新任教師明智先生と前歴持ちの雨宮くんの話⑫...そう。全校朝礼で説明してもらって、雨宮くんは前科者のレッテルを完全に拭えたわけね
ええ。鴨志田も暴力行為を認めて生徒達に謝罪をした後に警察に出頭しましたし、おかげで悪い噂は完全に消えましたよ。これで蓮も少しは学校で過ごしやすくなったんじゃないかな
それで?貴方も正式に弁護士を兼業してることを学校で明かしたわけ
まあそうですね。獅童も晴れてブタ箱送りにできましたし、もう隠す理由はもうないかなと
...ふぅん。だったら、これからはちゃんと生徒達に誇れるように弁護士としての仕事もしっかり頑張ってもらわないといけないわね。期待してるわよ、明智先生
あはは...過労死はしたくないので程々にお願いします
安心して。労基に引っかからない程度にはしてあげるわ
安心できないなぁ、それ
諸々が全て落ち着いた仕事終わりの夜。
冴さんの車で自宅まで送ってもらいながら他愛ない話をする。まだ夜の七時だというのにすっかり日が落ちて暗くなった夜景は走り続ける車窓の中で走り続ける。今は暖房が効いている車内でも、外に出れば忽ち真冬らしい突き刺す寒さが全身を包むだろう。
そういえば雨宮くんは今も貴方の家に居るの?
とっくに帰しましたよ。冤罪が証明された時点で、蓮とご両親がすれ違う理由もなくなります。帰るべき場所には、ちゃんと帰らないと
そう。なら、一人に戻って寂しくなっちゃったわね
...は?それ、どういう意味です?
不思議な言い回しをされてしまい、思わず運転を続ける冴さんの横顔を見てしまった。一瞬だけ横目の視線と交わったが、すぐにその瞳は前を向いた。
雨宮君を家に引き取ってからの貴方、随分楽しそうにしてたから。雨宮君にとっても君にとっても、今までの暮らしはいい塩梅になってたんだなと思って。心身共にね
やだな、彼はただの生徒ですよ?確かに家事とか食事とかに関しては結構助けられてましたけど
あら、自分で気づいてないの?私の目から見て教師を始めてからの貴方、随分変わったわよ。昔の明智君なら絶対鼻で笑ってることばかりしてるもの。自分の家に他人を連れ込むとか、絶対しなかったでしょ
......僕はただ昔の自分みたいなことしてるアイツが気になっただけで
昔の君はそういう相手だろうと目に留めることもしなかったと思うけど?
教師と弁護士の二足のわらじなんて効率悪いし遠回りだってずっと反対してたけど、色んな生徒と関わることで貴方みたいな捻くれた子でも人並みの父性本能を育む機会ができて結果的には良かったのかも。子供の頃から面倒を見ていた身としては、君がしっかり成長できてる姿を見れて安心したわ
..............
何が父性本能だ、ふざけるのも大概にしろ。そんなわけないだろうが───と頭では思っているし言いたい文句は山ほどあるのに、いざ冴さんに反論しようとすると言葉がどうしても見つからなかった。今は何を言っても墓穴を掘りそうな気がするから。代わりに出てきたのは、大きな溜息。
......ほんと、いつまで子供扱いしてくるんですか
あら、私にとっては貴方はずっと生意気な子供だけど?
そんなだから婚期を逃すんですよ。そろそろ真も心配を通り越して諦めて生涯姉の介護をする覚悟を決めてる頃かもしれませんよ
失礼ね、貴方にだけは言われたくないわよ。少なくとも私は自炊はするもの。一丁前に顔と頭が良いからって生活力が皆無な男に何を言われたところで痛くも痒くもないわ
........嫌な女
ふふ、お褒めに預かり光栄よ。『吾郎くん』
昔から今も冴さんの言葉には逆らえない力がある。本当に心底厄介で、永遠に敵わない。そんな彼女から逃げるようにさっさと車から下ろしてもらい、あっという間に小さくなっていく車を見送る。アタッシュケースから鍵を取り出しながらエレベーターに乗り、自分の部屋に続く扉の前で立ち止まった。
......寂しい、ね
鍵穴に鍵を差し込み横に捻るとガチャンと音が鳴る。
つい鼻で笑ってしまう。冴さんもああ見えて随分と可愛いことを言う人だ。あんなクソガキが帰って寂しいなんて、そんな感情を抱く暇なんかありはしない。
だって、アイツは───
あ、おかえり明智。今日は早かったな
───せっかく家族間の関係修復に時間を割いてやったというのに、飽きもせずこうして定期的にこちらに来ては勝手に食事を作って家主の帰りを待っているのだから。
もう少し遅いかと思ってたからまだ出来てないんだ。ちょっと座って休んでてくれ
言いながらアタッシュケースをひったくられ、蓮は足早にリビングへと帰っていく。毎度毎度家政婦か何かかよと思いつつ、蓮の後を追うようにこちらも革靴を脱いで中に足を踏み入れた。
手洗いとうがい、着替えを済ませて言われた通りに座ってテレビを眺めているうちに、目の前のテーブルに蓮が用意した夕食が並べられる。
待たせて悪かった。召し上がれ
そうして満足気に笑う蓮はいつもの様に向かい側の椅子に腰掛けるが、用意された食事は僕の分しかない。これが蓮が自宅に帰ってからの日常で、変わってないように見えて変わったこと。こいつはわざわざ僕の夕飯を作る為だけに律儀にここまで足を運んでいるのだ。
……君さ、こんなこと繰り返しててご両親に怒られないわけ?
別に。むしろ明智の生活力の無さを話したら心配してたぞ。むしろ行ってこいって言われた
どいつもこいつも料理作らないだけで生活力の全てを無しだと判断しないで欲しいんだけど
あんた、作らないんじゃなくてそもそも何も食べないじゃないか。生活力以前の問題だろ。論外だよ、論外
僕だって腹が減れば何かしらは食べるよ
食べるの冷凍食品かカロリーメイトだろ。そうならないようにいつものやつまた冷蔵庫に入れたから、腹が減った時はそっちを食べろよ
『いつものやつ』とは自宅に住処を戻した後の蓮が定期的にここに来る度に一緒に持ってくる作り置きのおかずが詰め込まれたタッパーの話だ。
蓮が作ったり、蓮の母親が作ったものだったり、一緒に作ったものだったりするらしい。子も子なら親も親というわけだ。
居候してた頃に明智にご飯食べさせるために色々料理の勉強したわけだけどさ。それを話したら母さんに教えてって言われたんだ。昔と最近だと作り方とか味付けとか違うみたいで、そのやり方は知らなかったって言ってた。父さんも美味しいって言ってくれたし
……ふぅん。そういう会話ができるくらいにはご両親とは仲良くできてるんだ
ん。会話が途切れる時は気まずくなる時もあるけど、ほぼ今まで通り
学校はどう?見た感じ、随分クラスには馴染めてるように見えるけど
ああ。あんたの見た通りだと思う。色んな奴が話しかけてくるようになった。それに三島のクラスに居る坂本って奴が気さくでさ。この前二人で牛丼食べに行ったんだ。ちょっとうるさいけど、良い奴だ
ああ、坂本くんね。あの子もずっと君のこと気にかけてたから
俺が学年トップだからってノート見せて欲しいとか、勉強のコツを教えて欲しいってよく聞かれるようになった。一学期の俺が見たらビックリするくらい周りが賑やかになったよ
校長が開いた緊急の全校集会以降、蓮を取り巻く環境は僕の目から見ても分かりやすく変わった。蓮の無実は校長の口から全生徒に告げられ、生徒達の蓮への悪い印象は払拭されている。四月頃から漂っていた学校に暴力行為で前歴持ちになった生徒が居る、というピリピリした空気も今は完全に霧散。三島くんと居る姿や、D組の生徒達が蓮を囲んで賑やかにしている光景はもはや見慣れたものとなった。
良かったじゃない、元通りになれて
全部明智のおかげだ
そう答える蓮の口元は嬉しそうに緩んでいる。
親には褒められて、学校では友達が増えて。絵に書いたような『嬉しい出来事に喜ぶ子供の顔』のそれ。見ているこっちが恥ずかしくなってくる程にその笑顔は浮ついていた。ここまで素直な反応をされてはこっちも頑張った甲斐があったというものだ。自然とこちらの口も釣り上がる。
だったらこんな所に来てる暇なんか君にはないんじゃない?ご両親には行ってこいって言われたって言うけど、あんまりこっち来てたらあの人達は避けられてると思うんじゃないの?
…? そんなことない。今度皆で食事に行こうって話になってて。父さんが明智も誘ってほしいって言ってた
そんな水を差すマネはできないよ。折角仲直りできたんだから、家族水入らずで行くといい。来年は受験なんだから友達と楽しく遊べるのだって今のうちなんだ。僕に構ってないで貴重な時間は友達と過ごしなよ
………………
箸でつまんだ野菜炒めを口に入れる。
モヤシや人参、ニラと豚肉が入って炒められたそれはシャキシャキという食感が残りつつも塩味というシンプルな味付けをされていて、濃すぎず薄すぎない食べやすいものだ。
蓮の料理は確かに美味しい。こうして実家に帰った後も食事の用意をしてくれて、作り置きのおかずも置いていってくれる気持ちも勿論ありがたい。しかし、僕と彼は家族でも親戚でも親密な友達でもない、ただの担任と生徒であるだけ。本来新年度に上がって担任が変われば、それで終わるような関係だ。そんな相手のために学生らしい時間も、家族との時間すらもコイツはそっちのけにしている。こんなこと普通の高校生はしないし、してはいけない。自分を愛してくれる家族と過ごして、仲のいい友達と年相応に楽しい時間を過ごして、勉強して、進学なり就職なりをする。
それが、十七歳の高校二年生としてはあるべき姿のはずだ。
………でも俺、あんたに恩返ししたいから。今の俺にできることが食事作ることしかないってだけで、あんたにしてやりたいことは山ほどあるんだよ
そんな大層なことしてないってずっと言ってるだろ。僕は弁護士としての職務を全うしただけ。冤罪の依頼はよくあるんだから
あんたがそう思ってても、俺にとっては大事な出来事だったんだ。明智が俺のためにただの担任と生徒の関係に戻そうとしてくれる気持ちは分かってるけど、俺はそんなの嫌だから
……………………
まあ……明智が迷惑だって言うなら……今すぐやめるけど……
言うだけ言いきったくせに、いきなり自信をなくしたようにシュン……とした顔で言われる。そんな飼い主に捨てられた子犬みたいな顔をされても反応に困る。
でも明智は俺のドン底だった人生を救ってくれた恩人で、恩師なんだ。だから、迷惑じゃないなら……なるべく沢山恩返ししたいんだよ
───────
…………誰よりも死に物狂いで勉強した学生時代をすごしたけれど。別に弁護士も教師も、なりたかったからなったわけじゃない。ただ単にそういう肩書きがあった方が獅童をより見返せると思って。そんな、本気で目指してる人達をバカにするような理由だった。
だからコレが自分の天職だとも思ってない。弁護士はともかく教師なんて以ての外で、お気楽な脳足らずなガキ共なんかに好かれるとも、愛着が湧くとも、夢にも思ってなかったっていうのに。
(……恩師、か)
まさかそんな僕が、生まれて初めて受け持った生徒から───そんな言葉を貰うことになるなんて。
…………ハァ
癪だけど、冴さんの言う通り。
どうやら僕も、コイツのせいで随分と絆されてしまったようだ。
……少なくとも迷惑ではないから安心しなよ。そこまで分かった上でそう言うなら僕から言うことは何もない。好きにしたらいい
っ!好きにしていいのか?
勝手にしなよ。ただ、僕に構いすぎて成績が落ちたとか言い出したらぶん殴るからな
それなら大丈夫だ。今までだって平気だったろ
そしてまた、ニィッと歯を剥き出しにして嬉しそうに笑う。
随分と表情の移り変わりが分かりやすくなったものだ。出会った時は人間嫌いの野良猫みたいにムスッとした顔をしてたくせに。まあそれだけ懐かれてしまったという事だろう。つまりは、僕もコイツもお互い様ということだ。
三年になっても担任は明智が良いな。そうしたら今度こそ楽しい学校生活が送れそうだ
僕は御免だね。君みたいな厄介な生徒はもう持ちたくないよ
とか言いながら実は寂しいくせに
寝言は寝て言えよクソガキ
泣いても笑っても、蓮とこうして他愛もない時間を過ごせるのはあと一年だけ。彼がどういう進路を選ぶのかは、これから嫌でも分かるだろう。
学校はあと一ヶ月と少しで春休み、春となり四月を迎えれば二年生以下の生徒達は揃って進級する。そして、新しい学年を迎える生徒達と教員達のクラスの割り当ては既に決まっており、その名簿は教職員達に秘密裏に配られている。何が言いたいかといえば、そう。
……お望み通り、僕はまた来年もコイツのクラスの担任となってしまうわけである。