Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    wang_okawari

    @wang_okawari

    ☆quiet follow Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 8

    wang_okawari

    ☆quiet follow

    コラボネタ 文仙

    白い孔雀の夢を見る その夢には音がなかった。

     底のない闇の中で白いそれだけが光るように輪郭を浮かび上がらせている。もしくは黒の背景からその身を型抜いたのか。綿毛のように細い羽根を一本ずつ削り出すのはひどく難儀しそうだと。愚にも付かない考えが頭の中を堂々巡りするほどには、その空間には音ひとつ、色のひとつも何もなかった。せめて一声鳴いてくれればと思うのに、佇むそれは黒い眸で文次郎を見つめるのみだ。
     こちらを責めるような目つきに喉が締まる。目覚めは決まって、鬱然としていた。

     文次郎の夢に連日同じ孔雀が出るようになって一週間が経つ。なぜ同じと分かるか。実際にそれと対峙したことがあるからである。

     例によって学園長に言いつけられたお使い事を済ませた帰り道のことだ。書状と土産物を届けた後で身軽だったのもあり、潮の香りに誘われるまま港へ立ち寄った。今しがた到着したらしき貿易船が水平線を塞いでいる。慌ただしく荷下ろしをする水夫の足音に紛れて名を呼ぶ声が届き、文次郎は振り返った。

    「おお、やはり潮江君でしたか!」
     ふくふくと肉付きの良い頬を揺らして笑う男の顔には馴染みがある。堺に名だたる豪商、福富屋の主人は人好きのする恵比須顔で文次郎に話しかけた。
    「しんべヱの御父上……ご無沙汰しております。尼崎ではお世話になりました」
     頭を下げようとするのを制される。半端に腰を曲げた状態から身を起こせば、いつの間に立っていたのか、尖った爪先と膨らんだ軽衫が視界に入った。そうとは悟られぬよう視線を上げていく。
     ひだ襟に乗った頭はこれまで出会ったどの大人よりも高い位置にあった。栗色の髪に青い目。南蛮人だ。珍しいな。とすると、この船は渡来船なのだろうか。文次郎は不躾にはならない程度に視線を背ける。と、遠くない場所から甲高い咆哮が響いた。

     ケーン、ケーン。
     人足のひとりが音の発生源を棒で叩く。乾いた木同士のぶつかる気持ちの良い音があがるが、鳴き声は途端に伝播し、周囲から同じ声が重なった。どうやら二人がかりで運び出している箱は獣の檻のようである。

    「オォ……! 乱暴にしないでくだサーイ、大事な商品ですカラ!」
    「お前たち、カステーラさんご依頼の渡来品だ! もっと丁重に扱うように」
     依頼主からの厳しい声に男たちは低い声を揃えて答えた。息子と瓜二つの柔和な顔をしているが、こうやって下のものを叱責する迫力はやはり国いちばんの大商人なのだと実感せずにはいられない。文次郎は己まで背筋の伸びる思いに駆られる。気まずさを上書きするように問うた。
    「あれは鳥ですか」
    「左様。孔雀を五羽ほど天竺から取り寄せましてな」
    「ノー、福富屋サン! ろく匹なりましたネ。運が良いでした、白クジャクは珍しいデス」

     どうぞ潮江君も見ていきませんか。誘いを断る理由はない。近付けば目の粗い檻の中で、一羽ずつの孔雀が殆ど丁度収まり切る大きさの檻の中で頭を垂れていた。雉よりも一回り大きく、長い首は息を飲むほど鮮やかな瑠璃色をしている。頭には冠のような羽が立ち並び、体長の殆どを占める尾は先端に向かって翡翠の鱗を重ねたように伸びていた。随分と派手な姿だ。孔雀という名前こそ知ってはいたが、実物を目にするのは初めてだった。

    「これは……、美しい鳥ですね」
    「フフン、クジャクの真価はこんなものではありませんヨ」
    「羽を広げますとそれは見事な扇になりましてな。知人が都で花鳥茶屋を開きたいというのです。開店したら招待しますから、またしんべヱ達といらしてください」
     ああ、立花君もぜひ、といつだったか共に別荘を訪れた級友の名前を告げられる。文次郎は誘いを控えめに受け取り、本来の帰路につこうとした。

     その瞬間である。奥の檻に白い孔雀のいるのが見えた。というよりも、いたことに気が付いた。突然現れた白は文次郎の注意をひと攫いして行く。他の五羽よりも少し小振りの個体のようだ。故にその孔雀だけは尾羽を広げることができたのだろう。なるほど確かに、見事な扇が檻いっぱいに開いている。白く、朧げな羽が重なって末広がりする様は何かに似ていた。

    「オー! あなた、とてもラッキー! 心配いりまセン、今日のお代、ベンキョーさせてイタダキマス。お茶屋さんでは、ちゃんと払ってネ!」
     カステーラ氏の冗談に文次郎は口の端を引き攣らせる。花鳥茶屋か。見世物小屋の類は得意ではなかった。ふと頭に疑問が過って、文次郎は口を開く。

    「茶屋というと、檻に入れたまま見せるのでしょうか」
    「いえ、放し飼いと聞いています」
    「……逃げてしまうのでは?」
    「いやいや、孔雀は飛びませんので。心配はご無用」
     福富屋主人の言葉を飲み込みながらも、文次郎の心には澱が残った。飛べない鳥など珍しくもない。しかし、遠い国からはるばる海を渡って来た先で、使役されることもなく、血肉にもならず、華美な見目だけを利用される孔雀たちが少しだけ哀れに思えた。

     役にも立たない憐憫を抱いたのがいけなかったのだろうか。以来、文次郎は夢の中で白い孔雀と相対することになる。不眠には慣れているが、眠っているのに目覚めが悪いというのは、寝不足とはまた違う気怠さがあった。

    ***

     夜間演習最終日の寅の刻。文次郎は同室の仙蔵と山道を外れた洞穴で身を潜めていた。五年生との共同訓練である。彼らへの指令は指定された六年生の持つ割符を奪うこと。そして、対する六年生は預けられたそれを守り抜くこと。ただし、誰が相手なのかは知らされていなかった。
     山に入る直前に五年生が引いた割符の片割れの行方を知るのは当人のみだ。文次郎は懐に入れた木の板を装束の上から押さえる。

    ≪俺が持つんでいいのか≫
    ≪構わん。接近戦に縺れ込まれると私では競り負けるかもしれんしな。保険をかけるに越したことはないだろう≫
     風に紛れて矢羽根が飛ぶ。上級生同士の演習ともなれば学園共通のものでは間に合わない。それは文次郎と仙蔵の間だけで作った独自の暗号であった。

    ≪えらく殊勝な心掛けじゃねぇか。だが弱気はらしくないぜ≫
    ≪好きに抜かせ。……≫
     軽口が止まる。東の木の上にひとり、と息の抜ける音がした。文次郎は袋槍を構える。ひとつ下の五年生の得物には飛び道具が多い。暗器と呼ばれる小振りなそれらは、小さいが故に一撃ごとの殺傷能力は高くはないが、同じ理由で避けるのも難しかった。

     最低でもひとり。最大でふたり。誰が相手とも知らないのを途方もなく広い山中で迎え撃つのは得策ではない。仙蔵の気配が溶けたのを皮切りに、文次郎も同じく存在を薄くする。あちらも気取られないようにしているから、誰かまでなのかは分からなかった。尤も、誰であってもこちらの行動は変わらない。割符を守る。それだけだ。

     剣呑な空気を鋭い鉄の塊が切り裂く。闇に慣れた目は線にも等しい速さで飛ぶその影を捉えた。寸鉄だ。久々知か、と思うが断定するには尚早だった。各々の得意武器はあるものの、忍術学園で五年も学んでいれば大抵のものは一通り使うことができる。
     変装をした鉢屋。あるいは、久々知のやり方を良く知る同室の尾浜かもしれない。文次郎は自らの得物を握る拳に力を入れた。次に何が飛んできたとしても、必ず弾く。こちらが奪えればなお上々であった。

     投げたものに手ごたえのないことに気付いた外の人間が洞窟に近付く。目を眇める文次郎の視界に、白い閃光が弾けた。四方八方に広がる純白の線は、瞼の裏に焼き付いた孔雀の羽によく似ていた。

    ***

    「あらかじめ言っといてくれよ……」
    「敵を欺くには、と言うだろう」

     団子を齧りながら仙蔵がからから笑う。洞窟の入口に仕込んだ火器を時間差で爆ぜさせた仙蔵は奥の横穴に文次郎を誘い、定刻の夜明けまでを逃げ果せてみせた。見つけた潜伏場所を潰され、山を攫うのは間に合わなかったと見える五年生は不遜そうだったが、唯一は組の割符を奪えたという不破以外の誰なのかまでは分からない。

     文次郎と仙蔵は演習の帰りすがらに茶屋を訪れていた。六年生間で決めた賭け事の報酬のためである。合同演習で割符を奪われた組は、奪われなかった組に茶を奢ること。三日を過ごした山の麓にある茶屋の新茶は香ばしく、口に入れる団子は留三郎の財布から代金が出ていると思えばいっそう美味かった。
     早々に山盛りの団子を食い切り学園に戻った小平太と長次を見送り、一皿だけの筈だぞと彼らを追う留三郎と伊作を送り出し、ふたりはのんびりとたまの休暇を楽しむ。

     昼前の茶屋には自分達以外の客はいない。籠を背負った女が二人、裏口から世間話に花を咲かせながら出てきた。百姓のようである。育てた野菜でも卸しにきたのだろうか。

    「全く困ったねえ、誰か退治してくんないかしら」
    「もし、ご婦人。何かお困りのことでも?」
     仙蔵が声をかけると、四十がらみの女の後ろで妙齢の女が頬を染めた。文次郎は出会ってこの方仙蔵のご面相を羨ましいと思ったことはないが、相手の警戒心を解き心を易々と開ける手管自体には常々感心している。

    「それがねえ、最近ここらにえらく大きい鳥が出るのよ。なんでも都のお大尽が南蛮から取り寄せたのを逃がしちゃったんですって! 何て言ったかしら。ええと、柄杓だかなんだかって名前の……」
    「孔雀?」
    「そうそう! それよお。その孔雀がねえ、畑を荒らすのよ! お隣なんて干した猪肉をやられたってんだから」

     中年の方の女性は答えたのが誰でも構わないとばかりに文次郎の注釈を取って話を続けた。仙蔵はふんふんと頷き、適切に合いの手を入れ、話を聞き出している。
     昨年の不作が尾を引いていること。年貢が高く農民の生活は楽ではないこと。なのに、鳥にまで食い扶持を奪われるのは許し難いこと。気の済むまで口角泡を飛ばした夫人は一息ついて隣の女性に同意を求めた。

    「ねぇ、ヨネちゃん!」
    「え、ええ……でも、綺麗な鳥でしたよ。真っ白で、羽が長くて……」
    「なあに、そんなの! そのうち泥まみれになって雉だか鷹だかわかんなくなるんだから!」
     頬を膨らませて先を行く婦人の後を若い女性が追う。会釈を返し、文次郎は残った茶を呷った。

     白い孔雀。そんなものがありふれている訳はない。あの日、檻の中で精いっぱいに羽を広げていた鳥を思い出す。逃げたのか。逃げられたのか。胸がほっと安堵に満ちるのは茶の美味いおかげばかりではない。

    「白孔雀か。珍しいな」
    「あ、ああ。知ってるのか」
    「見たことはない。本で読んだだけだ」
     仙蔵は最後の団子を口に入れる。文次郎は何とはなしに、あの日孔雀を見たことを誰にも言えずにいた。

    「……飛べない鳥だと聞く。野生では、長くはないかもしれないな」
     一度は解放を喜んだが、早合点だったと己を恥じる。悲壮さを滲ませる文次郎の言葉に仙蔵はこともなげに答えた。

    「だとしても、狭い檻で生涯を終えるよりずっと良いさ」
    「…………そうか、そうだな」
    「学園に来ればいいのに、竹谷なら喜んで面倒を見るぞ」
     ふふふ、と含んで笑う仙蔵に釣られて文次郎も目を細めた。囲いから解き放たれ、泥と砂を纏いながら地を這う孔雀にはあの日見た美しさはないだろう。それでも、その力強さは眩いほどだろうと思った。

     その日の夜もまた文次郎は夢を見た。白い孔雀の夢だった。
     口を開き、薄汚れた羽を広げ低い位置を飛ぶ孔雀には優美さはなかったが、人の目を釘付けにする生命の輝きに満ちている。それは鮮烈に、凄絶に、脳を焼くほどの強さで文次郎の脳裏に焦げ付いた。最後にひとつ声を上げて初めて、文次郎は夢の中に音があることを知る。

     文次郎はこれ以来、二度と孔雀の夢をみることはなかった。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    😭💖💖💖🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏💕
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works