普段の魈と蠱毒の話毎夜繰り返される妖魔達の声にならない断末魔を背に、魈はこの夜も璃月から近い地区を見廻っていた。
次の獲物を探すように月明かりだけが照らす暗闇に視線を落とす。
骨を蝕む激しい痛みと、霞む意識はそのままに、業障の影響が強くなると仄暗い闇に呑み込まれそうになる。
頭の中で常に鳴り響く、悲鳴、泣き声、怒号が混濁してきて全てが魈を呑み込もうと襲って来た時だ。
「おい、魈!」
少し高めの少年の声が、混濁した意識の魈を呼び止めた。魈の足が縺れてふらついた。倒れそうになる所を蠱毒が慌てて駆け寄って抱きとめる。
「……っ、蠱毒?」
「お前、最近見かけねぇと思ったら…。また無茶苦茶しやがって…、ちったあ、頼まれて探す俺の身にもなれよ!」
「…ッ…我に、構うな」
小さな反抗が返って来るが、抵抗する気力も尽きていた為弱々しい呟きになってしまう。その弱々しい声に蠱毒は不安に駆られる。ぎゅう。と力の抜けた魈を優しく抱きしめると、肩と腰に手を回し身を清められる近くの川岸に歩き始めた。
「ちぃっと、まってろよ。魈」
「⋯⋯。」
苦しげに肩で息をする魈を川岸のすぐ横にある大木の根元にゆっくりと座らせる。
蠱毒は辺りの安全を確認すると、懐から2枚の札と淡い色の手拭いを取り出した。1枚の札は隠蔽の術を掛けて大木の根元に張り付ける。
「コレで2人分の気配は隠せる、か?」
きょろきょろと辺りを確かめ、目視でも確認する。近くに獣の気配も妖魔の気配もないが、念の為と魈の血の匂いを消すために残りのもう一枚を魈の鎖骨あたりにはりつける。
それから、流水が流れる川岸に近付くと淡い色の手拭いを冷めたい川の水に浸した。それを緩く絞ると魈のもとに戻って目立つ個所の傷口や返り血を拭っていく。
「魈。ちいっと、傷に滲みるが我慢してくれな」
「……っ、っ……う、!」
アチコチに大なり、小なりの切り傷が見られる。蠱毒には、魈が業障の影響で意識がハッキリしないまま妖魔を屠っていたのだと直ぐに分かった。
「また無茶苦茶だな、俺ら仙獣は傷の治りは早えけど、痛みはあんだから。もうちょっと気遣えって……はぁ。もう、どれが傷だか返り血だかわかんねえ。服、脱がせんぞ…」
「っ、お前、………」
その言葉を言うだけで精一杯。と、いう荒い息遣いのみが夜の闇に消えていく。
実際、蠱毒も返り血と自分の血で汚れていたし疲労は大分溜まっている。魈の姿が見えなくなって、直ぐに帝君の命を受け璃月と蠱毒が思い当たる全ての捜索を命じられてから丸3日ほど経つ。
魈を探すその間は、璃月中の魔獣も妖魔もヒルチャールもほぼ寝ずに余すことなく屠っていた。
幾ら自分の血肉が妖魔の魔を退ける作用があると言っても、精神は摩耗するし痛いものは痛い。疲れがでてきて、己が怪我をしてしまうもの致し方ない事だろう。
上衣だけを脱がせると、蠱毒はぶつぶつ文句を言いながら魈の身体を拭き手当していく。傷口を丁寧に水で洗い最後に止血どめの軟膏を塗っていくと、ようやく血が止まってくる。
「蠱毒、…もう十分だ」
徐々に魈の意識が戻ってきたのか、言葉も大分はっきりしていた。地べたに手を付き、片手で魈の顔に付いた血を拭う。そのついでに蠱毒は魈の顔を覗き込んだ。
「ん。意識が戻ったか?」
「……ぁあ」
意識は戻ったが魈の体調は芳しくないのが見て判る。顔色は青く息は浅い。早めに仙丹を飲ませたほうがいいだろう。
蠱毒は魈の服を探ると、仙丹が入っていただろう小さな袋をみつける。しかし中身は空っぽだった。
「おい、魈」
蠱毒の普段のんびりした顔つきがやや険しくなる。眉間にシワを寄せて困り顔で魈を見つめた。
蠱毒は古く生きる蛇故に、薬師にも精通してる。薬学、特に仙丹の調合に明るい。それもあって、岩王帝君に救われたあと契約を持ちかけられたと言っても過言ではない。
魈が定期的に飲んでいる連理鎮心散も岩王帝君と蠱毒で知恵を出し合い作成したものだ。契約によって魈には言えないのだが。
「連理鎮心散、もってるよな?」
「……。」
魈が黙って目線をそらす。その無言の返答に困ったが、大体の予想が付いていたので蠱毒は面倒くさそうに頭をポリポリかきながら、大きなため息を吐いた。こう言っては何だが、蠱毒が今まで、魈を怒ったことは一度もないのが不思議なくらいだ。
「しゃーねえなぁ…。」
─俺の洞天行くか。─そう付け加えて手を差しのべた。
────────
蠱毒の洞天にある屋敷は、蠱毒の儚げな見た目と反して豪奢な造りになっている。落ち着い赤を基調に、白と金屏風が似合う邸宅だ。
内部は赤茶の柱と、象牙色の漆喰で塗り固められており、古民家のよな落ち着きをみせる。長い廊下を抜けて、奥まった場所の扉をあけると、一際大きなベッドが部屋の真ん中に鎮座していた。天井からたれる天蓋を避けて、蠱毒は背中に背負っていた魈を布団の上に放り投げた。
「…!」
「いま丹薬探すからそこで待ってろ」
ふん。と、踏ん反り返って不満を口にしてから、蠱毒はベッド脇にある、黒塗りの金縁が高そうなタンスの引き出しを開けていく。「確か、ここに連理鎮心散を入れたんだけどなぁ…。何処だっけ」とぶつぶつ聞こえてくる。
魈は仰向けのまま、天蓋からたれる透けた絹の布をぼんやりと眺めて、そのまま視線を蠱毒の背中に向けた。
「相変わらず趣味が悪いな…。」
「その口が聞けりゃあ、上等だな」
「怒らないのか?」
蠱毒は引き出しの一つから、白と翡翠色の巾着を見つけると、その中にある紙に包まれたままの丹薬を取り出す。
仙術で器用に水差しを手元に引き寄せると、魈に手渡した。
「怒ったとて、お前が聞かねぇのは今更だろ」
「…。」
ため息混じりの蠱毒の表情は悲しそうで、魈にはそれがいちばん堪えると知っている顔だ。
黙って渡された丸薬を包み紙から剥がすと、口に放り込む。
ビリビリとした渋みとも辛味とも言えぬ味に眉を潜め、水とともに嚥下した。