はじめてのおつかい(……ここに、男ひとりで入れと?)
ショッピングモールの一角、とある店の前で、サンポは顔を引き攣らせていた。勘弁してくれと後ろを振り返って目で訴えるも、少し離れた所でこちらを監視――もとい見守っている星は、ただにこやかに微笑むばかりである。
そこは女性用下着の専門店だった。これがもし派手派手しい下着ばかりをずらりと並べているような「いかにも」な店ならばいっそ開き直って入店できたかもしれないが、この店はそうした俗な要素をできる限り排除し、あくまでも品良く女性に寄り添うといった雰囲気なのである。男からしたら場違い感が半端なかった。
もう一度星の方を伺うも、やはり有無を言わさぬ笑顔を向けられるだけだった。これはミッションを完遂する以外に選択肢はないと諦め、渋々店内に足を踏み入れる。ついコソコソとしそうになり、それでは余計に怪しく見えると思い直して努めて堂々と振る舞った――内心はこれ以上ないほど挙動不審だったが。
何でもないような顔をしながら全速力で売り場に視線を走らせ、できるだけ素早く目当ての商品のエリアを探す。幸いにも早々に見つけられたそこへ近づき、一旦ラインナップを確認しようとしたその時。
「贈り物をお探しでしょうか?」
すぐ横から聞こえた声に、心臓が飛び出すかと思った。そんなことはおくびにも出さず、自然な動作でそちらを見れば、女性店員がたおやかな営業スマイルを浮かべている。
「――ええ、彼女が、こちらのブランドの物が一番お気に入りだそうなので、プレゼントに」
「そうでしたか、彼女さんに。うちのストッキングは『見た目、履き心地、丈夫さ』のすべてをとことん追求するというコンセプトでご提供しておりまして、お客様にも大変ご好評をいただいているんですよ」
「そうらしいですね。彼女もそこが愛用する理由だと言っていましたよ」
「気に入っていただけたなら、私共としても大変嬉しく思います。ぜひ、彼女さんにもご愛用ありがとうございますとお伝えください」
「そうさせてもらいます」
冷や汗を掻きながら、何食わぬ顔で口から出まかせをペラペラと吐き出す。愛用も何も、星がストッキングを履いているところなど見たことがない。あんな日常を送っていたら、どんな丈夫な品だろうとあっという間に破れてしまうだろう。
「よろしければ、選ぶのをお手伝いいたしましょうか?」
「そうですね、お願いします」
どこまでも愛想の良い店員に、サンポもまた朗らかに応じる。本当は一人で選びますと言ってしまいたいが、むやみに店員を遠ざけるような真似をして何か良からぬ目的があるのではと疑われるのは避けたかった。
「まずはお色ですね。大きくベージュ系統と黒・グレーの系統に分かれるのですが、彼女さんからのご希望はおありですか? ないようでしたら、彼女さんの肌のお色や好まれる服装を教えていただければ合うものをご提案もできますが」
星の希望。あると言えばあるのだが、それは『あんたのちんちんをよしよしする奴なんだから、じっくり時間をかけてちゃんと気に入ったのを選んでよね』だ。当然、この場で口にできるはずもなかった。
かと言って、サンポ自身の希望――自分のブツをどんなストッキングで擦られたいかなど考えたところで答えなど出るわけもないので、適当に黒でも選んでおけば色味の多様なベージュより容易に選択肢が狭まるだろうと思い。
「それなら、薄いグレーで」
半ば無意識のうちに口をついて出た言葉にハッとして、顔がほてった――よりにもよってそれは、星の髪の色ではないか!
ストッキング売り場で頬を高揚させている成人男性など不審者以外の何者でもない。何とか、恋人へのプレゼント選びに照れている純朴な青年に見えてくれるよう祈るしかなかった。
「薄いグレーですと……こちらのお色はいかがでしょう?」
「えっ、あ、ああ、はい。それで」
追い討ちを掛けるように、店員が示した色見本は見事に星の髪色によく似ていた。ますます動揺してしどろもどろになるサンポだが、店員に訝しがるような様子は見られない。今のところはサンポの祈りが通じているようだった。
「後は厚さですね。よろしければ、こちらの見本を触ってご確認ください」
「あ……は、はい」
言われるがままに見本の生地に触ってみて――ついうっかり想像してしまった。それを「使われる」ところを。
(っ……一体、何を考えて……!)
「……お客様? お加減でも?」
「い、いえ! 大丈夫です!」
もはや、照れているなんて微笑ましい言葉では片付かないほどに顔が熱い。店員も表面上はこちらの体調を気遣ってくれているが、本音としては「様子がおかしい、要警戒か?」とかではなかろうか。これでは純朴な青年などとんでもない。どう見ても「ストッキングを履いた彼女の脚を触る妄想をして興奮している変態」である。それでも自身をストッキングで擦られるのを想像したとバレるよりは万倍マシではあるのだが。
「あ、厚さはこれでお願いします!」
サンポは今触ったばかりの見本をそのまま指差した。その厚さがいいのか悪いのかはさっぱり分からなかったが、何でもいいからさっさと終わらせて帰りたかった。これ以上醜態を晒す羽目になっては堪らない。
「かしこまりました。ただいまご用意いたしますので、少々お待ちください」
指定の商品を在庫から取り出してレジへ向かい、会計を済ませて綺麗にラッピングを施した上で更にショッパーへ入れ、わざわざ数歩しかない距離を「お持ちしますね」と運んでくれて通路へ出た所で恭しく手渡し、深々としたお辞儀で見送る――そんなもどかしい程に丁寧な店員の仕事をまさか急かすわけにもいかず何とか耐え抜いて、サンポは這々の体で生還を果たした。
「お疲れ様」
「ええもう、本当に!」
にこ、と見た目だけならこの上なく可愛らしい笑顔で出迎えた星に、サンポは雑にショッパーを突き出す。受け取った星はペリペリと包装紙を剥いて現れた中身に一言「ふぅん?」と呟き、取り出したそれを自分の髪に重なるように顔の横に掲げて「へぇ?」と小首を傾げてみせた。
見れば見るほど、まるで狙って糸を染めたかのように星の髪色にそっくりである。何を言っても藪蛇になる気がして、サンポは無言で目を逸らした。
「ふふ、ちょっと待っててね、支度してくるから」
そんなサンポの頬を指でするりと撫で、星はイタズラな風のように軽やかな足取りで去ってゆく。数分後に戻ってきた時には、買ったばかりのストッキングを身につけていた。思いがけない姿にたじろぐサンポに構わず、その腕に抱きつく。
「さ、今日は一日ショッピングデートだよ」
「え」
今から帰ってそれ使うんじゃないんですか、とは、賢明にもサンポは口に出さなかった。その台詞はしてほしいとねだっているも同然だからだ――そんな願望はない、断じてない。
しかし戸惑ったような声を漏らしてしまった時点で手遅れだったようで、星は何もかもお見通しとでも言わんばかりの笑みを浮かべた。
「だって、新品でやったってつまらないでしょ――夜になったら、一日私の脚に密着してたこの子で、たーっぷりスリスリしてあげるから、ね?」
「っ……!」
耳元で囁かれた言葉にサンポは絶句し、真っ赤な顔で星の肩口に突っ伏す。
「か、勘弁してくださいよぉ……」
蚊の鳴くような声で泣きを入れたサンポの耳に、くすくすと心底楽しそうな星の笑い声が聞こえた。