良牙をお届け 小説編 良乱らん 腐 『不器用なふたり』
夕暮れの道場。
いつものチャイナ服姿、黄色の服を着た良牙と乱馬は、いつものように実践稽古で蹴り技を交えながらぶつかり合っていた。
互いに息を荒げながら、どちらからともなく手を止める。
「……はぁ、やっぱりてめーとは、やってらんねえ」
「ぜえっ、ぜえっ、こっちのセリフだ!」
吐き捨てるように言い合いながらも、顔を見合わせた瞬間、妙な間が生まれる。
「ふんっ」
お互いに同時にそっぽを向いた。
「まぁいい稽古になったぜ、ありがとな、Pちゃんっ」
皮肉たっぷりに笑った乱馬に、良牙のこぶしがごいんっと炸裂。
「いってえええっ! このやろう、痛えだろうが!!」
「ふん、貴様が悪い」
それ以上は踏み込まず、良牙はふいと風呂場へ歩き出す。
「乱馬、風呂借りるぜ! 汗かいちまった」
「あっ、おいコラ良牙! 待て! 俺が先だ! てめえは借りてる側だろうが!」
どけ! じゃまだ!
互いに服を脱ぎながら脱衣所の前で押しのけ合う。
――ガラッ!
「あんたたちまた喧嘩してるの!? お風呂壊したら承知しないわよ!」
怒りながら乱馬の頬をつねり上げるあかね。
「あだだだだだっ、いてえええ!!」
「あんたたち、仲良く入りなさいっ!」
ビシッと命じると、あかねはぷんすかしながら去っていった。
乱馬と良牙は顔を見合わせ、仕方なくタオルをつかんで風呂場へ。
湯気がたなびく風呂場。
乱馬はタオルを肩に引っかけながら入っていく。
「ったく、あかねのやろう、いったた……」
続いて良牙が入ってくる――と、玄馬が散らかした石鹸を踏んで、滑った!
「うわっ!」
「なっ、良牙!?」
ずるっとバランスを崩し、良牙が乱馬の上に倒れ込む。
ドサッ!
「なななな、何してんだおまえっ!!」
「す、すまん、足が滑って!」
顔が、近い。
ぎりぎりで唇に触れる寸前ほどの距離、互いに凍りつく。
「お、おい、どけよ……」
「あ、ああ、すまん……!」
そのとき――
――ガラッ!
「あーらお二人さーん、騒がしいと思ったら……こりゃおじゃまだったわね、ぷぷっ」
なびきが、意地悪く笑って去っていく。
「「……っ!!」」
慌てて飛び退く二人。
ドクン、と耳の奥で、同時に心臓の音が鳴った。
「……な、なんだよ今の……!」
「し、知らねえよバカっ!! つか、なびきも勝手に開けんなよ、たくっ!」
真っ赤になった顔をそらしながら、良牙がぽつり。
「なあ、乱馬」
「……なんだよ」
「とりあえず、風呂、入ろうか……」
互いに顔を真っ赤にしながら、それでもそっぽを向きあって、ぎこちなく動き出す。
乱馬は湯に浸かり、良牙は黙って体を洗う。
さっきの出来事を思い出すたび、妙な沈黙が流れる。
(なんだ、これ……なんだよ、さっきのドキンって……)
湯の中で乱馬は目だけをそっと動かし、体を洗う良牙を盗み見る。
(……こいつ、よく見たら、すげえいい体してんじゃねーか?)
不意に高鳴る鼓動に、顔を湯に沈めた。
(バカ、なに見てんだ俺は!!)
一方の良牙もまた、
(なんか、さっきので、こいつの顔まともに見れねえ……)
そう思いながら、そっと乱馬に背を向ける。
互いに、相手を意識しすぎて、もう稽古よりも汗をかいていた。
風呂場から立ちのぼる湯気が、天井にうすくたなびいていた。
乱馬はタオル一枚を肩にかけ、のぼせ気味に風呂を出た。そのあと良牙が一緒に続く
「うわっ、なんだ良牙!?」
お、おまえこそ、なんだよ、ただ出るだけだろ!、」ぼっ
2人の顔が赤くなる、、
「なっ……なななな、何してんだおまえっ!!」
「ブツクサ行ってねえで早くでろよ、!!」
二人は、ギシギシで周りが見えなくなっていて互いに真っ赤になりながら、慌ててドアを閉めたり開けたりする。
その後も、意識しすぎてぎくしゃくしたまま日が暮れた。
⸻
そして数日後。
あの出来事のあとも、二人はいつものように稽古の日を迎えていた。
だが、あの時からどこか、心の奥にひっかかるものがあった。
竹刀を強く握る手に、力が入る。
だが、次の一撃を仕掛ける気にもなれない。
「……なんだよ、びびってんのかよ」と乱馬
「は、誰が……!」と良牙
売り言葉に買い言葉。
ただ、それ以上は踏み込めない。
踏み込んだら、何かが壊れてしまいそうだった。
汗で額に張りついた前髪をかき上げながら、乱馬は無理やり笑った。
「おまえとケンカすんの、やっぱ楽しいな」
「はぁっ?なんだいきなり、」
その言葉に、良牙は悟られまいと乱暴に竹刀を肩に担ぐ。
「バカ……」
小さく吐き捨てた良牙の横顔が、いつもより赤く見えたのは、気のせいだろうか。
_____________
乱馬は、胸のざわめきを抱えたまま、夕焼け空を見上げた。
(オレ……なんで、あいつのことばっか考えてんだろ。良牙……こんな妙な心の感じのまま、おまえにどういう態度取ればいいかわかんねえじゃねえか)
そして気づいてしまう。
この気持ちは、ただのライバル心なんかじゃないのだと。
⸻
更に後日――
ふと、庭の池に誰かが落ちる水音が響いた。
「乱馬、大丈夫か――!」
声をかけて駆け寄った良牙の目の前には、
服が濡れ、透けてしなやかな体つきになった女らんまの姿があった。
「……へへ、やっちゃった」
片手を頭に、もう片手を腰に当て、気まずそうに笑うらんま。
その女の子らしい笑顔に、良牙の心臓がドクンと跳ねた。
(やばい……なんか、変な気分になる……。今までらんまが女だろうと、こんなことなかったのに……)
「な、なんでそんなに見んだよ」
頬をふくらませるらんまに、良牙は慌てて目をそらす。
「あっ、いやべ、別に……見てなんか!」
横を向いた良牙の凛々しい横顔が、真っ赤に染まっている。
「ふーん……」
いたずらっぽく微笑みながら、乱馬は一歩近づいた。
「良牙ってさ、たまにかわいい顔すんのな」
「なっ……!」
良牙の耳まで真っ赤になった。
「お、おまえこそ、油断してっと……オレ、怒るぞ……!」
「はぁ、なにそれ、油断? 怒る理由わかんないんだけど?」
「だって……それは……」
至近距離で見上げるらんまの大きな瞳に、良牙は一瞬、吸い込まれそうになる。
(こいつ、こんな顔……前からしてたか……?)
ふいに、良牙の手がらんまの手に触れた。
互いに弾かれるように手を引っ込める。
「ば、バカ……!」
「うっさい、!」
不器用に照れながらも、二人の間には、どこか甘く柔らかな空気が流れていた。
__________________________
「おまえさぁ……女の姿でも、油断すんなよ」
ぎこちなく目を逸らしながら、良牙が言った。
女らんまは、首をかしげる。
「んー? なんで?」
「……だって……その、オレだって、男だし……」
小声で呟いた良牙の耳は、見ていられないほど真っ赤だ。
その様子に、乱馬の胸が、きゅっと鳴った。
(……こいつ、もしかしてオレのこと……?)
ふと、そんな期待が、胸の奥をかすめる。
「……オレ、おまえのこと――」
その時、
「あーら、ラブラブねぇ? 夕日の下でふたり、んんー♡ いい写真が撮れそうだわぁ?」
いつの間にやらカメラを構えたなびきが、パシャパシャとシャッターを切る。
「ち、ちげーよ!!! てかなびき、そんなもん撮ってんじゃねえ!!」
「べっ、別に、そんなんじゃないっ!!」
必死の否定もむなしく、なびきはニヤニヤが止まらない。
「ま、若いっていいわねー。じゃ、続きはごゆっくりー」
カメラをフリフリ振りながら、悠々と家の中へ消えていった。
その場に取り残されたらんまと良牙は、顔を真っ赤にしたまま、動けずにいた。
⸻
稽古の後の汗を流すため、ふたりは風呂場へ向かった。
「……なんでこうなるんだよ……なびきさん、何言ってんだ……俺とらんまが、そんな……」
ぽつんと立ち尽くしながら、良牙はぼそりと呟く。
隣で、女らんまもばつが悪そうにうつむいた。
「……でも」
らんまがぽつりと呟く。
良牙は驚いたように顔を上げた。
「オレ……別に、嫌じゃなかった」
「……!」
良牙の目が、大きく見開かれる。
ふいに、良牙も小さく呟いた。
「オレも……だ」
はっとして、互いに顔を赤らめる。
(おまえ、これって――)
小さな声で答え合ったあと、ふたりはまた、どちらともなく視線を逸らした。
けれど、ほんの少しだけ、さっきよりお互い近くに立っていた。
_____________
夜。
庭の縁の端で、風呂上がりの乱馬と良牙はぽつんと並んで座っていた。
夕飯も終わり、天道家の賑やかな声が、奥の方からかすかに聞こえてくる。
けれど、ここは、不思議なくらい静かだった。
タオルで濡れた髪を拭きながら、乱馬がぽつりと呟く。
「なあ……オレ、……」
月明かりの下で、乱馬の横顔は少しだけ大人びて見えた。
「良牙といると、変な気持ちになるんだ」
良牙は、黙って隣で聞いていた。
「ケンカしてる時は、むかつくし、ムキになるし……だけど」
「……ふと、笑った顔とか見ると、……なにやってんだろ、オレって」
小さな声だった。
風が、そっと流れていく。
良牙は拳を、ぎゅっと握った。
「オレも、同じだ」
しばらくの沈黙のあと、ぽつりと良牙が呟く。
「おまえとケンカして、負けたくないって思ってた。
でも……いつの間にか、そんな勝ち負けより、そばにいたいって思うようになってた。
あかねさんとはまた違う、初めての……そんな気持ちで……」
乱馬が、驚いたように良牙を見た。
目が合う。
暗い中でも、互いの瞳がはっきりと見えた。
「良……牙……」
「乱馬……」
本能的に、ふたりは顔を近づけた。
あと少し。
ほんの指一本分――。
唇が触れそうになった、その瞬間。
はっ、と。
乱馬の肩が、びくりと震えた。
「……、、っ、ごめ、オレ……」
乱馬は顔をそむけ、震える声でぽつりと言った。
「オレ……本当は男だ。
女の姿してる時も……オレの中身は、……男なんだ」
月明かりに、乱馬の涙がひとすじ、光った。
良牙は、そっと手を伸ばした。
震える乱馬の手を、ぎゅっと、強く握る。
「そんなの、知ってる」
「……!」
「知ってるよ。
だけど――、それでも、おまえが、好きみたいだ」
ぶっきらぼうな声。
けれど、乱馬の心に、まっすぐに届いた。
乱馬は、きゅっと顔を伏せ、ぽつりと笑った。
「……ば、かやろ、、」
その声は、少しだけ震えていた。
けれど、とてもあたたかかった。
_____________
数日後。
乱馬はひとり、帰りに寄った商店街をぶらぶらしていた。
(あんときの、良牙の顔……思い出すと、変な気分になるな)
月明かりの下。
あの日、あの夜の、指先が触れそうだった距離。
ぎゅっと握られた手の温かさ。
(あいつ、オレのこと……)
その時――。
「乱馬!」
不意に、背後から声がかかった。
「……良牙!」
ぎこちなく振り返ると、大きなリュックと紙袋を抱えた良牙が、気まずそうに立っていた。
「な、なんだよ……」
「お、おまえこそ……」
ばったり顔を合わせたふたりは、気まずく目をそらす。
無意識に、あの日の夜のことを思い出してしまう。
「乱馬。オレさ……ちょっと、話が」
良牙がもじもじしながら頭をかく。
乱馬も、喉がからからに乾くのを感じた。
(……逃げんなよ、オレ)
ぐっと拳を握り、乱馬は小さくうなずいた。
「……あの日のこと、だろ」
「……ああ」
しばらく沈黙が続く。
良牙は深呼吸して、一歩、乱馬に近づいた。
「……おまえのこと、特別だって思ってる」
「っ……」
「ケンカしても、笑っても、怒ってても、おまえがすること全部……気になって、しかたねぇんだ。
だから――」
良牙は顔を真っ赤にしながら、真剣な眼差しを乱馬に向ける。
「オレと……つ、付き合ってくれないか!
ちゃんと、……おまえのこと、特別だから。
気持ちだけじゃなく、ケジメをつけたいんだ。
今のまま何も伝えないままじゃなくて……、
好きだ! 乱馬、俺と、交際してください!!」
好きだと同時に、良牙は上半身を九十度に折り曲げ、深々と頭を下げた。
片手を差し出しながら、耳まで真っ赤にして。
でも、必死に逃げずに言い切った。
乱馬の心臓は、爆発しそうだった。
「お、おまえ……っ」
(……ずりーよ、そんな顔で、そんな真っすぐなこと言われたら……!)
思わず顔を背けたが、すぐに小さく、笑った。
「……、本当に、、お前、」
乱馬は、良牙の手をぎゅっと握り返した。
その声は、限りなく嬉しそうだった。
「よろしく、、頼んだぜ、良牙。
……オレも、たぶん……おまえが、特別なんだと思う」
顔を真っ赤にしながら、ぼそりと答える。
良牙は顔をあげ、ぱあっと輝いた。
「ほ、ほんとか!?」
「だ、だから、何度も言わすな、ばーろー!」
乱馬の顔はジト目混じりだが、真っ赤だった。
「よ、よしっ!!」
良牙は無意味にガッツポーズを決める。
「ぷっはは」
乱馬は思わず吹き出した。
そして、胸の奥で、あたたかく思う。
(……なんで、こいつといると、こんなに笑えんだろ)
――そんなふたりを、春風がやさしく包んでいた。
⸻
***初めてのデート
そして、せっかく付き合ったのだからデートしてみよう――という話になり、
迎えた初めてのデートの日。
待ち合わせ場所に現れた二人は、互いにめちゃくちゃよそよそしかった。
「よ、よお……」
「……お、おう」
無理やり話題を探して、どうでもいいことをしゃべりまくる良牙。
それに対して、気まずそうに相槌を打つ乱馬。
(……これ、ほんとにデートか?)
(めっちゃ緊張してんじゃねーか、オレら……!)
男同士でデート、という滑稽な光景。
女の姿の方が自然ではあるが、女になったらお互い小っ恥ずかしいし、
誰かに見られたときも“友達”に見えた方が都合がいい――という乱馬の希望で、
今回は男の姿でデートすることになった。
側から見れば、仲のいい普通の高校男子が青春を謳歌しているだけにしか見えない。
……照れ隠しのカモフラージュだった。
「デートと言ったら……」と話し合い、良牙が提案した喫茶店に向かうことに。
乱馬は、本格的なデートなどしたことはなかったが、
あかねやシャンプー、右京、その他もろもろ――九能帯刀などとも、
“デートまがい”のことを経験してきた。
だが、ちゃんと「相思相愛」のデートは、これが初めてだった。
メニューを選ぶ。
コーヒー、パフェ、サンドイッチ……
レトロでおしゃれな雰囲気のカフェらしいメニューが並ぶ。
乱馬はぎこちなく、照れた顔で言った。
「なんか……オレから男でって言ったくせに、悪いんだけどよ……ちょっと、場違いだったかな」
「お、おう……そ、そうか?」
周りを見渡すと、女子同士やカップルばかり。
男二人で入るには、かなり浮いていた。
空気をどうにかしようと、良牙が声をかけた。
「選ぼうか?乱馬」
「お、おう……」
そんなぎこちないやり取りをしているうちに、
メニューを決めるだけで十五分もかかり、
挙げ句の果てに、注文したアイスコーヒーをお互い間違えて取り合うという大惨事。
その後も、
映画館では後ろの客の飲み物が乱馬と良牙にかかり、らんまはPちゃんになった良牙を抱えて映画を見るハメになり、
遊園地では良牙が迷子になって迷子センターに保護されるわ――
……スチャラカなトラブルだらけの、グダグダなデートだった。
だけど。
ふと隣を見ると、良牙がいた。
乱馬の心が、じんわりと溶けていく。
良牙も、同じ気持ちだった。
それが、ただ、嬉しかった。
***
デートの帰り道。
夜風が、少し冷たくなっていた。
「乱馬」
ふいに、良牙が真剣な声で呼んだ。
「っ、なんだよ」
ぎこちなく振り向いた乱馬に、良牙は真っ直ぐ向き合った。
「今日は……ありがとな」
「べ、別に……」
顔を逸らす乱馬。
「オレ、めちゃくちゃ緊張してた。
でも……めっちゃ楽しかった」
良牙は、乱馬の肩に手を伸ばし、ぐっと引き寄せる。
「っ……おい、りょ!」
至近距離。
乱馬の胸が、どくん、と跳ねた。
不器用な笑みを浮かべながら、良牙は言った。
「これから、もっと……オレのこと、ちゃんと好きになってくれるか?」
その言葉に、乱馬は何も言えなかった。
ただ、耳まで真っ赤になりながら、心臓の音が爆音のように響いていた。
(オレ……ほんとに、こいつが好きなんだ)
静かな夜に、二人の影が寄り添う。
肩が触れたところから、熱が伝わってくるようだった。
はじめてのキス――
***
帰りの夜道。
並んで歩く二人の間には、まだ少しぎこちない空気が漂っていた。
けれど。
ふと、良牙がちらりと乱馬を見た。
(やっぱり、こうして隣にいると……)
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
意を決して、良牙は手を伸ばしかけた。
手が触れるか触れないか、という距離になった、そのとき。
「……おい、良牙」
「ん?」
乱馬が、少し顔を赤らめながら言った。
「……お前、家まで辿り着けねえだろ」
「なっ……!」
乱馬はわざとらしくため息をついた。
「送ってやるよ」
「な、なにぃっ!?
オレは迷わねえっ……!」
「どーだか」
ぷいっとそっぽを向く乱馬。
良牙は悔しそうに拳を握りかけたが――
(……乱馬、オレのこと心配して……)
と気づき、顔を真っ赤にしてうつむいた。
「……す、すまん。頼む」
その声は、誰よりも不器用で、誰よりも素直だった。
乱馬も顔をかぁっと赤らめる。
「な、なに謝ってんだよ……!」
後頭部をかきながら、ふいに良牙に手を差し出した。
「……おっ、おらよ。
お前が迷子になんねえように……手、繋いどくからよ……ほらっ」
顔を真っ赤にし、目を逸らしながら。
良牙は、目を見開いたまま固まった。
(ら、乱馬が……自分から……)
心臓が痛いくらい高鳴る。
そっと、乱馬の手を握り返す。
「す、すまん……よろしく頼む……」
二人の指が、ぎゅっと絡まった。
耳まで真っ赤になりながら、夜道を歩き出す。
***
良牙の家に着くまでの道のりは、まるで夢みたいだった。
家の前に着くと、乱馬はぱっと手を離す。
「っ……そっ、そんじゃなっ」
そっけない声。
でも、微かに震えている。
「今日はおめえと、その……楽しかったぜ……」
目を伏せ、恥ずかしそうに呟くと、
乱馬は踵を返して走り出した。
(……じゃあ、またな)
心の中で何度も繰り返しながら。
──その時。
「乱馬!」
呼び止められた。
次の瞬間、ぐいっと腕を引かれ、良牙の胸に引き寄せられる。
「っ!」
バランスを崩した乱馬を、良牙がしっかりと抱き寄せた。
そして。
ためらいも迷いもなく――
良牙は、乱馬の唇に、自分の唇を重ねた。
一瞬、世界が止まった。
ただ、二人の間に、確かに熱だけが存在していた。
(……これが、良牙の、気持ち)
目を閉じながら、乱馬はそっと手を握り返した。
ほんの数秒。
でも、永遠みたいな時間だった。
やがて、ゆっくり唇を離すと、
お互い、顔を真っ赤にして、息を弾ませた。
「……っす、すまん!」
良牙が自分の顔を両手隠して必死に謝る。
「な、なんで謝んだよ……!
びっくりさすなよな……!」
(心臓が……持たないかと思った)
乱馬は顔を真っ赤にして、良牙の胸を拳で小突いた。
「でも……すげぇ、嬉しかった」
そっと、乱馬は呟いた。
ふたりだけの、秘密みたいな夜。
それはきっと、これからずっと、胸の中で灯り続ける。
***
良牙の家を後にして、乱馬は夜道を一人歩いていた。
顔はまだ火照ったままだった。
(……バカみてえ)
胸に手を当てる。
未だに、ドキドキと激しく脈打っている。
(オレ、……良牙に、キスされて、喜んでやんの)
そんな自分が恥ずかしくて、乱馬はゴロゴロと道端に転がりたい衝動に駆られた。
でも、誰かに見られたらさらに恥ずかしいので、ぐっと我慢する。
「……ったく、何やってんだよ、オレはよぉ」
誰もいない夜道に向かって、ぼそりと呟く。
でも、
口元が、どうしても、にやけるのを抑えられなかった。
(……オレ、あいつのこと、本気で、好きになっちまったんだな)
顔を真っ赤にして、乱馬は天道家への道を小走りに駆け出した。
──その夜。
乱馬は天道家に帰り着き、部屋に飛び込むなりベッドに突っ伏した。
「うわぁぁあああ!!」
枕を抱えたまま、じたばたと転がる。
(な、なにやってんだオレはああああ!!)
でも、口元は、どうしても、にやけるのを抑えられなかった。
***
一方、良牙も自室で同じように転がりながら、
枕をぎゅっと抱きしめ、顔を赤くしていた。
(オレ、乱馬にキスして……ちゃんと……)
思い出しては、心臓が爆発しそうになりながら、
でも心の底から嬉しくてたまらなかった。
「……また、会いてえな」
枕に顔をうずめながら、小さな声で呟いた。
***
─そして、翌朝。
天道家では、朝食の席に乱馬が降りてきた途端、
なびきがニヤニヤしながら寄ってきた。
「なによ乱馬君、その顔、デロンデロンじゃない? なになに? 何かいいことあった?」
耳元でくすぐるように囁いてくるなびきに、
乱馬は顔を真っ赤にして怒鳴り返す。
「う、うるせーっ! なっなんでもねーよ!!」
バッと目をそらし、必死に味噌汁をすすった。
あかねも不審そうに首を傾げるが、持ち前の鈍感さであまり深くは考えない。
「なんかあったの?」
「な、なんもねーよ!!」
「ふーん、あっそ」
あっさり流され、乱馬はホッと胸を撫で下ろす。
──その時だった。
「乱馬ぁあああああ!!!」
天道家の門をぶち破って、良牙が迷子になりながら突撃してきた。
「りょっ、良牙ぁ?!」
乱馬は思わず、すすっていた味噌汁を盛大に吹き出した。
(……なんなんだ、オレたち)
でも。
胸の奥にある、新しく芽生えたあたたかい想いだけは、
誰にも邪魔できない。
――続く。
***
数週間ぶりに、天道家。
乱馬は、玄馬との鍛錬中、池に蹴り落とされ――
びしょ濡れで、女の姿になっていた。
「……ったく、オヤジのやろう、手加減なしだな」
道着の袖からぽたぽたと水が滴る。
体もすっかり冷え切っていて、自然と風呂場へ向かう。
歩きながら、ふと数週間前の出来事を思い出す。
良牙との――あの、キス。
(……あいつ、今頃なにしてっかな)
思わず、濡れた指先で自分の唇をそっとなぞった。
(キス、しちまったよな……あいつと)
胸がドキリと跳ねる。
「っ、あ、あーもうっ!」
誤魔化すように声を張り上げる。
「あいつのことなんか、今さら気にしてねーっつーの!
どーせまたどっかで迷子になってんだろ、あの方向音痴バカは!!」
強気な言葉とは裏腹に、顔は火照ったまま。
そんなふうに風呂場へ向かっていた、その時――
ガラッ!
「すみませーん、響です!」
玄関から聞こえてきた声に、らんまはびくっと硬直した。
(――良牙!!)
顔が一気に真っ赤になる。
「ああら、良牙くんじゃないの」
応対したのは、なびきだった。
かすみは留守で、家にいるのはなびきだけ。
なびきはニヤニヤしながら声をかける。
「あら良牙くん、らんま君なら今お風呂よ〜。一緒に入っちゃえば?」
口元に手を当て、クフフと笑う。
「は、はあ……」
良牙はなびきの感の鋭さにおののき、冷や汗をかいていた。
(――なびきさん、余計なことを……っ!!)
心の中で、良牙と女らんまは同時に叫んでいた。
と、その時。
「あ、はい! あっ、これ……お土産です」
ぺこりと頭を下げた良牙の手には、なぜか「雪だるまの恋人」と書かれた箱が握られていた。
「ふふっ、また北海道まで行っちゃったのね?」
なびきが楽しそうに笑う。
「天道家に向かってたはずなんですけど、気づいたら……」
良牙は頭をぽりぽりとかき、しょんぼりうつむいた。
「ぷっ……あはははっ! 良牙くん、ほんと飽きないわね〜。
乱馬君とセットになると、見てるこっちが腹筋もたないわよ」
なびきは爆笑していたが、
らんまは柱の陰からそっとその様子を覗き見ていた。
(良牙のやつ……)
(前は、迷子になるたびバカにしてたけど……)
(今は……なんか、可愛いって思っちまうんだよな)
ほんのりと頬が熱くなる。
そして、ふと閃いた。
(……そうだ!)
ポンッと手を叩く。
(こいつと一緒に学校行くって名目で、俺が良牙を毎日連れて登校って形で良牙ん家に住み込めばいいじゃねーか!)
(そしたら……)
(毎日、一緒にいられる……)
ちょっと悪い顔になりながら、らんまはニヤリと笑った。
(あーでも、良牙、そもそも高校通えてねーしな……)
ちらりと現実的な問題もよぎったが、
それでもらんまの胸は、期待でふくらんでいった。
(オレと一緒なら……)
***
数時間後、天道家。
乱馬は家族全員(なびき、あかね、かすみ、早雲、玄馬)を集め、
珍しく真剣な顔で話を切り出した。
隣には、良牙。
「なぁ……ちょっと、相談があるんだけどよ」
あかねが首をかしげる。
「なに、改まって」
乱馬はちらりと良牙を横目で見ながら、真剣な表情で言った。
「良牙のことなんだけどさ……このままだと、コイツ、学校ちゃんと出られねーまま大人になっちまうんじゃねえかって思ってよ」
良牙は驚いて目を見開く。
「あっ、オレ、そんな、別に……!」
慌てる良牙を無視して、乱馬は続けた。
「だからさ。良牙を、オレたちの高校に編入させねえか?
オレも一緒に面倒見るし、住む場所も――アイツん家に、オレが一緒に住み込めば迷子にもならねーだろ」
「ほう……」
早雲が真剣な顔でうなる。
「考えてみれば、良牙くん、まだ若いもんな。学校出ておくってのは、将来に必要不可欠だし……」
「ああ、そうねえ」
かすみも優しく微笑む。
「あたしたち、これまでそんなに深く考えたことなかったけど……良牙くんの将来を思うと、大事なことだわ」
あかねも力強く頷く。
「確かに……! 良牙くんって、強いし、真面目だし、学校に通えばきっと、ね、お父さん!」
「うむ、うむ!」
早雲は勢いよく頷き、玄馬も「そりゃいい!」と賛成した。
「ふふっ、家に住み込みっていうのも面白そうだしね」
なびきはいたずらっぽく笑いながら、乱馬と良牙を交互に見た。
「……で、条件はどうするの?」
「うーん……」
かすみが考え込み、
「学校がある間は乱馬君が良牙君のお家に行って、良牙君を学校へ連れて行く。休みの日は天道家に帰ってくる、っていうのでどうかしら?」
「異議なし!」
早雲、玄馬、あかねが口を揃えた。
その言葉に、乱馬は顔をぱっと明るくする。
「っしゃあ!! サンキュー!!」
良牙も、顔を真っ赤にしながら、ぽつりと。
「……ありがとう、ございます……」
なびきはニヤニヤしながら言った。
「ま、仲良くやりなさいな、ふたりでね。」
その一言で、乱馬と良牙はますます顔を真っ赤に染めた。
そして、今――
良牙と乱馬は、みんなで囲む茶の間のテーブルの下で、
こっそり、そっと、手を繋いでいた。
乱馬が、不器用に良牙の手に指を絡める。
良牙も、ぎこちなく握り返してくる。
(……へへっ)
(これから、毎日一緒にいられる……)
嬉しさを隠すように、乱馬はふいっと横を向いた。
良牙も、恥ずかしさに耐えきれず、下を向きながら
ちらちらと乱馬を盗み見ていた。
なびきだけが、その二人の様子に気づいていて――
「ほんっとに、わかりやすいんだから……」
と、面白そうにひとり、微笑んでいた。
〜良牙、初めての制服〜
***
良牙の家に住み込みが決まった数日後。
天道家では、良牙のための編入手続きや制服の手配がバタバタと進められた。
──良牙にとって、
彷徨音痴の両親が行方不明になって久しいこの数年、
“家族”という存在はどこか遠いものだった。
けれど、
天道家は――なぜか自然に、当たり前のように、良牙に手を差し伸べてくれた。
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「──じゃ、届いた制服、試着してみて!」
あかねが笑顔で良牙に袋を渡す。
戸惑いながらも、良牙は頷き、道着から制服に着替えるため奥の部屋に消えた。
数分後。
「……あの、着ました」
そっと襖を開けて現れた良牙の姿に、
天道家のみんなの目がパッと輝く。
「まぁ!!」
かすみが思わず手を打った。
「あら、良牙くん、とってもかっこいいじゃない!」
「わあっ、ほんとだー!」
あかねも目を細める。
良牙は、制服姿にそわそわしながら、ぎこちなく立っていた。
まるで、小学生がはじめてランドセルを背負ったみたいに、不器用で無邪気なその様子に、
誰もが自然と笑顔になる。
「は、はい……」
顔を真っ赤にして、良牙はうつむき、
制服の胸元を照れくさそうに指でいじった。
「おー……ま、似合うんじゃねえの」
乱馬も、ぽりぽり頭をかきながら口にする。
けど、その視線は明らかに、
(くそ、反則だぜ……)
と、無意識にドキドキしていた。
そんな自分を隠すために、わざと憎たらしく口を尖らせる。
「しっかし、なんか小学生の入学式かよ、ってツラだな、へっ」
「な、なにぃ!?」
良牙がムキになって返す、そのやりとりに、
あかねもかすみも、くすくすと笑った。
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そして――
乱馬は自分の荷物をまとめながら宣言する。
「んじゃっ、しばらく良牙んちで世話んなっからな!」
良牙も、感謝の意を込め 天道家のみんなにきちんと頭を下げた。
「あ、ありがとうございました……乱馬にも世話になります、、送り迎えの、、」
「何を水くさい!」
早雲が豪快に笑う。
「もうかれこれ、家族みたいなもんじゃないか。困った時はいつでも頼りなさい、未成年なんだからな!」
「……はい!!」
良牙は、胸がじんと熱くなるのを感じた。
「じゃ、良牙くん、来週学校でね!」
あかねが明るく手を振る。
「準備で疲れただろうから、週末はゆっくり休んでね!」
そして、あかねは乱馬に向き直り、
半目でギロリと睨んだ。
「あんた、良牙くんいじめるんじゃないわよっ!」
「ばっばーろーう、うっせーよ!べーっ!」
兄弟喧嘩のような、親子げんかのような騒がしさに、
かすみも早雲も苦笑いを浮かべる。
***
──そして、登校初日。
良牙の家から、ふたり並んで学校へ向かう。
だが、案の定――
「あ、あれ……こっちで合ってるか……?」
「バーカ、こっちだ!」
乱馬は、呆れながら良牙の腕を引っ張る。
「たく、しょうがねえな……リードでも繋いどくか?」
乱馬が冗談を飛ばすと、
良牙は一瞬本気で想像してしまったのか、目をまん丸にした。
「な、なんだそりゃっ!馬鹿にしやがって……!ペットの散歩じゃねえんだぞ!」
ぷるぷる震える良牙。
乱馬は、くくっと笑いながら、
「ほらよっ」
と、自然に良牙の手を引いた。
「……っ!」
乱馬の皮肉にイラつきながらもどキリとした。
良牙は一瞬、息を呑んだ。
(こ、これじゃ、まるで……)
(いや、違う、これは……!)
言い訳を頭の中でぐるぐる考えながら、
でも、その手を握り返すことだけは、
自然にできた。
手を繋いだまま、二人は朝の光の中を歩き出す。
***
──次回、いよいよ学校デビュー編
(続く)
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初登校と、電柱事件〜
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朝の道。
手を繋ぎながら、ふたり並んで歩く乱馬と良牙。
春の陽気に包まれながらも、良牙の顔はどこかもじもじしていた。
「……なぁ、乱馬」
「ん、どした良牙?」
良牙はぽりぽりと頬を掻きながら、
言いにくそうに声を落とす。
「男同士で……手繋いでて、変に思われねぇかな、って……」
「?」
「いや、俺はいいんだが……その……お前がクラスメイトにからかわれたりしたら……」
良牙がしどろもどろに言う。
「あー……」
乱馬は、ぽんと手を叩いた。
「完全に忘れてたぜ。たしかに、そりゃマズいな……」
苦笑しながら鞄をごそごそと探ると、
水筒を取り出した。
「ばしゃっ」
乱馬は手早く頭から水を浴びた。
「あ、ああっ……!」
パッと、女の姿になるらんま。
「よし、これで文句ねぇだろ!」
にっこりと無邪気に笑うらんまに、
良牙は呆然とする。
「え、えっと……」
「じゃ、いこうぜ」
にっこり笑ったらんまが、もう一度良牙の手を取った。
「──あ、」
ギシッ
良牙の全身が、固まった。
男のときより、
なぜか……ずっと、ずっと緊張する。
(な、なんだこれ、手、こんなに小さかったっけ……っ)
顔が真っ赤になって、動きがギシギシと不自然になる。
「おいおい、お前が言い出したんだろー?」
らんまが、困ったように笑う。
「ああ、す、すまん……ふごっ」
ギシついた良牙は、
前を見ないまま歩いて――
ドゴォォッ!!
真正面から電柱に激突した。
「がふっ!」
良牙は、両腕を上げ、指をピーンと伸ばしたまま、
カエル足で電柱に張り付いた。
「ぷっ、あははっ!」
らんまが腹を抱えて笑う。
「ったく、朝から何やってんだよ!」
良牙は鼻を押さえながら、
恥ずかしそうにうつむいた。
(な、なにやってんだ俺は……)
***
そんな騒ぎのあと、
ふたりは無事に風林館高校に到着。
良牙は、緊張で肩をすぼめながら、
校門をくぐった。
***
教室。
担任の先生が黒板の前に立つ。
「えー、今日から新しい仲間が増えます!」
教室中がざわざわする中、
良牙は固まったまま立たされる。
「自己紹介、よろしく!」
「ひ、ひっ響良牙ですっ!!よっ、よろしくお願いしますっ!!」
ぺこぺこ深々とお辞儀する良牙。
その必死さに、クラスメイトたちは「おお~」と好意的な笑い声をあげた。
「良牙くんはそこ、乱馬君の隣ねー」
先生が指差す。
良牙は一瞬、乱馬と目を合わせて、
少しだけホッとしたように微笑んだ。
ちなみに、
らんまは学校に着くなりこっそりお湯をかぶって男姿に戻っていた。
(やっぱ学校で女のまんまは色々めんどくせぇしな)
そんな乱馬の内心など知らずに、
良牙は緊張しながら、らんまの隣の席に座った。
そして、
乱馬は頬杖をつき良牙へにっと笑って、
小声でささやいた。
「ま、気楽にな!」
良牙は、
胸の奥が、じんわりあたたかくなるのを感じた。
「ああ、」もじもじ
(気楽に……うん、がんばる……)
ふたりの新しい日々が、静かに始まろうとしていた。
***
新章へ(続く)執筆中です、、
ご愛読ありがとうございました。