愛しのお前と終焉simile①「おそ松兄さんは?」
「まあ……死んだだろうな」
「マジかぁ……」
「……見たわけじゃあないが、状況的にそうだろう?」
世界は、もうすぐ終わるらしい。
星もない真っ暗な空、奇妙に歪んだ極彩色の景色。瓦礫と化した街並み、潰れて平らになった山。おい、何なんだよ、これは。
おれはいつの間にかカラ松と手を取り合って、そんな中でも暢気に宙に浮かんでいた。理屈はわからない。でも、確かにこの世界が終焉を迎えていると感じていた。
じゃあしょうがないか。また来世。来世はきっとすぐにおれたちを迎えに来て、再び日常という名の六つ子揃ってのニート生活が始まるだろう。そういうのは前にもあった気がするし、なんとなく感覚でわかっている。来世と言っても、今手を繋いでいるこの兄との関係性が何一つ変わらないであろうことも。
グラサンで表情が読めない、二つ上の兄。相変わらず妙なセンスの服を着ているが、それも、もうズタズタの布切れでしかない。変な千切れ方をしたせいで、ヘソと乳首だけがモロに出てしまっている。そんな千切れ方する? 太ももは短パンだったから最初から露出していた。少し血が滲んでいるが、それも含めて
「ああ、エロいな」
と思って、最後の時までそんなことを考える自分に嫌気が差した。
勢い余って衝動でグラサン叩き割ってやろうかな、と思ったけれど、もうこれで最後だしな、と思ってやめた。
おそ松兄さんが死んだんなら、たぶん、おれとコイツの二人だけでは世界を救う逆転のチャンスも無いだろう。おれたちは手ぶらだし、特にそのへんに重要そうなアイテムも無いみたいだ。この世界は間もなく崩壊する予定なのだろう。
あ〜あ。バカみたいな人生だったわぁ。どうせなら最後にやりたいことやって死ぬか。
……やりたいこと?
暫し考えて、特に無いなと思い、いやいや……と考え直して、やはりどうしてもコイツへの執着だけが断ち切れないという事に気付いてしまった。
おれはここにいる顔もそっくりな六つ子の実の兄に劣情を抱いている。ここまで何もしてこなかったが──バズーカで撃ったり石臼で殺したりはしたが──今この気持ちを少しだけ伝えたって、もうバレる相手もいない。本人のカラ松以外は。
たぶんみんな死んだし、カラ松もすぐに死ぬ。おれだって後悔する間もなく死ぬだろう。だって、世界が終わるのだから。
おれは、ハァ、と項垂れてため息をつき、伝え終わる前に世界が滅んでも、それはそれで嫌だな、と覚悟を決めた。
「カラ松」
「……え? ああ!」
おれに名前を呼ばれるなんて考えてもみなかった、という顔で、カラ松がハッと気づく。オレか! と顔に書いてある。嬉しそうだ。旅行から帰ってきた主人に呼ばれた犬みたいな顔しやがって。可愛いんだよ。猫派だけど。
そうだよ、お前だよ。クソ松じゃなくて、カラ松って、久々に呼んでやった。おれの兄。松野家次男、松野カラ松。
お前だよ。お前を呼んだの。世界が終わるっていう、このタイミングで。最後ぐらいは、と思ってさあ。
「ねぇ、最後だから言うけど、カラ松」
目を合わせて言うつもりだったのに、サングラスに邪魔をされて肝心の表情が読めない。
「おれ……お前のこと、好……」
真っ暗なのに、おれしかいないのに。お前は最後までイタいサングラスをかける。そして、そんなお前だけが輝いて見える。どこが光源だよ。ああ、カラ松か。
「おれさぁ、お前のこと……キライじゃなかったよ」
サングラスの中のカラ松の瞳を想像して目を合わせたつもりになり、そう言い直した。お前の方からは、どう見えているんだろう。何か、返事をもらえたりするんだろうか。それとも、このままブツリと世界が途切れてしまうのだろうか。
「オレも、愛してるぜ、一松」
無駄に良い声でそう言われた。あまりにも軽薄なセリフに思えて、おれは笑った。
愛しいカラ松の最期の顔を網膜に焼き付けようと思ったのに、目元の表情はやはりクソみたいなグラサンのせいで読めなかった。口元はもちろん笑顔だけれど。
最後まで、カラ松が何を考えているのかわからなかった。でも、もうそんなことはどうでもいい。全部終わるんだから。
おれはカラ松の身体を引き寄せ、思いっきり抱き締めた。唐突な暴風音で耳が痛かった。
「最後まで失いたくないものが一つだけあるとしたら……それは、お前だから」
は。何言ってんだおれ。頭おかしくなってんのかな。まあ、最後だしな。どうせ、この轟音では何も届かない。
世界の全部が圧縮されたように、ぐにゃりと形を変えていく。何もかもが壊れる音が耳を貫いて、いや、もう自分の姿が保たれているのかもわからない……でも。
世界の終わりに、おれの腕の中にいたのは、大好きな兄だった。最高の人生だった。
何もかもが音と色を失って、世界が滅んだ。
◇ ◇ ◇
次の瞬間、記憶を無くしたオレたち……いや、オレ以外の記憶を無くした者たちは、何ごとも無かったかのように普通にニート生活をエンジョイしていた。
枯れ果てたはずのリバーも、無くなったはずのビッグマウンテンも、グリーンな木々も、建物も、無事だった。囀るリトルバードたちも、散歩する犬も、一松のフレンドたちも、もちろん愛するブラザーたちも無事なままだ。ちゃんと六人揃ってニートで、世界は音楽に満ち、空は晴れ渡っている。
世界はリセットされていた。
しかし、オレはあのワールドエンドを覚えている。ビルどころか山や川さえも崩れ果て、重力すらあやふやになる中、一松に手首を掴まれ、指を絡めて手を繋がれて、安心したところで、好意を伝えられたのだった。忘れられるわけがない。
最後の瞬間、一松から熱く見つめられ、告白され、そのままハグをされた事実を、ハッキリと覚えている。
二つ下の弟の、愛しい人を見るときにしかしないはずの、優しくて男らしくて、泣きたくなるような表情を。握った手の温かさを。
オレは覚えている。忘れない。世界が終わる瞬間に感じた、あいつの胸の鼓動を、ずっと覚えている。
世界が終わるというのに。最後に一松がとった行動が、それだった。最後まで失いたくないと、そう言われた。風の音が凄かったから、きっと聞こえてないと思って言ったのだろう。
嬉しかった。泣くかと思った。というか、実はサングラスの下で泣いていた。一松には気づかれていなかっただろうが。
そんなの、もっと早く伝えてくれたら良かったのに。オレだって、そんなふうに言われたらお前のことを好きになってしまう。兄弟の範疇を越えて、ハグでは済まされないところまで、踏み越えたくなってしまう。
オレの歓びの雫が瞳から溢れて頬に流れ落ちた瞬間に、祝福の時間は閉ざされた。あまりにも、タイミングがバッド過ぎる。
世界はそこで終わりを告げたのだ。
「なあ、なんでそんなに普通なんだ!?」
世界が終わる。そう確定する数時間前の日常と、今オレが過ごしている日常は連続しているようだった。だが、記憶とは違う。本当は一度終わったのだ。何もかも。そしてまた数時間だけ巻き戻り、繰り返されたのだ。
なあ、覚えているはずだろう? 少なくとも、二人きりで最期を迎えたお前だけは。
だから、十四松やトド松とじゃれ合っていた一松に向かって、思わず叫んでしまった。
しかし、一松もその周りのブラザーたちの反応も冷ややかだった。
「オレたち、世界の終わりに愛し合った仲だろう?」
一松は、はぁ? と眉間にシワを寄せて怪訝な顔をして、十四松は心配そうな顔をしている。
「カラ松にーさん、変な夢でも見たんスか?」
「違う……夢じゃ、ないんだ……」
視線を集めたのは一瞬のことだった。
「え? カラ松、一松とセックスしたの?」
「アホかてめーは! なんかの例えだろ」
長男と三男がそう言って騒ぎ出し、次第にそれもおさまっていく。
その後は特に何を言われることもなく、一松は十四松に誘われて何処かへ出かけていってしまった。トド松も他のブラザーたちもオレの言葉を無視して、普段通りの行動へと戻っていく。
やはり、覚えているのはオレだけで、一松とブラザーたちは元通り、何も覚えていない、ということなのだろうか。オレだけがこの世界の理を知っている? 深淵を覗いてしまった? いや、オレたちは六つ子だ。オレが覚えているなら、きっと他のブラザーたちも覚えているはずだ。
「おそまぁつ、本当はお前、覚えているんじゃあないか? この世界が混沌に包まれ、リセットされた、あの瞬間を!」
「はぁ? 何言ってんの。イッタいねぇカラ松ぅ」
「本当に覚えていないのか? 主役だろう」
「メタ発言やめてぇ。お兄ちゃん、お馬さん当たんなくて機嫌悪いんだけどっ」
「なあ、少しでいいから語らないか?」
「ええ〜? まあ……お金くれるなら付き合ってやってもいいけどぉ? んじゃ、どこに呑みに行く? あ、焼肉なんかど〜お?」
「あいにくオレも勝利の女神には見放されてしまって、な」
「んじゃ聞かなぁい! はい、この話は終わり。解散〜っ!」
甘えたような口調から一転、不貞腐れた長男も部屋を去って行ってしまった。この時間なら行き先はパチ屋だろうか。ついて行ったところで、パチ屋じゃあ周りがうるさくて話を聞いてもらえそうにない。諦めたオレは、ソファで己と語らうことにした。
「カラ松。お前、また鏡見てるのかよ。僕はこんなに真面目に就活してるのにさぁ!」
チョロ松が部屋に入ってきてオレにそう話しかけたが、オレが見ていないとわかるとわざわざ買ってきたらしい就職情報誌を本棚に入れ、代わりに他の雑誌を取り出して読み始めた。時折、にゃ〜ちゃ〜ん! と叫んでいる。まあ、人間の行動と気持ちは裏腹だ。