Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    lasagna_rain

    @lasagna_rainのポイピク垢です。
    ちょっとしたものや、歴史創作をupするかもしれません。

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 21

    lasagna_rain

    ☆quiet follow

    摩多羅神に対する個人的な妄想メモです
    またらちゃんは努力家!

    ##妄想
    ##レキソー資料

    摩多羅神は大陸において生じた神霊です。大陸内で多様な文化・宗教の交流が進んでいく過程で「この神とその神って似てるんじゃない?」というような、人々が神々に対して持つ漠然とした認識の塊が、原初の摩多羅神でした。
     その時はもちろん神としての名前などなく、存在もおぼろげで、人間から信仰心どころか意識すら向けられることもない…無意識の領域にいる存在でした。

     ソレは長い年月をかけて、独立した自我を持ち始めました。しかし、様々な神格をくっつけては千切られ、くっつけては千切られていたので、泥っぽい感じの、ぬとぬとした不定形でしか見た目を保てませんでした。生き物の意識の外にある存在だったので、そんな醜い姿を見られることはなかったのですが…。
     しかし、一度自我が芽生えてしまったソレは、自身の状態を良しとしませんでした。どうにかして、他の者に自分の存在を知らしめたい。他の神々や、人間たち、さまざまな生き物のように美しい姿が欲しい。そう思い、あれこれと思考を巡らせました。

     そこでまず最初にしたことは、自分で自分に名前をつけることです。ソレには、誰も名をつけてくれる者がいなかったからです。
     自身の神格を鑑みたところ、特に女神としての部分が多いことに気づきました。豊壌や大漁、子孫繁栄など、原初的でありがちな願いは、大抵の女神が司っていました。そういうこともあって、名前は母神の複数形である「マターラ」に決まりました。

     それから、マターラは自分だけにしかない神格が必要だと思いました。今の自分には他の神の力しかくっつけられておらず、それが存在の不安定さに繋がっていたからです。でも、唯一無二の神格など、そう簡単に思いつきはしませんでした。
     早速困ってしまったマターラは、何か良い発想が得られないか、と不格好な体を引きずって大陸を巡ることにしました。

     ある日、マターラは天竺の釈迦という人物が人々の注目を集めていることを知りました。漏れ聞こえる話から、マターラはその人物に興味を持ちました。
     そして、祇園精舎というお寺に釈迦が訪れると聞いたマターラは、これは好機!とばかりにその寺社へ赴き、潜みました。

     隠れること数日、いよいよ待ち望んだ釈迦の御説法が始まりました。しかしそれも束の間、突然たくさんの人間がやってきて、踊り騒いでその邪魔をし始めました。
     そのような事態が起きても、釈迦は慌てることなく法力で楽器を形作り、弟子たちに後戸で演奏させました。するとあっという間に邪魔者たちは鎮まりました。
     こっそり見ていたマターラは「なるほど、あの釈迦は噂通りすごい人物だ。それに、音楽や後戸にも素晴らしい力があるようだ」と思いました。

     こうして、マターラは釈迦の教えである仏教と音楽、そして後戸に感銘を受け、それらについて深く知ろうと独自に調べ始めました。
     その過程でマターラは「後戸を守る神」というのは、結構個性的なのではないだろうか、と思い至ります。時折ヴァジュラパーニがそれを担うことがあっても…やはり希少だ、と。
     マターラは「後戸の神」と自称し始めました。釈迦が見せた、あの法力と音楽の力を思い出しながら、自身も同じような力を行使できるよう努力しました。

     そうして長い長い時間をかける内に、少しずつ後戸の守護神としての役目を果たせるようになってきました。
     活動を続ける中で、マターラは人々にも存在を認識されるようになっていきました。とはいえ、広い広い大陸内では思ったように影響力を広げられません。
     いつまで経っても目立てないことに痺れを切らしたマターラは、土地が狭く、まだ仏教が発展途中であり、独自の体系を築きやすい島国……日本に自身の活動拠点を移すことに決めました。

     ちょうどその頃、円仁という高僧が唐から日本に帰ろうとしていました。マターラは信心深い彼に目をつけ、船に乗り空を見上げていた彼に、宙空よりこう語りかけました。

    我が名は摩多羅神 即ち障礙神なり
    我を崇敬せざる者は浄土往生叶わざる者なり

     マターラから摩多羅神へと名前を変えたのは、日本で馴染みやすくするための計らいでした。ともあれ、円仁大師は摩多羅神の言葉に素直に従い、比叡山延暦寺と日光山輪王寺に常行三昧堂を建て、その後戸に摩多羅神を祀りました。

    こうして摩多羅神は、日本における後戸の神という地位を我が物にしました。

     しかし、野心溢れる摩多羅神がこれで満足するはずもありません。日本の仏教に馴染んできたところで、次なる目標を定めました。
     それは容貌の獲得と、自身が内包する神格の完全なコントロールでした。

     これまで散々努力を重ねてきた摩多羅神でしたが、法力こそ立派なものになったとはいえ、未だ見た目は生まれた当初から変わらず、混沌とした姿のままでした。後戸の神以外の側面……習合した数々の地母神やマハーカーラなど、強力な神格を捨てていなかったからです。
     これまで摩多羅神は、徹底的に姿を見せないよう活動していたために、見た目がドロドロしていても問題はありませんでした。しかし、だいぶ立ち位置も盤石になってきた今、そろそろまともな姿が欲しい、と思ったのです。

     そもそも、摩多羅神の容姿が不定形で不安定なのは、自身が抱える大量の神格を管理できていないことが原因です。しかし、摩多羅神は「これらの強力な神格を捨てるなどもったいない。いつか必ず、完全に自身の力にしてやろう」と思っていました。そういうわけで、管理しきれない神格も、ずっと抱え込んだままだったのです。
     しかし、無秩序に習合された神格を維持し、行使しながら、一つのまとまった姿を手に入れるにはどうすれば良いのだろう?
     鍵を探すべく、摩多羅神は手探りながらも調べを進めました。

     ひとつ、目に留まったのは散楽……特に面を用いて、そのものとなり芸をするもの、のちに”猿楽”あるいは”能楽”と呼ばれる芸能でした。面をかけては、そのものとなって物まねする芸人を見て、摩多羅神はピンときました。

     自身の多数ある神格を、あの面のように扱える者がいるのではないだろうか。多種多様な神格……その神が持つ側面を、一つの肉体で扱える者……芸能の神ならばできるはずだ。

     そんな考えに至った摩多羅神は、六十六の面を操り舞い、死後は神になったという猿楽の祖…秦河勝に目をつけました。

     一方その頃、河勝はというと、播磨国の坂越の土地神として民を守護しながら、のんびりと毎日を過ごしていました。
     自身の領域である生島・大避神社や坂越の港町からは離れられないものの、生前は政争や血生臭い争いに身を投じてきた彼女からすれば、この平穏な日々はかけがえのないものでした。

    そこに忍び寄る、異形の影………。

    次回、「河勝、摩多羅神とxxする!」
    いつか書きます。
    Tap to full screen .Repost is prohibited

    recommended works