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    wang_okawari

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    普通に両片思いの文仙にあてられた綾

    穴惑う貉 立花仙蔵。
     呟けば流れるように音を成していく舌触りの良いその名は、綾部喜八郎にとって特別な意味を持っている。

     ひとつには、忍の育成という性質故に学年が上がる度に生徒数が減っていく忍術学園において数少ない年長者の一人であること。ひとつには、自らが所属する作法委員会の長であるということ。しかしそれ以上に、喜八郎が仙蔵だけに殊更の関心を寄せる理由があった。

     自他ともに認める天才トラパーである喜八郎にとって、穴掘りは呼吸をするのと同じく自然の行為である。深く、丸く、大きすぎない穴に土を被せ、それとは分からぬよう落とし穴を作るのだ。人がかかればなお良い。落ちた相手が、正面から対峙すれば到底力の及ばぬ格上であれば無上の喜びである。
     ともすれば迷惑とも取られかねないこの特性じみた行動も、襲撃される機会の少なからぬ忍術学園では外部からの防衛を兼ねているという一点で許容されており、それが喜八郎の衝動に拍車をかけるのであった。
     尤も、落とし穴の罠にかかるのは専ら生徒であることは言うまでもない。喜八郎に言わせれば、たとえ最年少の一年生であっても仕掛け罠を示すしるしは習っている筈なのだから注意を怠る方に非があるのだが、この一目瞭然の理屈に頷く者は多くなかった。

     教師陣は無理としても、無法な侵入者をはじめ未熟な下級生、自分と肩を並べる同級生。運が良ければ(相手にとっては必ずしもそうではない)、上級生でも飲み込んでしまう喜八郎の穴に、それでも落ちない者がいる。それが立花仙蔵だ。
     最高学年である六年生に進級しているだけでもその実力は言わずもがな。更には冷静沈着で、学業は教科実技共に優秀であるという。完璧の名を欲しいままにする男は、喜八郎が丹精込めて掘った可愛い罠を涼しい顔でひょいと避けていく。

     面白くないとぶすくれたこともあった。どうにか彼を落としてやろうと躍起になったことも。何をしても軽やかにいなす仙蔵へ向ける執念じみた視線は、しかし次第に憧憬に似たものへ変わっていった。

     あのひとが僕の落とし穴に落ちてくれたらどんなにいいかしら。
     胸のいっとう深い場所に芽吹いた気持ちへ付ける名前は知らない。喜八郎は仙蔵の行動範囲や歩幅、足運びを知ろうと可能な限り彼の一挙一動を見つめ続けた。諦めたのではない。ことを成すにはまず準備が肝要だと思い知った故のことだ。後輩に対し基本的には放任主義の仙蔵は、実害がなければ小言を言う必要はないと判断したようで、それもまた都合が良かった。

     だから、仙蔵自身すら自覚のないある仕草に喜八郎がいち早く気付いたのは当然の帰結とも言える。芝居がかったように弧を描いている薄い唇が、市井の若者のように無作法な大口を開ける瞬間があった。雪解け水の如く澄んだ白い頬が色づいている。無邪気に笑い声をあげる姿にはなんのてらいもなかった。どういった会話をしているのかまでは分からない。ただそこには、友と軽口を叩きあい目尻に涙さえ浮かぶ程に笑い転げる元服前の少年がいた。そしてあの怜悧な吊り目が甘やかに溶ける刹那、立花仙蔵の目線の先には、常に潮江文次郎がいたのである。

    ***

     さてこれは一体どうしたものか。
     喜八郎は頭を捻った。文次郎が仙蔵の泣き所であったとしても、おいそれと囮に使う訳にもいくまい。第一、そんなことが叶うなら当初の目的くらい達成している。潮江文次郎は、立花仙蔵に比肩する優秀な六年生であった。

     地獄の会計委員長と呼ばれて久しい男は、その肩書に恥じない迫力のある面相をしている。齢十五とは思えぬ凝り固まった眉間の下で鋭い双眸をぎろりと光らせ、やれ帳簿の数字がどうだ鍛錬がどうだと自らが率いる会計委員の面々を引き連れて妙に大きな算盤を担いでいるのを見かけたのは一度や二度ではない。
     喜八郎とはあまり縁のない人物だ。それこそ、仙蔵という接点を除けば。文次郎について得ている情報は多くはなかった。六年い組、会計委員会、得物には袋槍を使っている、らしい。これでは何も知らないのと変わらないではないか。

     かくして喜八郎は立花仙蔵に並び、潮江文次郎も観察対象とすることに決めた。狙いの獲物を狩るには、その性質を学ばねばならないからだ。

     そうは言っても機会に恵まれることはなかった。学年も所属委員も違う。六年生はそもそも多忙で、学園を留守にしていることも多い。よほど親交が深くなければ、当人の予定を知るのは難しかった。同輩の田村三木ヱ門などは気の毒に月末ともなれば会計委員活動に徹夜で駆り出されているので、親切を装って計算作業の手伝いを申し入れてみたが、怪訝そうな顔を返されるのみだ。

    「会計以外の生徒に帳簿を触らせる訳がないだろう」
    「おやまぁ、随分と信用のない」
    「あると思う方がどうかしている! だいたいお前ら他の委員会はいつもいつも……」
     後ろ手に隠された帳簿を目で追いながら、喜八郎はぼんやりと次の一手を考えていた。大型の火器を好む三木ヱ門の指先からは仄かに火薬の匂いがして、今ここにはいない射干玉の麗人に想いを馳せる。彼が深い穴に落ちていくその時は、ひとつの歪みもない髪も真っすぐ天へと靡くのだろう。

     予算委員には、学園長直属の学級委員長委員会を除き、忍術学園に存在する全委員会の予算の掌握と按分の権限が与えられている。学園生活内での活動とはいえ、何をするにも先立つものは必要だ。他の委員会の生徒たちは予算委員の生徒に対し、こぞって我こそに予算を寄越せと媚びへつらうならまだしも脅し賺すのが常となっている。それは作法委員とて例外ではない。過去の経験から、警戒を高める三木ヱ門の反応は正しかった。

     それにしても、とぺらぺらとよく回り続ける三木ヱ門の口を見ながら喜八郎は思う。潮江文次郎という男はなかなか後輩からの信望が厚いようだ。授業後の自由時間に干渉するほどの仕事量を押し付けられ、それでもなお三木ヱ門の口からは、寝不足に対する泣き言はともかく委員長の悪い話が出たことはない。
     僕はごめんだけど。焦点の合わない視線の奥で、何かを言い切った顔の三木ヱ門が「わかったな!?」と言うのを聞いて、喜八郎は「うん、わかった」とだけ言った。自室ではない長屋を出ると、鼻孔を擽っていた火薬の匂いが薄れる。すう、と深く息を吸えば冬の訪れを感じる外気が鼻の奥をつんと刺した。
     じきに秋が終わる。積み重なった落ち葉が腐り、柔くなった土はさぞ掘り心地が良いだろう。喜八郎は愛用の踏鋤を手に、日の沈みかけた裏山の麓へと向かった。

    ***

     ままならぬ現実を忘れるように穴掘りに没頭し数刻、ぽっかりと開いた頭上の空に三日月が重なって初めて、喜八郎は顔をあげた。もう夜か。随分と興が乗ってしまった。掘った穴はこれだけだが、深さは自己最高に到達しようとしている。空は遠く、細長い土の筒の向こうから覗けば奈落のように見えるだろう。いい穴が掘れた。独り言ちて穴の縁に手をかける。勢いをつけて身体を外に出せば、光源の乏しい野原にひとりの男が立っていた。

    「……しおえせんぱい」
    「お前、仙蔵のところの……綾部か。こんな遅くまで何をしてる」
     つい先ほどまで喜八郎を悩ませていた張本人は、鈍く光る算盤を担いで問うた。何を何も、見ればわかるでしょと言いたいのはやまやまだった。しかし口を開くのが惜しい気がする。こんな好機はまたとない。

     喜八郎は歩みを進め、文次郎の顔をまじまじと見つめた。月明かりは微かだが、夜目には自信があった。日光には弱いが闇夜には強い、鳶色の瞳が瞠目する。

     文次郎は喜八郎が何も答えず歩みを進めるのをただ見ていた。顔に戸惑いの色はない。きっと、不意打ちで何かが起こっても対処できると踏んでいるのだろう。気付けば、両者の距離は一尺ほどに近づいていた。
     喜八郎は、自分よりも頭一つ高い位置にある顔を注視した。見慣れた仙蔵とは真逆と言っていい造形をしている。黒々と茂った眉は意思が強そうで、しっかりとした頤はいかにも男らしい。色濃く刻まれた黒隈が白目を強調させいていた。しかしよく見れば、大ぶりの雌雄眼は存外幼い形をしている。血色の良い頬は、少年と青年の狭間の丸みを帯びていた。顔を顰めているから恐ろし気な印象を受けるが、大きな口といい、笑えば案外愛嬌のある表情をしそうだ。誰もが認める美丈夫という訳ではないが、潮江文次郎は、十分に良い男だった。

     なるほどこれが立花先輩の。喜八郎は不躾な視線を隠さない。文次郎もまた、微動だにしなかった。

    「潮江先輩こそ、なにしてるんですか」
     こんな夜更けに。月の高さからいって、子の刻が近い。忍たま長屋はとうに火を落とし、教職員を含め殆どの人間が眠っている筈の時間だった。自分を棚に上げた喜八郎の質問に、文次郎は気を悪くした様子もなく答える。
    「鍛錬だ、鍛錬! この時期の裏山の池は丁度いい水温だからな」
     右肩に乗せた鉄製らしき算盤を上下させて言う。地の珠が擦れ、金属同士が当たる高い音が響いた。喜八郎はふうん、と音を出さずに唇を尖らせた。視点は動かさず、頭の中だけを働かせる。

     文次郎が鍛錬のため、池に浸かって睡眠をとるというのは有名な話だ。丁度いい水温、とやらが凍死はせずとも心穏やかに浸かっていられる程ではない、という意味であることを喜八郎はすぐに理解した。それにしたって、わざわざ裏山の池にまで?池ならば長屋の敷地内にもある。喜八郎は言葉をそのまま受け取らず、静かに観察と思考を続けた。ふと、文次郎の首筋がやたらと赤いことに気が付く。

    「具合の悪い時くらい布団で寝た方がいいんじゃないんですかあ」
    「バカタレ、誰の体調が……!」
     半歩近づく。鼻先と顎が触れ合いそうになる距離からは、文次郎の体温さえ伝わってくるようだった。二人の間に存在する空気は既に一寸ほどしかない。瞬間、停滞していた晩秋の空気が揺れた。

    「お前に決まっているだろう」
     喜八郎の眼前に節くれのない、細く真っすぐな白い指が見えた。丸く整えられた爪を根元まで辿り、聞き間違えようのない声の主を見やる。当の文次郎は、背後から伸びた手に顔ごと首を捻られ、立花仙蔵その人と額を突き合わせる形になっていた。

    「仙蔵、お前なんで」
    「伊作から聞いた。どっちがバカタレだ! こんな日まで鍛錬とは、死んだら馬鹿も治らんのだぞ」
     白魚の手が翻って額を覆う。伝わる温度が思いのほか高くなかったのか、仙蔵の顔があからさまに安堵した。されるがままの文次郎はきまり悪そうに、視線だけを下に落としている。
     地獄の会計委員長もこれでは形無しだな。喜八郎は詰めた半歩を戻し、敬愛する作法委員長が、同室の男の顔をぺたぺたと触るのを見ていた。気付けば、首筋だけが赤かった文次郎の顔が上気している。岩のように深い眉間が解け、頬が緩んでいた。

     おやおや、これは。なんとまぁ。
     喜八郎は少しだけ目を見張り、それ以外の顔の動きは保ったままで二人を見守る。

    「見たことか! 何がただの微熱だ、こんなに赤くなって……」
    「い、いい……! 仙蔵、わかった、戻る。長屋に戻る……!」
     さんざん構い倒し、今夜は自室で寝るという言質を取り付けた仙蔵はそこでようやく喜八郎に向き合った。月光の下で、内から光る珠の肌が、まるで想い人の熱を受け取ったように桃色に染まっている。八の字に垂れた柳眉の下で潤む瞳には聡慧さの欠片も残っていない。

    「邪魔をしたな、喜八郎」
    「……いーえ、別に」
    「泥が付いてる。……お前も、早く戻って寝た方がいい」

     仙蔵の指が鼻根を拭う。風呂上りなのか、ほんのり湯の匂いのする指の下で、きっともう拭いきれないのであろう染みついた火薬が香った。文次郎に付き添い、長屋へ帰っていく後ろ姿を見送りながら、喜八郎はひとり「はぁい」と答える。

     仙蔵は、背後にある穴を見てなお埋めておけとは言わなかった。流石にばつが悪いのか、そうでなければうるさく言わないことが対価のつもりなのだろう。生憎、この穴はあなたが思っているよりもずっと深くて、暗くて、温かくて、いつまでも潜っていたいくらいとっても良い穴なのだけれども、仙蔵がそれを知ることは決してない。

     喜八郎は振り返り、掘ったばかりの穴を埋めようと踏鋤を手に取る。草が揺れ、足元を何かがちょろりと這った。それは月の灯りを纏って銀色に輝く小さな蛇だった。ただ一匹で所在なさげに身をくねらせる様は、哀れなようでも、誇り高いようでもある。

    「お前にあげるよ」
     喜八郎はまだ柔らかい土をほとんど平らに埋め直した。人が足を引っかけたり、怪我をすることはないだろうが、一人きりの蛇の冬の塒程度には丁度良い。当然のように物言わぬ蛇は、ちろりと舌を出すばかりだった。

     喜八郎は踏鋤を肩に、慣れた道を戻っていく。あーあ、僕が、落として差し上げたかったのに。口の中だけで呟いた言葉は、誰に聞かれるでもなく高い秋の夜空へ溶けていった。
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