真経津と獅子神が踊るだけ 真経津晨には悪癖がある。悪癖というか、褒められない習性というか、個性というか。まぁ、コイツはとにかく飽きっぽい。
趣味を作るのが趣味なのかと思うほど真経津は次々と趣味を増やし、その全てに例外なく飽きる。こんな酔狂に付き合うのはコイツの担当銀行員くらいだと思っているし、実際コイツは御手洗しか巻き込まない。そう思ってた時代がオレにもありました。
かち、かち、という規則正しい音を刻むメトロノームは真経津が買ってきたものだ。無尽蔵に趣味を増やす人間に金を持たすものだからとにかくコイツは形から入る。そうやって形から入る真経津が社交ダンスのために揃えた全てが今、オレの部屋に散乱していた。
「新しい趣味が社交ダンスって……」
「ダメ? ボクは結構楽しいけど」
オレはコイツよりも体力があるけど、何かに没頭しているときの集中力は体力なんて余裕で超えてくる。コイツの場合は集中というよりは子供が何かに熱中しているのと同じだが、オレはその子供らしさに疲れ切っていた。
「ダメじゃねぇけどよ。なんでオレなんだよ」
「御手洗くんより獅子神さんのほうが大きいからだよ。身長差って大事でしょ?」
「ならオレに女役をやらすんじゃねぇよ」
「だってボクも男役やってみたいし」
最初は女性のパートを踊っていた──踊りなんて言えたもんじゃなかったが、真経津は飽きるまで踊ったあと、屈託もなく「交代」と言ってオレの腰を抱いてきた。コイツはこんな図体の女がいるかよと言っても聞いちゃいないし、マイペースに踊り出してオレの足を踏む。やりたい放題だ。
どうせ明日には飽きてんだ。コイツに付き合うなんて馬鹿げてると思って、付き合ってしまっている自分は大馬鹿者だと思い直す。というか、そう思わないとやっていられない。オレがこうやって付き合っているのはオレが大馬鹿者だからであって、決して特別に絆されているわけではないと思わなければ、何か決定的なものがひとつ、変わってしまう気がしていたからだ。
「獅子神さん」
真経津の声がした。オレの意識を引き戻すような、霞ませるような声が。
「集中して」
ぐい、と体を引かれるが、コイツの力は大したことないし鍛え上げたオレのガタイは平均よりだいぶデカい。真経津は力の分だけオレに引き寄せられて大胸筋のあたりにぽふりと埋まった。うー、と唸り声がするからなんだか愉快になって笑えばぐりぐりと頭が押しつけられる。不満気な声がする。なんだか、くらくらする。
「獅子神さん、ちゃんとやって」
「真面目に付き合ってやってんだろ」
「違う」
違うでしょ、って言った後、わかってない、って真経津は言った。声色が『どうしようもない人だね』って言っているようだった。
「ダンスはさ、全部を委ねてくれないと踊れないよ」
「……なら、人選ミスだな」
オレの本性を見抜いてるくせにオレと踊りたがるなんて、委ねられたいだなんて、コイツも大概馬鹿野郎だ。オレはもう手を握っていないのに真経津の指先には力が籠る。どうしようもないのはオマエだよって言いたくてオレは手を払った。瞬間、真経津がすごい力でオレの手首を掴む。
「……ダメだよ」
ひどく甘い声だった。視線を下げれば獲物を狙う猫に似た瞳がオレを見つめている。あ、食われるって、そう思った。
「……人のこと言えんのかよ」
「……なぁに?」
話を逸らしたって思われたんだろうか。言いたいことを言ったんだと思われたんだろうか。でも逃げられたとは思っていないはずだ。だってオレがコイツから逃げられることはないから。逃げられたとしたら、それは逃がされたということなんだろうって、それくらいはわかるようになっている。
「オマエは委ねてたのかよ。オレに、全部」
「あは、踊りにくかった?」
向いてないのかも。そう笑って真経津はくるくると回り出した。抵抗しないオレもくるくると回る。さっきから律儀にリズムを取っていたメトロノームを無視して、くるくる、ぐるぐる、ぐちゃぐちゃと踊る。何度も足を踏まれる。全部許してるけれど、コイツが望むようには踊れない。
「楽しいね。楽しいけど、きっとすぐに飽きちゃう」
ずいぶんと踊ったころ、コイツが呟いた。
「オレはもう飽きたよ。一生分踊った」
「じゃあボクが最後の人だ」
手が離されて一瞬だけ解放される。喜ぶ間も驚く間もなく抱きしめられて息がもつれた。ぎゅう、と力が強まるほど、胸が締めつけられるのがわかる。
「いつかまた遊んでね」
言葉の意味くらいわかる。せっかく息を吸い込んだのにコイツはオレの返事なんて待たない。傲慢なまま、コイツは告げる。
「待ってるから」
抱きしめ返さないのはせめてもの矜持だった。真経津は名残惜しそうに、そしてどうでも良さそうにオレから離れると「お風呂借りるねー」と言い残してその場を去る。
どうせ飯も食ってくし泊まってくんだろう。布団を用意して飯だってリクエスト通りのものを作ってやるつもりだった。それがアイツが一番に望んでいるものじゃないことくらい理解していた。広い家で、聞こえるはずもない水音が遠くに聞こえた。