花による月の観察日記(3)20年10月27日 曇り 月見えねー
「お前には赤が似合うと思う。」
「……どうしたんですか突然。」
半目で見られたけど気にしない。この前思ったことを実行してみようと思った。試しに私が持ってて使ってない椿の簪を刺してみた。
「……似合うな。」
結構しっくりくる。薔薇のピンも、違和感がまるでない。やっぱり思った通りだ。こいつは赤が似合う。
「突然来て怪我人を人形扱いですか。」
「失敬な。私はお前の新たなファッションを開拓してやってるんだよ。」
それっぽい理由を適当につける。本当はただ暇だったから。髪を弄る機会が無いから、ちょうどいいゲアラハで遊びたかっただけだ。
「……だからといって、髪を結うのは違うんじゃないですか?」
「動くな。ズレる。」
「……。」
一回結ってみたかったんだ。この髪。サラサラでさぞかし結びにくいだろうけど。
一回三つ編みにしてみる。髪留めに赤薔薇をつけてみる。紫のメッシュと赤が良く似合う。
「……お前がなんでも似合うの、なんかやだな。」
「理不尽すぎません?」
マジでなんでも似合う。こいつ。悔しい。絶対女装させてやる。辱めてやる。
10月28日 雨 月見えない
今日は特になんもなかったかな。
じゃあなんで日記書いたの?
10月29日 雨 月……
「腹の具合はどうじゃ?月の御子。」
ゲアラハと話してたら夜天の神が来た。突然現れるんだから心臓に悪い。
「腹より脚の方が悪いんですよ。もうすぐ歩けるようになるはずですけど。」
ゲアラハの驚異的な回復力のおかげで、常人よりかは遥かに治っている。あとちょっとだ。
「花の吾子よ。汝も息災か?」
「ええ。今のとこは。」
そう答えたら、ゲアラハが一瞬顔を顰めた気がした。気の所為かもしれないけど。
それからは他愛もない話をして、私が先に寝に部屋に戻った。
10月30日 晴れ 小望月
久しぶりの青空だ。この天気だと蒼天の神もにこやかに笑うだろう。ちょっと伸びをする。最近ゲアラハに付きっきりで、まともに外に出てない。ちょっと街に出よう。
目に付いた、一際赤い久留米ケイトウを買ってきた。街に出るといつも花を買ってしまう。もう癖になってしまっている。
鞠みたいになっている変わったケイトウ。燃えるような深紅の久留米ケイトウはあいつに良く似合うと思った。
「……変わった形の花ですね。」
どうやらゲアラハはこの形のケイトウを知らないようだった。
「久留米ケイトウだよ。花言葉は『色褪せぬ恋』『おしゃれ』お前にピッタリだと思わないか?」
「確かに。ピッタリですねえ。」
部屋の机に生けてやった。これで暫くは視界が寂しくないだろう。
20年10月31日 晴れ 満月
ゲアラハが歩けるようになった。と言っても、まだ片脚を引きずるようにしか歩けないけど。
今日は満月。屋根に登って寝っ転がる。痛いけど、星空を仰向けで思いっきり見れて、なおかつ空に近いところはここくらいしかない。聖堂の上とかならもっと高いけど、さすがに警備員に捕まってまで見たいとは思わない。
「……はあ。」
ため息が出た。死を、身近に感じたあいつ。私もいつか、その時が来るのか。
「……それは、嫌だな。」
死に対して何も出来ずに死ぬのはあんまりだ。でも、今の人間には抗うすべがない。というか抗えない。人間にとって死は、一生付きまとってくる影みたいなものであり、 ある時は救いになってくれる友でもある。
死は、身近であるべきじゃない。でも、死が身近にないと人間は進歩しない。難しい問題だ。現状に満足してしまったら、向上心なんてない。そしたらゆっくりと破滅の道を歩んでいくだけ。それはダメだ。
「……月を見ながら何を考えてるんだ。」
満月を見ると気が狂う、なんて迷信がある。私は信じてないけど、一理あると思う。なんか満月の日は死亡率が高いんだって。
「こんな思考をするのも、月のせいかな。」
きっとあの山吹色の月のせいだ。美しすぎるあまり人を狂わせる。ああ、あいつもそんな感じだな。人を狂わせることは無いけど、やろうと思えばできるだろう。やって欲しくはないけど。
寒さで体が冷え切るまで、月を眺めてた。
20年11月1日 晴れ 十六夜月
ゲアラハがうちを出ていった。もう歩けるから、家に帰るんだって。そっか、ってあっさり別れた。どうせ今月も新月の日に来るんだから、心配はないだろう。
なんか、眠い。またか?とりあえず寝よう。
20年11月3日 曇り 月見えず
嘘だろ。
20年11月4日 曇り ……
一昨昨日に眠気を感じて寝た。そこまでは良かった。起きたら3日だった。つまり丸2日は寝たままだった。嘘だろ……今までそんなことはなかったはず。寝不足なんてこともない。だから、昨日は医者に見てもらった。特に異常はなかった。とりあえず一安心か。
でもなんでだろう。不気味だ。
20年11月5日 曇り
なんかずっと眠い。おかしい。寝たくないけど眠気がまとわりついてくる。
寝る……か。
20年11月8日 晴れ 下つ弓張
……嘘だ。まただ。絶対におかしい。今度は3日?嘘だろ。寝てる間にゲアラハも来たらしいけど、全然知らない。そりゃそうだけども。
蒼天の神に聞きに行こう。
20年11月9日 雨 月見えない
何も分からない。本当に何も異常がない。怖い。
20年11月15日 晴れ 新月
ゲアラハが来た。それだけ。恒例行事もした。心配された。そりゃそう。だけど全然わかんないんだもん。
20年12月15日 晴れ 新月
1ヶ月間特に何も無かった。普通に外に出て、戦闘して。街に出てものを買ったりした。いつもの日常だ。
今月もあいつが来た。ただお茶して、苦薬ねじ込まれて帰って行った。本当にいつもの日常。なんにもない。
20年12月31日 晴れ 十六夜月
今年も年の瀬まで来てしまった。なんか、あっという間というか。長いようで短い1年だった。今年もゲアラハがうちに来ている。今年は何も言わずとも自分からうちに来た。喜ばしい。
みんなすっかり寝てしまった。もう私しか起きていない。全然眠くないし、まだ寝る気にもなれない。
「……花の吾子。」
「夜天の神。」
珍しく暗い表情の夜天の神が現れた。……良くない感じがする。
「……私は、次の秋を、迎えられますか。」
去年、夜天の神が来た時。私の部屋に来て、2人で話した時。夜天の神がこう言ったんだ。
『吾が見る限り、汝の命は持ってあと2年じゃ。』
衝撃だった。あの時は、なんにも。本当に何も体に異常もなかった。だから実感も湧かなかったし、いつ命が尽きるかもわかんない恐怖に怯えてた。
それを思い出して、思い切って自分から言ったんだ。そしたら夜天の神は
「…それは、吾にも分からぬ。汝の命は、吹けば容易く飛んでしまうような儚く脆いものだ。ただ……」
そこまで言って口ごもる。非常に言いにくそうな顔だ。
「ただ……?」
気になってしまう。自分のことだ。受け入れないと。
「……汝は20歳にはなれない。」
「……そう、ですか。」
分かりきってたことだ。去年から。2年だって。あの時は17だったから。どう足掻いても19には死ぬ。19になる前に死ぬかもしれない。それが、とてもこわい。わかってるのに。
「……酷なことを伝えたな。」
夜天の神が私の頭を抱く。いいえ。あなたが気に病むことはないの。これはいつかくるものだから。それが、私はちょっと早すぎただけ。ただ、それだけだよ。
「汝が眠りすぎるのも、その前兆だと考えておる。今は身体に異常はないが、この先。死に向かうにつれ苦しむことになる。……汝の歳では重すぎる苦しみを背負うことになる。」
津波のように後ろから死が迫ってくる音がする。いつ、追いつかれるか分からない。そんな恐怖。
やっぱり、死ぬのは怖いよ。
21年1月1日 晴れ 立待月
「おはよう。」
できるだけ、みんなに気付かれないように。去年もしてきたけど、大体は勘づかれてしまった。今年こそは。みんなに心配をかけないように。
いつもと変わらないみんなの顔。ああ、やっぱりこのままがいいな。刹那は美しいけど、永遠も同じくらい輝かしい。
「……どうしました?」
「え!?あ!?な、んでもないよ?」
気がついたら目の前にゲアラハがいた。ぼーっとしてたみたい。びっくりして変な声を出してしまった。彼がくすくす笑う。
彼は笑顔が良く似合う。笑顔が似合わない人なんていないけどね。
この笑顔を、崩したくない。
……はあ。
21年1月13日 雪 新月
今日は心臓が痛い気がする。チクチクする。
ゲアラハが来たけど、少し顔を見せただけで私は部屋に引き上げた。痛い。みんなの前でこんな姿を見せるわけにはいかない。
21年2月12日 晴れ 新月
1ヶ月間何ともなかった。本当にあの日だけ。不気味。
今日もゲアラハは来たよ。
21年2月27日 雪 月見えない
多分今年最後の雪。雪を見るのもこれで終わりかもしれない。そう思うと、ちょっと遊びたくなってきた。
「……何してるの?」
「雪だるま作ってるの。」
一際大きい雪だるまを作ろうと思った。手袋をはめていてもやっぱり雪は冷たい。アステルが外に出てきて、マフラーを持ってきてくれた。
「これ。寒いでしょ。そんな薄着だと風邪引くよ。」
軽く雪が積もった頭をパッパッとはたかれて、マフラーを巻かれる。お兄ちゃんだ。
「ありがと。」
私が微笑むと、アステルも笑う。お前もやっぱり笑顔が似合うね。
雪だるまは4つ作った。歪だけど、私たちを作ったつもりだ。自信作だ。
さりげなーく玄関の近くに置いておいた。誰かが気付くとか気付かないとかそういうのではなくて、自分が作ったっていう証が近くに欲しかった。
夕方に見てみたら、私の雪だるまの前に黄色と白のフリージアが置かれてた。あいつが来たんだ。
フリージアの花言葉は「親愛の情」「友情」「感謝」
黄色は「無邪気」、白は「あどけなさ」
……つまり子供っぽいって言いたいのか?
21年3月6日 晴れ 下つ弓張
……もう梅が咲いてる。春……か。
余命宣告されてからもう1年は経過している。まだあいつらには言ってない。言う必要も無い。
「最近、ますますぼーっとすることが多くなったな……」
独り言がポロッと出てしまう。仕方ないことだ。考えることがあって、でも考える時間もなくて。やりたいことをやろうと思っても、思いつかなくて。そんな中時間は過ぎていって。無力さに涙を流すこともあるけど、でも何も解決しなくて。
「もう、ただ待つしかないのかな。」
死を。もう、なんにもできることは無い。余生を過ごすだけ。
月が、綺麗だ。
21年3月13日 晴れ 新月
早朝になんとなく外に出たら、狐を見かけた。初めて見た。普段こんなところに狐なんていないのに。可愛かった。
ゲアラハは相変わらず来た。苦薬も恒例だ。去年と変わったところと言えば、彼がうちでお茶してから帰るようになったことか。つまり居る時間が長くなった。喜ばしいことだ。
彼が帰った。なんか手がビリビリする。
21年3月20日 曇り 月と共に
今日は2人の誕生日。多分私が立ち会えるのは最後になると思う。これで20歳だってさ。2人とももうお酒が飲めちゃうね。羨ましいなあ。
21年4月4日 晴れ 下つ弓張
「花見をしましょう!」
デジャブかもしれない。こいつ、3年連続で花見に誘ってきやがった。だけど今年もみんな乗り気で、お弁当も作って行った。去年と一緒だ。
「やっぱり何回みても綺麗だ。」
アステルが微笑む。ちょうどゲアラハから死角の位置だ。抜かりないな……。
「そうだね。」
私も微笑み返す。もう、この桜も最後かもしれない。そう思って、また涙ぐんでしまう。なんか去年もそうだった気がする。私は自分が思ってるよりもずっと涙脆いのかも。
「……あなたに涙は似合いませんよ。」
ゲアラハが目元を拭ってくれた。彼の方を見ると、悲しそうな、寂しそうな目で笑っていた。ああ、こいつはわかってるんだ。駄目だね。隠し事なんてできないや。
「……桜が美しかったからだよ。」
ゲアラハから顔を背ける。目を合わせたら、なんでも見透かされそうで怖かった。もうとっくに見透かされてるのに。
「……何がダメだったのかな。」
ぽつりと呟いてしまう。最近の私の口は締めが甘い。すぐ言葉をこぼしてしまう。
何が、ダメだったんだろう。桜の前で長寿を願ってしまったからかな。それとも、今まで無理をして戦ってきたからかな。それとも……
「私が、花だからかな。」
詩的になってしまう。花は、すぐ散ってしまうから。季節が過ぎてしまったら、番を見つけられなかったら、花をあっけなく散らせてしまうから。美しい時は、すぐに過ぎ去ってしまうから。
私が、ただの人間だから。
「そんなの、あんまりだよ。」
はらはらと散っていく花びらを見ながらつぶやく。月も星も太陽も、昔からずーーっとそこにあって、この先もずーーっとそこにある。だけど花は、人間は、それらに比べたら一瞬で散ってしまうものだ。
人生の階段を、私だけが猛スピードで駆け下りている。みんなを置いて。私だけが最下層の死へと駆け下りている。
……そんなに生き急ぐ必要なんてないのに。
もうちょっと生を謳歌させて欲しいよね。
21年4月12日 曇り 新月
葉桜が生え始めた。桜色の木々に緑が見え始めている。やっぱり儚いものだ。
ゲアラハは今月も来た。1週間前に花見をしたばかりだから、久しぶり感はない。今日は和菓子を持ってきてくれたみたい。桜餡のお菓子。それならと、桃国の緑茶を出した。すごく優雅で楽しい時間だった。
永遠……諦めきれない。
21年4月29日 雨 月見えず
体調が悪い。咳が止まらない。体もちょっとだるい。多分ただの風邪だろうということで、アステルが薬を作ってくれている。何も無いといいんだけど。
21年5月12日 晴れ 新月
おかしい。体調が悪くなってから2週間が経った。何も良くなってない。今日はゲアラハがうちに来るけど、私は出ない方がいいと思う。万が一何かを伝染したらいけない。
21年5月14日 晴れ 三日月
まずい。ついに来てしまった。
伝えるべきか。
21年5月15日 曇り 月が来た
昨日、喀血した。咳をしたら手にべったりと紅が付いたからびっくりした。急いで医者にかかったら、結核だって言われた。結核は、不治の病だ。治らない。ゆっくりと苦しみながら死に向かっていくだけだ。
ついに来たなって思った。明確に死が近づいてくる音がした。
「……蒼天の……ゲホッ……神」
家に蒼天の神が現れた。彼女は顔を曇らせてベッドの横に来た。私はもう部屋から出ていない。結核はうつる病だ。みんなにうつすわけにはいかない。
「……ナデシコ。愚問かもしれないけど、身体はどう?」
「……はっきりいって最悪、ですね。」
身体はだるいし微熱も出てる。咳も止まらないし痰も絡むしおまけに血も吐く。最悪だ。
「……。」
蒼天の神が申し訳なさそうに目を伏せる。
「別に蒼天の神が気に病む必要はないんです。これが運命って言うなら……そうでなくとも、受け入れるしかありません。」
「ごめんね。……ボクにはなんにもできないんだ。ナデシコのために、あの子たちのために、何かしてあげたいんだけど……空の神であるボクたちにはどうにも……。」
これは人の運命だ。神がどうこうするもんじゃない。できるものでも無い。
「……あの子たちは、うつらないよ。君の病気は。病では死なないんだ。」
「……そう、なんですか。」
「だからね。ナデシコも、最期を迎える前に、あの子たちとよく話しておくんだよ。」
そう言って、蒼天の神は姿を消した。
最期、か。
21年5月11日 三十日月
暇に、なった。なーんにもすることがない。ご飯を食べようにも食欲も湧かない。定期的に咳をして、血を吐く。アステルが対処療法で薬を持ってきてくれてるけど、正直効いてる気がしない。
じゃあ、寝ようかな。なんて思ってたら、あいつが来た。
「……具合はどうですか。」
えらく暗い顔だ。お前がそんな辛気臭い顔するなんて。どうやら私はお前の中でそこまで大きな存在になれたみたいだね。
「……変わりないかな。最悪だね。」
ヘッと笑ってみせるが、彼の表情は明るくならない。
「……覚えてるかな。だいぶ前、言ったよね。答え合わせはしてないけどさ。一生のお願い。」
きっと記憶の片隅にあるであろう私の一生のお願い。2人には絶対に言わないで、っていうお願い。
あの時、ゲアラハは既に答えがわかってた。ここまで来たってことは、一生のお願いは果たされたってことだ。
「ええ。もちろん覚えていますよ。」
忘れられるわけないじゃないですか、とゲアラハが付け足す。そっか。忘れられないか。
「今、答え合わせをしようと思うの。」
彼がハッと顔を上げる。泣きそうな顔だった。その後、悲しげに笑って
「……ええ。もうそろそろ潮時ですね。」
って言った。
静かに息をつく。心を落ち着けるために。じっと彼の目を見る。現実から目をそらさないように。
「私ね、次の秋まで生きられるかわかんないんだ。」
ぴんと張り詰めた空気。糸を張ったような緊張があった。彼は、ひゅっと息を吸って
「……もう、それだけしかないんですか?」
震え声で呟いた。彼の目から涙が1粒落ちる。私、お前が泣いたところ見るの初めてだな。目から零れたそのひと粒が、宝石みたいで。涙を流すその姿さえ美しいと思ってしまったんだ。
「これは、根拠も何もない、ただの私の推論。でも、なんかそういう気がするんだ。」
次の彼岸花は見れないかも。次の雪は見れないだろう。次の桜は絶対に見られない。そう、確信できるんだ。なんでだろう。人間の本能かな?
「どうして、あなたは。そんなに冷静でいられるんですか。」
「冷静に見える?そうかな。全然冷静じゃないよ。」
ただ、諦めただけ。これからの日々を。私が過ごすはずだった未来を。
「一生のお願いと同じ時、私言ったよ。諦めたって。何を諦めたかは言わなかった。その時はあんまり実感が湧かなかったから。」
……正直今も湧いては無い。結核だって伝えられた時は、そりゃ焦ったし動揺もした。でも、いくら焦っても明日がないのは想像できなくて。明日は当たり前に来るものだって、思ってるから。
「私は、未来を諦めた。これからの、ゲアラハとソルとアステルと過ごすはずだった未来を。いくら想像したって、足掻いたって。私はそっちに行けないから。……わかったから。」
ゲアラハは黙り込んでいる。暫し、冷たい静寂が訪れる。ようやく彼が口を開いた時、私は彼の腕の中だった。
「……暫く、こうさせてください。」
「……血がついちゃうかもよ?」
「構いません。」
彼が気付かないうちに泣いていたので、私は彼の背中を優しくさすってやった。
21年5月20日 晴れ 上つ弓張
症状は良くも悪くもない。停滞状態だ。良いのか悪いのかいまいち分からない。
1つ、変化があった。ゲアラハがほぼ毎日うちに来るようになった。アステルもソルも別に止めてないんだろう。2階のこの部屋まで来るってことはそういうことだ。
「あなた、まだその日記書いてたんですか。」
半ば呆れた声がして顔を上げる。
「悪い?」
私がそう言うと、彼はバツが悪そうに
「そういう訳では無いですが。……普通本人の前で書きます?」
「今は半々だよ。半分くらいは私のただの日記。もう半分はお前の日記。」
「……はあ。何が面白くてそんなものつけているんですか。」
彼が溜息をつきながら、どかっとベッドの横の椅子に座る。
「お前には一生教えてやらない。」
からかってみた。そしたら彼は顔を顰めて
「あなたの一生が終わってしまってから答えを聞けばいいんですよ。」
なんて言うもんだから、私に1つの考えが浮かんでしまった。
「……ねえ、ゲアラハ。」
「なんですか、ナデシコ。」
気まぐれに名前を呼んでみる。そしたら向こうも名前を呼び返してくれた。その事がなんだか嬉しくて、にっこり微笑む。
「花が欲しい。」
「はあ?」
間が抜けた返事が返ってきて、声を上げて笑ってしまう。だけど苦しくて咳き込む。彼が背中をさすってくれた。
「いやあ、ここね、何にもないから寂しいんだよねぇ。花があれば景色も華やかになるじゃん?」
それに、花があることで自分の命を実感できる。私の命は短いんだって、忘れないようにできる。それは言わなかった。
「……いいですよ。」
「……いいんだ。」
「いつ死ぬのかも分からない友人の頼みを断るやつがいるんですか?」
友人って、思ってくれてるんだね。知ってるけど、改めて言われて嬉しくなった。
ああ、幸せだなあ。こんな時に実感するもんじゃないんだろうけど。
21年5月21日 晴れ 月は花と共に
昨日の今日で、あいつはもう花を持ってきてくれた。
「……ライラックだ。」
ライラックの花言葉は「友情」「思い出」「謙虚」「純潔」
少し泣きそうになった。思い出、か。お前は私のことを思い出として保存してくれるのかな。
「……綺麗な桃色。」
ピンク色のライラックの花言葉は「思い出」
「よっぽど、私に思い出を残したいの?」
2回も思い出って出すもんだから、余程強調したいんだろうなって思った。
「あなたは、思い出をすごく大事にする人なので。あなたにピッタリだと思ったんですよ。」
目を閉じて微笑む彼は、花と合わさって夢のようで。とても美しかった。
美しい。美しいね。
21年6月29日 雨 月はずっと一緒
前進も後退もしないまま、アステルの誕生日がやってきた。アステルにも、日頃すごくお世話になってる。兄であり、弟である人。いつも人間かどうか怪しいとは思ってるけど。
お誕生日おめでとう。いつもありがとうね。
人一倍寂しがり屋だよね。アステルは。それは多分、今まで別れを経験してこなかったからだと思ってるんだ。
だから、私が最初のお別れになる。お前は、耐えられるかな。ちゃんと、受け入れられるかな。
だから、アステルには余命を言ってない。絶対に取り乱すから。平常心でいられなくなるから。
お前には、最後まで笑顔でいて欲しいんだ。私が死ぬその時まで。
21年7月22日 晴れ 二日月
誕生日。私の。……どうしよう。最後くらいは祝ってもらおうかな。今年で19。どうやっても成人できないけど。これが最後の誕生日だけど。思い切って言ってみようかな。
「……まさか、あの二人に言ってないんですか?」
ゲアラハが信じられないと言った顔で私を見る。そんな顔でこっち見んな。なんだそれは。
「そうだよ。」
「今まで私たちの誕生日を散々祝っておいて?」
「うん。」
「信じられません。ちょっと呼んできます。」
あ、ちょっと待てよ。呼び止める間に彼は出ていってしまった。あーあー。自分で言いたかったのに。というか行動がはやすぎる。お前そんなにフットワーク軽かったっけ。
……思い返してみたけど、早かったわ。ごめん。
ドタドタ騒がしい音が聞こえる。もうちょっと静かに階段くらい上って来れないのか。
「おいナデシコ!」
「ナデシコ!」
ソルとアステルが扉を叩き開ける。そんな開け方だと蝶番が悪くなっちゃうじゃないか。
「「なんで言わなかったんだよ!」」
見事なハモリ。素晴らしい。2人の怒声をしらーっと右から左に聞き流す。なんでって言われても。私は祝うだけで十分だからね。祝われるのはあんまり得意じゃないんだよ。
「さ、2人の説教をせいぜい聞くといいですよ。」
こいつ……
その後数時間にわたり説教をされたのは言うまでもない。
くそう。あいつめ。アステルの部屋から苦薬を持ってきてねじ込んでやる。
21年8月31日 晴れ 十三夜月
食欲がない。暑さのせいだろうか。それとも病気のせいか。なんか痩せた気がする。明らかに細くなっている。そのうち骨と皮だけになる日も近いのかな。
血を吐く量が多くなった。あとは、呼吸が苦しくなることがあるようになった。
寝ることが多くなった。昼夜構わず眠りに落ちるようになった。日付感覚が若干おかしくなっている。
夜天の神がたまに夢枕に立つようになった。色々なことを話す。やはり冬は迎えられそうにないらしい。そっか。
21年9月1日 晴れ 小望月
遺書を書こうと思う。
今までの感謝を伝えるため、謝罪をするため、思い出を残すため。今まで色々あった。その思い出を、全部は書けないから掻い摘んで書いていく。書いている間に色んな思いが溢れてきて、思いと一緒に涙も出てきた。
遺書はこの日記の1番後ろのページに書いた。手が文字を書けるうちに書いておきたいと思った。
みんなに、感謝を。この世界に、感謝を。
21年9月29日 曇り 月はすぐそば
体が、いつもより重い。だるい。咳も止まらない。血も吐いた。
私、もうすぐ死ぬんだ。死が背中まで来た感じがした。もう、いつでも死が鎌で首を狩り取れる状態。そんな感じ。
死、か。
21年9月30日 曇り 月は隣にいる
起き上がれない。ギリギリ手は動かせるから、最期まで日記を書こう。
今日はみんなでお話した。なんだか、これで最後な感じがした。みんなの顔を、目に焼き付けた。死んでも忘れないように。
「私、みんなの笑った顔が1番好きだよ。」
私がそう言ったら、みんなが微笑んでくれた。一人一人、その顔を目に焼きつける。
私の大好きなみんなの笑顔。ああ、眠いな。
最後に、みんなの顔を見れてよかった。
ありがとう。