その花言葉は、「はーなこくん!」
「いらっしゃい、ヤシロ」
これはただのいつものやり取り。これだけでなにか満たされた気がする。これも全部ヤシロのおかげかな、なんてね。
「これ見て!園芸部で育ててたんだけど、茎が折れちゃってて…だから持ってきたの!」
ヤシロが手に持っていたものは花だった。白くて、蛍袋みたいなやつね。
「蛍袋?」
「ううん。仲間ではあるんだけど…これはね、カンパニュラっていうの。別名は風鈴草とか釣鐘草。釣鐘草は聞いたことあるんじゃないかな」
「なんとなくはあるケド…」
「ならよかった!花言葉が感謝、誠実。それから節操。ちょっと怖いのもあるのよ?」
「…そーなの?」
突然、ヤシロの表情が曇った。今まで笑顔だったのが泣きそうな顔になった、みたいな感じ。俯いちゃってあんまりわかんないケド。
「うん。後悔。それから派生して守れなかった命とかあるんだって」
…ヤシロの寿命のことか。つかさの助手…だとかいう子に依代を全て壊さない限りは死なない、とか言われたけれど、いつ運命が変わるか分からない。そんな心配をせめて振り払おうと明るく振る舞うと、ヤシロは笑顔を浮かべて言う。
「そう、だよね!うん!…じゃあカンパニュラはここに生けておくわね。だってこのトイレ、鮮やかさが足りないのよ!」
「だって、トイレだし…」
なに言ってるんだろう、ヤシロは。今さら言われても約半年掃除してきた仲なんだからさ、諦めてよ。
「先輩!遅くなってすみません!」
「大丈夫よ!ほら、遅くならないうちにおわらしちゃおう!」
少年も来てから、ヤシロは声たかだかに、宣言するかのように言ったのだった。
*
少年は家庭の用事だとかなんとかで掃除が終わるなり帰ってしまった。ヤシロもほんとはそのタイミングで帰ろうとしていたんだけど、まだ話したくて引き止めてしまった。
だから今はゆうやけ放送が鳴るような時間。遅くならないうちにヤシロを正門まで送ったはいいけれど、正直シンパイ。ヤシロがあそこまで暗くなるのはエソラゴトの世界から帰ってきた後でさえなかったから。
ぐるぐる、ぐるぐる。
考えすぎかな、なんて思ってたとき、変な感覚が俺を襲った。
それは、ありえちゃいけないもの。信じたくないものだった。
――人魚の鱗の縁が途切れた…?
「え、」
正直、間の抜けた声だったと思う。突然、抑えていた呪いが消えたとなると、やっぱりそうなるでしょ?
「は、はは…」
あたまが、おかしくなりそうだ。
また、守れなかった。君がいてくれた、ただその事実だけで救われていたのに。
ああ、ほんと馬鹿みたい。あの時、不思議な女の子に少しだけ救われた心も、あの日ねねおねーさんに盗られた初恋も。全部…ぜんぶ…だいきらい。
君が、貴女が、いなければ何もなかったのに、なんで、なんで!…カミサマは俺からぜんぶ取っていくの!?
しらないうちに零れていた涙が、大好きな君が掃除し続けてくれていた女子トイレの床に跡を残していく。
後悔しても、しきれない。今日、ヤシロにオマジナイをたくさん施しておけば…引き留めもせず少年と一緒に帰らせればヤシロは助かったのかな。今となっては後の祭りでしかないけれども。考えずにはいられないってこういうことなんだと思う。
…その間にヤシロがくれた花が目に入った。ヤシロは何て言ってたっけ?
ああ、そうだ。この花の花言葉は――。
ひとつだけ、光が見えた気がした。…それじゃあ、これだけは言い残さないと。
「…いつでも、ヤシロはずーっと綺麗だったよ」
この世界に、報いなんて要らない。
静かに狂っていった怪異の少年でさえ既にいない、その場所には忘れ去られた花が、ただひとつ佇んでいた。