四季山荘 ふるふると睫毛が震え、瞼は開かれる。
周子舒がゆっくりと瞼を開けると、目の前には在りし日の四季山荘が映る。辺りは桃の花が咲き乱れ、心地の良い風が吹く。何度かまばたきをし、胸いっぱいに空気を吸い込む。
「帰ろう老温、雪山へ。」
そう言って、お互い死期を悟った二人は最後に雪山へと戻り、永遠の眠りへと着いたはずだった。
そよそよと己の白髪が風に揺られ視界を遮る。余命三年と、覚悟をしていたにも関わらず、共白髪になるまで二人で生きることが出来た。本来の人の、遥かに長い時を生きることが、生きねばならなかった。すっかりふしくれだった指を摩り、どうしたものかと辺りを見回す。
「どうしたの、阿絮。」
不意に、背後から良く聞き慣れた声がした。
振り返るとそこには艶々とした黒髪の温客行が首を傾げながらこちらを見ていた。
「老温、お前っ…。」
思わず声がした方へ駆け寄る。もう既に己の言う通りに動かない筈の足が、タンっと地面を蹴り前へ進む。彼の元へ辿り着く頃には周子舒の髪は艶やかな黒色に、手足は少し日焼けをしても尚色白い瑞々しい肌へと戻っていた。
「お前っ…、いつからここに?」
「阿絮が眠たくなった後、武庫に戻ったら直ぐにね。大好きな師兄が大切な師弟を置いて行ってしまうのだもの、居ても立っても居られなかったんだ。」
そう言って、温客行は口を尖らせた。そんな昔から変わらない甘えた顔をする温客行の頬をぽんぽんと手のひらで軽く叩きながら、周子舒はくつくつと笑う。
「まったく、お前のそういうところは本当に変わらないな。」
「私は歳をとったって、なんだっていつまでも貴方の甘えん坊な師弟さ。ねえ阿絮、ここは四季山荘かな?……うん、何だか美味しそうな匂いがする。」
そう言ってすんすんと周りの匂いを嗅ぐ温客行が、まるで昔飼っていた犬の様に思えて、それさえも懐かしい周子舒は思わず破顔した。
「師父、師叔、ここにいらっしゃいましたか。」
何年前だろうか、最後に彼の声を聞いたのは。
その頃に聞いた声は、老齢特有の落ち着いた緩やかな声だったが、今聞こえた彼の声はかつて二人の一生の中では短い期間を共に過ごした時の、頼りなさげなしかし凛と真っ直ぐ通る大切な弟子の声だった、
二人は視線を合わせ、そしてゆっくりと目の前の門に向ける。そこには共に旅をした頃の幼さの残る少年、成嶺が立っていた。そして、そのすぐ横には顧湘と曹蔚寧がお互いに手を繋ぎながら立っていた。
「お二人とも、お待ちしておりました。」
「本当に待ちくたびれたわ!……ねぇ、哥、子舒哥、二人とも私は確かに息災でと言ったけれど、ここまで待つとは思わなかったわ。」
そう言って腰に手を当ててそっぽ向く顧湘の瞳には段々と涙が盛り上がっていく。そんな彼女の横で蔚寧はわたわたと、泣かないで阿湘…と言いながら彼女の涙を袖で拭う。
「老温、お前の大切な白菜とその白菜を齧った男は相変わらずの様だな?」と、楽しそうに見上げてくる周子舒の問いかけに、大きなため息をつきながら、しかしどこか嬉しそうに温客行は肩をすくめる。大切な大切な妹、齢半ばまだ幼さが残る頃に失ってしまった妹に、次に会った時どんな顔をして会えるのか。生前、温客行は死ぬまで後悔を持ち続けた。そんなぎこちない兄の顔を見て察したのか、顧湘は少し考え、そして大輪の花の様な笑顔で笑いかける。
「哥、私のことずっと悔やんでいたんでしょう?次会う時どんな顔をしたら良いか悩んでいたんでしょう?あーあ、私の大好きな大好きな哥哥はそんなジメジメしたきのこみたいだったかしら!……ね、私は幸せだったわ。少なくとも、貴方と一緒に過ごした日々や曹大哥と出会えた事は本当に幸せだったわ。ね、だから笑って。」
朗らかに笑うその顔に、今度は温客行の瞳に段々と涙が溜まっていく番となった。
「さあさあ、こんな所で立ち話ではなく折角の再会に今日はご馳走を沢山ご用意しました。師父、師叔、行きましょう。今日は葉殿も来られていますよ。そうだ、早く行かないとご馳走が葉殿の胃袋に全て吸い込まれてしまいます。」
「なに、あの老妖怪も居るのか?あいつには言いたいことが山程あるんだ。阿絮、早く行こう!全ての皿が空になる前に。」
早く早く!と手招きをし、先に門をくぐった温客行を見て、二、三瞬きをした周子舒は、ふっとその口元に笑みを乗せながら門の向こうへと一歩を踏み出す。
「ああ、老温。ご馳走様をたらふく食べよう、もう無理だってなるまでだ。そうして夜は二人で月を見ながら酒を酌み交わそう。お前と話したいことが、沢山、沢山あるんだ。」
作業BGM:sacred play secret place by matryoshka
Respected works. Li-さんの「願わくば」