それはいやだ……」
「だろ?だからやめとけ」
「でもっ!仲良くなるだけならいいよね?あの人たちが連れてきたんだから!」
「おすすめはしねぇ」
「ぼくはあの部屋の全部のぼくと仲良しなんだから!あの部屋で仲良しにならないほうがおかしい!ヨシ!」
「……好きにしろ」
呆れたように大きいぼくが言った。しゃべるのが大好きでよかった。余談だけど、ぼくはほかのぼくからはおしゃべりなぼく、と呼ばれている。
細い通路、ダクトというらしいそこを通り、ほかのぼくがいる部屋へ戻る。
大きいぼくのところに行っているのがバレても処分されてしまうかもなので、慎重に、こっそりと。
それから数日たったころ、ぼくはあの子とすっかり仲良くなった。
今日のご飯は美味しかったとか、どの絵本がお気に入りとか。大変惜しいが、外に関する話は危ないよとくちどめをしておいたので、そんな他愛ない話ばかりしていた。
それでも、あの子と話すことはとても楽しかった。
「ねえ、君の名前はなんていうの?」
ある日、あの子がそんなことを聞いてきた。
なまえ…名前…?なんだったかな、確か絵本にそういうのあったような。他からの呼び方…。
「ぼく、おしゃべり、チビ、ひけんたい」
「そういうのじゃないよ」
ちがったらしい。
「ないの?親からもらった名前」
「おや?」
こうして話しているだけでもやっぱり、この子は知らない言葉をたくさん言う。
もっと詳しく聞きたいが、こちらからは深入りできない。
「親…知らない……そっか…ごめんね……」
ああ、なぜか悲しそうなかおで〝おや〟の話をやめてしまった。この子にとっておやを知らないことは悲しいことらしい。
「僕はね、ナルっていうの」
ナル、それがこの子の名前。
名前のことなんて今まで考えたことがなかったのに、知れたことがなんだかとても嬉しい。いつもみたいな、未知に出会った喜びとも違う。宝物を見せてもらえたようなそんな喜びだった。
そうしたら、なんだかぼくもナルに同じことをしてあげたくなった。でもぼくには名前はない。
「名前をくれるのは、おやじゃなきゃだめなの?」
「だめではないと思うけど…」
「じゃあきみがつけて」
「え⁉」
「ぼくもきみに名前を教えてあげたいけど、名前のことよくわかんないから、ちょうだい」
「わ、わかった!責任重大だね…!」
わりと軽い気持ちで頼んだのだけれど、ナルは真剣なかおで悩みはじめた。
「決めた!」
ナルが固まってしまったので、本を読み始め、ぼくが名前のことを少し忘れかけた頃、ナルが彼にしては大きな声を出した。
「君の名前、ハナはどう?」
「ハナ?」
「うん、話すのが好きだから、ハナ。………どうかな?」
「悩んだわりには安直」
「うぅ……」
「ハナ…ハナかぁ……!ねえ、ナル」
「なぁに?」
「ぼくね、ハナっていうの」
「!…へへ、そうなんだ。ふふ、教えてくれてありがとぉ」
ふははっと二人して笑った。
「おい、チビ」
「違うよ!ハナだってば!」
ぼくは今日もまた小さい部屋に来ていた。
ナルからなまえをもらったことを教えても、大きいぼくはいまだにチビと呼び続けてくる。茶色いののほうが小さいのに……。あ、そういえば。
「ふたりにはなまえないの?」
「………」「……」
二人とも黙ってしまった。
二人はこうして黙ってしまうことがたびたびある。茶色いのはそもそもしゃべらないが、それでも普段は身ぶりや表情で返してくれる。それがないときはだいたい二人とも答えてくれない時だ。
ないならきっとそんなもんねーよって言う。今まで大きいぼくを見てきて、そのくらい分かる。あるけどぼくには教えてくれないのだ。
彼らが口を閉ざすことはよくあることで、つまんないなと思うことはあれど、今まではあまり気にはしてなかった。けれど、なまえを教えてもらえないのは、つまらないというより、なんだか悲しかった。
ナルは、仲良くなったから教えてくれたんだと思う。じゃあ、大きいぼくと茶色いのは、ぼくと仲良くないのかな。
仲良しだと思ったから、ぼくは、ナルからもらった大事ななまえ、教えたのにな。
「…………………チビ」
「……ちがうもん」
「その名前、気に入ってんのか」
「うん……」
「そうか、……俺は、…俺は自分の名前が気に入らねぇ。だから教えねぇ」
ほんとのことじゃないな、そう思った。きっとうそではないんだろう。でも、ほんとのことじゃない。
言えない理由はほかにあるんだろう。
僕らにはずっとそんな壁がある。だから、仲良くなれないのかな。そう思ってうつむいてたら、大きいぼくが頭をわしゃわしゃと撫でてきた。
「わりぃな」
「…」
茶色いのもぼくの膝に乗ってきた。そんなことしたってぼくと仲良しじゃないくせに。
「……新しい折り紙の折り方、教えてくれたらゆるしてあげる」
「ええ…もう全部教えたんだけど…」
「がんばってかんがえて、じゃないとおこってもうこないかも」
ぼくにゆるしてもらうためにいっぱいいっぱい考えてればいい。
「…わかったよ、お前が来ないと……そっちのやつが寂しがるからな」
「……!……」
大きいぼくはそう言って、ぼくの頭をポンポンとした。茶色いのはなんとも言えないかおで大きいぼくを見た後、一応は同意したようでにこりとぼくを見てきた。
「ふふ、じゃあ次も来てあげる」
「そうしてくれ」
新しい折り方を教えてもらうって楽しみができたからしょうがない。
そんな話をして、今日のところは自分たちの部屋へ帰った。
部屋へ戻ると、ナルが待っていた。
「いっつもそこで昼寝してるね。そんなに寝心地いいの?」
ナルには大きいぼくのことは話していない。くちどめをされているから。
暗いところで一人で昼寝してると落ち着くから、なんて言ってダクトの中に入っている。仲良しのナルに、ぼくだって隠し事してる。大きいぼくも、ぼくじゃない仲良しの誰かにくちどめされてるのかな。それならしょうがないかと思えそう。
誰なんだろう。その人にも会えるかな?もしほんとに仲良しだったら、紹介してもらえるかな?ぼくもいつか、ナルと大きいぼくたちに会ってほしい。
ふたりとナルが仲良くしているところを想像して、あたたかい気持ちになる。そうなる日がくるといいな。
しかし、それよりも目下で大事なことがある。
ナルはいまだに、他のぼくと馴染めていないのだ。
ナルがここにきてもう手の指、いや、足の指を足しても数えられないほど寝起きを繰り返した。
この部屋に新人が入ってくるのは珍しいが、全くなかった訳では無い。
新人が来ると、元気なぼくや、お調子者なぼく、それとおしゃべりなぼくことぼく自身、そして外へ出て処分された落ち着きのないぼくなどが周りに集まり、その輪にあとから他のぼくたちが集まり、そこからじわりじわりと新人も含めて再び気の合うぼく同士で分かれていく、という流れだった。
だから今回も、ぼくがかまってるうちに、他のぼくも寄ってくるだろうと思っていたのだが、一向に近寄ってこない。
やはり、かおが違うから警戒しているのだろうか、明るく元気なはずのぼくらも、見たこともないような険しいかおでこちらを見ている。
………なにか、何かがおかしいかもしれない。だってあれは、警戒というより……
嫌悪しているかおだ。
しまった、と思った。そもそもが間違っていた。
この部屋のぼくらは、誰もナルと仲良くしない。それが、ぼくとしての正しい対応で、じゃあ、ぼくのこの行動は…、
突然、扉が開きマスクの人たちが中に入ってきた。
「被検体337番を連れて行け!検体としての異常行動が見られた、処分に回す!」
そう言うと、ぼくの腕を乱暴につかみ、扉の外へ出す。
まずい、処分されてしまう。
みんなに、ナルに、会えなくなってしまう。
扉の中に目を向ける。
中ではナルも腕を掴まれていた。
「被験者も連れて行け。改造の許可が下りた、好きにしていいそうだ。」
ナルも扉の外へ連れ出される。
「離して!」
ナルがもがいているが、大きいぼくよりもさらに大きいマスクの人たちはびくともしない。
ナルを助けなければ。
「いてぇっ!」
ぼくはマスクの人の手に噛みついた。
手の力が緩む、その隙に手を振りほどき、よろけたマスクに思いきり体当りして、ナルたちの方に突き飛ばしてやった。
「うわっ何だ⁉」「何をしている!「ぐあっ」
マスクが次々に倒れていく。そこをくぐり抜けて素早くナルの腕を掴む。
「こっち!」
上も、下も、横も白い道を駆け抜ける。扉の外なんて出たことはない。やみくもに走る。
どこまで走ればいいのだろう。足が痛くなってきた、息も苦しくなってきた。でも安全なところがどこかなんてわからない。足音がそこら中から響いている。
「ハァ…うぅ…グスッ…父さん、母さん……っ」
ナルが泣いて誰かに助けを求めている。
ぼくも涙が出てきた。さっきから大きいぼくのかおが頭から離れない。
だめだ、しっかりしないと、ぼくがナルを守るんだ。
ふと、視界の端に四角いものが映る。そうだ、ここを通れば。
暗い部屋の中ようやく足を止めて休むことができた。
ダクトを通り、使われていなそうな部屋にたどり着いたのだ。
小さい部屋で扉もひとつ。そこだけを警戒する。足音はしない、しばらくは安全だろう。
「うぅ…ぐすっ…ひぐ……」
ナルはずっと泣いていた。
「なんで、どうしてこんなことに…僕とハナが何をしたっていうんだ……!」
何を、何かをしたと言うならぼくだ。
判断を誤った。ナルに近づきすぎてしまった。〝ぼく〟として間違った行動をしてしまった。
それでも、仲良くならなきゃよかったとは思わない。ただ、もっとうまくやれていたらナルを巻き込んでこんな風に追われずに済む方法があったのでは、……いや、今は考えるときではない。マスクからどう逃げるかだけ考えろ。
捕まったら、ぼくは間違いなく処分されてしまう。マスクがそう言っていた。
……マスクは、ナルのことは何と言っていた?ヒケンシャ?ぼくらのことはひけんたいと呼んでいた。そして、ヒケンシャにはかいぞうの許可、と。
かいぞう、茶色いのはかいぞうをされたと大きいぼくから聞いている。
ナルも同じようになるのだろうか。茶色いののことは好きだし、彼の姿はかわいいと思っているけれど、ナルが同じになってしまったら、それは、本当にナルなのだろうか。
茶色いのにかいぞうのことを聞いたことがあったけれど、首を振って覚えてないと言っていた。それより前のこともあるはずなのに覚えていないのだろうと、大きいぼくが言っていた。
ナルもかいぞうされたらぼくのことを忘れてしまうかもしれない。
それは嫌だ。
ぼくのことをナルが忘れしまうなんて、それは、とても寂しい。
絶対に逃げなければ。
「ナルは、外から来たんだよね?」
「…?うん、そうだけど…」
それならば、ナルは知っているはず。
「どこから来たか覚えてる?」
「!……っ、……どんなところかは、でも道まで覚えてない……ごめん……」
「それが分かるだけでいいよ。ぼくは知らないから、探せないし」
まずはそこを目指そう。そうすれば外へ逃げられるはず。外がどれほど広いのかわからないけど。
「ガラス張りで外の森が見えた、見れば外へ出れると分かると思うよ」
「へえ、そうなんだ」
ナルがそう言うのなら、そうなのだろう。
しかし、ぼくは、知らないのだ。
外への扉はおろか、外そのものも。
情報は多いに越したことはない。
「ナル、逃げようか。外へ」
ここにはそこら中にマスクがいる。ならば外に逃げるしかない。外には他の生き物もいるらしいし、マスクのいない場所もあるかもしれない。
「……そ、…と………」
けれど、ナルのかおは暗いままだ。怯えたかおで目をうろうろさせている。
「ナル…?」
どうしたのだろう。ナルは外を知っている。外も実はマスクだらけなのだろうか?
「外に出て、僕達は生きていけるの?」
「えっ?」
生きていけるか?どういうことなのだろう。
「僕は、外に頼れる人もいないし、帰る家もない…お金もないし、食べ物をどうしたらいいかもわからない…僕達みたいな子供が、外でどうやって生きていけば…」
ナルが、ぽつりぽつりと話してくれた。
ナルはここに来る前に、とうさん、かあさんという人といたけど、ある日二人が事故で死んでしまったこと。こどもだけでは生きていけないからおじさんが引き取ってくれたこと。そのおじさんにここにつれてこられたこと。
「そんな…」
外ではこども、ぼくらみたいな小さいのだけでは生きていけないらしい。
毎日決まった時間にご飯がでてくるわけではないし、上から突然水が降ってくる事があるし、すごく寒くなったりすごく暑くなったりするらしい。
確かに、それでは生きるのは大変そうだ。
「ナルは、ここにいたい?」
「………いたくは……ない、でも…外に出るのは、怖い……」
「……そう」
ならば
「ナルはここに残る?」
ナルはかいぞうされる、と言われていた。
「君は残っても処分されたりするわけじゃない」
「死なないってこと……?」
死、それはもう二度と会えなくなってしまうことだったっけ。きっとかいぞうされた記憶はなくなってしまうし、姿は変わってしまうけど、それでも、ナルがいなくなる訳ではないはずだ。
「…うん」
「でも、ハナは……?」
「ぼくは残ったら処分されちゃう」
「だから外に逃げるよ」
「…ッ!!」
「…ひとりで?外のことわからないのに?」
「うん」
ぼくはここにはいられない。だから外に賭ける。でも……
「ナルは残って、死なないでほしい」
忘れられるのは嫌だ。でも、会えなくなるのはもっと嫌だ。
でも、死んでいない、ということは、また会えるということ。それなら、
「ぼくは外へ逃げる、でも死なない。がんばって、どうにかして、また、ナルに会いに来るから」
たとえ君がぼくを忘れていてしまっても、死なないでいてくれれば、また会うことができたならば。
もう一度、友達になれるはずだから。
「ここでお別れ、しよう」
「…ッ!?そん、なッ……」
ナルより少しいい耳が、遠くで足音を拾う。もう、時間がない。
ぼくはダクトに向かい歩き出す。ナルを、置いて。
「またね、ナル」
「待って!ハナ!!僕は……」
そこでナルは言葉を止めた。ナルの耳にも足音が聞こえたのだろう。
泣きそうなかおで、いや、泣いていたのかもしれない。暗くて、遠くて、横目で見るだけじゃもう分からない。
ナルの口が動いた。ちいさな、ちいさな、でもぼくの耳なら聞こえる声で、
「……ハナ……また、会えるよね……?」
「もう一度、会いに行くよ」
最後に聞こえた声に応えて、ダクトに入る。薄暗い道が、滲み、さらに見えづらくなる。まるでぼくを引き留めるように。
それでも、ぼくは進む。外を目指して。
ぼくがもう、君に会えなくても。
君がまた、ぼくに会えるように。
さようなら、ぼくの友達。
遠くで、扉の開く音がした。
ダクトの中は汚れたモコモコがたくさんある。たしか、ほこりと言ったっけ。吸い込んでしまうと咳が出てしまう。そうしたらマスクにバレてしまうかもしれないので慎重に進む。
長いこと、ひたすら進んでいたら、ふとほこりの少ない道に出る。
なぜほこりが少ないのだろうか、そういえば、ナルと別れた部屋を出たところも他よりほこりが少なかった。一度ぼくらが通ったからだろう。あのときよりもさらにほこりの少ないこの道は、何度も何度も誰かが通ったということだろうか。
……まさか
ダクトの中なんて、ほとんど同じで、見覚え、とかはない。でも信じて進む。
だって、この先にいるのが、予想通りならば。
光がある、誰かが、ダクトの蓋の、向こう側にいる。
そっと、開ける。もし、マスクだったら、なんて不安もない。
だって、この先に、いるのは……
「ん?どうしたチビ。また来たのか?」
大きいぼくだ。
「……?お前、埃まみれじゃねぇか。何かあったのか、」
ばっと大きいぼくに飛びつき、声を殺して泣く。ここにいれば、息がつける、守ってもらえる。そんな安心と、長くここにいてはいけない、彼らとも別れなければいけない、外に行かなければいけない。そんな焦燥が不安とともに渦巻いていた。
そんなぼくを見て、大きいぼくは落ち着かせるように、埃だらけの頭をぼくより大きな手で撫でてくれた。
あたたかくて、心が落ち着き、少しずつ冷静になってきた。
でも、もう少し撫でていて欲しくて、ぼくは少しそのまましがみついていた。
「で、何があった」
ぼくは、少し鼻がつまったようになってしまった声で、今までのことを話した。
「それで外、か」
「うん。ふたりにもしばらく会えなくなっちゃうけどさ、絶対戻ってくるから」
正直とっても寂しい。でも、また会えると信じているから、頑張ろうと思える。
「………」
大きいぼくは、何か考え込んでいるようだ。茶色いのが心配そうに交互にぼくらを見つめていた。
「お前は、やってけるかもしれねぇ。けど、」
大きいぼくが口を開き、言った。途中で口を止めて、少し迷った様子を見せた。が、何かを決意したようなかおで、
「お前の友達には、もう会えないかもしれない」
「…?記憶がなくなるんでしょ?それは覚悟して……」
「違う、死ぬってことだ」
え…?死ぬ?ナルが?どうして?
大きいぼくの言葉に混乱する。
だって、ぼくは、ナルが死なないために別れてきたんだ。
なのにナルが死ぬ?そしたら、ぼくは、何のために。
「し、死なないよ。だってナルはかいぞうされるんだから。茶色いのみたいになるんだよ?それって死んでないよね?」
「改造は、失敗することだってある」
「え………」
失敗。そうなると死ぬってこと?
「お前たちの中の、処分されたやつ、いただろう」
連れて行かれて、帰って来なかったぼく。死んでしまった、もう会うことのできない彼ら。それが、ナルと何の関係があるというのか。
「あいつらは、改造実験に使われて、それで死んだんだ。」
耳は良く聞こえている。なのに、分からない。なにを、いって、いるのか。
「改造は適合するかが一番難しい。増やされた部位や、入れ替えられた部位が拒絶反応を起こすからだ。まず、一人の人間ではうまくいかない。こいつがうまくいったのが奇跡みたいなもんだ。」
茶色いのを指さして言っていた。
「だから、あいつは、お前たちを……」
「ナルは、ナルはどうなるの?」
むずかしい、知らない言葉ばかり使わないでよ。どうしたらいいの?ナルは、死なないんじゃなかったの?
ぼくは、まちがえた?
ふたりで逃げることもできたのに、ナルを置いていって、それで、
ぼくが、ナルを____________。
「おい、落ち着け」
背中にそっと手を当てられた。いつの間にか息と心臓の音がずいぶん早くなっていた。
「悪い、一気に言い過ぎた」
ゆっくりとさすられる。あたたかい。大きいぼくは、なんだかんだやさしいのだ。
ドクドクと忙しなく聞こえていた音が緩やかになる。上下していた肩も、落ち着いてきた。
「助けに行かなきゃ」
「助けにって、場所、分かんのか」
「そ、れは…探す!」
でも、分かるかな。どんな場所かも分からないのに。
「おい、お前ついてってやれ。場所なら、覚えてんだろ」
大きいぼくが茶色いのをつまんでよこしてきた。
「大きいぼくは?」
茶色いのを受け取りながらぼくが聞いた。
「俺は、」
すると、大きいぼくは目を伏せながら。
「俺はダクト通れないしな。お前らだけで行って来い」
そういえばそうだ、ぼくは納得した。
けれど、それを言った大きいぼくのかおを見た茶色いのが、急にもがき出した。腕から乗り出し、大きいぼくの服を掴む。
ふたりはずっと一緒にいたから、寂しいのだろうか。それならぼくだって寂しい。大きいぼくがいたら、安心するし。
大きいぼくはひっついてしまった茶色いのをはがしながら、言い聞かせるように話しかけていた。
「ほら、あいつ、寂しそうだぞ。ちゃんとついてってやれ」
今度こそぼくの手にしっかりつかませて、
「チビを、頼んだ」
そう言ってぼくらを見送った。
茶色いのの案内でダクトを通る。埃まみれで誰も通っていないはずの道を、なぜ案内できるのだろう。
気になってたくさん質問すると、首を振って答えてくれる。それで分かったことはここの部屋などの位置は最初から知っていたらしい。かいぞうされる前の記憶が一部あるのかもしれない、と。
かいぞうされても、記憶が少しは残っている。じゃあ、もしナルがかいぞうされてしまっていても、ぼくのこと、おぼえていてくれるかな?
ううん、そもそも、それを止めるために行くんだから。
失敗したら死んでしまうかいぞうなんてさせないように。
どうか、無事でいて、ナル。
茶色いのが止まれと合図を出した。
ここがかいぞうの部屋。人がいる音はしない。そっとダクトの蓋から出る。
真ん中の台が光で照らされている。あそこでかいぞうをするのだろうか。
「ナル、いないね」
まだかいぞうされていないのかな、それとももう終わってしまったのかな。
不安になって茶色いのを見ると、扉を指さした。どうやら他の部屋もあるらしい。
音を確認して、そっと開ける。
ここにも誰もいない。
次も同じように入る。
へんてこな置物が台に置いてあった。手足はぼくとそっくりなのに体が全然違う。
なんだか気味が悪い。
次も同じように入る。
するとそこにも、台に何かが乗っていた。
「あ!あれって、鳥ってやつじゃない?」
ナルに教えてもらった折り紙、つる。それは鳥という生き物らしい。口が尖っていて首が長い不思議な形の生き物。
「ほんとにいたんだ…!」
ナルを疑っていた訳では無いが、こんなに突然、ぼくの見る世界にあらわれるとは思わなくて、口からぽろりと言葉が出た。
「………?」
茶色いのがなにか言いたそうにしている。彼は自分の足を指さし、鳥を指さした。
「足?足がないって?」
そうか、茶色いのも鳥を見るのは初めてなのだろう。
「鳥はね、なんと飛ぶんだって!飛ぶってなんだと思う?ジャンプしたまま落ちずにいられるってことなんだよ!だから足なんていらないのさ!」
ナルの折ったつるにも足なんてついてなかった。飛べるのなら歩く必要がないのだろう。
いいなぁ、ぼくも飛べたら、マスクに捕まらないのに。羽ってやつがあればなぁ。
「あれ、そういえば羽もないや」
これではこの鳥は飛ぶことができないのではないか。もしかして、この生き物は鳥じゃなかったのだろうか。
ふと、茶色いのを見る。
かいぞうされた生き物。ぼくとは全く似ていない生き物。
話を聞いていて、むかしは人の姿だったのだろうと思っていた。今は全く違うのに。
むかしは人だったのに今は違う茶色いの。
見たことない体に、見たことある手足がついていた物。
パーツの足りない鳥。
かいぞうとはなんなのだろうか。
嫌な予感がする。
次の部屋への扉をあける。
中へ入ると、見慣れた自分のかおがあった。
「わ、鏡?」
ぼくは驚いた。でも、目の前のぼくの表情は変わらなかった。
「……え?」
これはぼくではない。鏡ではない。じゃあ何で、
体がないのか。
「っひ、」
恐怖で後ずさって拍子に台にぶつかる。
「っ!?」
台から何かが垂れて首にかかる。
「何…?」
赤い。
台の上を見る。
足が置いてある。ぼくと同じくらいの大きさの、でも、ぼくたちの足と少し違う。
ナルの足。
「う、あ…アアアァアアアッ‼︎」
部屋にぼくの叫び声が響いた。
落ち着け、見つかってしまう、ナルの足が、助けなきゃ、ナルを、ナルが、ナル……
ナルは、…………
…………何で、足しかないの?
ドォオンッ‼︎
けたたましい音とともに、ぼくが入ってきた方と反対の扉が破壊された。
何かがぶつかって壊れたようだ。
その何かが、ぼくの目の前にふたつ、転がった。
見たことのないかおと、見慣れた、けれど壊されているマスク。
壊された扉から、向こうの部屋が見える。
同じように、マスクや見慣れないいろんなかおが転がっている。
その中で何かが、立っている。
金色の髪で、黒い毛が生えている。足は見たことのない形をしていた。背はぼくと同じくらいの大きさに見える。見覚えのない生き物。
けど、こちらを振り返った瞳の色が、ナルとおんなじで……
その瞳と目が合った瞬間、強い光がぼくの右目を貫いた。
「ッ」
熱い、痛い、苦しい、赤い、なにも見えない。
混乱していると、どんっと何かがぶつかってきた。あまり痛くはなかった、さっきのとは違う。何とか見える左目を動かす。見える範囲がずいぶん狭くなってしまったが、何とかぶつかってきたものを捉える。茶色いのだ。
目で、逃げろと訴えていた。
走って部屋から飛び出す。
痛い、痛い、痛い。走る足も、赤い液体が止まらない右目も。
なんで、どうして、なんで。ぐるぐると同じ言葉ばかり浮かんでしまう。
だってあれは、ナルだった。
姿は、変わってしまったけれど、ナルで。
ナルが、ぼくを攻撃した。
分からない、なんで、そんなことをするのか。やっぱり、改造されて、ぼくのことを忘れてしまったのだろうか。だからといって、あの優しいナルが攻撃するだろうか。
もう、ナルではないのだろうか。
分からないけど、振り返った時のナルの表情が、とても悲しそうに怒っていた表情が、記憶に焼き付いていた。
走って、走って、ふと、既視感を覚えた。あの扉は、見たことがある。どこもかしこも白くてあまり変わらないけど、そう思った。
ここは多分、ぼくらがいつも過ごしていた部屋。あちこち逃げ回ってここに戻ってきてしまったのか。
ここに入って、ぼくらの中に紛れたら見分けがつかないだろうか。
痛い、苦しい、疲れた。
なんでもいいから少し休みたい。
中に入れば、今まで通りが待っているような気がして。
そう思って、扉に近づく。扉は開いていた。中に、入る。
「っ、え?」
中では、赤い液体が飛び散って、ぼくらが倒れて転がっていた。
「え、あ………な、に……なんで………?」
あのナルが、ここにも来たのだろうか。
でも、マスクたちはこんなに赤いのは出てなかった。
それにこんな、
みんな、冷たくなっていて、
そんななか、ひとりだけ、立ち上がった。
無事だったぼくがいたのか、そう思った。
話を聞こうと踏み出す。
その後ろ姿に近づいてみると 頭が、ぼくよりずっとたかいところにあった。
「よおチビ、はやかったな」
目の前にいたのは、大きいぼくだった。
「ど、どうして大きいぼくがここに……?」
彼はダクトを通れないのにどうやってここに来たのだろうか。
「!おいチビ、ケガしてるじゃねぇか」
大きいぼくが、ぼくの裂けた右頬に触れる。
「大丈夫か?痛いだろ」
いつもの、ぶっきらぼうで優しい彼だ。
けれど、ぼくの頬に触れている手と反対側の手には、尖った赤い液体のついたものが握られていた。
「……ここは、見せるつもりなかったんだけどな」
大きいぼくが倒れたぼくたちに目を向ける。その目は、いつもぼくに向けられている目と違う気がして、心がざわざわする。
「どうして、みんな倒れてるの?」
大きいぼくは、何か知っているのだろうか。
自分で聞いておいて、答えが欲しくないなんて、知らないと言って欲しいなんて、よくわからないことを考えていた。
「俺が、全員殺した」
「………は、」
ころした、……殺した?死んだってこと?
もう会えないってこと?みんなここにいるのに?
「どうして?どうして………!?」
何度も、どうしてと言っている気がする。ずっと、何も分からなかった。
「俺とお前、似てるだろ」
突然、そんな話をしてどうしたのだろうか。そんな、当然のこと。
「ここにいたやつらも、全員、俺にそっくりだ」
そっくりが嫌だったの?話が見えてこない。
「まあ当然だよな。お前らはみんな、俺のクローンなんだから」
知らない言葉。くろーんだとなんなのだろうか。
「お前らがどんなめにあってようと気にしてなかった。そのために作られたんだしそうして実験されてるうちは………俺には、何もされないから」
大きいぼくは、ぼくらがいたほうが都合がよかったってこと?じゃあなんでみんなを殺してしまったの?
「………気にして、なかったんだけどなぁ」
右頬に触れる手に、少し力がこめられた。
「お前を、弟みてぇに思っちまった。お前も、俺、なのになぁ………」
そう言って、苦しそうに、悲しそうに、大きいぼくはわずかに笑って、
「お前を守りたかった。死なない方法を探してた。……………外に、逃がしてやりたかった。
でも、安全に外へ出る方法なんて見つからなかった。なにか、どうにか、なんてぐだぐだしているうちに、お前の処分が決まっちまって、
…………まあ、最初からずっと、俺らの中の誰かが生き残る方法なんて、これしか無かったんだろうな」
大きいぼくがぼくの足に手をかける。足には、337とぼくの番号が書かれている。
そこへ
「ゔぁッ⁉」
手に持った尖ったものを突き刺した。
「ッ⁉な、ァ、いたいっいたい‼やめて!なんで……っ‼」
何度も何度も、浅く刺され、裂かれ、皮膚がぐちゃぐちゃになる。
「悪いな。けど、これがなけりゃあ誰ももうお前らの見分けはつかない。処分対象かわからない」
目と足の痛みで、意識が朦朧としてきた。
「お前が最後の一人になっちまえば、研究成果を捨てられないあいつらは、必ずお前を改造する。サンプルは今まで散々取ったんだ。失敗なんか絶対させないだろう」
「…………や、だ……みん、なのこと、わすれたく、ない……」
「忘れちまえ。おまえを忘れた友達のことも、おまえの仲間を殺したやつなんかのことも」
いやだ。いやだいやだいやだ!
大きいぼくのことも、茶色いののことも、一緒に過ごしたぼくらのことも、ナルのことも!
忘れたくなんて………!
そこまで考えて、忘れてしまうことの怖さに気がついた。
ぼくは、ナルに、同じことをしたんだ。
怒られて当然だ。攻撃されて当然だ。
ナルに記憶はなくても、怒りがあったのかもしれない。
涙が出て、傷に染みた。
ナルを責めることができない。
嫌な気持ちを理解してしまったから。
大きいぼくを責めることもできない。
同じ気持ちを持っていたから。
ずっと、ずっと間違えてばかりだったんだ。
あのとき、ナルの手をとって、一緒に外に逃げようと言えたらよかったのだろうか。
もう、体が一歩も動けない。
「折り紙の約束、守れなかったな。まあ、俺のことなんて、許さなくたっていい」
大きいぼくの声が聞こえる。
かろうじて動いた左目を向けた先で、大きいぼくは、ぼくを刺した尖ったものを振り上げて、
「じゃあな、……ハナ」
自分の首に突き刺した。
滲んでいく視界に、赤色が混ざり、だんだんと暗くなっていく。
そんな中、ぼくの手を包む何かが、だんだんと冷たくなっていった。
目が覚めると、知らない天井だった。
知らない天井?そもそも知っている天井があっただろうか。
頭がごちゃごちゃする。なにか、しなければならないことがあった気がする。
行かなければならない場所が、あった気がする。
何もわからない不安が心を埋め尽くす。
気を紛らわすために、起き上がろうと動いたが、うまくいかずベッドから落ちた。
「あいたた……」
なんだろう、足がうまく動かない。
様子を見たくとも、部屋は薄暗くわからない。
向こうに光が見える。そこに向かってズリズリと這って動く。
光の中に鏡が見える。
ああ、あそこなら、動きづらい原因もわかるはず。
まず、自分の横顔が映る、いつも通りの僕の顔。いつも通り?いつもはどんなだった
か、こんなだったろうか?
まあ、かわいい顔なので問題はないだろう。
縦に長い鏡なので、倒れた状態では体は見えない。
なんとか立ち上がり姿を見る。
「………え」
鏡に映ったのは、気味の悪い生き物だった。
先程見えなかった顔の右半分は、縫い目があり、緑色の皮膚が縫い付けられていた。
額には角が生えていて、上半身には毛が生えている。動かしづらいと思っていた足は、4
本のぐねぐねになっていた。
ぼくは、こんな姿ではなかったはず。いや、僕は、どんな姿だっただろうか?
ぼく?僕?僕は、
そもそも僕は、誰なのだろう。
答えてくれる人はもうどこにもいなかった。