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    mina_kami

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    mina_kami

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    少女と番犬 番犬の声を初めて聞いたのは、私の手が大樹の葉より小さい頃だった。
     当時の私は恐ろしいものなど何もない無謀と好奇心の塊で、番犬が仕事をするのはどういう時かを理解していなかった。危ないから家に閉じこもっているようにと言われた程度では好奇心が収まるはずもなく、両親が目を離した隙に家を抜け出して、その結果、蛮族と遭遇した。
     当時の私はそれが蛮族だと分からず、ぼけっとしている間に蛮族は私に襲い掛かろうとし――そして、番犬に駆除された。
    「怪我は無いか」
     抑揚のない落ち着いた声が、番犬の口から聞こえた。集落の皆と比べてはるかに背が高く、木漏れ日を受けた真っ黒な髪は金属のようにきらきらと輝いていた。そして前髪の下、額に埋まる翡翠色の宝石と、私をじっと見つめる同色の瞳が何よりも印象に残った。
     番犬を間近で見るのは初めてだった。私がぼんやりとして何も答えずにいる間に、彼は私に怪我がないことを手早く確認し、後からわらわらやって来た集落の皆に連れられて小屋へと戻っていった。
     私もまた隣家のおじさんに連れられて家まで帰され、番犬が出ている間は家から出ないようにときつく言い聞かされた。両親からもこっぴどく叱られ、向こう一か月おやつ抜きの刑が科せられた。

     それ以来、私は番犬に興味を持つようになった。正確に言えば、縦横無尽に飛び回っていた好奇心の行先の一つに加わった。
     両親や長老から話を聞き、集落の図書館でいろいろな本を読んだ。私をはじめとした集落の皆はレプラカーンと呼ばれる種族で、番犬はティエンスと呼ばれる種族だと知った。レプラカーンの種族としての特徴を読めば読むほど、私を取り巻く環境の噛み合わなさが気になった。
     私達の集落は森の奥にひっそりと建つ遺跡の中にあるのだが、いくらかの壁と天井しか残っていない野ざらしの場所に家を建てているのは、遺跡に住んでいると言えるのだろうか。さらに言えば個人や家族単位ではなく複数の家族で集落を作っているし、なにより排他的であるにもかかわらず異種族である番犬がこの集落にいる。
     番犬はいつから、どういう理由でこの集落にいるのだろうか? 番犬がいるから、一般的なレプラカーンと異なる暮らしを送るようになったのだろうか?
    「私が物心つく頃にはもうこの集落にいたからねえ」
     とは長老の弁だ。ティエンスの寿命はレプラカーンよりもはるかに短いが、ティエンスは自らを仮死状態に置くことで加齢を遅らせることができる。長老が知る頃から番犬はほとんどの時間を仮死状態で過ごし、仕事がある時だけ目覚めて働いていたと言う。
    「番犬の仕事ってなに?」
     私の至極当然の疑問に、長老もまた至極当然のように答えた。
    「外敵の排除だよ。この集落は目立たない場所にあるとはいえ、怖い動物や蛮族が来ることがあるからね」
    「ふうん」
     窓の外を見た。私の家や友達の家、親戚のおじさんの家が並んでいて、番犬がいる小屋は集落の端の方にひっそりと建てられていた。
    「危ない仕事をしてくれる人はえらいってお父さんから聞いたけど、番犬のおうちはあんな場所でいいの?」
    「セットーは変わったことを気にするんだね」
     長老はくすくすと笑い、
    「あれでも、犬には過ぎた報酬だろう?」
     これまた至極当然のように答えた。
     長老の答えは、集落の在り方に疑問を抱くようになるには、十分だった。

     疑問を抱いたからと言って、すぐに行動を起こすかと言うと、そうはならない。友達と木の実探しの競争をしたり、父の農作業を手伝おうとして足を引っ張ったり、先生の授業で居眠りをして怒られたり、なんだかんだで子供の生活は忙しく、私は知識と技術を身につけながらすくすくと成長した。
     番犬の仕事は年に数回あり、窓から様子を見ていると、番犬が小屋を出入りする様子くらいは見ることができた。動いている番犬を見ることができるのはこの時だけで、それ以外の時に小屋を訪ねても藁の山の中で死んだように眠っているばかりだ。実際、半分死んでいるのだが。
     彼はこの生活に満足しているのだろうか?
     それを聞くには、タイミングを計る必要があった。
     番犬が仮死状態から目覚めるには、魔法が得意な者が力を注ぎこむ必要があるため、私一人で彼を起こすことはできない。だから、彼の仕事が終わり仮死状態に入る前しかチャンスがない。
     私は無理を言い、それらしい方便を並べ、外堀をじわじわと埋め、番犬の餌やりと仮死状態に入ったことを確認する仕事を手に入れた。好奇心の強さに知識と技術が加われば、案外なんでもできるものだ。

     獰猛な野生動物が来たという知らせを受けた時は胸が高鳴ったが、番犬にやる餌を預かった瞬間に心臓がぎゅうと締め付けられたような心地がした。
     野生動物の駆除はつつがなく終わり、集落の皆は野生動物の死体を作業場に持ち帰り、私と番犬は小屋に入った。
     明かりもなく薄暗い小屋の中には、藁布団と着替えの衣服、武器の手入れ道具といくらかの救命草だけがあった。私の家より一回りも二回りも狭く、生きることしか考えられていない空間だった。
     番犬は慣れた様子で服を脱ぎ、濡らした布で身体を拭き、着替えを済ませた。幼い娘に対する配慮はなく、幼い娘もまた恥じらいより好奇心が勝っていた。父以外で初めて見た異性の身体は、無駄な肉がなく引き締まっていて、美しかった。
    「あなたはいつからここにいるんですか?」
     武器の手入れをする姿を見ながら疑問を投げかけ、番犬はこちらを見ることもなく淡々と答える。
    「今の長老が母親の腹にいた頃から」
    「つまり……ものすごく昔から?」
     番犬は頷いて武器の手入れを続ける。機械のように正確な手つきで、武器は鋭さを取り戻していく。
    「その頃からずっと、こういう生活を?」
    「当時は起きている時間が長かった。そこから無駄を減らしていって、今の形に」
    「無駄なんて、そんな」
     そんなことを言わないで、と言い切る前に手を差し出された。武器の手入れは終わったから飯をよこせと言うことなのだろう。
     鞄から餌を取り出して番犬に渡す。捨てる直前の食材を濃い味付けでごまかしたサンドイッチだ。不作だった年に食べるような粗末な食事を、彼はいつも食べさせられている。
    「あの、一つ聞いてもいいですか」
    「既に三つは聞いているだろう」
     今度の見張り役は口数が多いな、と番犬はこぼした。その表情や声色に不快はない。
    「今の……危ない目にばかり遭わされて、寝る場所や食べ物はこんなので、そういうの、嫌じゃないんですか?」
     番犬はサンドイッチを食べながら、私の顔をじっと見た。
    「同情しているのか」
    「かもしれません」
    「不要な気遣いをするな」
     番犬は残りのサンドイッチを口に押し込み、藁布団に寝転がる。
    「俺に対してそう思っていることは、集落の誰にも言わない方が良い」
     それだけ言うと、番犬は目を閉じた。仮死状態に入ったのだ。
    「自分には気を遣うなって言ってるのに、あなた自身は気を遣うんですね」
     番犬の存在を組み込んだ集落の生活はとても安定している。そこに一石を投じるとどうなるかは、子供の私でも容易に察しがついた。

     それからは、遊びと勉強を続け、仕事の時に番犬といくらかの言葉を交わす生活が続いた。
     番犬が自ら言葉を発することはなく、いつも私が質問をしたり、他愛もない話を一方的にした。こっそり持ち込んだ菓子を分け与え、本で得た知識を得意げに披露した。番犬はどんな時も眉一つ動かさず、淡々と作業をしながら短い相槌を打っていた。
     そんなある日、番犬は唐突に口を開いた。
    「お前は何故そんなに俺を気に掛ける」
    「なぜ、と言われても」
    「集落の連中は出来る限り俺を避けている。集落に異分子があれば排除あるいは避けるのがお前達の『普通』だろう」
    「うーん……それは、そうなんですけど……やっぱり気になっちゃうというか……」
     安定した生活は良いものだが、そこに番犬という存在が入り込んでいることがどうしても気になってしまう。深く考えようとすると胸がざわついてしまう。
    「集落の皆やあなたに不満がないとしても、あんまりよくない気がして」
     番犬はふむと呟いて作業の手を止めた。
    「……お前は、この集落で生きることにあまり向いていないのかもしれないな」
    「そうですか?」
    「視野と好奇心が違う。いつの日か、お前にとってここは集落ではなく檻に変わる」
    「……集落を出た方が良いって言うんですか? ごはんとか寝るところとか、どうしたらいいんですか」
    「知識を蓄えて備えておけば対応できることだ。無理だと思えば一旦ここに帰れば良いが、やはりお前にここでの暮らしは向いていない」
    「な、なんでそんなにはっきりと……」
    「集落を出るという話に対して、真っ先に気にするのが家族との別れではなく衣食住だからだ。お前の心は一瞬で『外』に向いた」
     番犬の指摘に心臓が跳ねた。家族や集落の皆は好いているが、確かにこの瞬間、私の意識は全て「外」に向いていた。
     私が何も言えずにいる間に、番犬は藁布団に寝転がって仮死状態に入っていった。

     父の農作業を手伝ったり、猟師から罠の作り方や武器の使い方を教えてもらう時間が増えた。野生動物や蛮族の図鑑を読みふけり、家の裏手でキャンプの真似事をした。番犬との話も自然と「外」に関するものが増えたが、番犬の知る「外」は遥か昔のことなので参考になるかどうかは危ういものだった。
     集落の皆は私が猟師を目指していると思っているようだった。いろいろなアドバイスをしてくれてありがたかったが、同時に少しだけ罪悪感もあった。
     けれども私は私のために、集落の皆のために、そして番犬のために、動かなければならなかった。

     ある日の夜更け。
     私は家を抜け出して、姿を透明にして、集落の倉庫からいくらかの魔晶石を持ちだした。普通の人族が姿を透明にするには相当な魔法の修行が必要らしく、レプラカーンならほんの少しの練習でそれができるようになるのは追い風だった。
     小屋に侵入して透明化を解除する。ここなら夜更けの巡回の目も届かない。
     仮死状態で眠る番犬の胸の上に魔晶石を置いて、力を込める。この人は、どれだけの時間を眠りながら過ごしていたのだろうか。
     力を失った魔晶石はただの石ころになり、番犬はゆっくりと目を開けて身を起こした。私の顔を見て眉間にしわを寄せる。
    「お前は俺の専属の世話係にでもなるつもりか」
    「あ、いえ、仕事じゃなくて」
     しーっ、と人差し指を立てた。番犬は怪訝な顔をしながらも、大声は出さなかった。まあ、彼が声を荒らげるところは今まで一度も見たことが無いのだが。
    「私、今夜ここを出ようと考えてて」
    「別れの挨拶か? 殊勝なことだ」
    「まさか!」
     思わず笑みがこぼれた。番犬に向って伸ばした手を、窓から入る月明かりが静かに照らす。
    「一緒に行きましょう」
    「……何を言っている?」
     番犬はぱちぱちとまばたきをした。
    「不満のない生活だとしても、今の状態が続くのは、あなたにも、集落の皆にも、良くないことです」
     いいですか、と前置きをして、私の頭の中にある考えを整理する。
    「この集落は今、あなたという戦力に頼り切っています。物騒なことは全部あなたに任せて、戦うための訓練をしているのは猟師の人くらいです。あなたの目から見ても、戦えそうなのはそれくらいじゃないですか?」
    「魔法の使い手も多少はいるが、一定のレベルから伸びていないな」
    「あなたが永遠にここに居続けられるのなら、それでいいかもしれません。でも、そうじゃないでしょう?」
     仮死で時間を稼ぐことが出来るとはいえ、ティエンスの平均寿命はレプラカーンの四分の一だ。いずれ終わりが来てしまう。
    「寿命が来るまで戦い続けた場合、あなたが倒れた後に残るのは、戦う力を失った人達です。今ここで集落を抜けた場合、戦う力と意思を持つ人が残されます」
    「……ゼロを一にするのと、一を十にする難度の差か」
    「そういうわけです」
     家にはそういった意味の書置きを残しておいた。成人前の小娘の意見を聞いてくれるかどうかは分からないが、無言の旅立ちよりかはマシだろう。
    「この集落には恩義がある。俺はここに残って、戦いの指導をした方が効率的だと思うが」
    「飼い犬の指導を素直に聞いてくれると思いますか?」
    「…………」
     番犬は言葉に詰まった。今の扱いがお世辞にも良くないことは、彼自身よく分かっているのだろう。
    「ショック療法みたいになっちゃいますけど、思い切っていっちゃいましょう」
     番犬は私の顔と差し出した手を交互に見て、小さく頷いて手を取った。

     番犬を連れて集落から出るのは、拍子抜けするほど簡単だった。
     獣道すらない森の中をひたすらに進み、それなりに距離を稼いだところで岩肌のくぼみに身を寄せた。毛布やランプに地図に数日分の食料など、必要最低限のものは持ってきたが、生活の目途を立てて行かないと早々に行き詰まるだろう。
     けれども、それは朝になってから考えたらいい。まずはしっかり睡眠を取って休まなければならない。毛布にくるまって寝転がる。岩肌が痛いが、我慢できないほどではない。番犬は私の隣に座って森の方をじっと見ていた。
    「あなたは寝ないんですか?」
    「起きたばかりだからな。それに、俺まで寝たら誰が見張りをする」
    「あ、確かに」
     これからはそういうことも考えなければならないのだ。これは想像以上に大変になりそうだ。
    「イライ」
     目を閉じかけた私の隣で、番犬はぽつりと呟いた。
    「俺の名前だ」
     そういえば、集落の誰もが番犬の名前を知らなかった。彼には彼の名前があり、人生があるのだと、改めて実感する。
    「いい名前ですね。私の名前はセットーですけど、名乗ったことはありましたっけ」
    「お前が蛮族に襲われかけた時、誰かがお前をそう呼んでいた記憶はある」
    「初めて会った時じゃないですか。あの時は叱られておやつを取り上げられて本当に辛かったんだからね」
    「自業自得だ」
     毛布の中が体温でほどよく温まってくる。目を閉じると、葉擦れの音や虫の声がよく聞こえた。
    「……イライくん、いきなり連れ出しちゃってごめんね」
     イライは何も答えないが、そのまま言葉を続ける。
    「私、友達と遊んだり、大人の仕事を手伝ったり、勉強をしてみたり、今まで楽しいことがいっぱいあったんだ。集落を出て大変なことはいっぱいあるだろうけど、それと同じくらい楽しいこともいっぱいあるって思ってるし、イライくんの『これから』も、楽しいことがいっぱい待つものであってほしい」
    「……それで、俺を連れ出したのか」
    「頼れる護衛になってくれそう、っていうのもあるけどね」
     ふふふと笑いをこぼし、眠りの世界へと少しずつ落ちていく。私の手より一回り大きな手が、ぎこちなく髪を撫でる。抑揚のない落ち着いた声がありがとうと言葉を紡いだ気がしたが、それが夢の出来事なのか現実の出来事なのかは分からなかった。

     こうして私とイライの旅は始まった。
     その後、初めて訪ねた街で右往左往していたところをとあるリルドラケンに助けられて冒険者となったりするけども、それはまた別の話。
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