「もしも、私に【明日】が来なかったとしたらどうしますか?」
これは、そう……たらればの話。重く捉えるほどのものではないのだ。私はそう心の中で唱える。きっと笑って「アキラは何言ってるんだよ」と、「なぎちゃんの明日は俺たちと一緒でしょ」と、「アキラ〜、なんかあったんか?」と…笑い飛ばしてくれればいいと。私はただただ、あなた達が笑ってくれればいいと、そう思いながら問いかけた。
「は?アキラ、お前は何を言ってるんだ?」
「それはどういう意味で言ってるん?」
「なぎちゃん、俺たちに隠れて危険な依頼でも引き受けたの?俺、聞いてないけど」
己の予想とは反して、彼らの纏う空気が一瞬で凍り付き、私は失言をしたのだと察した。ヒュっと息が詰まるような感覚に陥る。それでも悟られてはならない。私は静かに仮面を被るように、「違いますよ」と首を振る。
「たまに思うんですよ。こんなに平和で楽しく生きているけど、ふとした瞬間に【明日が来なくなってしまうんじゃないか】って。あなた達がいて何も心配事なんてないはずなのに」
私は嘘を吐く。いいや、嘘ではない。全部が嘘ではなく、嘘と本当を絡めた本音に近い嘘。幸せな毎日過ぎて不安になるのは本当のこと。この幸せな毎日を送れているのは自分一人では成し得なかった。奏斗、たらい、セラ夫がいてくれてこその幸せなのだ。この3人が居なかったら私は私ではいられなかっただろう。
「私は幸せなんだなぁって思うんですよ」
そう言った私を3人はキョトンとしながら顔を見合せた。でも、すぐに大きな声を上げて笑う。
「アキラってばそんなこと思ってたの?まだまだこの幸せは続くんだよ」
「そうそう!俺だって幸せよ~?毎日奏斗にセラおにアキラと過ごせるんだからな!」
「なぎちゃんは何がそんなに心配なの?この幸せを教えてくれたのはなぎちゃんなんだから、これからも幸せなことも楽しいことも一緒に感じていこうよ」
あぁ、なんて幸せなのだろうか。仲間は私を信じてくれている、毎日を共にしてくれる、当たり前ではなかった今までを【当たり前】のように幸せでいさせてくれる。
でも、私は3人へ嘘を吐いているのだ。とんだ愚か者である。
「そう、ですね……はい、これからも【一緒】ですね」
重ねられていく嘘に私の心は小さな罅が入っていくような小さな音を感じながら、嘘の仮面を自分の顔へと填めていく。この嘘はバレてはいけない。隠し通していかねばならないのだから。
だから私は、涙を流す自分を心の奥底へと沈めていった。
「おかしなことを聞いてしまってごめんなさい。きっと疲れてたのかもしれない」
私の言葉を聞いた3人は「じゃあ、今日はこのまま解散にしよう」「話し合いたいことも話し合えたからね」などと私を休ませようとする。ここで私が奏斗、たらい、セラ夫に「まだここにいませんか?」なんて言ってしまえば、私が隠していることがバレてしまう、そうなってはならないと。ズンっと重たいものに引っ張られるような感覚を覚えながら「そうですね、そうしましょう」と自分の感情を押し殺して言った。
「私は1件だけ書類確認していきます。なに、ものの数分で終わりますので安心してください」
立ち上がりパソコンの前に行くと1枚の書類を手に取り、ひらりと書類を揺らす。
「もう!なぎちゃんを休ませるために解散って話になったのに」
「まぁまぁ、セラの気持ちも分かるよ。アキラ、本当にそれだけ片したら帰るんだな?」
「本当です。これだけ確認したら帰りますよ」
「その言葉、信じるからね。それ以上の仕事しだしたら流石の僕も怒っちゃうよ~?」
「そうだぞ~。奏斗だけじゃなく俺もセラおも一緒に小一時間お説教だかんな~?」
むくれるセラ夫を宥めるように奏斗とたらいが笑いながら言う。私もつられるようにクスクスと笑いながら「それは怖い、しっかりと守らなきゃね」と返す。
【守れもしないのにね、その約束は】という声がどこかから聞こえたような気がした。もし聞こえたとしたら私の中の嘘でまみれた自分の声だろう。うるさいですよ、あなたは一生私という人間に変わることなんてないんだから。いもしない架空の自分にそう言う。
そして1人、また1人、最後の1人が事務所から去っていくのを私はデスクから見送る。こんなに切なくて悲しい感情を深夜以外に抱くなんていつぶりだろうか。虚しくなる。
それでも私は守らなければならないのだ。自分の命ひとつで風楽奏斗、渡会雲雀、セラフ・ダズルガーデンの命と自由な日々を守れるのならばいくらでも差し出してやる。
己の持つ諜報員としての情報と命を条件に組織に戻る、それが組織から出された。足抜けして何年経つと思ってるんだと、条件を突き付けられたときに私は言いかけた。いや、言った。それでも組織は私を手放すのが惜しくなったようだった。それだけ逼迫してるようだ。
この条件を飲まない限り何度でも来られる、それは私としても迷惑極まりない。私一人の命で解決するのならばと戻ることを決めたのだ。一生組織に居続けるつもりも私は毛頭ない。この世界に戻ってきてやるんだと目標を掲げている。
こんなことを3人に言ってしまえば組織を潰しに行くだろうと、あぁ、可哀想にとクスクスと笑いが込上げる。
でもね、私にだってプライドってものがあるんですよ?
3人がいつも私を大切にしてくれて、仲間として一緒にいてくれて、仕事になると常に私を守ってくれてるっていうことを私は知ってるんです。自分が前線に出ることはそうそうない。3人が毎回危険な目に合うのも知ってる。後方からしかサポートが出来ない私はその度に「自分が変わってやれたら…」と悔しい思いと共に、絶対に確実なルートを導き出して3人が無事に帰ってこられるようにサポートをしていた。
そんなことがあるからこそ、今回の条件は3人の命の安全を保証出来るのだと、自分を蔑ろにするつもりではないけれど守れるのだと心から高揚してしまった。
「臨時休業」と事務所の扉に貼り紙をし、事務所の鍵を閉める。パソコンの前には「暫く不在にします」とだけ置き手紙をした。明日この手紙を見たセラ夫はきっと私に電話をかけてくるだろう。でも、ごめんなさいね?このスマホはパソコンの前に置いていきます。このスマホを持っている限り、私は自分で決めたことを守り抜けなくなってしまうから。セラ夫は奏斗やたらいにすぐ連絡をとって私を探そうとするでしょう。
ちゃんと帰ってくるから、それまでここを守っていて?帰ってきたら何時間でもあなた達からのお説教は聞くから。
だから
「私にもあなた達を守らせてください」
誰もいない空間にそう私は言葉を紡ぎ出し、組織の人間が待っているであろう待ち合わせ場所へと足を進めた。