アーサー誕目が覚めた時からうきうきしていた。
昨晩眠る前に、少しだけ開けておいたカーテンの隙間から明るい日差しが差し込んできていた。枕元に差し掛かるきらきらと塵を反射した光の帯を目で追って、アーサーはぱち、ぱちと数度瞬きをする。清潔な朝の空気が満ちていた。胸に入り込む新しい1日の気配に目を細め、布団に入ったまま背中をそらし、小さな手足を目一杯伸ばす。
…伸ばしてから、ひゃっと悲鳴を上げて縮こまる。
「……またやってしまった……」
厚手の布団の中はほかほかと温かい。けれど、眠る自分の体が届いていなかった部分は冷たい空気を孕んで冷たく、アーサーはそのことを忘れて冷えた部分に足を差し入れてしまっていた。この城に来て、これをするのはもう数度目だ。アーサーに与えられたこのベッドは、アーサーの体に対してずいぶん大きくて、必然温められない範囲も広い。3月が始まり、もう暖かさがやってきても良い季節であるはずだったが、北の国の春はまだまだ遠い先のことであるようだった。アーサーははふ、と息を吐いた。鼻の奥が痛くて、鼻が赤くなっているかもしれない。
けれど、朝だ。今日は、特別な朝だ。
冷たさは体を縮こまらせたが、代わりに寝ぼけを追い払ってくれた。今度はぴょんと上体を起こして、上に向かって伸びをする。それからまた飛び跳ねるみたいにベッドを降りると、カーテンに飛びついた。勢いよく開け放てば、外には明るい日差しと、きらきらと光を反射する雪景色が広がっている。
「わあ…!」
ここのところずっと曇続きだったから、こんなに晴れた空を見るのは久しぶりだ。中央の城で有れば、この時間には窓の外に小鳥が来ていて、囀る声でアーサーを起こしてくれたはずだった。けれどここは北の国で、小鳥の餌になる木の実もない枯れ木ばかりでは、可愛らしい小鳥がやってくるはずもないのだった。けれど平気だ。その代わり、光輝く一面の銀世界は美しい。
浮き立つ気持ちが堪えきれず、跳ねる足取りで姿見の前に立った。部屋を出る前に寝巻きを着替えて、好きに跳ねた髪の毛を撫でつけておかなければならない。アーサーを拾ったこの城の主人は大変キチンとした人のようで、アーサーは彼が髪を乱しているところなど見たことがないのだ。彼に倣うよう、心がけねば。鏡の向こうの自分は今日も前髪が好き勝手にぴょんと跳ねていて嫌になるが、指先で跳ねを構うアーサーの目は輝いていた。鏡を挟んで対峙する銀髪の少年に、アーサーはにっこり微笑んで見せる。短く切られた柔らかそうな銀髪から、青空色の瞳が覗く。質素だが柔らかい寝巻きは小さな体に対して大きめで、痩せた手足の先だけがちょこんと出ていた。鼻は予想通り寒さに赤くなってしまっていたが、頬はむしろ、早る気持ちから薔薇色に染まっている。
一瞬ちらりと、ここが中央の城であれば、目を覚ました瞬間からアーサーの近くには誰かがいて、外の小鳥もアーサーが起きるのを待っていたと言いたげに、餌欲しさにこんこん窓を突いたことだろうな、と思った。アーサーは控えていたメイドのスカートに飛びついて、おはようございますと微笑まれたことだろう。けれどここは北の国なのだから、アーサーは目覚めて最初の挨拶を、鏡の向こうの自分にしてやる。
「おはようアーサー。誕生日おめでとう!」
目が覚めた時からうきうきしていた。今日はアーサーの誕生日だった。
アーサーがこの北の城に来て、季節が一周しようとしていた。
城の主人は無口だが親切にアーサーの身の回りの世話をしてくれる。中央の城のようにメイドを雇ってはいなかったが、主人一人の世話で十分家事全般は回っていた。何せ、彼は魔法使いなのだ。
指先を一振りし、視線をちらりと流しただけで、料理も、洗濯も、掃除も、その気になれば何もかもしてしまえる。その代わりにメイドたちのような甲斐甲斐しさも、アーサーへの暖かい微笑みもなかったが、アーサーは構わなかった。彼が不器用ながらに自分のことを思いやってくれていることも、それに不慣れなことも、幼いながら感じ取れていたからだ。その証に。
「オズ様!」
食堂へ続く重たい扉を開けて、一番に目に入った長身にぱあっと破顔したアーサーが、皿を並べ終えた彼の腰に抱きついても、彼は振り払うことはしなかった。4歳の子供の力ではびくともしないーーけれど、わずかに身を固くしたーー城の主人は、アーサーの方へ向き直ると、ぎこちない手つきで柔らかい髪を梳く。
「……アーサー」
「おはようございます!」
急に飛びつかないよう注意をしようとしたのかもしれない。けれどいつも以上に嬉しそうな顔をしたアーサーを見て、オズは言葉を飲むことにしたようだった。代わりに深く落ち着いた声で、柔らかくアーサーの言葉に応える。
「おはよう。…顔は洗ったか」
「洗いました!ねえ、オズ様。今日は何をしますか?」
オズはすぐには答えなかった。きらきらと目を輝かせるアーサーの言葉の意味が、掴めていないようだった。アーサーは頭の中で、色々な可能性を考えてみる。オズが外へ連れて行ってくれるかもしれない。豪華なパーティーがあるかもしれない。アーサーの好物ばかりが並ぶ夕食があるかもしれない。そうだ、夕食といえば。
「何、とは」
「ケーキは、買いに行きますか?」
「……ケーキ?」
オズの眉が少し寄る。オズは案外、何かを作ることに熱心だ。アーサーが腹をすかせたためにはじめた料理も、少しずつ上達の兆しを見せている。だから、ケーキも自分で作るつもりだったのかもしれなかったが、アーサーの知る限りケーキ作りは、彼の腕に比べればずいぶん難しいようだった。アーサーは勝手に不安になって、オズの腰に縋ったまま、おろおろ眉を下げる。
「オズ様は、ケーキも作られるのですか?」
「……作ったことはない。アーサー」
そこでオズはちょっと言葉を切った。言い方を考えているようだった。アーサーの肩に手をかけ、少し押す。そうするとぴったり張り付いていた体が離れて、オズの顔がよく見える。オズの目は、真っ直ぐにアーサーを見つめていた。その目は実直で、取り繕うところはなく、そして、困惑している。
「……何の話をしている?」
その目を見て、気づいた。
そうか、ここは、北の国だから。
アーサーはぱちぱち、瞬きをした。それからそっと、オズの服から手を離した。目はまだオズの顔から逸らせないまま、ゆっくりゆっくり、思考を巡らせる。
「あの、オズ様…………」
「……」
オズはアーサーの言葉を待っている。アーサーは、言葉に迷って、何か言おうと口を開いて、結局。
「……なんでもないです」
うん、と頷いた。オズはやはり不思議そうな顔をしたが、それ以上は何も言わず、「…そうか」と答える。そうだ。なんでもないことだった。あまりにも当たり前のことで、アーサーはなんだか恥ずかしくなってしまっていた。
世界中の人間がアーサーの誕生日を知っているわけじゃないんだ。
アーサーがオズに誕生日を言ったことはない。今日に至るまで、3月9日に祝ってくれとねだったこともない。だったら、これは当たり前のことだった。アーサーは当然祝いの言葉が返ってくると思っていた自分を思って、少しずつ頬に熱が上るのを感じた。湯気を上げる朝食にスプーンをつけることで、気まずい気持ちをオズに悟られないよう祈る。オズは何も言わなかった。
去年の3月9日、夕食には大きなケーキが出たそうだ。そうだ、というのは、アーサーがあまりそれを覚えていないから、メイドの言葉をそのまま信じているだけである。アーサー様の背丈ほどあるケーキで、城のものは皆笑っていましたよ、とメイドはやはり笑いながらこぼした。アーサー様は蝋燭を消そうとして、机に身を乗り出されるので、転ぶんじゃないかと不安で、必死な様子がおかしくって。アーサーは一人それを覚えていないものだから、本当にそんなことがあったのか?と何度も念を押したことを覚えている。自分の身ほどのケーキなんて!アーサーが辛うじて覚えているのは、なんだか騒がしく、明るい城の大広間と、代わる代わる現れる知らない大人たちに、次々抱き上げられて戸惑ったような記憶だけ。忘れてしまったことに落ち込むアーサーに、ありましたとも、と優しいメイドは微笑んで頭を撫でてくれた。覚えていなくても大丈夫、今年も同じ、いえ、もっと大きなケーキがありますもの。料理人が腕によりをかけて、どんなケーキにしようかって、今から悩んでいますよ。
私たちもとっても楽しみ。王様も、お妃様も、城中がみんな楽しみにしています。アーサー様の、私たちの宝物の、特別な日を祝えることを。
「アーサー」
オズの静かな声に、アーサーははっと顔を上げた。城の主人はつくりもののような顔をして、無感動にアーサーを見返している。けれどそれは心配してくれているのだと、アーサーはきちんとわかっていた。不器用で人慣れしていない主人は、感情を顔に出すのが得意でない。食事中もほとんど話さない彼が、手を止めてこちらを見ているのが、何よりの証なのだ。
だから、悲しくない。
「気分が悪いのか」
アーサーはスープを口に運んだまま、口内に残っていたスプーンを柔く噛んだ。行儀が悪いと叱られるから、すぐにやめるつもりで、こっそりと。硬い銀の感触は、こみ上げてくる何かを堪えるのにとても適している。それでも、俯いてしまったのは恥ずかしさが抑えられなかったから。
「いいえ、オズ様」
3月9日は、アーサーにとってどれだけ特別でも、みんなにとって特別な日ではない。いつもと同じように日が上って、いつもと同じように日が沈む。それに気づかなかったことがなんだかひどく恥ずかしく、そして、それに気づいてしまったことが、なんだかひどく、胸をすかすかさせている。
今度は顔を上げてにっこり微笑みオズを見た。朝食は美味しく、天気は良く、城の主人は優しかった。それなのにやはり引きつってしまっていたのだろうか。オズはアーサーをじっと見つめている。
「いいえ…」
朝食を食べ終えると、ごちそうさまでしたときちんと手を合わせて、逃げるように席を立った。与えられた部屋にとって返すと、広い冷たいベッドにうつ伏せに寝転ぶ。雪が降り積もった外には、主人の許しがなければ出てはいけない。窓の外に生き物の気配はなく、与えられた部屋はしんと静まり返っていた。
「悲しくないよ、アーサー」
沈黙に耐えかねて、ぽつりと自分に話しかける。シーツの海に落ちた呟きは、白い波に飲み込まれたように小さかった。
「オズ様はご存知なかったのだから、悲しいことじゃない。来年の誕生日が来る前に、きっと言おう」
枕元に置いてあるぬいぐるみを引き寄せる。ふかふかと柔らかい毛並みに顔を埋めると、すかすかした気持ちが少しおさまった。
そうだ、来年までにはきっと言おう。主人が困らないタイミングで、3月9日が誕生日であることを、お祝いを一緒にできたら嬉しいことを、きっと伝えよう。そうすれば彼はきっと祝ってくれるし、ケーキも買ってくれる。できうる限りのことをしようとしてくれる。
今日突然に言われても困ってしまうだろうから、そこだけちょっと我慢すれば良い。あれもこれもを願うことはできないのだ。暖かいベッドも、目覚めて最初のおはようの挨拶も、可愛い小鳥の囀りも。
ただ、何もなかったかのようにオズの前で振る舞うことは、今はできそうになかった。当然に愛された思い出を、まだもう少しだけ、大事に抱えておきたかったから。
やがてやってきた眠気は都合が良い。鈍くなる思考に安心して、アーサーは優しい暗がりに身を浸した。
***
眠りの遠く、優しく肌を撫でる手があった。
少し冷えていたが柔らかく、ほのかに甘い匂いがする。細い指先がアーサーの髪を梳き、頬にかかる幾筋かを耳にかけた。滑らかな感触は記憶の奥にある幼児の頃を思い出させる。曖昧に開いた口が誰の名前を呼ぼうとしたのか、アーサーは自分でもわからなかった。
指先の動きが止まる。少しして、小さな手のひらが頬をそっと撫でた。続けて違う、同じく小さな手が、うつ伏せたアーサーの頭を頂点からうなじに向けてゆっくりさする。それもまた赤ん坊の頃の扱いに似ていた。こちらの無防備を許容する優しさが、触れる手には満ちていた。誰か2人、自分とそう年の変わらない小さな子に、アーサーは今撫でられている。
夢うつつの合間では、それが誰なのか思い出せなかった。中央の城に同じ年頃の子供はいない。だれ、と声に出すこともできなくて、アーサーはただ、手のひらの優しさに甘える。
「すまないのう」
手の主の声がした。続けて同じく、同じトーン、同じ調子ですまないのう、と声が追う。なにが?と聞き返したいのに、やはりできなかった。頭の芯まで深く深く、眠りがアーサーを留めていた。アーサーの反応がないことは構わないようで、手の主人達は謝罪の続きを口にする。
「あの子にしては、驚くほどよくやっておるんじゃ。だから我らも、ついつい甘やかしてしもうての」
「人を人とも思えない子が、目覚ましい進歩じゃ。だからついつい、褒めてしまっての」
あの子とは、誰だろう。その響きはアーサーの生活ではよく自分を指す言葉として現れた。恐ろしいわ、あの子。あの子、どうしてあんなことができるの。あの子は、本当に私の。
けれど声の主たちの口振りでは、それはアーサーのことではないようだった。「よく頑張っているあの子」のことを指して、主たちはやれやれと息を吐く。その間も柔らかい手は丁寧に、アーサーの身を撫でてくれる。
「けれど、あの子が頑張っていることと、お主が幸せに思うことはまったく別じゃ」
こんなに気を張って。疲れたじゃろう。声は静かにひそめられていたが、確かに暖かさに満ちていた。体はほとんど寝ているのに、頭だけがぼんやり目を覚まし耳を傾けているのは、この暖かさがあまりにも心地よいからかもしれない。
「察しが悪い子ですまないのう、アーサー。誰かに愛されて育つことを、オズは上手に想像できないのじゃ」
「我らが教えてやれれば良かったんじゃがのう。我らは我らで、互いの愛しか知らぬ。お主のような幸福は、わからなくての」
暖かい、けれど、少しだけ切ない声だった。声の主が唇に苦笑を浮かべているのが目に浮かぶようだ。最初のすまない、が、このことであったことにアーサーは思い至る。
「お主が欲しがるもののことを、あの子は知らない。だから、与えてやろうとも思えない。あの子が悪いわけではないが、だからと言って、お主がさみしい思いをしても良い理由には、ならんぞ」
「アーサー、子供は欲しがるものじゃ。もっともっととさみしがるものじゃ。だから我慢しなくてよいぞ。存分にあの子を困らせてやるとよい」
小さな手の指先がアーサーの額につ、と触れた。最初は冷えていると思った手なのに、今はそこから何か暖かいものが流れ込んでくるのを感じる。頭の奥がゆるゆるとほどけるような感覚に、アーサーはゆっくり息を吐いた。重く沈むようだった眠りが、ふわりと柔らかく身を包んでいく。
「おまじないじゃ……目が覚めたら、いつもよりほんの少しだけ、素直になれるよう」
「アーサー。お主の『ほしいもの』は、あの子にたくさんのことを教えてくれる」
だから、すまないけれど、ありがとう、アーサー。声の主の言葉はそんな風に続いたけれど、アーサーはもうそれを聞き取ることはできなかった。もう一度深い眠りに落ちていく気配があったが、先ほどまで暗いところに引き込まれるようだった眠りは、柔らかな光に満ちているように思えた。
***
目を開けた。ぱち、と数度まばたきして、天井の模様をぼんやり眺める。寝ぼけた頭で周囲の気配を探ったが、部屋にはアーサー一人しかいなかった。先ほどまで、眠る自分の傍に誰かがいたような気がするのに。
目をこすりながら身を起こし記憶を辿る。が、その記憶は現実味がなく、急に彼方へ遠のいていった。何を言われたのか、何があったのか。はっきり思い出せると思っていた光景は色あせ、夢の出来事を思い出すときのようにうまく言葉にできなくなる。では、あれは夢だったのだろう。
朝開いたままだったカーテンの向こうでは、大きな夕日が空を茜色に染め上げていた。鮮やかな夕方の空に、アーサーは目を見張る。眠る前は少し遅いがまだ朝のうちだったのに、こんなに長く眠ってしまうなんて。規則正しいアーサーの生活からは考えられないことだった。なんだかひどくがっかりした。一日を無駄にしてしまったような、とっておきの出来事を見逃したような、そんなさみしい「がっかり」だ。オズが自分を起こしてくれなかったこともさみしかった。今日という一日に自分が必要ないと言われたようで。
しかし、外の景色の美しさには目を奪われずにはいられなかった。朝も、夕も、北の国の広大な景色は美しい。生き物すべてを拒絶する雪の大地は白く、輝きを反射しながら様々な色合いをその身に映している。アーサーはカーテンを握りしめ、しばしその光景を見つめた。見事な赤は地平線へ向かって濃く、その裾野からは少しずつ、夜の藍が広がり始めている。夜が来るのだ。アーサーはカーテンに取りすがり目を細める。眠る前の胸がぎゅうと締め付けられる感覚を思い出していた。1日が終わる。
「…………」
早く終わればいい、という気持ちと、終わってほしくないという気持ちがどちらもあった。今日が終われば、悲しくてもとにかくやり過ごすことができる。日々を重ねることで辛さも薄れ、いつも通りに戻ることができるだろう。同時に、やはりこれだけで今日が終わってしまうことが悲しかった。何か少しでも嬉しいことが起きてほしいと、アーサーは唇を結んで項垂れる。オズを探そう。せめて、誰かと一緒にいたい。
扉を開け、廊下に出た。今の時間オズがいる場所と言えば、書斎か、居間か。もう夕食時だから、キッチンかもしれない。手慰みに連れてきたぬいぐるみを抱き寄せ、一先ず居間に向かった。夕暮れが過ぎると廊下も薄暗い。寝る前には感じなかった寒さも背中を走り、柔らかい毛並みに暖を求めて力を強めた。連れてきてよかった。
そういえばこのぬいぐるみは、以前やってきた双子の魔法使いがくれたのだった。二人がずっと年上だと知らず懐いていたアーサーが、本当のことを知り落ち込んだため、詫びだと言ってくれたのだ。二人のことをちょうど思い出したタイミングで、聞こえてきた声にアーサーは目を丸くする。スノウとホワイト、双子の魔法使いの声がした。いったいどこから、とあたりを見渡せば、廊下の先、客間の扉が少し開き、中に明かりがついていることに気が付いた。歩を進めるに従い、声は数を増やし、内容も聞き取れるようになる。まったく、呆れた、と聞こえたのは、城によくやってくる大人の魔法使いの声だ。名をフィガロと言う。
「お前ねえ、中央の国で王子生誕の祭りがあった時、教えてやっただろ!3月はこれから祭りの季節になるよって」
「……うるさい」
「去年もあったし、1回は城下の祭りも見に行ったのに、なんで忘れられるんだ?」
「……知らない」
「まあまあフィガロちゃん、そのへんで」
「オズちゃんも反省しておることじゃしの」
どうやら客間には双子のほかフィガロもいて、オズと話をしているらしい。何の話かはよくわからなかったが、オズが何かフィガロに叱られているらしいことはわかった。大人同士の話だから、入らないほうがいいだろうか。アーサーは少し迷い、様子を見るためにドアの前に留まった。フィガロが反省?と語尾を上げる。
「俺はこいつが俺の話を全然聞いていなかったことが虚しいんですよ。引きこもりのこいつのために、一応世界の動向ってやつを教えてあげていたのに。スノウ様もホワイト様も、最近オズに甘いんだから」
「だーって、頑張っててえらいんだもーん」
「偉い子は褒めてやりたくなるんだもーん。フィガロちゃんもオズちゃんの面倒を見て偉かったのう。我らがよしよししてやろう!」
「いや、そういうのはいらないですってば」
「面倒を見られてなどいない」
「お前な、やっぱり反省してないだろ」
困った、話が途切れる様子がない。
わいわいと盛り上がる様子は仲睦まじげで、アーサーはまた胸が痛んだ。やはり、今日に自分はいらなかった。今入ってもきっと邪魔になってしまう。部屋に戻ろう。そう思い踵を返しかけたところで、廊下の冷たい空気が背筋を撫でた。こらえきれず、くしゅん、とくしゃみが漏れる。
部屋の中が一瞬静まり返った。そしてほとんど間を開けず、扉を開く手が現れる。顔を出したのは城の主人で、茫然と佇むアーサーを見たとき、なぜかきまり悪そうに目を細めた。どうしたのだろう。疑問が不安に変わる前に、アーサー、来なさい、と主人が手を差し伸べてくる。
導かれるまま客間へと入ると、まず部屋の明るさと温かさにほっと息を吐いた。中には予想通りスノウとホワイト、フィガロがいて、めいめい腰掛けたソファからアーサーを迎えてくれる。「やあ、アーサー」と微笑んだフィガロの声は温かく、それでやっとアーサーは顔のこわばりが取れるのを感じた。双子の魔法使いも穏やかな微笑みを浮かべて、アーサーとオズを見つめている。
「いい眠りになったかな。俺は起こそうと思ったんだけど、双子先生がよく眠っているから寝かせてあげようって言ってね」
「だって、本当によく寝ておったのじゃ」
「起こすのがかわいそうになるくらいじゃったのじゃ。アーサー、怖い夢は見なかったかの?」
夢は見た気がするが、覚えていない。けれど目が覚めた時の穏やかな気持ちは、悪夢を見たときのそれではなかっただろう。大丈夫です、と言って微笑むと、「それはよかった」と双子は本当に嬉しそうに目を細め、それからふとオズを見上げて悪戯っぽい笑顔に変わる。