星無き空の碇、月無き海の灯りノイジーを連れて、素早く艦から泳ぎ出る。
息を止めて水中を泳ぐことに慣れないのか、ぎこちなく自分の後を付いて来るノイジーに身振りで、後ろではなく自分の起こした水流を利用できるよう腹の横に付いて泳ぐよう指示すると、少しは泳ぎ易くなったようだ。
そのまま一気に海面へと導いてやると、よほど苦しかったようで「んぷはぁっ!」と勢いよく顔を出した。
そして数度呼吸を整えたらハッとしてまた水中に沈む。
「偉いな、ノイジー。ちゃんと規則を守っていて。だが、今は顔を出しても大丈夫だ。」
行軍中の規則では、水面から顔を出してはぜったいにいけないとされている。だからさっき海上を警邏すると言ったときにも元より大きな目をさらに大きくして、このままじゃこぼれ落ちるのでは無いかと思うほど驚いていたんだろう。
元々この規則はまだ8本足との交易するほど意思疎通が取れず、航路でうっかり出会えば5秒で戦闘だった頃の規則がそのままになっているだけのもので、今では海面から顔を出したところで特段危険もない。
そう言って聞かせると恐る恐るノイジーが海面から顔を出す。
「そ、そうっすね、周り一面海だし、誰もいな、わっぷ!!」
「おっと。」
自分は気にしていなかったが、線の細いノイジーには波がきつかったようで、ひっくり返りそうなところをなんとか捕まえる。
「大丈夫か、ノイジー?」
「けほっ!だ、大丈夫っす…!」
懐に抱え込むようにしてやると体勢が安定したらしくホッと息を吐く。
しばらくそのままでいるといい、そう言うとノイジーは頷いて、そのまま俯いてしまった。
「ノイジー?」
「すいません…俺、迷惑かけてばっかりで…」
副官の仕事も、今も。どっちも大事な仕事なのに、と消えいるような声で。
「…ああ、その通りだ、ノイジー。だから上を向いてくれないか。」
「っ、すいませんっ!け、警邏ですよね!」
今にも泣きそうな顔をして、無理矢理笑い顔を作って見せる。
「いや…。すまん、半分、嘘を吐いた。」
「へっ!?」
また目が溢れそうなほど大きく見開いてコチラを見るから、居た堪れず顔の傷を掻く。
「半分は言い過ぎかも知れんが…。海上の警邏の仕事はあるにはあるんだが、さっきも言ったように形骸化していてな。今ではこうして海上に出て来るための名目で使う方便にすぎない。」
「えっと、それが嘘なら、本当の部分は…?」
「お前にしてもらいたい大事な仕事がある。これは本当だ。お前にしか出来ない。」
「でも、それは警邏じゃないってことっすよね…?」
「そうだ。やってくれるか?」
そう聞くと、真剣に頷かれる。
「は、はい…!俺は何をしたら…!」
「至極簡単だ、ノイジー。上を見てくれ。さっき、上を見てくれと言ったら、俺を見上げてくれたが、もっと上だ。」
「もっと…?上…、わ、わぁ…!!」
ノイジーが思わず、と言うふうに声を上げる。
満天の星空、とはよく言ったものだが、基地にいる時は通りに宿舎にと煌々と蝋燭が灯るから見られる星は限られる。
でも見渡す限り海しかないここなら。そして新月の今日なら。
「ノイジー、あの、大きな星が三角形を作っているところ、見えるか?」
「えっ!えっと…」
キョロキョロとどれだろうかと空を見回すノイジーに目線を合わせ、鰭で三角形を描いて見せると理解したようで何度か頷く。
その斜め上、三角形を作る星より輝きは劣るものの、しかと存在する星を繋いで、今度は新兵の持つスプーンのような形を辿って見せると星を見るコツを掴んだようですぐに頷いて自分の鰭でスプーンの形を描いて見せた。
「隊長格は方角を知る為に星を習う。そのときに指標となる星の集まりには旧霊長類が名前をつけていてな。さっきのスプーン形の星の集まりは、イルカ座という名前が付いている」
「いっ!イルカ!?イルカって、イルカですか?!」
さっきとは一転、パッと明るい顔になって本当に?!本当にイルカなんですか?!と興奮して聞いて来るからそうらしいぞと頷いてやると鰭をパタパタと動かして嬉しそうにしている。
「俺たち、イルカはもういないって思ってたんすけど、空の海にはいたんすねぇ!」
そう言って嬉しそうにもう一度イルカ座を鰭でなぞってから、あれ?と首を傾げてこっちを見る。
「それで、俺にしか出来ないお仕事ってなんだったんですか…?」
「ん?今してるだろう?」
「え?あ、星座を読むことっすか…?でもそれは隊長の方が出来るし…。」
んん?と考え込んでしまったノイジーに違うぞと鰭をひらひらと振る。
「お前に元気になってもらう。お前にしか出来ない、大事な仕事だ。」
そう言うとノイジーは何度か目を瞬かせて。
「そ、それだけっすか…?え?!お、俺楽しかっただけで何にも仕事して無いっすけど?!」
「副官の士気を上げる。大事だろう?」
そう言われるとそんな気もしないでもないですけど、でも、うーん…と悩み始めたから「お前の喜ぶ顔が見られて俺の士気も上がる。」と言い添えると「それは、大事っすね…。」と納得したようだ。
「んと、俺の士気は上がったっすけど、隊長はもう満足しました?」
ちら、と遠慮がちにこちらを見るノイジーに、
「いや、まだだな。」
と即答すると懐の中で少し嬉しそうにはにかんで、
「じゃあもう少し『お仕事』してから戻りましょっか。」
後でみんなに、特に補佐の2匹にはお礼を言わなくっちゃ、と言うノイジーに頷いて、まだ暫く波に攫われないようにと細い体を掻い抱くように引き寄せた。
先達のようにその身を星海に熔かすのは、お前にはまだ少し早すぎる。