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    ※ライチの種はきちんと除いてから食べましょう。
    『光の庭』読了後推奨ですが、時代は現代、細かい設定は改変しています。シンの女遊び設定がなくなったりとか。

    続編制作予定です。シンが香港に到着してから、若様と心身を通わせる話です。

    #シン月
    crescentMoon

    茘枝 夕方、月龍から荷物が届いた。
     月龍が香港に拠点を移してから半年ーー六月の初夏。大学から一度自宅に戻り、いつも通り英二の自宅へ向かおうとしていた頃だった。呼び鈴が鳴り、背負っていた荷物をおろした。ドアを開け配達員から箱を受け取ると、冷蔵で送られてきたのだろう、冷やりとした温度が手を伝ってくる。
     シンは、伝票を見るまでもなく、これの送り主を思い出した。そういえば二日前の晩、月龍から連絡をもらっていたのだった。

    ===


     普段通り英二と一緒に夕食をとっていたとき、普段とは違う着信音がシンの携帯から鳴り響いた。月龍だ。普段の着信音は携帯のデフォルトの音源、この着信音は、なんとかっていう音楽家の『月のなんとか』という曲だった。元は優美なピアノ楽曲だったが、これは安っぽい電子音でびりびりと耳元を震わせるのだ。もともと題名に惹かれてタップした音源だったが、想像していたよりもずっとチープな音質に親しみやすさを感じ、以来ずっと月龍専用にしている。
     シンは、二つの理由で月龍とそれ以外とで着信音を分けていた。一つは、滅多にない月龍からの連絡を逃さないため。二つは、英二のもとで月龍と会話することを避けたいためである。
     シンは「わり、仕事の電話だ」と言って席を外した。「わかった。いってらっしゃい」と言う英二にいそいそと背を向けて、同じく食事中のバディの視線を受けながら、リビングから廊下に抜けた。リビングと対角線上の、できる限り声の届かないところに移動し、通話ボタンを押す。

    『やあ。久しぶりだね』

     端末が、月龍の声の形に震える。彼とこうして音声で会話するのは、ひと月以上ぶりだった。
     月龍がニューヨークを離れてから一ヶ月は、週に二度はこうして通話していた。彼は、殺めた兄たちに代わり、華僑の闇だけでなく光までもを担う立場となった。「齢十八の若輩者」と罵り続ける声は、一応存命の彼の兄・華龍を盾として巧みに利用したことおかげで、さほど障害にはならなかった。
     しかし、これまで何千年と続いた長老体制をすぐに変えるわけにはいかない。そこで、慎重に事を進めるため、現状報告を兼ねてシンの意見を聴くという建前で、通話だけでなくメッセージでも連絡を取っていたのだった。
     けれども、故郷に戻ることができたとはいえ、香港は現在も目まぐるしくその様相を変えている。懐かしい風景は更新され、存在しない。幼少期を共に過ごした両親も、今はもういない。臣下はいるが、右腕——シンはここにはいない。そう考えると、さすがの彼も寂しさを覚えずにはいられなかった、というのが本音なのかもしれない。
     そういうことで、月龍が拠点を移した初めの一ヶ月間は、電話で月龍の話を聴きつつたまに提言したり、世間話をしたりした。
     だが、いつまでもそうしていられるほど月龍は暇ではなかった。一ヶ月で拠点の態勢が整うと、本格的に仕事に取りかかるようになった。
     加えて、時差である。ニューヨークと香港はその時差が十二時間にもなる。シンは夜中まで勉強しているため、構わずいつでもかけてこいと月龍に言った。しかし、「君の集中を害すわけにはいかない。ぼくが君の学業を援助しているのだからね」と言って、けっきょく香港早朝、ニューヨーク夕方の時間に電話することが常となった。ところが、月龍はもともと朝に弱い。長年に渡って李家の闇を支配した人間であり、夜型の生活を過ごしてきた。環境の変化も相まって、彼は早朝の電話をかけることが物理的に難しくなっていった。
     これらの条件が重なって、連絡頻度は週に一度、二週に一度、ひと月に一度へと減っていったのだった。

    「……よお、久しぶり。そっちは朝か。早起きが得意になったんだな」

    『食事を邪魔したのなら謝ろう。……奥村英二との心休まる時間に、申し訳なかったね。』

     月龍の声に不貞腐れた色が混じる。彼は英二のことを聞くとすぐに臍を曲げてしまう傾向があり、シンはその不機嫌スイッチに触れないよう常に気をつけていた。しかし月龍はそんなものお構いなしに、自らそのスイッチを押しに行く。けれど突き放す気にはなれず、構ってやるか、と、いつも言葉を受け流すのである。

    「ちげえよ。バディとジャレてたんだ。……それで?なにか用か」

    『…………ああ。君に、ぼくからプレゼントだ。ありがたくいただくことだよ』

    「プレゼントォ?」

     月龍の口から聞き慣れない単語が発され、つい聞き返してしまった。

    『そうさ。ライチだよ。穫れたてのね』

     ライチ。チャイナタウンの市場でも稀に見かけるが、碌な代物に当たったことがない。硬く分厚い皮に覆われているから、慣れていなければ目利きも難しい。英二に食わせてやろうと買って帰ったことがあったが、ほとんどがだめになっていた。皮を剥こうと爪を立てた時点で異常に汁が漏れ出たり、まだマシだろうと思って口に含むと絶妙な苦味が口内に広がったり。

    「あれ、美味くないだろ。変わったもん送ってくるんだな」

    『君は新鮮なライチにありつけたことがないんだろう。ぼくのことを舐めてもらっては困るな。香港のライチ農園から直接仕入れて、実はさっきもう送ってきたんだ。』

    「げ。ゲテモンじゃないだろうな」

    『失礼だな。ぼくが目をかけている農園の一つだよ。……ただし、足が早いからね。届いたらできる限り早く消費したほうがいい』

     シンは、一方的に送りつけてくる上にとっとと食えかよ、という言葉を飲み込み、「……わかった。ありがたくいただくぜ。じゃあな」と言って電話を切った。

     どうして急に贈り物などする気になったのか、ずいぶん気分屋になったものだと思いながら、英二の待つリビングへ戻る。

    「わり、戻った。」

    「おかえり。バディ、君が気になって餌どころじゃなかったみたいだよ。普段はそんなことないのにね」

     バディはシンの顔を見ると、何事もなかったかのようにまた餌をガツガツと食べ始めた。犬という生き物は敏感である。飼い主たちにとってただならぬ者の気配を感じ取り、心配していたのかもしれない。

    「なんだぁ?俺にメシ食うところ見てほしかったのか?かわいーじゃねえか」

     頭をわしわしと撫でてやると、餌のクズがついたままの舌でべろべろと手を舐めてきた。

    「おいおい、食うか舐めるかどっちかにしろよ。俺の手は餌のスパイスじゃないんだぜ」

    「ふふ。汗が染みてて美味しいんじゃない?」

    「英二〜〜〜」

    ぽんぽんとバディの頭を撫で、キッチンで軽く手を洗ってから食卓に戻った。

     机の上には食べさしのおかず。今日の献立は、鯖の味噌煮、だし巻き玉子、ほうれん草のおひたし、とろろ昆布と豆腐の味噌汁、白米。英二の家に居候するようになってから、すっかり和食には慣れた。近所にアジア食品店があり、英二そこで食料を調達しているようだ。

    「さっきの電話、なんだって?」

     ぴくり、と箸を持つ手が震えた。それを隠すように、おひたしに手を付け、口に運ぶ。滋味深い出汁の味が、焦る心情と裏腹に優しくシンを包み込もうとする。ごくりと飲み込んで、咀嚼している間に考えた嘘を並べた。

    「小英が、明後日取引先の商談について相談したいんだと。俺みたいなガキ同然の奴を相手してんのに、ほんと真面目だよな。いい右腕がいて助かるぜ」

    「君もいい右腕だろ。それに留まらず、いいリーダーだ。いずれニューヨークを任されるって、この前言ってたよね。心の底から尊敬しているよ」

     英二の表情に疑念の色や陰は見えない。気にしすぎだったかもしれないと思い、会話を続けた。

    「英二にそう言ってもらえると自信がつくよ。あんた、嘘つかないもんな」

    「正直が僕の取り柄さ。……さあ、今夜も遅くまで勉強するんだろう?早く食べなきゃね」

     ——いつもは、勉強を理由に食事を早く切り上げようなんてことを、英二は言わない。彼は、わかっていたのかもしれない。シンが自分のために嘘をついていることを。そして、シンが未だにひとりで罪の意識を背負い続けていることを。英二は嘘をつけない。だからこそ、これ以上会話を続けてボロを出すことで、シンに余計な心配をかけたくなかったのかもしれない。




     食後、シンはすぐにシャワーを浴びに行き、英二は後片付けをしていた。日本にいたころの名残で、英二は未だに食洗機を使わず、手洗いを好んでいた。シンに「オールドだな」とからかわれたこともある。キッチン備え付けのものがあるので、いつでも使える。しかし、今夜は特に使う気になれなかった。
     部屋を隔てて聞こえてくるシャワーの音と、食器を洗う音。この二つが、英二の呟きを隠してくれるからだ。


    「シン、君は僕に幸せになってくれと言ったね。アッシュのことを忘れて。でも僕は、僕なんかが彼と同じ時間を過ごせたことが誇りで、その思い出と共に生きられることが、今はとても幸せなんだよ。……君はどうなの、シン。シンは、過去を忘れて幸せになることができているの?」

    ===


     シンは受け取った箱をよく見た。発送元は香港、いくつかある李財閥の表向きのビルディングのうちの一つの住所。名義欄には、月龍の部下であるウーの名前。間違いなく、月龍からの荷物だった。
     箱を開けてみると、新聞紙に包まれたものが見えた。包みを開けると、ライチが枝ごと、それもけっこう大量に入っていた。
     ご丁寧にメッセージカードまで同封されており、そこには「食べきれなかったら、英二にも手伝ってもらうといい。」と書かれており、先日と同じような不貞腐れた雰囲気を文面から読み取った。そんなに英二といることが気に食わねえかよ、よくわかんねえやつだな、と思いつつ、英二の自宅に向かう前にある程度消費しておこうと手を付けた。
     枝から実をもぎとり、まるい棘が集まる赤い皮に爪を立てる。まだ新鮮なためか存外剥きやすく、すぐ実にありつけた。白い表面は新鮮さを表すかのように瑞々しく、かぶりつくとぷりっとした食感やほのかな甘みが口に広がった。

    「うま、俺が食ってきたのってほんとにゲテモンばっかだったんだな」

     初夏の喉の渇きを潤してくれるような果実に夢中になり、次々に手が伸びる。剥いては食べ、種を吐き出す。これを繰り返す。今なら、北宋時代の蘇東坡の気持ちがわかるかもしれないと思った。
     もう20粒は食べたところだろうか。箱の中のライチは減っているようには見えず、仕方なし英二のところへ持っていくことにした。べたべたになった指をウェットティッシュで拭う。

    「にしても、こんなに送ってくることあるかよ。あいつは太真か?……たしかに、国ひとつぐらい傾けかけない美人ではあるが…………」

     唐の善政を傾けた絶世の美女。現に月龍は、中国本土を相手にしている。彼女のように、見た目で油断させて隙を突いて要人を"手駒にする"ことなど、彼にとっては容易なことかもしれない。もっとも、シンは"それ"をあまりよく思っていないことを、本人には伝えていない。
     彼は「慣れているから」と言った。そんなこと、慣れる必要などない。彼にそんな発言をさせてしまうような教育をしてきた彼の兄たちには度々虫唾が走った。早く月龍の立派な右腕にならねばならないと、彼からの援助を受けながら必死に勉強した。やっと追いつけた、やっとその沈みゆく腕を掴むことができた、そう思っていたのに。彼はシンを躱すように香港へと拠点を移してしまった。

    「助けてほしそうな顔してるくせに、俺がいざ助けようとしたとき、あんたはいつもそうだ。俺を突き放すような真似をする。……そんなに俺が頼りないかよ」

     ちぇ、と指先でライチの剥かれた皮を弾く。皮は机の上から飛び出て床に落ちた。フローリングに薄らと積もる埃の上に転がるそれが、なんだか無性に哀れに思えた。シンは立ち上がって落ちた皮を拾い、ダストボックスに突っ込んだ。

    ===


    「すごい、これ全部くれるのかい?」

     英二は見慣れない赤い果実に目を輝かせている。ちょうど夕飯時に差し掛かるころ、箱いっぱいのライチとクイーンズ-ミッドタウントンネルをドライブし、英二宅まで来た。

    「大学の知り合いに嶺南出身の奴がいてさ、実家から大量に送られてきて消費に困ってるんだと。夕飯後に食おうぜ」

    「いいね、そうしよう。そうだ、バディも食べられるかな」

     シンは、英二が端末で「犬 ライチ 食べられるか」と調べているのを横目に、箱を開けてライチを剥き始めた。もういくつも食べた後であるため、早業のように次々と剥いた。

    「あっ、ありがとう。それ、難しそうだね。僕も手伝うよ」

    「いーよ、英二は夕飯の用意頼んだぜ。こいつはコツが要るんだ」

     慌てて手伝おうとする英二を制止し、実を割り種を取り除いたものを一つ渡し、バディに与えるよう頼んだ。バディは目ざとい。特別なおやつが貰えるとわかると尻尾を振って英二に近寄り、てのひらに載せられた実をぺろりと平らげてしまった。英二は、夕飯までもう少し待ってね、と声を掛けると、キッチンに向かって夕飯の支度を始めた。

    「「いただきます」」

     今日の献立は、酢豚、空芯菜のにんにく炒め、コーン入り卵スープ、白米。シンは久しぶりの中華料理に心が踊った。

    「今日はこのあとライチを食べるから、せっかくなら味が濃い中華料理を合わせたいと思ったんだ。日本風中華だけど、口に合うといいな」

    「今更だぜ。英二の中華はショーターのよりずっとマシだ。まあ、マーディアさんには及ばないけどな」

    「あはは。……あのときは、マーディアさんにもずいぶんお世話になっちゃったな」

    「姐さんは世話焼きだからな。身寄りがなくなってゴロツキ一筋の俺にもタンを食わせてくれた。」

     シンが李月龍と一緒にチャイナタウンの復興を目指すと彼女に伝えたとき、彼女は覇気が無い顔を涙で濡らした。その表情は、期待に満ち溢れているようにも、シンにこれ以上危険な橋を渡ってほしくないというお節介心が滲み出ているようにも見えた。現在はチャーリーと結婚し、女手一つで張大飯店の看板を守っている。
     美味しそうに照っている餡に包まれた豚肉を口に入れる。薄い衣を付けて油通しされたそれは、餡の中でもその食感を損なっていなかった。肉にも歯ごたえがあり、シンはすぐさま米をかっこんだ。美味い。ショーターなら、よくわからん具材を片っ端からぶち込んだ「なんちゃって中華」を作るんだろうな、と考えながら咀嚼する。
     英二は一口食べたあとに箸を置き、何か言いたげにしている。目は下を向き、手は机の下で膝の上に重ねて置いている。

    「……なんだ?食欲ないのか?」

    「あのね、……ショーターのことは……悪かったと思ってる。僕が油断しなければ、ショーターは」

     脳がすぐさま次の言葉を予測し、衝動的に否定の言葉をぶち撒ける。

    「違う!もうそのことで自分を責めるなって言っただろ。それに、英二がそのことで罪悪感を持つなら、俺だってーー」

     はっとなり、口を噤んだ。この場にいる者以外の時が止まった。背後でバディの視線がこちらに向いたような気がした。主人の危険を感じ取った、威嚇の視線。シンは、二重の意味で背後を顧みることができなかった。眉間を抑え、ゆっくりと息を吐く。落ち着け。

    「……やめよう。せっかくあんたが考えて作ってくれたメシが不味くなるなんてごめんだからな。……すまなかった」

    「いいよ。僕のほうこそごめん。さあ、食べよう」

     英二が申し訳なさそうに微笑む。バディもこちらに向けていた視線を、フゥン、と鼻を鳴らして餌に戻した。それと同時に時が再び動き出し、生ぬるい籠もった空気が流れ込んでくるような気がした。

     一昨日の晩も食卓の雰囲気を崩したばかりだったのに、今日もこれだ。いったい何に心を揺さぶられているのか。罪悪感か。
     一体、何の?

     食事は、無言のまま進んだ。バディがむっちゃむっちゃと間抜けな音を立てながら餌を咀嚼している音と、食器どうしが触れ合う音だけがいやに大きく耳に届いた。

    ===

     やっと無言の食事を終えると、英二が重い空気を切り裂くように話し始めた。

    「ごちそうさまでした。ねえシン、今日の主役を食べようよ!」

    「そうだな。剥いたあと冷やしておいたんだ。待ってな」

     英二は優しい。あのときも、ピリピリした雰囲気を和らげてくれたのは、いつだって英二だった。神の器たるアッシュをただの一人の人間に戻すことができたのは、英二だけだった。なあ英二、俺はいつかアッシュに祟られるかな。あいつがお前と過ごしたかった時間を、俺が独占しているからーーこれ以上考えるのはよそうと、立ち上がった。
     シンは、二人分の食器をまとめてシンクまで運んだ。その足で冷蔵庫に向かい、中から目当てのものを取り出す。瑞々しい白粒は、あわせて50粒ほど。これでも送られてきたものはまだ少し残っていて、それは明日以降だな、と考えながらリビングに運ぶ。

    「すごい、こんなに剥いてくれたのか。ありがとう!」

    「こいつはすぐ腐っちまうから、早めに食わないといけないんだ。これ全部食うまで今日は寝られないと思えよ!」

    「望むところだ!」

     英二はウィンクしてニッと好戦的に笑ってみせ、ライチを一粒摘んで齧りついた。シンも続いて齧りつく。

    「すごい!こんな瑞々しい果物、初めてだ。風邪のときに食べるぶどうよりも美味しいよ」

    「風邪のときはリンゴだろ、英二ん家って金持ちなのか?」

    「ちがうよ!僕の地元ではぶどうが比較的穫れやすいから、ご近所さんからもらうってだけさ……」

    英二は、渋みの塊である種をうまく避けながら器用に食べ進めていく。シンはというと、種ごと咀嚼している。若干渋みはあるが食えないこたねえな、と思いながら飲み込んだ。むしろ、
     むしろ?

    「これって種も食べられるの?」

    「ん?ああ……本当は食わないほうがいいみたいだぜ。毒性があるとかないとか。別に命に関わるこたねえよ。……俺はなんとなくもったいないから全部食ってるだけだ」

    「ええ、大丈夫なの?夜中にトイレに起きてもシンと取り合いになるのはごめんだなぁ」

     冗談を言う英二に、ならねーよ!と舌を出すと、英二は、シンは体強いもんなあ、羨ましいよ、と言う。
     バディが匂いを嗅ぎつけて英二のもとへ寄っていく。英二は、もうないよ、おしまい!と言っても聞かないバディの頭を撫でながら、こいつは賢いのに『おしまい』だけは理解してくれないんだよな〜、と、困りながら笑った。

    「明日、残ったのはジュースにしてみようか。さっき作り方を調べたんだ。シンもジムに行くときに持っていきなよ」

    「ありがてえな、賛成だ」

     難航すると思っていたライチの消費はあっという間に終わった。明日は僕にも剥かせてね、という英二に、じゃあ俺が剥き方を教えてやるよ、と返した。自分で苦労して剥いたライチはきっともっと美味しいんだろうなあと、英二は呟く。
     そして、真っ直ぐシンの方を向いた。今度は、意思を持ってシンの瞳を真っ直ぐ貫いている。

    「シン。これから言うことは、決して君を責めるつもりで言うんじゃないよ」

     シンはぎくりとして、背筋に冷や汗が伝う。先程まで漂っていた暗雲が再びたちこめるのを感じる。これ以上俺のことで英二の手を煩わせたら、あの世のアッシュが黙ってない。頼む英二、何も言わないでくれ。

    「もう、隠さなくていいよ。……月龍のこと」

    「……なんのことだ」

    「君が月龍と協力して華僑をまとめようと働いているのは周知の事実じゃないか。どうして彼と連絡を取り合っていることを隠すの?」

    「それは、」

    「一昨日の晩に掛かってきた電話、あれは月龍からだよね。いつも君の携帯から鳴ってる着信音じゃなかった。たしか、あの曲のタイトルは……『月の光』。そうでしょ?」

    「……、い、いや、」

    「こんな探偵めいてること、僕でもおかしいと思うよ。ごめんね。……けど君は、君の心に制限をかけているよね。僕は、君が月龍のことをどう思っていようと、すこしも迷惑はかからないんだよ。むしろ、君にとって僕が足枷になって、君が過去に囚われて苦しむほうがいやだ。それだけ、伝えたかったんだ。」

     英二はきわめて穏やかな表情で、一つひとつ言葉を紡いだ。きっとシンに最大限気を遣って、かつ正直に。

     月龍に何を思っているか?

     シンは、英二に言われて初めて、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。そして理解した。自分が抱くこの罪悪感の正体を。

    「おれ、……そうか。英二、またあんたに借りを作っちまったな」

    「このあと、連絡してあげてよ。彼がくれたんでしょ、ライチ。彼だってきっとシンに言いたいことがあるんじゃない?お礼ついでに、話し合うべきだよ。お互いね。」

     英二は、僕の場合、アッシュと話し合いだけで仲直りできてよかったと思ってるよ、だって、ボーンズとコングがあんまり青い顔するんだもの、と穏やかに言う。かつての敵を赦したかのように。その言葉が、頭の中を水のように流れていく。

    「はは、お前に隠しごとはできねえなあ……」

    「さあ、片付けは僕がしておくから。シャワー浴びて、やるべきことをしておいで、シン。」

    ===


     いつもより長いシャワーを終え、濡れた髪のままベッドに倒れ込み、うだうだと時間を過ごしている。シャワー中、頭の中でずっと自分が抑え込んできた感情に向き合っていたら、シャンプーを二回、洗顔を三回していた。髪の毛と皮膚がキシキシと悲鳴を上げていることに気づいて、やっちまったなと自分を省みた。英二がいつも使っている保湿ジェルを少し拝借して、顔だけ保湿させてもらった。

    「……」

     時計を見ると、午前一時。香港現地時間は、午後一時。昼時を過ぎ、会議や商談に向かっているだろうか。もう少し待ってから電話する?——いや、これ以上延ばしては機を逃す。電話に出られないなら、着信音が鳴らないよう設定しているはず。自分から連絡したという既成事実が作れれば今は十分だ、と思い、シンは腹を決めて端末の「若様」の文字を押す。

     この世でいちばん長い待機時間である。月龍がいつ電話に出ても、天井を突き破るぐらい驚いてしまうかもしれない。いや、自分がすべきことは贈り物に対する感謝の意を伝えること。……ついでに、ついでにーー

    『やあシン。こんな時間に君からとは、珍しいね。』

    「うわッッッ!!ほんとに出た!!!」

     端末が、月龍の声の形に震えた。同時にシンもベッドから5ミリほど浮いた。

    『人を幽霊扱いしないでもらえるかな。失礼だ。それより、今日は勉強はお休みかい?』

     月龍の声はきわめて落ち着いていた。質のいいソファーチェアがギシ、と音を立てるのが聞こえた。

    「あ、ああ。急にごめん。……ライチ、届いたんだ。美味かったよ。あんたの目利きは伊達じゃなかったみたいだな」

    『それならよかったよ。見直した?』

    「へーへーさすが若様。あんた、今仕事は?」

     持っている端末が汗でぬるついて落ちかけそうになるのを、もう片方の手で支える。

    『ああ。本当はこの時間から商談があったはずなんだが、早めのスコールでね。特に急いでいる案件でもなかったから、日を改めたんだ。そしたら思いがけない休憩時間に君からの着信が来た。ぼくは運がいい』

     やたら上機嫌な月龍をよそに、シンは過去を回想した。
     スコール。熱帯やその周辺地域で見られる、急かつ超短時間の雨。シンも一度香港に赴いたときに経験した。昼過ぎの突然バケツをひっくり返したような降雨に、傘を持っていなかったシンは走ってアーケード下に避難した。そこで、仕方なくその場にあった本屋で時間を潰した。大衆向けの普通の本屋で、これなら英二も読めそうか、でもあいつ中国語読めんのかな、漢字でなんとなくわかんのかな、とか考えながら三階まである店内を一通り一周した。再び一階に降りてくる頃には、同じく突然の雨に行き場をなくして入店したであろう人々の水っぽい足跡が増えていた。店外を見ると、雨は上がっていた。

    「じゃ、雨が降ってる間は俺とおしゃべりしてくれるんだ、若様?」

    『そうだね。……この雨を見ていると、懐かしい気持ちになるよ。ぼくの話を聞いてくれるかい、シン?』

    ===



     君も聞いた話だろう。あのブランカから。ぼくは6歳まで香港にいた。父と母とね。もっとも、父は各国を回っていたから、会えるのは月に数回だったんだ。貴重な時間だったよ。……ちょうど今ぐらいの季節だった。今と同じように大雨が降っていたんだ。そのときは、庭に出て遊ぶことも、東屋で休むこともできなかった。だけど、そういうときはいつも、父と母はぼくの隣にいてくれた。外に出たいとぐずるぼくの頭を撫でて宥める母と、今の時期なら庭の紫陽花が綺麗に咲いているから雨がやんだら見に行こうと言う父。ぼくは二人から愛されていたんだ。当時は外に出て遊べないことが不満でしょうがなかったけれど、三人だけで過ごせる穏やかな時間は、ぼくにとって特別だったよ。スコールがぼくにもたらしてくれた、束の間の安寧さ。
     ……香港に来て、初めての初夏だ。久しぶりにこの雨を見て、ぼくは少なくとも二人の人間に愛されていたことを思い出せたんだ。ブランカは、ぼくに言ったよ。ぼくを気にかけ、愛してくれるものがきっといる、って。ふふ、生意気だよ。けど、それは本当なんだろうね。あの世にいる父と母が、ぼくを唯一愛してくれた人たちが、きっとまだぼくを見守ってくれているんだろう。恥ばかりの人生を送っているけれど、二人がこんなぼくを見捨てずにいてくれているなら、ぼくにもまだ生きがいがあるというものさ。
     ……だが、現実のぼくは独りだ。愛してくれる人を喪った。だから、この雨を見て寂しいと思わないなんて言ったら嘘になるね。いい思い出が必ずしもいい感情だけを呼び起こすわけではなかったんだ。初めて知ったよ。ここ十何年以上も、いい思い出なんて一つもなかったんだからね。
     けどね、シン。ぼくは思うんだよ。この雨を君と一緒に見たかった、ってね。この波の立たない海面のような気持ちを、君と共有できたらいいのに。他でもない、君とだよ。シン。

    ===


     シンはただ月龍の独白を聴いていた。月龍が自分の身の上話をすることなど初めてで、その心の核を見せられたような気がした。いかなるときも警戒を怠らず、取り付く島もないような彼から、弱み同然のものを差し出された。そんな気がした。
     シンは頭をガシガシと搔き、応えた。

    「あー。……よくわかんねぇけど、」

     口ごもる。だってそれは、それは、寂しい、おまえに愛されたいと、そう言われたのと同じことじゃないか。

    『ぼくにここまで据え膳をさせておいて、君からは何もなし?そうか、ぼくの誤算だったってことかい』

    「ちげえよ!〜〜もう、まわりくどいことしてねえで、寂しいから会いたいって言えばいいじゃねえか」

    『それだけじゃない。シン、わかってるだろう?』

     ーー恋い、慕っていると?今更。今更じゃないか。

    「……若様。俺はあんたを放っとけない。あんたが思い出に泣いてんなら、その思い出ごと俺が変えてやりたい。ブランカが言ってたの、それは俺のことだ。俺は、……、この世で一番あんたのこと、愛してる。」

     耳元から、息を呑む音が聞こえた。

     一呼吸置いて、それは月龍のすすり泣く声へと変わった。今すぐにその肩を抱きしめてやれないことが、不甲斐なくて仕方ない。月龍はあれから少しだけ背が伸び、シンと協力関係を結ぶことで精神もある程度前向きになった。だが、愛されるべきときに十分に愛されず、子供らしくあるべき時期に無理を強いられた。到底埋められるはずのない穴が、彼の中にはまだ残っていた。その穴を、自分が埋めなくてはならない。そう思った。

    「俺が電話かけるまで、あんた泣いてたんだろ。声を聞いたらわかる。」

    『、っ、どうして』

    「こんどは俺の話を聞けよ。泣きながらでいいからさ。……あ、ウーに気づかれないようにしろよ。じゃなきゃ、俺の頭に穴が空いちまう」


     俺さ、貰ったライチをあんたに重ねちゃってたんだよ。馬鹿な話だと思うだろ?でもさ、似てんだよな。外ヅラ厚くてトゲトゲしてるとことか、身が白いとことか、甘い身の中に毒持ってるとことかさ。そんで、扱いにコツがいるし、すぐ腐っちまう。一緒じゃねえか。……あ。別に、途中のはそういうつもりで言ったんじゃねえよ——忘れてくれていい。
     あんたは毒蛇だのって言われるけどさ、いや俺も言ってたんだけど……それは今は置いとく。とにかく、あんたはもうただの毒蛇みたいに怖いだけの存在じゃないよ。兄貴たちを殺したけど、李家のトップとして俺とチャイナタウン復興に向けて協力してくれたろ。それに、李財閥は昔より健全になった。あんたはゴルツィネが用意したヘロイン市場からも引いて、同胞たちの健全な利益として還元されるような分野に力を入れはじめた。まだ李家の闇は途絶えたわけじゃないし、継続せざるを得ない必要悪もあるかもしれない。でもさ、同胞にとってあんたは畏怖の対象であるだけじゃなくて、希望の象徴にもなりつつあるんだ。そんなあんたに、俺も安心して寄りかかってもらえるようになりたいんだよ。
     俺だって、ほんとはあんたの隣であんたの見る世界を一緒に見たい。あんたが知ってることを俺が知らないのが悔しい。けど、あんたは自分より同胞の未来を優先した。俺はそんなあんたのこと誇りに思ってるよ。寂しくないふりしてた……けど、あんたの話聞いたら、そんなのお互い様ってわかった。もうあんたに寂しい思いはさせたくない。もう喪う寂しさを味わわせたりしない。俺は、そのために強くなったんだ。月龍。


     たっぷり十数秒はおいて、月龍が口を開く。すでに泣きやんでじっとシンの話を聴いていたようだった。

    『……きみも、ぼくと同じ気持ち?ほんとうに?』

    「同じ気持ちも何も、あんたが俺の本音を誘導してきたんだろ。自分が言ったこと忘れるなよ」

    『ねえ、ぼく、シンに、……ッ』

    「また泣いてんのかよ、困った若様だな!……一応、もう大学は夏休みなんだ。時間に余裕はある。明日、っていうかもう今日だけど、あんたに会いに香港に行く。待てるか?ってか、待っててくれ」

    『っ、わか、った。ぜったい、こいよ、おせっかい』

     端末越しに止まらない嗚咽が聞こえる。ここまで大泣きさせたのは初めてであり、シンも困惑していた。月龍の心は、シンの揺るぎない情熱を含んだ言葉でもって、その熱さに打ち震えていた。心にぽっかりと空いた冷たい風の吹く穴に急に突如注ぎ込まれた熱い濁流は、彼の心を温めるのには十分すぎるほどだった。

    「ちぇ、こんなときにも減らず口かよ。……あんたに会うのは、あんたが香港に移ったぶりだな。楽しみにしてる。じゃ、仕事邪魔して悪かったな。切るぜ」

    『っうん、』

     シンは後ろ髪を引かれながら電話を切ると、すぐに当日の便を調べた。1時55分の便には間に合わないことに気がつき舌打ちをしながら、結局10時の便を予約した。会えるのは早くて24時間後。逸る気持ちを抑えつつ、荷物をまとめて空港に向かうために一度自宅に戻ることにした。
     やると決めたシンの行動は早く、英二に急用で香港に向かうこと、一週間ほど戻らないこと、残りのライチの消費を任せることをメモに書いて残した。バディと英二の眠る寝室前を、彼らを起こさないように忍び足で歩く。どちらかといえば自分の心音の方が大きくて、そちらで彼らを起こしてしまうのではないかと思った。履き潰したスニーカーを履き、たいして物の入っていないリュックサックを背負って、ゆっくりと戸を開ける。深夜だからか、頬を吹き抜ける風が涼しい。シンは愛車のローバーミニに乗り込み、空いている公道を制限速度よりずっと速く突っ切っていった。

    ===


     ちゅんちゅん、フンフン、という音を聞きながら、英二は目を覚ました。目の前にはバディの顔。ふさふさした毛が頬に当たってこそばゆい。いつもはシンがバディの朝の散歩に行ってくれるため、彼はまだ起きていないのだろうかと考えながら起き上がり、眠い目を擦りながらリビングに向かう。今朝は朝食に何を作ろう、と考えながら階段を降り、洗面所で顔を洗い、眼鏡をかけた。いつも通りの冴えない自分が立っており、変わらない日常に安堵する。
     リビングのドアを開けて机の上を見ると、一枚のメモが置いてあった。

    英二へ
    急用で香港に行く。一週間ほど空けるから、バディのこと頼んだぜ。残りのライチ、早めに消費しておいてくれないか。俺が持ってきたのに、すまないな。
    あと、ありがとう。
    シン

    「そっか。うまく行ったんだね。よかった」

     散歩をねだって脚にすり寄るバディの頭を撫でながら、晴れた空を眺める。
     いってらっしゃい、シン。帰り、待ってるよ。そして、おめでとう。
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    3yase_bf

    DONE※ライチの種はきちんと除いてから食べましょう。
    『光の庭』読了後推奨ですが、時代は現代、細かい設定は改変しています。シンの女遊び設定がなくなったりとか。

    続編制作予定です。シンが香港に到着してから、若様と心身を通わせる話です。
    茘枝 夕方、月龍から荷物が届いた。
     月龍が香港に拠点を移してから半年ーー六月の初夏。大学から一度自宅に戻り、いつも通り英二の自宅へ向かおうとしていた頃だった。呼び鈴が鳴り、背負っていた荷物をおろした。ドアを開け配達員から箱を受け取ると、冷蔵で送られてきたのだろう、冷やりとした温度が手を伝ってくる。
     シンは、伝票を見るまでもなく、これの送り主を思い出した。そういえば二日前の晩、月龍から連絡をもらっていたのだった。

    ===


     普段通り英二と一緒に夕食をとっていたとき、普段とは違う着信音がシンの携帯から鳴り響いた。月龍だ。普段の着信音は携帯のデフォルトの音源、この着信音は、なんとかっていう音楽家の『月のなんとか』という曲だった。元は優美なピアノ楽曲だったが、これは安っぽい電子音でびりびりと耳元を震わせるのだ。もともと題名に惹かれてタップした音源だったが、想像していたよりもずっとチープな音質に親しみやすさを感じ、以来ずっと月龍専用にしている。
    13604

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    3yase_bf

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    続編制作予定です。シンが香港に到着してから、若様と心身を通わせる話です。
    茘枝 夕方、月龍から荷物が届いた。
     月龍が香港に拠点を移してから半年ーー六月の初夏。大学から一度自宅に戻り、いつも通り英二の自宅へ向かおうとしていた頃だった。呼び鈴が鳴り、背負っていた荷物をおろした。ドアを開け配達員から箱を受け取ると、冷蔵で送られてきたのだろう、冷やりとした温度が手を伝ってくる。
     シンは、伝票を見るまでもなく、これの送り主を思い出した。そういえば二日前の晩、月龍から連絡をもらっていたのだった。

    ===


     普段通り英二と一緒に夕食をとっていたとき、普段とは違う着信音がシンの携帯から鳴り響いた。月龍だ。普段の着信音は携帯のデフォルトの音源、この着信音は、なんとかっていう音楽家の『月のなんとか』という曲だった。元は優美なピアノ楽曲だったが、これは安っぽい電子音でびりびりと耳元を震わせるのだ。もともと題名に惹かれてタップした音源だったが、想像していたよりもずっとチープな音質に親しみやすさを感じ、以来ずっと月龍専用にしている。
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