「おじゃましマース♪」
「いらっしゃい、ビリーくん……!」
ガサガサと大量のスナック菓子とジュースを入れた買いもの袋を揺らしながら、広く綺麗な玄関で靴を脱ぐ。見るからに浮ついた様子でビリーからお菓子のいっぱい入った袋を受け取ると、グレイは眼下にあるキャロットオレンジの丸い後頭部を眺めていた。
「それにしても、グレイのパパに急用が入っちゃうなんて残念だったネ」
「うん……。父さんもビリーくんに会えるのを楽しみにしてたから急用が出来てガッカリしてたよ」
リビングに通されソファに深く腰掛けながら二人は揃って眉を下げた。
*
遡ること数日前。仕事が忙しくバディに会うため実家に寄ることすら出来ていなかったグレイは、久しぶりに帰ろうかと父親に連絡した。
その際妹は泊まりがけの学校行事で家におらず弟は友達と旅行に行っているという旨が帰ってきた。定期的に実家に帰っているグレイが、一度くらい妹弟に会えないことを残念には思ってもショックを受けることは無いということは知っているだろうにどうしたんだろう。と意図を探る間もなく端末がピロンと震えると続きの文が投下された。
『ビリーくんが良ければうちに泊まりに来てもらったらどうだ』
その文字を見た瞬間ドクンとグレイの心臓が一回大きく跳ねた。
実家の部屋にゲームや漫画類を置いていることもあってビリーが家に遊びに来ることは多々あっても、家族団欒を邪魔するのを忍びなく思うのか泊まりにまで発展することは案外少ない。
けれど父さんから誘われたとなればビリーくんも安心して泊まりに来てくれるんじゃないか。いやでも、むしろそれが負担になるのでは?
グルグルと思い悩むグレイは結局ビリーに見つかって「え、いいの? 行く行く〜♪」とあっさり快諾された。
「お菓子いっぱい買って、いっぱい遊ぼうネ!」と期待に青い瞳を輝かせる様を見ながらもっも早くに言っとけば良かったな、なんて心地よく痛む心臓を抑えながら思ったのだった。
*
派手なエフェクトと音楽と共に、画面の右半分には『LOSE』の文字が、左半分には『WIN』の文字が輝いていた。
ふぅ……と聞こえないくらい小さく息を吐くと、隣でワナワナと震えるビリーが大声を上げながらソファの背もたれに勢いよくもたれかかった。
「わっ、また負けちゃった! グレイ強すぎ〜」
「でも最初よりダメージすごく食らっちゃったし、ビリーくん上手くなってるよ」
「でもこんなにハンデつけてもらったのに、半分も削れなかったヨ」
「あはは……。僕はこのゲーム最新ハードに移植される前からやってるから……十年くらいやってるんじゃないかな?」
「ワオ! すごいネ、そんな前からやってたんだ」
ビリーはローテーブルにコントローラーを置くと、そのまま上半身を横たえてグレイの太腿へと頭をのせた。部屋着の上からでも十分に伝わる温度に、ゴクリとグレイの存外逞しい喉仏が上下し、先程までコントローラーを握っていた手の甲でゆるりと頬を撫でる。年相応の瑞々しい肌の上にはほんのりと朱が差していた。
子猫が甘えるように手に擦り寄る様子は愛しさと可愛らしさも存分に含んでいたが、ビリーと恋人関係にあるグレイにはどうしてもそれ以外の欲も含んでしまう。
ドキドキと震える唇がそっと降りてこようとして、
ぐぅ、と間抜けな腹の虫が鳴った。
「ぷ、くくくく……ッ」
「…………今すぐここから消えてしまいたい……」
「けっこう長い時間遊んでたし、いつもの夕食の時間より遅いもんネ。そりゃお腹も空くヨ」
「オイラもお腹空いた〜」と立ち上がるビリーに、恥ずかしさで頭がどうにかなってしまいそうになりながらも、辛うじて家主という立場を思い出し一緒に立ち上がる。
「……父さんが色々買ってきてくれてるから、それ温めて食べるのでいい?」
「gotcha! 勿論OKだヨ」
何があるかな〜とキッチンへ向かうビリーに続くように、グレイも慌てて追いかけた。
***
「はー……美味しかったね、グレイ」
「う、うん! ビリーくんも気に入ってくれたなら嬉しい……」
「すんごく気に入った♡ 情報屋としていろんなお店知ってるつもりだったけど、ここのグラタンは初めて食べたなぁ」
「あ、ここはファミリー向け……っていうか、量が多いから複数人でシェアする前提なんだ。だからあんまり学生とか一人暮らしは食べないんじゃないかな」
「成程ネ。だからボクちんも知らなかったんだ」
基本的に同年代向けや今流行りの情報ばかり仕入れていたから、ファミリー向けの商品は盲点だったな。こういう隠れた良い物があるなら今度はそっち方面も調べてみるのもいいかもしれない、と思いつつ、脳内に商品名をメモする。
食後のゆるりとした会話もそこそこにして、ビリーは食器をシンクへと運ぶと水をだして軽く濯いだ。
うーん……こういうのって洗うのが早い方が落ちやすいんだよなぁ。
「ねぇグレイ、使ったやつ洗っちゃってイイ?」
「あぁ…、いいよビリーくん、後で洗うから置いといて」
「食べさせてもらったんだからこれくらいはやらせてほしいナ」
「……じゃあ、僕も一緒に洗うよ」
「んふふ、一緒にちゃちゃっと終わらせちゃお!」
アッシュやジェイに隠れがちだが、グレイのおうちも大きくて広い。それはキッチンも同じで、成人男性が二人シンクへ並んでも問題ないスペースがあった。
カチャカチャと食器の擦れる音と流水で軽く汚れを落とす音を背景に、スポンジを二つ用意して濡らしている途中で、持ち上げた洗剤ボトルの軽さに一瞬ビクリと驚いてしまう。逆さにしてみてもやはり中身は空だったのか、スポンジに落ちるのは出ているのかいないのかわからないような少量のみでとても泡立ちそうにはなかった。
「……洗剤きれちゃってる」
「ストックそこの棚だよネ? 開けてもいい?」
「う、うん……ありがとう」
まだ手の濡れていないビリーがシンク下の収納棚からストックの洗剤を取り出してグレイに渡す。
その際ズルズルと袖が落ちてきて、濡れてはいるけどまだ洗剤つけてないしそのまま上げればいいかと袖を捲ろうとすると、そんな大雑把な様子にビリーが笑いながらくるくると袖を巻いてくれた。
それから当たり前のように再び隣に立つとビリーもスポンジを濡らす。いつもソファに座ってするようななんでもない会話をしながらテキパキと慣れた様子で食器が洗われていった。
自分の家にビリーがいる。しかも、ゲームや映画を見るような……いわゆる”遊びの空間”ではなく、もっと日常に寄った”生活の空間”にビリーが立っていた。自分の空間で、愛しい人が自分と一緒に生活の一つをこなしている。
「(なんか……こうしてると泊まりに来たっていうより……)」
「なんか、新婚さんみたいだネ」
「ふぇっ!?」
「ひゃっ!」
「ご、ごめんね……僕も同じこと考えてたからびっくりしちゃって……」
「そうだったの? んふふ、友情パワーで以心伝心?」
「友情、パワー……」
何度言われても慣れることなく、その度に心をぼぅっと温かくさせる言葉に、グレイの顔に不自然な力が籠った。
「んふふ」
「……? どうしたの、ビリーくん」
「さっきの洗剤もだけどさ、グレイのおうちにあるもの色々分かるようになったな〜って」
初めて来た時は知らなかった物の場所を把握したり、手伝わせてもらったり。そんな積み重ねがわかる程グレイの家に来ているということであり……グレイの家族に認められているということでもある。
そのことがどれだけビリーにとって眩しくて憧れていたことか、きっとグレイは知らないだろう。
「研修が終わって同室が解消されても、こんな風に一緒に住めたら楽しいだろうなぁ」
「僕も……一緒に住みたい」
「HAHAHA〜! 考えるだけでワクワクしちゃう!」
「うん……どんなところがいいだろう。一戸建て……って言いたいところだけど、お金のこと考えたらマンションの一室がベストかな。僕はイーストが住み慣れてるけど、研修終わった後の所属によってまた変わるよね……いっそセントラルが一番いいのかな?」
「……、」
「って、あぁ……ッ、ごめん僕ばっかりッ! ビリーくんの意見もあるよね」
身体を小さくして謝るグレイの瞳に、申し訳なさはあっても冗談や軽口の色は一切なく、グレイは本気でビリーとの未来を描いていた。
「……グレイはさ、気が変わるとか思わないの?」
「え……? やっぱりイーストにしとけばよかった、とか? たしかに交通の便とかは住んでみないとわからないけど……」
「そうじゃなくて、研修終わるまであと2年近くあるんだヨ。オイラと別れてたり、嫌いになっちゃってるとかは思わないの?」
「な、ないよ……っ! ビリーくんの事嫌いになるなんて、絶対に無い! 100万回転生しても、ビリーくんのこと……嫌いになんてなれないよ」
濡れたままのグレイの大きくな掌がビリーの手首をぐるっと覆う。あ、と思う暇もなく引き寄せられると唇が触れ合った。いや、覆われたという方が正しいかもしれない。吐息を奪われるようなキスにビリーも応える。何度か影を合わせては離れを繰り返し、互いの息が上がってきたところでグレイは何かに思い至ったように距離を取った。
「……あ、でもビリーくんに呆れられて嫌われたら、別れるって言われる可能性はあるかも……」
「……ないよ」
「……え?」
「グレイと違って絶対、とは言ってあげられないかもしれないケド……でも俺もグレイのこと嫌いになんてならないよ」
「ビリーくん……」
泣きそうに潤んだアンバーを見て、ビリーはホッと安堵の息を吐いた。人の心の機微を察するのは得意だと自負していたが、初めての友だちで初めての恋人であるグレイのことになると失敗も多く、珍しく不安になってしまう。
そんなビリーの心の内など見えるはずもないグレイが、離していた距離をグッと詰めた。
「キスしていい……?」
「さっきは聞かずにしたのに?」
「……もっとしたくなっちゃった、から」
形だけはビリーに許可を求めていたが、その返事が来る前にまるっとグレイの口の中へと飲み込まれてしまう。
今度は先程とは違い、性感を刺激するように長い舌がぬるりと入り込み、容赦なくビリーの弱いところをなぞった。
「……んッ、ふぅ……ぁ、んぁ、」
「はぁ……っ、びりー、くん」
「ひゃッ! グレイ、ここ、キッチン……ッ」
「うん……、ごめんね」
謝りながらもグレイの唇はビリーの耳を食み、首筋へと落ちる。興奮して荒くなった吐息が擽るのさえ彼に開発されてしった身体には快楽へと変換されてしまう。調理台に押し倒されそうになる身体をつま先立ちで堪えながら、それでもゾクゾクと震える背筋がグレイを求めていた。
こんな場所でと思う背徳感すら快楽物質になりそうな中、外からガチャッと鍵の開ける音がした。
「「え」」
ハッと我に返るとお互いに離れ服装を整え、そのタイミングでリビングのドアが開き、グレイの父親が姿を現した。
「ただいま……あぁ、二人とも食器洗いをしてくれてたんだな、ありがとう。ビリーくんはいらっしゃい」
ネクタイをゆるりと解きながら朗らかな笑顔で挨拶する父親の姿を二人は直視出来ず、曖昧に笑って見せた。
「あ、はは〜……お邪魔してマス!」
「うぅぅぅ…………」
「? グレイはどうかしたのか」
「なんでも無いヨ! 食器洗いも終わったしオイラ達は部屋に戻ろうとしてたとこだよネ! ね! グレイ!!」
「え、あ……う、うん!」
「あ、そうだビリーくん。よかったら明日は一緒に朝食を食べないか」
「いいの!? グレイのお父さんともお話したかったから嬉しい♪」
「そうかそうか」
そこから一言二言話すと、立ちっぱなしの二人を見て引き止めて悪かったねと謝られた。
なんとかその場を凌いで廊下へと出たグレイとビリーは崩れ落ちそうになる身体をなんとか保たせながらも大きく息を吐く。お互いにヘロヘロと崩れ落ちそうになる姿が面白かったのか、向かい合うと自然と笑いが零れていた。
「……あの、ビリーくん…その、部屋で続き、してもいい?」
「……グレイのお父さんいるよ?」
「出来るだけ……は、激しくしない……から。だめ?」
「………………出来るの?」
「うっ、……………………が、頑張ります」
本当はビリーも身体の奥に先程の熱がジクジクと残っていて、続きを求めていた。だから元々断るつもりはなかったが……少し卑怯だけどグレイに流されたことにしてしまおう。と腕に絡みついた。