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    wang_okawari

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    wang_okawari

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    ちょっと上手なファのルパファン
    ※争奪戦後
    ※当たり前のようにデキてる
    ※アニメ軸

    お気に召すまま 眼下のローテーブルには絢爛そのものの饗宴が広がっていた。
     ガラス製の台付ボウルには瑞々しい果実がこぼれ落ちんばかりに盛られ、そのタワーを中心に少量ずつの様々な料理や菓子がアペリティフさながらに並べられている。冬のロンドンでは滅多にお目にかかれぬ色彩だ。この町は全てが寒々しい。しかし今、一等スイートに恥じぬ黒檀作りの天板の上にはパリの街の華やかさを写し取ったかのような鮮やさが広がっている。

     ふっくらと焼けたブリオッシュ。切り分けられたテリーヌ・ド・パテに、薄切りの林檎が乗ったシャルロット・オ・フリュイ。つい一週間前まで齧っていた味気ないサンドイッチとは比べ物にならないほどの豪華さだ。イギリスでこれだけのメニューを揃えるのはさぞ骨が折れたことだろう。まして、ここ数日は続けてこの宴が繰り返されている。
     エリックの口中に昨日やっとの思いで完食した鴨のコンフィの味が蘇った。美味しかった、と思う。なにせルパンが直々に用意したものだ。彼は自らを取り囲むものの品質に対し、決して妥協しない。服飾品は勿論のこと、一時の仮宿の調度品まで。当然、口に入れるものもその確かな審美眼を潜り抜けた一級品であろうことは想像に難くなかった。(とはいえ、フォッグ邸での計画実行を優先していた際はこの灰色の街の限りなく低い食事水準に甘んじていたようだが)

     前菜からメイン、デザートまで揃った完璧そのものの食卓だ。しかしそのどれもが、ほんの少量ずつ、ネズミの子が齧ったように欠けている。元凶である行儀の悪いフォークの切っ先が、空中を泳いでいた。

    「エリック、次はどれにする?」
    「…………」
     右耳を擽る声色は楽し気だ。エリックはもごもごと空気を嚙んでいた口を止め、小手先の誤魔化しが通用しなかったことを痛感する。何度満腹を訴えても聞き入れてもらえなかったものだから、せめて咀嚼する振りでやり過ごそうと思ったのに。人間観察に長けた男には、爛れた頬の中が既に空であることを見抜かれていたらしい。嘘と入れ替えにため息を吐き出す。

     エリックはかれこれ一時間近く、彼の所有者である男に寄り添われながら食事の介助を受け続けていた。過剰に固められた左腕を庇うようにソファに浅く腰かけ、右側に座ったルパンから差し出される食事をされるがまま口に招き入れる。
     不必要に吊られた腕といい、利き手には問題のない食事の世話を焼かれていることといい、これでは看護というよりもままごと遊びのようだ。ペットの小鳥に給餌するように、ルパンはひっきりなしにカトラリーをせっせと運び続ける。全く、いたずら小僧宛らじゃないか。適量を分からずに自分がしたいようにするところまで、道理を知らない子供じみている。

    「……もういい。十分だ」
    「駄目だ。回復には体力が要るだろう」
     ならもっと食べなければな。本当に良かれと思っているのか、新手の嫌がらせなのか、判断に困る無邪気な微笑みがしかし有無を言わさぬ強引さでジャガイモのポタージュを突き付ける。一向に下がる気配のない匙を前に、エリックはしぶしぶ口を開けた。舌触りの良い銀のスプーンがうっすらと開いた唇に収められる。スープはとうに冷めていたが、まろやかな甘みが舌に心地よい。固形でないのはせめてもの優しさだろうか。

     フォッグ邸での熾烈な争奪戦の末、エリックは左肩に傷を負った。幸い矢尻は骨や筋を傷つけるようなことはなく、安静にしていればそのうち傷も塞がるだろうというのがどこからか手配した医者の診断結果だった、筈だ。なのに今、自分の左腕は何重もの包帯で固められて自由に動かすこともままならない。
     下手に動かして痕でも残ったらどうする、というルパンの強硬であった。エリックとしては、傷のひとつやふたつ増えたところで今更何も変わりはしないだろうと思うのだけれど、後遺症で動かせなくなるかもしれないぞ、俺はそういう奴を見たことがあるんだと脅されては身を任せる他ない。ピアノを弾けなくなるのは嫌だった。それと同じくらい、二度とルパンの役に立てなくなることも。

     そうしてエリックの左手は封じられ、この生活も四日目を迎えている。始めこそ甲斐甲斐しく構われることに面映ゆい気持ちを感じていたものの、こうも連日ぴったりとくっつかれると流石に気疎さが湧いてくる。薄情だろうか、と本音を殊勝に封じ込めているのも億劫になってきた。なにせ食事は日に三度もあるのだ。甘やかされた愛玩動物の気持ちに浸っていられたのは初日だけで、以降はガヴァージュされるダチョウの気分を味わっている。眼前には、次の一口が迫っていた。

    「いらないと言っているだろう……!」
    「またそうやって食事を抜こうとする。悪い癖だぞ」
     エリックはついに眉を顰めた。白身魚のムニエルからは香ばしいバターの香りがしたが、これ以上は美味しくどころか、飲み下せる自信すらない。
    「一昨日から食べ過ぎてる。もう結構だ」
    「冗談は止せよ。これ全部食べたって一人分にもならないぞ」
    「私には丁度いいんだ……! それに、これ以上食べると……太る、かもしれないし……」
     後半が自信なげに掠れたのはくだらないことで思い悩んでいると思われたくない、というちっぽけな自尊心と、体形が変わってはルパンに与えられた服が着れなくなるかもしれない、という確かな怯え故であった。エリックの心中などつゆ知らず、ルパンは憎らしいほどの快活さで笑い飛ばす。
    「何を気にする必要がある? だいたいお前は痩せすぎなんだ。もう少し肉を付けてもいいくらいだのに」
     背中を支えていたルパンの手が肋骨の輪郭をなぞった。普段は手袋に隠されている手から高い体温が染み入る。大きな掌がその細さを確かめるようにシャツごと腰を掴んだ。華奢だと揶揄されているようで、エリックはますます眉間の皺を深くする。

     そりゃあお前に比べれば、どんな男だって貧相に見えるだろうよ。年若く男盛りで、その上日々の鍛錬も欠かさない。ルパンの磨き上げられた肉体ははち切れんばかりの密度に仕上がっていて、しかしギリシア彫刻のように品があった。当然のように力も強い。エリックはまた諦めて口を開ける。バターと小麦粉の濃厚な風味にあてられた胃が悲鳴を上げていた。

     そもそもエリックはあまり食に興味のある性質ではない。作曲に没頭すれば三日三晩ほど寝食を忘れることもざらにあったし、オペラ座住まいの頃は諸々の事情で食事らしい食事を摂る機会などないに等しかった。まともな食生活に恵まれなかったために執着を手放したのか、それとも生まれながらに食欲が抜け落ちているのか。鶏と卵のどちらが先かという話で、エリックには知る由もない。
     どちらにせよ、望まない食事を強制されるのは健啖家とは程遠いエリックにとって苦痛以外の何物でもなかった。口に居座る脂身の名残と格闘している間にもルパンのフォークは次はどれにしようかとご馳走の上空を彷徨っている。この契機を逃す訳にはいかない。

    「さぁ、次はどうする?」
    「ルパン」
     ああでもないこうでもないと揺らいでいたフォークが止まった。ルパンの問いかけが終わらぬうちに、エリックが声をかけたからだ。
    「……どうしたんだ、エリック」
    「だから、ルパン」
     ルパンの半身にしな垂れかかり、額を肩口にこすり付ける。ルパン、と口に馴染んだ名前を耳元で囁く。腰に置かれたままの左手が硬直するのがわかった。次に何が欲しいか聞きたいのだろう。ゆっくりと瞬きをすると、その狭間で男らしい原罪の象徴が上下するのが見えた。いつもは飄々と何もかもを見透かすように理知的な光を放つ鋭い金の眼光が欲の霧に滲んでいる。やにわに染まった目尻が、無防備に赤くなった頬が、年相応の焦りを見せていた。

     あともう一押しだ。紳士を自称することの呪縛に囚われているルパンはまさか怪我人を、まして自ら好き好んで包帯ずくめにした男を押し倒しはしないだろうという打算があった。とどめのように右手を伸ばし、拷問器具にも近い食器ごと抑えてしまう。果たして、青年は抵抗も見せずにかちゃんとフォークを手放した。エリックは人知れず安堵の息を漏らす。口ではなく、鼻を通したそれは、愚かで優しい飼い主殿にはさぞ甘えた声に聞こえたことだろう。

    「…………コーヒーを頼んでくる」
     数秒の後、ルパンはそそくさとソファから立ち上がった。良かった。これで長かったコース料理もフィニッシュだ。くちくなった胃はずっしりと重く、宥めるように服の上から押さえる。思いのほか純情な王子様のああいった一面を垣間見ると、いたずらな喜びが溢れるようで、エリックは笑みを噛み殺した。このままではお前に触れない、とでも囁けば明日にはこの窮屈な包帯からも解放されそうだ。
     そこまで想像すると、いよいよ唇が歪むのを抑えられなかった。可愛い私の王子様。食後の飲み物のあとでなら、甘いアントルメの一口くらいはもらってやらなくもない。
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