くすりゆび あのひとは、わたしにとって、こわいひとだ。
日夜行われている禁忌の数々を延々と見せられる私の精神はもう限界だった。被験者の悲鳴と、実験が上手くいかずに荒れて物に当たる彼と、気分転換にか奏で始めるあの旋律とで、もう、磨り減っていた。
そもそもの話、わたしがなんでこんな所にいるのかと言うと、運が悪くて、とても良かったからだ。私も最初は被験者として連れてこられ、実際に実験に使われたのだがなんでか、意識も記憶も思考も全部ハッキリしていた。それがたいそうお気に召したのか彼はそのまま私を助手とし、手元に置いている。
何度も逃げようとした。しかしその度に彼に造られたこの身体は創造主から逃げることを拒否し、末端から崩壊していく。動けなくなった私を拾い上げる度に彼は面白そうに笑い、そうしてもう一度私を造り直す。その繰り返しだった。
「それで、逃げ出した貴様は一体どうする気だったんだ?」
とは、毎回必ず聞かれることだった。悔しさと惨めさで奥歯を噛み締め沈黙を貫いていると更に面白そうに、造り直している途中の身体を弄びながら、見下しながら笑うのだ。
その日、私は何度目か分からない脱走をしていた。普段ならばこの建物の入口を過ぎれば両脚から崩れてしまうのだが、奇跡的に、無事だった。ようやく報われたのだとにじみ出る涙はそのままに必死に走り続けて、それで、ようやく、初めて扉に手が触れそうに、
「……まったく、少しでも貴様の行動範囲を増やそうと思った途端にこれか。…やはり、私が手元でしっかりと管理した方がいいな。」
伸ばした左手を、掴まれた。
「はっ、なんだ、逃げれると思ったのか?普段よりも動けたから?私が珍しくどこにもいなかったから?……逃がすわけが、ないだろう?貴様は私が造った、私の物なんだからな」
そのまま掴まれた左手が彼の顔の傍に寄せられ、怖くなった私が目を逸らそうとすると、そうはさせまいと視線を固定され、そのまま左手の薬指が温かい物に包まれ、みし、ぱき、がちん。
「……なるほど、これが貴様の味か」
べぇと突き出されたその舌の上に私と同じ肌の色をした指がある。見覚えのあるそれは、私の今4本しかない左手に付いていたはずのもので、それが、彼の舌の上にある。
痛みは、無い。痛覚なんてとうに無くなっていた。それなのに傷口を舐められる不快感だけがある。何度も執拗に舐められ、しゃぶられた断面はふやけて、口の中に入れられていた指もふやけていた。
「そうだな、次の調整からは行動範囲を私の傍のみにするか。……はは、そんな可愛い顔をしないでくれないか、ますます手放せなくなるだろう?」
あぁ、結局、逃げられないのだ。被験者として連れてこられたあの日から、もう全て決まっていたのだ。
心底愛おしそうに、心底面白そうに、目の前の蛇は私を見ている。とっくのとうに呑み込まれていた私は、彼の腹の中で、溶かされるしかないのだ。