祝福あるの日の夕暮れ時、朝日奈は花響学園でグランツとの合同練習を終え、一人あるところに向かっていた。
(まぁ、会えなかったらその時はその時だよね)
練習を終えた直後でもあり、いつになく気分は高揚していた。
すっかり行き慣れた場所でもあった。ここにくると何故か不思議とホッとする。
ふと甘い香りがし、一瞬強い風が吹き、髪をおさえた。
「朝日奈さん?」
名前を呼ばれた瞬間、とくんと胸が大きく跳ね上がった。
御門は少し驚き、同時に微笑を浮かべている。
「またお会いしましたね。今日も練習ですか?」
「はい」
「そうでしたか。相変わらず精が出てますね。私も丁度帰る途中でした。
まだ時間があるなら駅まで、少し話しませんか?」
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目黒川の桜並木通りを二人並んで歩いていた。
黄昏時は終わり、空には星が瞬き出した。
毎年桜の開花時期は早まっているようだが、どうやら今年は例年並み、まだ咲く気配はない。
そのせいかあまり人の姿も見えない。
「桜が満開の頃はここは人でごった返しで、まともに歩けないんですよ」
「あ、なんかTVで見たことあります。
ここ桜の名所なんですよね」
「ええ。私も実際に見た時は圧倒されました」
御門は苦笑を浮かべた。桜より人の方が凄かったが。京都とはだいぶ違う。
そう、何もかもが。あの日から随分と遠くまできてしまった気がする。
「そうなんですね。横浜の方も結構見応えはありますよ。ここ程じゃないですが、御門さんにも見て欲しいです。もちろん桜だけじゃなくて、案内したい場所もたくさんありますから」
「それは……是非お願いしたいものですね」
目を輝かせ話す朝日奈に御門は微笑んでいた。
「あ、でも御門さんは有名人だから、昼間歩くなら変装しないとですね」
「え? 変装って」
「ええと、……つけ髭とか、鼻メガネですか?
って御門さん……似合わなすぎる」
二人は想像し顔見合わせ、笑っていた。
彼女は自分の想像を軽々と超えてくる。
ありがたいことに黒橡の名も知られるようになり、一人で歩いていると声をかけること少なくない。
同時に面倒なことも増える。それを見越し、車での移動が殆どだった。
今は夜の暗さもあり、存在を隠してくれている。
朝日奈が急に立ち止まり、指差した。
「あ……」
「咲いてますね」
「綺麗」
まだどこか寂しい小枝に一輪、花開かせていた。
まるで私はここにいるよと、小さな輝きを放っているように見えた。
(まるであなたみたいですね。朝日奈さん)
例えるなら彼女は太陽だった。どんなに深い闇が迫ってもその輝きは決して消えることはない。
(まぁあなたとなら……ちょび髭変装して歩くのも……そこまで悪くないかもしれませんね。無論誰にも……あの男だけには絶対に見られたくはありませんが)
以前なら何もかもあり得ない未来だと思った。だが、今はーーー未来も信じられる。
「なんだか祝福されているみたいですね。今年最初の桜を御門さんと一緒に見られて良かった」
朝日奈は顔をほころばせていた。
「ええ、本当に」
彼女の笑顔はどんな花よりも綺麗だった。