◆アイス ある猛暑日。冷房の効いた室内に、カタカタと二種類の無機質なタイピング音が鳴っている。片方はレポート課題に苦戦する僕のもの。もう片方は持ち帰りの仕事に没頭する先生のもの。
「一人だと集中できないから一緒にいてください」なんて僕の言葉に、「仕事しながらでもいいなら」と先生は二つ返事で頷いてくれた。そういうわけで、いま僕は先生の部屋にお邪魔している。
一つの机でお互いに向き合う形でパソコンを開いて、淡々と指を動かす。時々ちらりと視線だけを向けて先生の方をうかがえば、ううん、と唸りながら眉を寄せている顔が見える。きっと大変な仕事なんだろう。それなのに僕の我が儘を聞いて一緒にいてくれる先生の優しさに、申し訳なさと抑え切れない嬉しさが胸を突いた。……かくいう僕も、さっきから文字が全く進まなくて溜息をついてしまっているのだけど。
煮詰まった思考を冷やすように、さっき先生がくれたアイスを一口かじる。冷房が効いているとはいえ、暑い日には冷たいものが食べたくなるものだ。シャーベット状のアイスに歯を立てる度、シャリ、と小気味いい音が鳴る。フルーツの果汁が使われたそれは、甘さの中にほのかな酸味もあってさっぱりとした味だ。
先生も同じものを持っているけど、画面に集中しているのかあまり食べ進められてはいないようだ。溶けて垂れたものが手を伝ったらしく、少し慌てたように舐めとってから齧りついている様子が見えた。
そんな折、机に振動が響く。何事かと思えば、先生の仕事用の携帯が着信を知らせているらしかった。端末を手に取って画面を見た先生がちょっと微妙そうな表情をする。あれは多分……厄介事が回ってきた時の顔、かな。
少し出てくる、と端末を見せながら先生が立ち上がった。僕は先生を見ながら頷いて、わかりました、とだけ返す。そうして視線を外した時、不意にぐい、と。唇にひやりとしたものが押し付けられて、そのまま先端が口の中へと納められる。突然の感触に驚いてもう一度先生の方を向けば、少し細められた紫紺の色がこちらを見ていた。
「預かっておいてくれ」
それだけ言って、耳に端末を当てながら先生は廊下へと出て行ってしまった。呆然としながらも、口に感じる冷たさを空いている方の手で引き抜く。
「……預かる、って……」
引き抜いたものは、さっきまで先生が齧っていたアイス。まだほぼ原形のままのそれには小さく齧られた跡と、それに重なるようについた僕の歯形がある。
それを見て、これ、さっきまで先生の口の中に──なんて考えていたら、空調で冷えた筈の肌がじわじわと熱を持つのを感じた。自分の事ながら単純すぎる…!と頭を抱えたくなったものの、両手にアイスを持つ羽目になっているのでそれは叶わなかった。
「普通に渡してくれたらいいのに……」
わざとなのか、それとも特に意味なんてないのか。先生なら後者の可能性も十分あるけど、あの目を見るにおそらく前者かもしれない。
はあ、と息を吐いて、まだ熱の上がり続ける自分を誤魔化すように残っていたアイスに齧りつく。
ひやりとした感触だけが伝わって、味はもうわからなかった。