「明智は、好きな食べ物とかあるのか?」
ふと、そんなことが気になった。
そういえば彼からその手の話を聞いたことはないなと。
「特にこれといったものはないね」
そんな問い掛けにカウンター越しの席に座る明智はコーヒーを啜りながら会話が続かない返答をした。
「まあ強いて言うならここのコーヒーかな」
「いやそういうんじゃなくて」
「そう?」
普段ブログなどにあげてる写真はあくまで売名のための行為であり彼自身の好物を食べ回った日記というわけでもないのだろうか。それはそれとして悩む素振りもなく即答する明智は、他に話題はないの?みたいな顔をしている。しかし、これはなんとなく「そうか」で終わらせるには勿体ない話題な気がする。
どうにかしてこいつの好物を引き出したい。よく分からないけどそんな考えに行き着いた。
「じゃあ、……そうだな。何か食べに行こうって誘ったら何が食べたい?」
「…今から?もしかして君がご馳走してくれるってこと?」
「え。あ、あー……。まあ……うん。金ならあるし」
予想外の流れになったが人の話題をバッサリ切ったような男だし、自腹となれば断るかもしれない。
幸いメメントスで荒稼ぎしてお金には文字通り余裕はある。ここまで来たら明智のことを知れるためなら金などいくらでも使ってやろう。
「ふぅん……。まあ君、色んな所でバイトしてるらしいからね」
そこで初めて明智が考える動作をした。
しばらく口元に手を当てて、それこそ推理中の探偵のようなしぐさで考えている。
そして食べたいものが決まったのか手を下ろして、
「じゃあ、寿司で」
〇 〇
そうしてやって来たのは、都内にある回転寿司のチェーン店。
この時間帯の店内は親子連れや老若男女のグループが多い。平日だからか満席には至らなかったらしく、すぐにボックス席に案内された。大量にストックされたウエットティッシュタイプのお手拭きで手袋を取って顕になった素手を拭いてから、明智は「じゃあ食べようか」と笑った。
「意外だな」
「何が?僕が寿司って言ったのが?」
「いや、それもそうだけど。明智の事だから同じ寿司でも回らない方を要求してくるのかと」
「何度も行くような仲ならともかく初めてご馳走になる身でいきなりそんな高級なところに行こうとは考えないよ」
「まあ、それもそうか」
明智と同じようにお手拭きで手を拭いて、お茶の用意をする。
「それに収録が長引いちゃってお昼食べ損ねててお腹減ってたんだ。回らない寿司も惹かれるけど、ああいうところって値段が張るわりにそこまで多くは食べられないからね。今は質より量の気分だったんだ」
「…なるほど」
明智用にとお茶を入れた湯呑みを渡す。
「ありがとう」と短く礼を言いながら、明智は早速中身をズズズと喉に流し込んだ。
「そう考えると、僕の好物は寿司なのかもしれないな。食べる機会はあんまりないんだけど、食事に行こうって誘われると寿司が食べたいなと思うことはよくあるよ。前も知り合いの検事さんとも行ったしね」
「それならこれからも度々食べに来よう」
「はは、君がまたご馳走してくれるなら喜んで」
言いながら、明智はすぐ隣のレーンに視線を向ける。回転寿司であるからには当然レーンの上には様々なネタを乗せた寿司が大名行列のごとく並らんで、そして流れていく。
明智はその列に手を伸ばし、流れてくる皿を片っ端から取ってはテーブルに乗せていく。あっという間に彼のスペースは様々なネタの皿で埋め尽くされた。
「……初っ端から飛ばすなぁ」
「だからお腹減ってたんだって。……あ、醤油の種類が沢山あるね。面白いや。食べ甲斐があるよ」
確かにテーブルに置かれた醤油には、だし醤油や刺身醤油、甘口醤油など醤油だけで五種類くらいのレパートリーがある。それを売りにしているのだろうし、そこがこのチェーン店の人気の所以なのだろう。
こちらもいくつか皿を取って机に乗せる。明智は早々に確保した寿司に一つずつ違う醤油をかけながら食べ比べを楽しんでいる。
「うん、だし醤油で食べると美味しい」
「甘口も美味しいぞ」
「そう?じゃあ次は甘口かけてみようかな」
「じゃあだしで食べてみよう」
などと会話しながら、互いに醤油を交換しながら食事を続ける。
寿司であるからには一口で終わってしまうからか、明智のペースは止まらない。彼の周りには空になった皿の山が次々と築かれている。食べ始めて十分にも満たないのに既に皿の数は十枚をとうに超えた。この分だと二十枚などあっという間だろう。ここまで来ると一周回って会計時に総計何枚になるのかが気になってきた。自腹だけど。
そんなことも我関せずと言った様子で、相変わらず明智のペースは早かった。
「明智はもっと少食だと思ってた。身体も華奢な方だし、わりと童顔だし」
「君も人のこと言える顔立ちではないけど…まあ食べる量はいつも少ないよ、食べないだけだけどね。それに見た目が華奢だから少食っていうのは偏見だよ。小柄な女性が5kg以上ある大盛りの丼ぶりを平気な顔で平らげるとか、そういうのよくあるでしょ?」
「まあそうなんだけど、明智は普通盛りのラーメン一杯食べるだけでお腹いっぱいって言いそうなイメージだったから」
「ラーメンに関しては満腹というより胸焼けで一杯でいいってなることが多いかな。最近のラーメンって脂が多いだろ?ニンニクとか馬鹿みたいに入れちゃうし。あれ凄いよね」
「……まあ、ラーメン三郎のメニューとかは、そういうの多いらしいな」
竜司に誘われた事はあれどなんだかんだでまだ行ったことはないけど。
「でしょ?」と言いながら、明智は食べたものを胃袋に流し込むようにお茶を飲む。
「でもまあ今日に関してはビュッフェに来た気分で食べてるよ。人の金で食べる飯って言うのは特別に美味しく感じるものだからね」
ニコッと悪びれもなく笑ってみせる明智に苦笑いしかできない。
結局明智は二十五皿分の寿司を平らげた後、更に茶碗蒸しとあおさ汁、果ては口直しにとバニラアイスを追加で頼んでその上で涼しい顔で口元を拭いていた。こちらもこちらでそれなりの量を食べてしまったので、思った以上に破産した。
……明日からまたメメントスに籠って資金集めを始めなければ。
「ご馳走様。本場の味には適わなくてもやっぱり寿司は美味しいね。満足したよ」
「それはどうも」
会計を済ませて店を出て二人で駅に向かう。
「大人と食事する機会はよくあったけど、君みたいな同世代で気心が知れた相手と食事は初めてだったから肩の力も抜けて楽しかった。良かったらまた誘ってよ」
「じゃあ今度は回らない方の寿司でも食べに行くか?」
「え……本気で言ってる?」
「正直な話、さっきの会計とあっちに行くのとじゃ値段全然変わらなかった。だから今度は質を取ろう」
「あはは、じゃあそのうち連れてってよ。…言質、取ったからね」
そう言いながら笑った明智の顔は、どことなく嬉しそうにしていた。
──────なんてこともあったな、と思いながら時は過ぎる。
色んな人間達を改心させ、一度警察に捕まり拷問を受けて明智に殺されかけ、獅童のパレスで明智と戦い、……色々あって、その獅童も改心させ、認知の歪みの元凶たる統制の神とも戦って、世界を取り戻し、波乱の年末を越した。
そして新年早々に丸喜が創った全ての人間の願いが叶った偽りの世界に囚われた俺達は丸喜を改心させるべく、来たる二月三日に備えてパレスやメメントスの攻略と学業に勤しむ三学期を過ごしていた。
その顔ぶれには、経緯は謎だか獅童パレスでのあの一件からどうにかして生き延びて再会を果たした明智も加わっている。
あの時に『自身』を晒したから取り繕う必要はないと判断しているそうで、何も知らないすみれの前だろうと関係なく、清廉潔白な探偵王子をしていた頃のさわやかな笑顔の仮面を被った明智吾郎は見る影もなくなった。
そしてその代わりに居るのが─────常に冷めた態度で、それでいて時折口が悪く、少し機嫌が悪そうにしている、ありのままの明智吾郎だった。
〇 〇
雪でも降りそうだなと思うくらいの寒空の下。銀座駅に降り立ったその足で集合場所に向かう。
近づいたところでこちらに気付いた明智は、ただでさえ顰め面だった顔を更にムスッとさせる。
「ごめん。待った?」
「はぁ?」
「今来たところ」だなんてテンプレのような言葉が帰ってきそうな雰囲気は、このゴミを見るような視線を見るに確実に無い。
仕方ない。ワガハイも連れてけとごねるモルガナを説得しつつ撒くのに時間がかかったのだ。
「遅いんだよ。これで明日になって風邪でも引いてようものならベッドの中で君のこと百万回呪い殺すから」
「ロキは呪怨属性だから洒落になってないな」
「吉祥寺のパワーストーンの店って品揃えが良いらしいね。即死の確率が上がるような装備品ってあったりすると思う?」
「ごめんって」
本音を隠さなくなった明智は基本的に言葉の節々に棘があってかなり辛辣だ。
ここまでギャップがあると一周回って探偵王子を振舞っていた頃はさぞ窮屈だったんだろうな、なんて本人に言ったら冷たい視線と言葉が帰って来そうなことを考えてしまう。
「で?いきなりこんなところに呼び出したからには余程重要な要件なんだろうね?」
腕組みをしながら、さっさと言えよという顔がこちらを睨む。
何を隠そう今この場に男二人が並んで立っているのは、この俺自身が現地集合ということで明智を銀座に来るよう呼びつけたのだ。
「ああ、俺にとっては重要だ。明智にとっても大事かもしれない」
「はっ、どうだか。高級寿司屋にでも連れてってくれるとかならともかく、どうせそんなのとは無縁のアホみたいな要件なんだろ。内容次第ではすぐ帰るからね」
「え」
不意をつかれて言葉を失った。
まさか、明智の方からその話を振ってくるとは思わなかったから。何も返事を返さない俺を見て、明智も珍しく戸惑ったように目を丸くした。
「…嘘でしょ。まさか本気で…?」
「いや…うん。だって、約束したし…」
「……あんなの普通に冗談だと思うだろ」
「でもほら、白い方のメメントスで今まで以上に金稼げたから……」
────折角もう一度会えたんだし、行くなら今しかないと思って。
「…………………」
互いに口を閉ざし、なんとなく気まずい雰囲気になる。
が、すぐに明智が背を向けて歩き始めた。
「…帰るのか?」
「は?行くんだろ、寿司屋。今思うとあの口ぶりは行ったことあるって事だし、君ら馬鹿集団が行ってて僕がまだ行ったことないの凄い癪だから、槍が降ろうとなんだろうと連れてってもらうから」
「え、あ、はい」
「なんで敬語?」
そうして二人で入店した件の寿司屋は、怪盗団との打ち上げの他にも祐介や寅之助、佐倉親子と交流を深める過程で度々来店していたのだが、運良く見た事のない男性が板前を務めていたので明智に今日が五度目の来店である事がバレる事はなさそうだった。
「……………………」
明智は所謂『回らない寿司屋』というものの景観を興味深そうに見渡している。席に座ってコースメニューを注文すると、すぐにカウンター越しに立つ板前が握ったばかりの鮪の握り寿司を目の前に設置された寿司皿にスっと置いた。
脂と板前が塗りこんだ醤油のおかげでチェーン店の握り寿司とは比べ物にならない鮮度を誇る輝きを放ったそれを、明智は物珍しそうに凝視している。その表情は、探偵王子を振舞っていた頃に非常に稀に見せていた純粋な好奇心に満ち溢れたものだ。だってほら、なんとなく夕飯とかに好きなものを出された時に子供が浮べるのぱぁぁぁっ!て感じの、キラキラしたオーラが見えるし。
ここ最近の彼はこの世の全てに関心がないかのような顔をしてばかりだったから、その素直な横顔がなんとなく微笑ましくて寿司を食べる前からお腹いっぱいな気分になる。
「今の明智も、そういう顔できたんだな」
「────えっ?」
そう声をかけると、ようやく我に帰ったのかキョトンとした顔がこちらに向いた。
そしてすぐにその意味と自分が晒した醜態を把握したのか、明智は恥ずかしそうに頬を赤くして口をへの字にして顔を逸らした。
「……人をなんだと思ってるわけ?僕だって初めてのものに感激する感情くらいは持ち合わせてるよ」
「いや、感激の次元を超えたオーラ出てたけど」
「うるさいな。憧れてたんだから仕方ないだろ」
未だに頬を赤らめたまま拗ねたように出された握りを口に入れる。
そして口の中に広がる高級寿司の所以たる上質な味に、口元を手で隠しながら再び表情が晴れてぱぁぁぁというオーラが舞ったが、すぐにハッとして俺に見られているということを思い出したのか顔を歪ませて、それこそ鮪の赤身のように真っ赤にさせた。
まさに明智百面相。楽しすぎる。
「念願の回らない寿司屋でウッキウキな明智、動画に撮っていいか?」
「肖像権侵害で訴えて今度こそ本物の前歴持たせるぞゴミメガネ」
「本当に口悪いな」
─────そんな、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
会計を済ませて、改めて伝票を見る。やはり明智が爆食いしたあの日の会計とほぼ値段は変わらなかった。
先程までは色んな表情を見せてくれた明智も、店を出れば本来の冷めた顔に戻ってしまった。
「ご馳走様。君のクソみたいな視線は殺してやりたいほど鬱陶しかったけど本場の寿司は美味しかった。満足したよ」
「それはどうも」
なんて、既視感のある会話をしながら店を出る。
「でも質を取るのもいいけどやっぱり量も大事だね。美味しかったけど物足りない」
「二十五皿分の寿司がたった十貫に減ったら、そりゃあ足りないだろうな」
「言っておくけどあの日は食べようと思えばまだ食べれたよ。君の財布事情に気を使ってあれで我慢してあげてただけだから」
「あれだけ食べてまだ足りなかったのか。凄いな」
「今思うと君の主な収入源ってメメントスだったんだろうし気遣う必要なんて一つもなかったね。どうせシャドウ轢きまくって荒稼ぎしてたんだろ」
「まあ、そこは人間性次第だから」
「ハッ。よりにもよって僕にそれを求めるわけ?」
「求めるよ。明智だって人間なんだから」
「ほんと、君と話してると色んな意味で退屈しないよ」
「ありがとう」
「褒めてない」
暖房が効いた店内ですっかり身体が暖まってしまったからか、外に出るなり真冬の夜の寒さが身体を突き刺してくる。電気の明かりに照らされた夜空を見上げると、白い雪が降り始めていた。なるほど、寒いわけだ。
寒さから逃げるように駅構内に入れば暖房がなくとも人の熱気でそれなりに暖かい。明智の家がある駅と四軒茶屋は初っ端から反対の方向の電車に乗らなければ帰れない。改札を通れば、俺達はそれぞれ別の道を行くことになる。
それがなんとなく名残惜しくて立ち止まる。そんなのも気にせずさっさと自分の帰路に向かって行ってしまうかと思ったが、意外にも明智もまた足を止めてこちらに振り向いた。
「蓮」
「うん?」
「言質取ったよとは言ったけど、僕はあんな口約束、本気にしてなかった。あの頃にはもう獅童と君ら怪盗団をどうするかの話をつけてたから」
「うん」
「なのに君は馬鹿正直に本気にしてた。僕に殺されるとも知らずにね」
「うん。でもこっちだって盗聴する前からお前を疑ってたよ。それこそパンケーキのことがあったから」
「だったらなおさら君は馬鹿だよ。救いようがないくらいに」
「それでも良いよ。俺がそうしたかっただけだから」
「……チッ。本当、動じない奴」
舌打ちしたかと思えば今度は大きく溜息をされる。
どうやら罵倒するために話しかけただけではないらしい。
「……連れて来てくれてありがとう。本当に美味しかった」
「え…」
「そういえば行きそびれてたなって、ずっと思ってたから。…君と行けて良かったよ」
「─────────」
…心臓をグッと掴まれたような感覚がした。
「話はそれだけ。じゃあ、またね」
そうして明智はこちらに背を向けて、歩き出す。
その後ろ姿を見ながら、頭の中では彼の言葉がグルグルと巡っている。
…行きそびれてた?なんでそんなことを言うんだ。今さっき行ったばかりじゃないか。そこは「ずっと行きたかった」じゃないのか。
どうしてそんな、行きたかったけど行けなかったみたいに言うんだ。どうして、別れの挨拶みたいなことを言うんだ。
「………」
明智の後ろ姿はどんどん遠ざかって、駅の中を歩き回る色んな人間達に紛れていく。
その姿が、地面に落ちたらすぐに解けてなくなってしまう雪のように儚く見えてしまって――
「明智!」
つい駆け出して、その手を掴んだ。
「また、食べに行こう。今度は現実世界に帰ったら。…明智が帰って来るの、ずっと待ってるから」
現実世界に帰れば明智は獅童の立件のために俺の代わりに出頭して、そして逮捕される。
彼が犯した罪はそれだけ重いのだ。もしかしたら一生釈放されることはないかもしれない。そしたら寿司折を持って面会室に行って二人で食べてやる。…それが叶うのだ。
だって、明智は今もこうして生きているんだから。
「…蓮。君、分かって言ってるの?」
振り向いた明智は驚いたように目を丸くしていた。
「何をだ」
「……いや。その顔は分かってなさそうだね。なんでもない」
「だから何の話だ」
「なんでもないって言ってるだろ。忘れていいよ」
「…なら忘れる。だから、絶対また行こう。必ず連れて行く」
腕を掴む力を強める。
明智はハハッと小さく笑うと、
「…言質、取ったからね」
嬉しそうで。
でもどこか寂しそうに、そう言った。