偽神崇拝 神、科学と対局の地位に座す者。存在の証明はできず、何も持たない弱いモノが縋り付くために造られた物。いつかの彼がそう言いきったのを覚えている。その時の私は果たして何と答えたんだろうか、返答をせずに濁したような、反論して自説を述べたような。どうにも思い出せないが神が居ると私自身が証明したのだから思い出そうとする必要も無かったか。
彼と仲違いしてそのまま別れ、次にその顔らしきものをきちんと見れたのは残念ながら相当先の事である。学生時代の共通の友人から彼が死んだと伝えられ、そのすぐ後夫人からも葬式に一番仲の良かった友人として出席するように便りが届いた。その時の記憶はあまり残っていないが突然の出来事に呆然とし、妻にその事を伝えるやいなや最低限の荷物だけ持って飛び出した事だけは鮮明に覚えている。その道中私は偽の神にただひたすら祈っていたのも覚えている「おぉ!神よ何故貴方はあの才能溢れ、未来輝く若者の命を奪ってしまったのですか?」こんな感じに。なんと愚かなのだろう、偽神に祈ったとて何も救われはしないのに、何も代わりやしないのに。
彼の葬式は滞りなく進んだ。本当は最期の別れとして故人の顔を見せてもらうはずであったが彼の遺体はあまりにも損傷が激しく……爆発によってちぎれた破片と炭化した破片をどうにか人の形にし未だ見つからない部分も多々あるという事らしく夫人でさえも中を見ることは出来なかった。代わりに共同研究中に後の夫人となる彼のガールフレンドに撮ってもらった写真が飾られていた。あの頃の私たちは互いに尊重しあい認め合いながら高みを目指していた。
彼の死から数年、私の元には彼そっくりの若者が弟子として潜り込んでくるようになった。彼かと見間違うくらいに瓜二つで笑顔と聡明さに溢れたその顔は紛うことなき若かりし頃の彼である。そんな若者も結局は彼と同じように私を拒んで、遠ざけ、そして決別した。あの頃の私は極度に慎重派であり、此処に来てから学んだ言葉だがいわゆる「橋を叩きすぎて割った」状態だったのだろう。その生まれ持った慎重さは命を守るのではなく大切な友人と弟子の2人の命と将来を奪い、更には私自身の命すらも奪い去ってしまった。偽の神が喜びそうなとんだ喜劇である。
さて、ここまで話してようやく今の私が出てくる。友人にも弟子にも……彼の息子にも拒絶され何も修復出来なかった私は皮肉も神に肉体を修復された。冒頭の話を覚えているだろうか?神は居る。そうでなければ何故私は救われたのだろうか?あの神であればいつしか私の求めたモノを与えてくれるに違いない。……なんでそんな顔をしているんだヘルマン、君は笑顔が似合う人だろう?そんな顔をしないでくれ。……もしかして君のことを彼と他人行儀に呼んだことか?それとも分かりきっている過去のことを勿体ぶって説明したのが気に食わなかったのか?そうだったらすまない、今でも君は私の唯一の親友であることは確実であるし、過去のことはできる限りこうして思い出していないとダメなんだ。……君は私を許してくれるか?いや許さなくていい、何も赦さないでくれ、愚かな私を憎み続けていてくれないか、親友。
…………試合の時間だ。また後で話そう。次は君の息子の話でもしよう。