謎ガチャの衝動に駆られて書いた十いづ 寝相の悪い人間におススメなのは抱き枕。そんな情報を彼に与えたのは誰なんだろう。おかげさまでこの度初めて、彼に抱き締められたまま眠りに就くことができた。
そんな幸せを寝ぼけた頭で噛み締めながらゆっくりと目を開ける。最初に見えたのはしっかりと筋肉のついた、だけど分厚過ぎない胸板。そっと触れてみればそこはあまりに温かくて、熱いくらいで。そう言えば昨晩、横になってすぐの頃はこの体温にどぎまぎして眠れないと思ったんだった。
それがいつの間に眠ってしまったんだろう。そもそも今は何時なんだろう。視界は彼でいっぱい。視覚情報は何も入って来なかった。
「……ん」
抱きしめられたままの姿勢では、僅かに息が苦しくなってきて身を捩る。その弾みで起こしてしまうのではないかと思うとドキドキしたが、彼はちょうど深く眠っているようだ。いびきも歯ぎしりもなく、起きる気配もない。
顔を少し上に向ける。カーテンから少しだけ漏れた光、朝日だ。ということは、眠れないと思いながらもなかなかぐっすり眠ってしまっていたということ。そんな自分に呆れつつ、それでも体温を分け合う感じだとか、長い手足が巻き付いてくる感じだとか。それが何だか心地よくて、気持ちよくて、すっかりリラックスしてしまえたのも事実だ。
ぐっすり眠れたと実感しながら、改めて彼に視線を戻す。朝日に照らされた寝顔を夢中になって観察した。寝ているときでも眉間の寄ったシワ。それを覆うのはセット前の長めの前髪。あまり多くを語らない口はすやすやと寝息を立てている。――そう、寝息を立てている。いびきではなく、歯ぎしりでもなく。
彼とお付き合いをするようになって二人で出掛けることはもちろんあったが、夜を共に過ごしたことはまだ一度もなかった。別に、『そういう』ことがしたいと言うわけではない。ただ、長い時間一緒にいたいだけ。役者と監督としての時間を取ることは容易だが、完全にプライベートな時間を設けることはなかなか難しく、だからせめて一緒に寝たいと申し出たことは今までに何度もあった。そして、それを彼は毎回「いびきで起こすと悪いから」「最近歯ぎしりがうるせぇらしいから」といろんな理由をつけて断って来た。
その彼が今回急に「一緒に寝ないか」と誘ってくれたときには、遂に幻聴が聞こえたのかと思った。言葉を飲み込めないでポカンとする私に、彼が不安そうな顔をするものだから「ああ、幻聴じゃないんだ」と理解したものだ。
それにしてもどうして急に、と怪訝そうな顔をする私に彼はしどろもどろに説明をしてくれた。何でも「寝相が悪いのを直すのには抱き枕がいい」という情報をどこからか仕入れたらしい。しかしすぐに抱き枕を購入するのは難しいからと、この度抱き枕役に任命されたのが私と言うわけだ。
まあ、抱き枕だったとしても何にしても。理由は何であれ念願が叶ったのだ。手放しで喜んでしまうのは仕方がない。すぐに彼からの申し出を受け入れたのが昨晩のこと。
そして迎えた今日の朝。夢にまで見たこの瞬間は、あまりにも穏やかで幸福だった。
足にかかる重みが幸せで、だけど少しだけしんどくて。それでもやっぱり幸せでどうしていいか手に負えなくなってしまう。試しに少しだけ足を動かしてみれば、彼はまるで逃がさないと言わんばかりに脚を巻き付けてきた。それはやっぱり幸せだと思う。
「……ふふっ」
思わず笑みが零れる。押し殺しきれなかった息が彼にかかってしまった。
「ん……んあ……」
「あ、起こしちゃった? ごめんね」
「いづみ……」
眉間のシワが深くなって、緩んで、また深くなる。ゆっくりと意識がはっきりとしてきたようだ。はっきりと目が合って「おはよう、十座くん」と笑いかけると、何度か瞬きをした彼が柔らかく笑って挨拶を返してくれる。そんな些細なことさえ堪らなく幸せになってしまって、もしかしたらまだ夢の中にいるのかなと思ってしまった。
「よく眠れた?」
「ああ。朝起きて布団が乱れてねぇのには驚いた」
「そんなに寝相悪いんだ。でもどうして急に? 直したかったの?」
「……あー、いや」
「わっ……!」
ぽすん、と再び彼の胸板にダイブさせられる。そこはやっぱり熱くて、加えてものすごい速さで脈を打っているものだからこちらにまで移ってくるようだ。ドキドキして、止まらなくなる。更に彼の大きな手のひらが頭頂部に乗っかって来て、柔く優しく撫でられるものだから、胸がくすぐって堪らなかった。
ぎゅうぎゅうと力を入れて抱きしめられる。脚はなお絡んだまま。
「ふふ、苦しいよ」
「わ、悪い……」
「ううん、嬉しいんだよ」
だけど顔が見たいな。そんなことを言えば彼は少し腕の力を緩めてくれた。それから顔を上げれば、彼は何故だか決まり悪そうな顔をしている。何か都合が悪かったのだろうか、とそのことに言及するより先に彼が口を割った。
「……嘘、なんだ」
「うそ? 何が?」
「抱き枕。教えてもらったんじゃねぇ。たまたまネットで見かけたんだ。それで……」
絡んだ脚に更に力が入る。どこにも逃がして貰えないな、逃げるつもりもないけれど。そんないたずらっぽい考えは一瞬で吹き飛んでしまった。
「本当は、もっと一緒にいてぇと思ってた。ただ一回断っちまって引っ込みがつかなくなって……口実が必要だった」
「……! もう、ふふ!」
そんな可愛らしい告白にこちらまで堪らなくなってしまって、今度は私の方から彼の胸板に飛び込むのだった。