ニューミリオンを離れての長期任務を終え、その旨を司令へと伝え終わるとようやく肩の力が抜ける。セクター部屋へと戻る廊下は中途半端な時間のせいか人が少なく、二人の足音だけが響いていた。
「あ〜〜疲れたァ!やっとお家に帰れる……!」
「家じゃねぇだろ」
「似たようなモンだよ」
揶揄するような言葉のわりにその声色は珍しく静かで、アッシュもそれに反論することなく「フン」と軽く鼻から息を吐いた。
その意味に気付かないほどビリーは鈍感では無く、わざわざ突っ込むほど野暮でもない。形作ることなのなかった言葉の代わりに半歩分だけ距離を縮め、素直じゃない先輩と肩を並べる。
「にひひ……お疲れ様、アッシュパイセン☆」
「ハッ、やっとテメェの事シバキ回せるってことだな……。情けねぇトコばっか見せやがって。任務中は見逃してやったが、帰ってきたなら容赦しねぇぞ」
「うげーー!!お仕事頑張った可愛い後輩のことをもっと労わって!っていうかそもそもオイラが呼ばれたのだって戦力というより情報収集が目的だし!」
「うるせぇ。黙って言うこと聞いてろ」
「うわぁ……久しぶりの俺様暴君……」
最近あんまり見かけてなかったのにな……と今度はわざとらしく口に出して言うと、アッシュの手がこめかみに伸びようとしたので、慌てて避けた。やけに大きな舌打ちが少し上で響いているが、それは聞かないことにする。
「たっだいま〜!おかえりな……さ……」
シュンと音を立てて開くドア。いつものように元気よく挨拶しようとしたビリーの足がピタリと止まる。
眼前に広がるのは見知ったイーストのリビング……のはずが、そこに広がる光景は記憶にあるものと少し違っていた。
「なっ、なっ、」
ソファの背もたれやアーム、挙句の果てには座面や床にまで散らばった洋服の数々。リビングで何か荷物を受け取ったのだろうか、開封したままの状態で放置されたダンボール箱。かろうじて自炊した痕跡の見えるキッチンには、流し台にも水切りラックにも食器が溜まっていた。
変わり果てたイーストのリビングに、わなわなと二人の肩が揺れる。
「なんなんだよこの惨状は!!!??」
アッシュの張り上げる大声に、いつもなら苦言を呈すビリーもそれどころでは無いのか、ゴーグルの奥に隠した瞳が唖然とした表情を浮かべていた。
「お、お〜!二人とも帰ってきたのか。おかえり」
先程のアッシュの大声で帰宅に気付いたのか、ジェイが自室から姿を現した。暖かく出迎えてはいるものの、絶妙に視線の合わない様子からしてこの部屋がどこか後ろめたい気持ちがあるのだろう。
「『おかえり』……じゃ、ねェ!!!なん何だこの状況は!」
「いや、そのだな……二人が帰ってくるまでにはどうにかしようとしたんだが……思ったより帰ってくるのが早くてな」
「どう考えてもあと一日二日遅く帰ってきてもどうにかなる状態じゃ無いヨ……」
ビリーやアッシュのように綺麗好きな二人なら片付けれないこともないが、大雑把な性格の二人だ。やる気を出して掃除を始めたところで、すでにどうにかなるような状態ではないだろう。
激昂するアッシュ程ではないが、じとりと目を細めて惨状を眺めるビリーの視線は冷たい。
「だぁぁぁあ!!!洗濯物は皺になる前に畳めって何回も言って……っつうかなんでリビングに洗濯物が散乱してんだよ!洗ったやつなのかこれから洗うのかどっちなんだこれは!」
「えっと……ジャックから受けとってとりあえず置いておいたから……綺麗なやつだな……たぶん」
「クソがッ!もう一回洗ってもらえ!」
「うわーん!なんでシンクに食器が溜まってるの〜!」
「いや、あとでまとめて洗おうと思って、だな……」
「ならせめて水につけて!汚れ落ちなくなっちゃうデショ!」
バタバタと走り回るアッシュとビリーに、どこか穏やかな雰囲気でのほほんと返すジェイ。その態度がまたアッシュの怒りに触れたのか、握ったままの洗濯物に皺が寄る。
「これでも二人が居なくなってから最初の数日は頑張ってたんだがなぁ……」
「ありえねェ……マジでありえねェ……」
「まだ大統領が掃除してくれてたおかげで埃はそこまで溜まってないのが幸いカナ。……と、いっても細かいところまで全部してくれるワケじゃないから色んなところ溜まってそうだケド」
オレンジ色のレンズ越しに見る床は思っているよりも汚れてはいない。足の裏に伝わるザラりとした感触はないことから、きっとジャックがある程度は綺麗にしてくれているのだろうが、多忙な彼が一つのセクターに時間を割けるはずもなく、またグレイもジェイも自分たちが汚したものを掃除してくれと引き止めたりはしないだろう。
だからこそ、今見えていない部分を見るのが怖いとも思う。
「……じ、だ」
「え……?」
「掃除だ!!!!徹底的にすんぞ!いや、しなきゃ俺様の気がおさまらねぇ……ッ」
「い、いやでも二人とも任務から帰ってきたばかりで疲れてるだろう……?明日からでも、」
「こんな状態の部屋でどうくつろげっつうんだよ!」
「アッシュパイセン!掃除道具持って来マシタ!」
「あぁ、よくやったビリー……まずは部屋からだ。リビングは最後にまとめてやんぞ」
「gotcha!」
アッシュが何か指示する前にビリーは先回りして掃除道具を持ち出すとそれに対しアッシュも素直に賞賛の言葉を贈り、しかしながらビリーならそれくらい出来て当然だとも思っているような自信もその顔に浮かべていた。
下手をすれば日々のトレーニングやパトロール中よりも息のあったコンビネーションと潤滑なコミニュケーションに、普段からこれくらい出来ていればなと思うが、そんなことを言える立場でないことを自覚しているジェイは曖昧な笑みを浮かべるだけに留める。
「おい、老いぼれ……!テメェも早くゴミ袋持って部屋に来やがれ!」
「あ、あぁ……、すぐ行く……!」
これ以上怒らせるわけにもいかず、アッシュの指示に従おうとしたところで、ルーキー部屋とリビングを繋ぐスライドドアが開いた。
「あれ、リビングが騒がし……ヒィ!アッ…………」
「ギーク……テメェもリビングに置いてあるもん片っ端から捨てられたくなけりゃ、さっさとどうにかしやがれ!」
「えっ……ッ、あ、」
「グレイ〜!!はい、掃除道具!あとこの箱にとりあえず捨てられたくないモノ入れちゃおっか」
「あっ、え、うん……?」
「よ〜し!まずは部屋から頑張ろうネ、グレイ!」
「部屋……。!!まっ、待って……!いま部屋が……っ」
「ウン、ヤバいんだよね?このリビングの様子見てれば何となく察しはつくヨ」
「ご、ごめんなさい……っ」
アッシュの姿に対してか、それとも発せられた内容についてか。顔を真っ青にしたグレイが視線を逸らすが、困惑する暇も与えないとビリーに詰め寄られてすぐさま気持ちが切り替わったのが傍から見てとれた。
このまま良い意味で遠慮のいらない仲になればいいなとルーキーの姿を目を細めて眺めていると、そんなジェイの耳に怒声が届く。
「おい、老いぼれェ!!なにボーッとしてやがる!!今すぐ来ねェとここにあるチラシ全部捨てるぞ!」
「待ってくれアッシュ……っ、それはまだ見てないのがあるんだ……ッ」