指輪をあげる話「なんだこれは。」
彼は差し出された包みを不思議そうに見つめている。今日は俺が彼、ヴォックスと付き合って1年目の記念日だった。だから俺は彼にプレゼントの指輪を買ったわけだけど、彼はこのプレゼントの意味がわかっていないというような顔のまま、俺が渡した包み紙を開いていく。
あぁ、これは今日が記念日であることにすら気がついてないパターンだ。そう思いながら中身の指輪に想いを馳せる。彼はどんな反応するんだろう。驚くのか、素直に喜ぶのか、それとも1年付き合っただけなのに指輪は重すぎると嫌味を言われるのか。
どっちにしろ、記念日とかは関係なくヴォックスが俺に何らかの反応を返してくれるならそれで良かった。彼はプレゼントの包装を外すのに手間取っていたが、ようやく箱を開けることに成功したらしい。しかし、中身を見て少し不機嫌そうな声を漏らす。
「……指輪か?」
「俺の給料3ヶ月分、なんつって。」
そうやって多少本心の混じったギャグを飛ばすとヴォックスはその丸くしていた大きな目を細めてふっと笑った。俺が贈った指輪が嬉しくて笑っているようにもみえる。
「フフッ……私なら1日以下の働きで買える安物だな。」
「…あんたって本当に可愛くないな、いらないなら返せよ。」
せっかくあげた指輪をそんなふうに言われ、少し悲しさが込み上げてくる。バカにしたようにこちらを見ていたヴォックスにイラつき、彼から指輪を取り上げようとしたが、身軽な彼はするっと俺の手を避けた。
「贈り物を返せとは、お前には恥が無いのか。」
「ふーん、へー、安物でもいらないわけじゃないんだな。」
「……うるさいぞ。」
俺の煽りに対し、彼はこちらに顔を見せないように呟く。図星だったんだろうか。返さないといいつつ「こんな安物を俺に身につけさせる気か」とぶつくさ文句を言いながら彼は指輪を元の箱へと仕舞う。このカスばかりの地獄でヴォックスに見合うプレゼントを送れるヤツの方が珍しいだろうが、とは思うが彼は喜んでないわけじゃないんだろう。素直じゃない男だ。いずれ、彼の左手に俺が贈った指輪が見える日に想いを馳せて、リビングに向かう彼の背中を追った。
【指輪をあげる話2】
「なにそれ、俺が贈った指輪と違くない?」
「あぁ、これは知り合いからの贈り物だ。」
先日、彼、ヴォックスに指輪を贈った。それは俺にとっては付き合って1年記念のつもりだったが、彼はそもそもその日が俺たちの付き合って1年目の記念日だということすらわかっていなかった。結局、俺からも記念日のプレゼントということは言わなかった。彼を帰した後、いずれ意識させてやると意気込んだは良いものの、恋人が自分以外から贈られた指輪だけを身につけてているのは流石に落ち込む。
「俺があげたのはつけてないのに?」
「あんな安物つけてたら私の格が落ちるだろう?」
俺が少しイラつきながら尋ねたのにヴォックスはお構いなしでふふんと勝ち誇ったようにこちらを見る。何なんだよコイツ、俺が贈った指輪をつけてるところは見たことねぇのに、他人からのはつけんのかよ。ここ俺の家の中なんだから格とか関係ねぇだろ。そう思っていると段々とイライラが溜まっていく。いや、幸いなことに指輪があるのは彼の左手の薬指ではなく右手の人差し指だ。セーフ、いや俺からすればこれは全然アウトの範囲だけど。とりあえず自分を落ち着かせる。貴重な一緒に過ごせる休日だ、ここで彼と喧嘩したくは無い。
そう思いながらヴォックスの勝ち誇ったような顔を見る。やっぱむかつく。ニヤニヤとこちらを見つめる彼を睨んでいると、一瞬、彼のシャツの襟付近がキラキラ光るのが見えた。その瞬間、抑えていた怒りが再度、爆発して、一気に頭に血が昇った俺は彼の首にかかっていたネックレスに指を掛けて引っ張った。
「俺の指輪はしねぇくせに見たことないネックレスまで?これは誰にもらった物なのかな、色男さん!」
「おい、引っ張るな!」
引っ張ったネックレスには結構な重さの飾りがぶら下がっていたらしく、指先に負荷と少しの振動を感じる。ずるずるネックレスの全ての長さを彼の襟から引き出すと、ネックレスには俺があげた指輪が下がっていた。
「えっ、これ、俺があげた指輪?」
先ほどまでの爆発が一気に収縮していく。俺がヴォックスにぶら下がっている指輪について問いかけると、彼は嫌そうな、または気まずそうな顔をして弁明をはじめた。
「……これはチェーンも、貰ったからだ。」
彼は続けて俺の指輪がちょうど良い大きさだっただの、すぐそこにあったから使っただのモゴモゴとはっきりしない声で意味のわからない理由を並べ立てるが、俺にとってはどうでも良かった。そんなことより俺は目の前のこのいじらしくてクソ生意気な彼を煽りたくて煽りたくて、たまらなくなっていた。
「…は!あんだけ格を気にしておいて、この安物はずっと身につけていたかったのか?」
「……黙れ!話を聞け!これは偶然だッ!!」
「ははは!かわい〜なぁ?」
「……チッ。」
そう舌打ちして悔しそうにする彼に「そんなかわいいヴォックスにはとっておきのコーヒー入れたげる」と告げてキッチンに逃げる。あんな俺の指輪を下げるために作られたようなチェーンを丁度よく貰って、偶然にも今日つけてくるなんてことがあるか。
流石に嬉しくて彼の前に立っていられなくなってしまった。キッチンの入り口からリビングをのぞくと彼は俺が乱雑に引き出した指輪をじっと見つめたあと丁寧にシャツの中に戻していた。
コーヒーが出来たら、どんな顔して彼と向き合えばいいのか、むず痒い気持ちを抱えてコーヒーが出来上がるのを待った。
【指輪をあげる話3】
俺から贈った指輪を安物とコケ下ろしたヴォックスが俺の指輪を大事そうにチェーンに下げていつも身につけていたことが発覚してからしばらく経った頃、俺はヴォックスの使っていたチェーンが有名なブランドの物だったのでエゴサしていた。エゴサっていうのか、これって。
スマホ画面にチェーンの値段の検索結果が表示される。目に飛び込んできたのは、それはもう、ものすごい数の0が並ぶエグい桁だった。驚いた俺は思わず横にいたヴォックスに話しかける。
「あのチェーン、俺の指輪の何倍もの値段してて泣けるわ。」
「当たり前だろう、私が君の何倍稼いでいると思っている?まぁ私からしたら小遣い程度の代物だがな。」
意気揚々と話し出すヴォックスをよそに、俺は先ほどの彼のものの言い方に全意識が向く。「私からしたら小遣い程度」と、彼は自分が墓穴を掘ったことに気がついていないようだった。確か前、あのチェーンも貰い物だって言ってたよな…?揚げ足が取れると確信した俺は彼に尋ねてみることにした。
「へ〜さすがVoxtek CEO!こんな高価なのも小遣いで買えちゃうんだ、それより、なんで自分で買ったみたいな言い草?」
「……。」
「…なぁ、もしかしてあのチェーンって自分で買った?」
神妙な顔をして急に黙り込む彼に愛おしさと面白さとが込み上げてくる。あれだけ俺からの贈り物をバカにしていたくせに俺のためにわざわざこんなものまで購入した思うと、俺は自分を抑えきれず追加でヴォックスを煽り倒す。
「もしかして、自分の”お小遣い”からわざわざ俺のあげた安物を身につけるために高〜いチェーンを買ってくれた?へぇ〜そんなに俺のこと好き?」
いつもより大袈裟な身振り手振りで畳み掛けるように煽るとヴォックスは怒った表情のままふるふると震えていた。それから急に立ち上がると、真っ赤な顔でこちらを睨みつけて「くたばれ!」と叫んだ後、家から出て行ってしまった。
あまりにも彼が可愛かったからって流石にやりすぎたなと反省しながら俺は手元のスマホを無意味にスクロールした。
そのあとちゃんと彼に謝罪メールを送ったが1週間ほど放置プレイを喰らうハメになった。
【手のひら】
「なぁヴォックス、手ぇ出して!」
「なんだ?」
俺が出した手をヴォックスが訝しげに見つめる。どうやら俺が今まで散々悪戯しまくったせいで警戒されているらしい。
正直、付き合ってから今まで彼をからかいすぎた。それでも俺が懇願すると「次、変なことしたら即電撃だからな。」と脅しながらも、俺に向かって手を伸ばしてくれた。そこが甘かった、いや悪戯するつもりはないけど。伸ばされた彼の手を見つめる。
「あれ、思ってたより手ぇでかいな?」
「ああ、広げるとこれくらいでかいぞ。」
そう言い放つ彼の手をぺたぺたと触る。手のひら、指と指の間、蛍光色の爪、つつ〜と指でなぞるとびくりと手がはねる。一瞬電撃を覚悟してヒヤリとしたが、これは悪戯と判定されなかったらしく、彼の顔が少し照れただけだった。
俺は彼の手に自分の手を重ねて、2人の手の大きさを比較した。どうやらヴォックスの方が少しでかいようだ。
「はぁ、ショックだな、俺、大きさには自信あったのに。」
「?」
俺の急な謎発言でヴォックスが頭に疑問符を浮かべる。そのまんまの意味だが、まるで意味が分からないというヴォックスの顔が面白すぎるからそのまま、意味深長に何も言わないでいよう。そうしてだまったままでいると痺れを切らした彼が口を開いた。
「手の話だよな?」
「手の話だよ?」
首を傾げる彼に笑いかける。彼は意味がわからない、ちゃんと説明しろよとでも言いたげに眉間に皺を寄せている。
さて、俺の計画はここからがスタートだ。今測った指の大きさを参考に付き合って1年の記念日にいきなり指輪をプレゼントしてビビり散らかせてやる。
俺が内心ほくそ笑んでいると何かを察知したらしいヴォックスが小さく電撃を当ててきた。あぁ、覚えてろよ、絶対にビビらせてやる。