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「……ってきま~す!」
夢は、見ていなかった。黒とも白ともつかない眠りの中でふと、明るく伸びやかな声が耳に届いて、ライナ・リュートはあっさりと瞳を開いた。
木目の天井。カーテンの隙間から差し込む朝の陽に視線を向けて、ふたつ瞬く。
広いベッドの上、傍らにぬくもりはない。そういえば、ひとりで寝たんだっけ、と思いながら意味もなく伸ばした腕がシーツを滑った。
このまま目を閉じれば、もっかいすぐ寝れるなあ、と頭の隅で考える。起こされていないということはまだ、寝ていていい時間なのだろうし。
(うーん……)
選択肢に、うっすらと二度寝の文字は浮かぶ。前の自分だったら迷わずそっちを選んでいたどころか、他の選択肢はなかっただろうなと思いながら、ライナは身体を起こした。
「あいててて」
ぐぐぐ、と両手を天井へ伸ばすと、連なって伸びた背中がみしみしと音を立てる。昨日は資料と一緒に机にかじりつきだった。さて今日はどうだろう。
「おはよ~」
寝室を出て、洗面所に寄ってから降りる階段の、最後の段を踏みながら口にした挨拶には、あくびが混じる。その声―――というよりかはきっと、階段を下りる足音に気がついて、だろう。リビングの向こう、キッチンの入り口で束ねられた金髪が揺れる。
軽い、スリッパを履いた足音が近づき、青色の大きな瞳がまっすぐにこちらを見上げる。美人だなあ、と、飽きずに思ってしまうのはもう、仕方がない。
「おはよう」
「ん、おはよ……なんかついてる?」
視線が真っすぐなのはいつものことだけれど、それにしてもまじまじと見つめられて思わず、手のひらで口元を覆うようにさする。顔はさっき洗った。寝癖はまあ、ほったらかしだけれど。
「いや。きちんと寝たか?」
フェリスの、細い、しなやかな指が伸びてきて瞳の下をなぞるように撫でる。
「あ~。いつもよりかは早く目が覚めたけどさ。ちゃんと寝たよ」
「ふむ。ひとりでは寝れないよ~と夜更かしをした挙句、昼過ぎまで起きてこないかと思っていたぞ」
「……まあ、寝る時も起きた時も、そういやひとりだっけ~とは、思ったけど……」
ふたりで暮らすようになって、そう長い月日が経ったわけではない。けれど、広いベッドをひとりで使うのに違和感を覚えるほどには、この生活が馴染んでいる。
「さみしくなって起きてきたのか」
普段はつんとした眼差しが、微かに笑う。きっとちょっとふざけて告げられただろうその言葉に、確かに、と内心で思う。
「そうかも」
もう一度眠ったってよかったし、まだゴロゴロしていたってよかった。そうしなかったのは、まあそういうことかも、と返した言葉に、青い瞳は少し驚いたように丸くなる。
「そう、か」
「そう。というわけで、ほい」
ぽつりと落ちた言葉に、腕を広げて答える。
言外に、抱きしめさせてほしいと告げると、丸くなった瞳は幾度か瞬いて、ふむ、と形の良い唇からつぶやきが漏れる。
「……仕方のないやつだな」
抱きしめさせてくれたらいいな、くらいの気持ちで広げた腕の中に、一歩踏み込んできてくれる細い身体を、そっと抱き寄せる。
「ありがと」
「別に、礼を言われるようなことでもないだろう」
「そうかもだけど~。俺が嬉しかったから」
相変わらず細くて薄くて、あったかいなあと思いながら下げた視線の先で、陽の光を受けた金色の髪がきらめく。
「あ。そういやイリスは? さっき出掛けてった?」
目覚めの瞬間、というよりかは寸前に、耳に届いたのはフェリスとよく似た色彩を持つ少女のものだった、と思う。
昨日は、イリスが泊まりに来てフェリスと客間で眠っていたから、ライナは大きなベッドでひとり夜を過ごした。姉妹水入らずの夜を邪魔する気にはならないし、ふたりとも嬉しそうなのでこれくらいは喜んで譲る。
ちょっとさみしいらしい、ということに気がついてしまったけれど。
「うむ! 今日は朝市があるからな、団子を買いに行った」
腕の中で、視線を合わせるようにこちらを見上げた瞳はきらきらとしている。
「な~るほど」
首都機能は移管しても、レイルードに愛着を持って暮らし続けている人々はいる。だいぶ減ったけれど、商いを続けている人も。
「そろそろ戻ると思うが……」
窓の外へと向けた視線に答えるように、遠くから近付く気配があった。明るい、楽しさが混じる足取りで石畳を掛ける、わずかな足音。
「お。帰ってきたかな」
「うむ。朝食にするか」
ちょっとだけ名残惜しいと思いながらも、抱きしめていた身体を離す。くるりと踵を返してキッチンへと向かう背中を見送って、視線を玄関へと向ける。
「お出迎えしますかね」
あと数秒もすれば、玄関が開いて明るい声が飛び込んでくるだろう。それに応えるために、ライナはリビングと玄関を繋ぐドアを開ける。
それとほぼ同時に、軽やかな足音が玄関の前で止まった。一瞬の間を置いて、開く扉の向こうから、外の明るさと一緒に跳ねるような影が揺れる。
「ただいまぁ! あっ、野獣くんおはよう~!」
「おはよ~。おかえり」
おかえり、ただいま。おやすみ、おはよう。
重ねる度に、心の中で積もっていく何かがあるような気がする。
「ただいま!」
笑顔と一緒にもう一度。
帰ってきた言葉とともに降り積もる、あたたかい。
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連載読んでてイリスちゃんどこいんのや~~!という気持ちがもりもりだったのでエリス家(って今人住めるのかな居住部分まであれこれしないか?深部?だけか?)に残るのを自分で決めたイリスちゃんが時々新居に泊まりに来てるとい~ねのあれでしたがご夫婦がいちゃつく
イリスちゃんライナのことなんて呼んでるんだろが想像できなすぎて結局野獣くん呼びを させた もうあだ名みたいなもんでいいかなって……