チェンジカラー 澄んだ空に、黄金の星が煌めいている。
きらきらと砂粒を細かく砕いたかのような、小さな小さな黄金の輝き。
毎日せっせと届けた花は、今日で七本になった。
純白の花弁から溶け出したフロイドの魔法。それが今、アズールの双眸をゆっくりと侵食している。
「あはっ」
思わず漏れた声に、アズールの眉が僅かに跳ねた。瞬間、けぶる銀糸の下、揺らめく空色が瞬くたびに、黄金がより深くより濃く、その色を増していく。
「なんです? フロイ――」
不審に開いた口を塞ぎ、ふぅっと更に魔力を注げば、目の前の空はあっという間に黄金に染まる。
「っん」
ちゅっと啄んだ唇をまた吸って。淡く色付く頬へと手を這わし、掌全体で包み込む。親指で目尻をなぞると、銀色の睫毛がゆるりと落ちる。反対の手で腰を抱きながら顔を寄せれば、柔らかな銀糸が目元を擽った。その毛先は、鮮やかなコバルトブルーに染まりかけている。
ふっと毛先を吐息で揺らす。すると、それに驚いたのか。アズールの手に握られたままの花がするりと抜けた。追うように伸ばされる、ほっそりとした右手。染みひとつない手袋に包まれた指先を、花が掠めてぽとりと落ちた。
「あ」
漏れ聞こえた声はほんの少し寂しそうで。咄嗟にその手を取って「だいじょうぶ」と拙く囁いた。そのまま開いた口に齧り付き、薄いながらもしっとりと濡れた唇に舌を伸ばす。
そんな戯れ程度の動きでも、間に挟まれた眼鏡がカチャリと小さく音を立てる。特に邪魔だとは思わなかったが、アズールのほうは違ったらしく。自分の眼鏡だというのに、邪魔だと言わんばかりに、絡めた舌先を食むように噛まれた。
「いってぇ(かわいーわがまま)」
「全く、場所を考えろといつも、」
そう言って睨め付けるアズールの片目は、すっかり黄金に侵されていた。
自分と同じ色に腹が熱くなる。
花を拾い上げる為に少しだけ離れた距離。それを早々に詰め直し、今度は先程よりも丁寧に顎を掬い上げた。
ぴたりと密着させた唇がじわりと熱を持つ。吸い付くような感触に煽られ、余計に離れ難くなる。
「ン……っん」
「……っは」
離れたくない。それでもアズールに無理はさせられないし、させたくなかった。
けれど――もっと、と。黄金を孕んだ目に強請られて、我慢なんて出来るわけがない。
フロイドは強請られるまま、もう一度、もう一度だけと、甘ったるいばかりの口付けを繰り返す。
「(あー、こんなんガマンとか無理じゃね?)」
そもそもの話、アズールに触れていて我慢が出来たことなんて一度もなかった。
じゃあやっぱ無理じゃん。そうフロイドは早々に思考を放棄した。代わりに、唇の隙間からぐっと舌を差し込むと、体温が上がったせいだろうか。唾液が酷く熱い。
「(あーあ、やっぱ我慢とか無理)」
「あっ、ん……」
ここが何処だとか、周りに誰かいなかっただろうかとか。そんなものは最初から頭にない。いつだって、フロイドの中にあるのは、目の前のアズールのことだけだった。
「ふ、……っ」
「アズール、もうちょっとあーんして?」
小作りに見える口は上品で愛らしいが、フロイドにとっては少々狭すぎる。気を付けないと、うっかり牙で傷付けてしまいそうで怖い。
「……あ」
「ん、いいこ」
言われるがままにぽかりと開いた口。いっぱいいっぱいに開いてもまだまだ狭いそこから、とろりと零れそうな唾液を舐め取った。
アズールの魔法が込められた唾液はほんのりと甘く、そして少しだけ海の味がする。
懐かしい感覚に思わず喉が鳴る。きゅるっとひとのそれではない鳴き声を響かせた後、お返しのつもりで上から被さるように口付け、ゆっくりと唾液を注ぎ込む。すると、互いの魔力が反応したのだろうか。アズールの丸い瞳孔がきゅうっと縦に伸びていく。
「目ぇタコちゃんになってんね」
かーわいい。最後は声に出さなかったのに、どうやら顔でバレバレだったらしい。じとりと睨まれて脛を蹴られた。いってぇ。
しかし、不機嫌そうな顔をしても濡れた双眸は隠せていない。
ゆら、ゆらと揺れる生々しい艶に吸い寄せられるように近付いて、べ、と舌を覗かせる。
「……」
「っわ」
恐らく無視されるだろうと思っていたのに。伸ばした舌を柔く吸われ、予想外の出来事に上擦った声が出た。
アズールからの珍しい戯れに、嬉しくならないはずがない。うれしい。すき。だいすき。
「あーもぉ、ほんとすき」
きゅんきゅんとトキメク胸を押し付けるつもりで、華奢な身体を力いっぱい抱き締めた。
「……僕は、」
「ん? なあに?」
「僕は」
「うん」
――愛していますよ。
涼やかな声音とともに、ぐっと持ち上がった白い顔。そこに照れの色はない。ただ、少しだけ赤い目元からふわりと匂い立つような色香を感じた。
「あー……ほんと、もぉ」
耳が死ぬほど熱い。顔を覆った手まで熱くて、そのままへにゃりとその場へと蹲る。
アズールたちにとって、言葉というものは商売道具のひとつに過ぎない。だが、例外として、お互いの間で交わされる〝愛〟は、どんなものであれ、嘘偽りのないものだった。とはいえ、その全てが真摯なものかといえばそうでもなく。アズールの口にするそれは、愛の言葉と言うには些か他人行儀であり、半ば身内に対する称賛のようなものに近かった。
そんなアズールが――愛している、だなんて。そんな言葉を、彼の口から聞かされてしまえば、フロイドがどうなるかなんて知っているくせに。これ以上好きにさせてどうすんの。もぉ、ほんとヤダ。勘弁して。熱が全く引かないせいで顔すら上げられない。いくら自由奔放なフロイドといえど、好きな相手に格好悪い姿は見られたくなかった。
「フロイド?」
「……」
「フーローイード?」
何度名前を呼ばれても絶対に顔は上げない。語尾の緩んだ声が今回ばかりは憎らしかった。
「やだ」
バカみたいに首を振って、やだやだやだって拒否をする。稚魚みたいだって笑われたっていい。
「フロイド」
「……なに」
「好きですよ」
「!」
「ふふっ、耳まで真っ赤ですね」
ああもう駄目だ。やっぱり勝てない。だってこんなのすきすぎる。すき、だいすき。ずっとなんて言えないけど、いつだって今のアズールをあいしてる。
「あー……」
垂れた黒い房ごと前髪をくしゃりと掻き乱す。降参代わりに軽いホールドアップをすれば、アズールの笑声が品よく響く。それを聞きながら足元に落ちたままの花を拾い上げ、真っ白な花弁へと口を寄せた。吹き込むのは黄金の砂。コバルトブルーの波に乗せた黄金の煌めきだ。
「あずーる」
甘ったれたように名前を呼ぶ。
「どうしました?」
アズールは言わずとも膝を折り、フロイドと視線を合わせてくれる。
伸びた右手が花を受け取ろうとしているのが見え、先手を打つ。逆側、左手を引き寄せて花を握らせ、手の甲へと口付けた。手袋を甘噛みすれば、くっとアズールの喉が鳴る。
日常的に使用される手袋にこれといった分厚さはない。鋭利な歯で穴を開けないように注意しながら、指先を食む。爪先の少し緩んだ部分を噛み直すと、フロイドが何をしたいかわかったのだろう。細い手が角度を変える。支えるために手首へと添えた指は簡単に一回りした。ちっせぇ。
ぐっと引き抜いた手袋を丁寧にたたみ、現れた素手へと口付ける。ちゅっと手の甲へ一度目を。ちゅうっと掌へ二度目を。そうして三度目は昨夜の名残りを赤く際立たせたままの薬指へ。凹凸の残る深紅の輪っかがふたつ。そこへ上書きするように口を寄せ、ぢゅっと音を立てて吸い付いた。
「あいしてる」
最後の一呼吸まで深く深く吹き込んだ魔法によって、アズールの銀糸は懐かしい海の色に染まっていた。