ココロノトビラ「どうしよう……」
佐藤美桜は小さくそう言うと、辺りをキョロキョロと見渡した。
挙動不審な動きをする美桜に、他の学生たちはチラリと一瞥こそするものの、声を掛ける様子はない。何か困っていることは分かるのだが、話しかけたが最後、時間を取られるのは分かっていた。きっと誰かが声を掛けるだろう。そんな勝手な思いを抱いて。
だが美桜はそんな周囲のことは気にせず、必死に辺りを見渡している。どうしよう、あれがないと困るのに。美桜の瞳に涙が貯まると同時……。
「──あっ、あのっ!! だだだだ大丈夫デショウカ!? 何かありましたか!?」
そんな美桜の背中に掛けられる声が一つ。
聞こえたのは女の子の声。少なくとも同性である、という事実に美桜は振り返る。きっと男性だったら無視してその場を立ち去っていたかもしれない。
振り返った先にいたのは……ところどころにフリルが付いたファンシーなワンピースを身に着け、背中にランドセルのような薄い鞄を背負い、ボブカットの髪をした、一人の少女だった。
その表情は、声が裏返ってしまったのが恥ずかしかったのか、少し顔を赤らめている。内気な少女、といったところか。美桜の中で安心材料が増えて、美桜は体の向きをきちんとその少女に向けた。
「……そうなんです。ちょっと、失くし物をしちゃって」
「! そ、そうなんですか、それは大変ですね」
「はい……」
美桜が答えてくれたことが嬉しかったらしい。少女は瞳を輝かせると、美桜に同情してくれた。美桜はそれに対して頷く。
「あ、あの、もし良ければ、私、探すの手伝いますよ!!」
「……え?」
「あ、ご迷惑じゃなければ……!! っていうか、急に知らない人から話しかけられたら、驚いちゃいますよね!! ……私、福来あざみっていいます!! 情報学部三年生の、23歳です!!」
少女は胸の前で慌てたように手を振りながら、そう自己紹介を済ませる。その様子に、美桜は思わずクスッと笑った。また一つ、安心材料が増える。
「私は佐藤美桜、私も23歳。人間社会学部三年生なんだ」
「え!! そうなんだ!! 同い年で同じ学年って……周りに全くいないから、すごい偶然!!」
違うのは学部だけ。それが分かり、少女──あざみが嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。しかしすぐに、ハッとしたように目を見開くと。
「ご、ごめんなさい、急に馴れ馴れしく……」
「ううん、大丈夫。私も、同い年の子と会えて嬉しいな。……良ければ仲良くしてね。あざみって呼んでも良いかな?」
「……!! うん!! こちらこそ仲良くしてね!! 私も、美桜って呼ぶ!!」
一気に距離を縮められた二人は、笑みを浮かべ合う。だがすぐにあざみは何故自分が美桜に声を掛けたのか思い出したらしい。眉をひそめ、指先を弄り始める。
「それで、美桜は失くし物をしちゃったんだよね……何を失くしたの?」
「学生証。今、来た道を戻って確認してるんだ」
「そっか。……」
美桜の言うことに、あざみは深々と頷く。そして顎に指を当て、何かを考え始めたかと思うと。
急にその場から歩き出す。もう目的地が決まっている、と言わんばかりに迷いのない足取りだ。美桜はそれを不審に思いつつも、その背中に付いて行った。
辿り着いたのは犬神大学の食堂。……確かにここは、美桜が訪れたところだ。先程の場所を探し終えた後、来ようと思っていたのだが……。
それよりも不思議なことがある。何故あざみは、ここに来たのだろう。──まるで、美桜がここに来たことを知っているかのようだった。
あざみは料理を注文する窓口のところに向かう。今はお昼のピークも過ぎていたので、誰の妨害もなくすぐに食堂の職員と対峙することが出来た。
「あの、すみません。ここに学生証、ありませんか?」
そしてあざみは少し不安げに眉をひそめつつも、職員に尋ねる。職員は訝し気な表情をしていたものの、後から来た美桜の顔を見ると、ハッと目を見開いた。
「あら貴方、佐藤さん?」
「え? あ、はい。そうですけど……」
「良かった。カウンターに学生証が置かれてたから、こっちで預かってたのよ。これから学生課に持っていこうと思ってたんだけど……すれ違わなくて良かったわ」
そう言うと職員はカウンターの下に潜り込み、何かを美桜に差し出す。……それは間違いなく、美桜の顔写真が付いた、美桜の学生証だった。
「良かったね!! 美桜!! ……職員さん、ありがとうございました!!」
「いいえ。見つかって良かったわね」
あざみがお礼を言うと、職員がにこやかにそう答える。それを見て、美桜も慌てて頭を下げてお礼を告げた。
「ねぇあざみ。どうして学生証が食堂にあるって分かったの?」
「えっ」
美桜がそう尋ねると、あざみは分かりやすくギク、となり、肩を震わせる。そしてダラダラと冷や汗を流し始めたので、美桜はジッとその顔を見続けた。
「あ、あの、これはね。信じてもらえるか分からないんだけど……」
「うん」
「……私、ちょっと変なものが見えるんだ。幽霊? 影? みたいな……」
「……変なもの……」
「そ、それでね。さっきの場所に影が向かってるの見えたから、食堂にあるんじゃないかなって思って……うん、信じてくれなくて大丈夫だから……」
自分で突飛なことを言っているという自覚はあるらしい。どんどん声は小さくなっていき、しゅん、と背中を丸めた。
「……信じるよ」
「……え?」
「あざみがそう言うならそうなんだと思う。実際に学生証をこうして見つけてくれたし、私は信じるよ」
「美桜……!! ありがとう」
美桜が笑うと、あざみもホッとしたように口元を綻ばせる。そうして二人で笑い合って。
「ねぇあざみ、良ければこれからどこかカフェとか行かない? 私、あざみのこともっと聞きたいな」
「うん!! 大丈夫!! 私も美桜のこと聞きたい!!」
あざみはそう言って満面の笑みでガッツポーズをする。そのモーションを見て、美桜はまた微笑む。
この子なら──あざみなら、友達として信用できる。美桜の扉の鍵が、開く音がした。
【終】