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    ema17957904

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    GOT Webオンリー「一陣の風」vol.2出展の「700年以上気に病んだ俺の純情(?)を返せ」の設定を引き継いでいる現代パロ。竜三が警察官で仁が消防士という、もうオリジナルでやれ感満載のミステリー。
    ミステリーといっても私が書くものなのでクオリティはお察しで。

    業火が消える日 1 遠くで蝉が鳴いている。
     カラカラと音を立てながらガラス戸を閉めると、虫の声も近くの幹線道路を走る車の音も、どこか遠くの別の世界のように感じられた。
     窓から見えるのは隣家との間に設けられたエレガンテシマ、目隠しのための常緑針葉樹だ。家の中から四季折々の風景など見られない代わりに、外から中を覗かれる心配もなかった。
     居間のソファには、男性が横になっている。リビングテーブルの上には、空の酒の空き缶がたくさん転がっていた。
     窓を閉めたその人は、表情を変えることもなくソファの男を一瞥した。彼が酒に弱く、飲めば必ず寝てしまうことは知っている。
     テレビの電源は消えているが、九月の日中である、クーラーは鈍い作動音を響かせながら、職務に忠実に冷えた空気を吐き出していた。
     壁のコンセントにテレビのプラグが差してある。そこに一垂らし二垂らし、魔法の液をかけた。ほんの数秒でコンセントの差し込み口から火が噴き出した。火はコンセントの差し刃を溶融させ、典型的なトラッキング現象特有の焼跡を再現する。コンセントの周囲に燃えやすい服や紙が散らばっているのも、たまたま、偶然。確実に燃やすのなら灯油かガソリンでも巻けば間違いないが、火災の調査において油分検査は基本のきだ。そんな馬鹿なことはしない。
     指紋や足跡など自らの痕跡が残らないよう注意して家をでた。どうせすべて燃えてしまうのであるが、慎重を重ねて悪いことはない。家から煙が出ることさえ見届けず、足早にその場をあとにした。一般的に、放火犯は現場に戻るらしい。炎そのものや、火事におたおたする人々を見るのが楽しいのだそうだ。
     だが、自分は戻らない。炎は手段であり、道具であり、見せしめであり、挑戦でもある。それを見て、歓喜するためのものではない。
     すべては、目的のため。

     これは、聖戦だ。
     






     深夜とはいえ、九月の夜はまだ蒸し暑い。背中に県警のロゴが入った黒の活動用ベスト一枚分の厚みすらわずらわしく、竜三は無意識的に手で自分の顔をぱたぱたと仰いだ。着こんだ背中に汗が流れるのを感じる。
     午後十時をわずかに過ぎたころに発生した火災は、木造家屋一棟を全焼し、その隣家に延焼して窓一枚の破損と壁を焦がして鎮圧した。高齢女性の一人暮らしで、近隣住民は誰もその姿を見ていないという。逃げ遅れた可能性が高いなと、現場にいる警察官や消防士らの間にはなんとも言えない消沈したムードが漂っている。
     県警の刑事第一課強行犯係に所属している竜三は、火災の発生と共に現場へ駆けつけた。火点建物の住人の所在を調べ、その場に集っている住人たちへ聞き込みをし、事件性の有無を調べる。だが一通りの活動が終わってしまうと、あとは消防が火を消すまではできることはない。
     消火が終わり、屋根も壁も概ね焼け落ち、焦げて煤にまみれた柱が等間隔で空に向かって焼け細っている。すでに炎はないものの、白い煙がいまだ濛々と立ち上がっていた。先ほどまで数えきれないほどの消防ホースから放水をしていた消防隊は、いまは小休憩に入っている。すでに火災は鎮圧しているため、あとは休憩をはさみながら残火を潰していくだけだということは竜三にもわかっていた。
     三、四人のオレンジの防火服を着た救助隊が、道路の隅にへたりこみ水分を摂っていた。炎の輻射熱にくわえ、分厚い防火服を着こんだ火消しがどれほどの水分と体力を奪われるかは想像にかたくない。全員が全員、汗と消火水と煤で、顔も防火服もドロドロだ。一人の隊員が飲んでいたペットボトルの水を頭からかぶり、髪をかきあげた。それで気づいたが、その隊員はかつての幼馴染、現代にあっても友人の境井仁だった。仁の方も顔をあげた拍子に竜三の存在に気づいたようだ。竜三は軽く片手をあげ、仁は軽く頷いた。
     現代で再会した幼馴染は、昔に比べるとずいぶん感情表現が豊かになっていた。いや、元々から朗らかな性格だったのだ。それを侍という名の器に封じ込めていただけで。現代ではその枷が外れたせいか、竜三と話すときはいつもにこにこと笑っている。だが、まれに仁と事故や火災の現場で会った時に、仁が笑うことは少なかった。消防隊員は現場では絶対に歯を見せて笑うなと教育されているのだと、以前仁が言っていたことを竜三は思い出す。
     それにしても、と竜三は独りごちた。こんなにドロドロになってまで消防隊として働く仁を、竜三はやはり変わっているなと思う。かつては地頭の甥であった彼は、今生にあってもやはり資産家の家系の子だった。志村グループという巨大な企業体の一部である境井家の長男が、地方公務員になるというのはそれなりにハードルがあったのだと、以前、仁から少しだけ聞いたことがある。
    「よし、じゃあ戻ろうかー」
     消防の指揮者──よく現場で顔を合わせるため、彼が“警防係長”であることは竜三も知っている──が声を上げ、隊員たちは皆腰を上げて順次残火処理へと戻っていく。ホースからゆるく水を出しながら、燃えた家に満遍なく水をかけていくのだ。
     消防が設置したライトの明かりが、不気味に燃えた家を浮かび上がらせている。炎が勢いを失くし、熱気をはらんだ白煙が辺りに漂い始めたころから、野次馬の数も減って、今は見つからない家主を心配する知人たちだけが遠巻きに消火活動を見守っていた。
     家だったものの残骸に足を踏み入れていく隊員たちに、主任火災調査員が声をかけた。
    「その辺、居住者の寝室だったらしいから、気を付けてくれ。あと、あっち辺り、多分火源だから。水は棒状じゃなくて拡散で当ててくれよ」
     水は流体とはいえ、棒状で放水すればかなりの圧になる。焼け残った重要証拠が破損したり消滅したりする原因ともなるのだ。拡散とは、つまりシャワー状でじょうろのように水をかけてほしいということだった。
     調査課のヒラ隊員がとび口をもって寝室であった場所をほじくり返している。しばらくして、「居たー」と間延びした声をあげた。暑さのせいで疲れ切っているのだろう(あるいは慣れか)、焼死体の憐れな外見にも鼻をつく異臭にも鈍感になっている。
     逃げ遅れ者の発見を知らせる声に導かれるように、警察官と消防の火災調査員たちが集まる。近づくほどに、木や化学製品の燃えた臭いを軽く飛び越えるほどの異臭が強くなる。人が焼けるにおいだ。血のにおいや腐臭ほどは刺激は強くないものの、竜三はずっと昔、前の生で嗅いだそれを思いだす。己が手で焼いた男の──
     途端に吐き気が襲ってくる。忘れたくても忘れられないにおい、光景、炎の熱さ、男の断末魔──
     思わず右手で口元を押さえた竜三に、相棒の智次が声をかけた。
    「大丈夫か、竜三」
    「ああ、問題ない」
     ふうっと大きく息を吐き、心を落ち着けると、竜三は焼け落ちて瓦礫まみれの家屋だったものの中へ足を踏み入れた。
     遺体の周囲には調査員や鑑識が集まっておりその姿は見えにくいものの、長身の竜三は、腰を落として書き物をしている警察官の頭の上から、それを見た。
     真っ黒に焦げた人型の何か。周囲の瓦礫と同化しており、発見した消防隊員はよくぞこれが人間とわかったなと感心するほどだったが、よくよく目をこらすと、そげ落とされたように焼失した胸の辺りからピンク色の内臓の一部分だけがわずかに顔をのぞかせていた。両足は大腿部から、左手は肘から先が焼失しており、成人女性のわりにずいぶん小さく見える。
     長身でがっちりとした体格、ひげはちゃんと剃っているが、腕を見ると毛深いことがわかる熊のような消防の主任調査員が、遺体に鼻がつくほど顔を近づけて、くんくんと臭いをかぐ。
    「油の臭いはしませんね」
     警察の鑑識も同じように嗅いで同意した。「そのようですね」
     竜三はその行為を何度見ても見慣れることができないし、そもそも人の焼けた臭いがきつすぎて、油の臭いなど判別できる気がしない……と思うものの、やはりその道のプロにはわかるのだろうと納得している。
     その後、遺体が存していた場所を記録するため壁からの距離を測り、大体の出火場所を特定して、残りの調査は翌日の朝から実施する算段をつけて、見張りのための地域課の署員だけを残し、お開きとなった。





     それから数日後のことだった。
     午前十時、いかにも下町の飲み屋然とした居酒屋に、仁の姿はあった。客層は夜間工事明けの土木作業員や警備員、ホステスにタクシーの運転手。そのほか仕事をしているのかしていないのかもわからない初老の男たち、大学生くらいの若い男女グループ。朝だというのに店内は酒とたばこ、もつ煮込みの匂いが充満し、厨房までオーダーの声が通らないほどざわついている。
     仁はたこわさを肴にビールを飲みながら、片手でスマホを触る。幼少の頃から不思議と“爽やかな男”という評価を受けやすい仁は、実直と誠実が人の形をしたらこうなるのだろうと思わせる容姿をしている。一見すると小汚い飲み屋では不自然に浮いているようだが、周囲の者は誰も気にしない。ここでは各々が各々の空間を守り隣には干渉しないこと、そして仁がこの雑多な空間に溶け込むほどに何回もこの店を訪れ、場の雰囲気に合わせた所作を身に着けているからに他ならない。
     がらりとガラス戸が開き、新しい客が入ってきた。口の周りに黒々としたひげを生やし、目つきが悪く、引き締まった身体をした坊主の男。彼は仁の姿を見つけ、その前の椅子に座った。
    「少しは寝たか?」仁が聞くと、竜三はああ、と言いながらも目をしょぼしょぼさせた。「明け方に二時間ほど」
    「勝った、俺は四時間寝たぞ」朗らかに笑う仁を見て、竜三は肩をすくめる。
    「やだやだ、寝る時間でマウント取ってくるやつ」
     軽口をたたく合間に、竜三は店主にビールともつ煮込みを注文した。
     仁と竜三が再会を果たしたのは、一年ほど前である。その後、竜三が市内の別の署に異動になったことで出動の管轄がかぶるようになり、現場でもよく顔を合わせるようになった。
     そのうちに、どちらからともなく夜勤明けに連絡を取り合って、月に一度ほどこうして酒を酌み交わすようになった。ほとんど寝ずに朝から酒を飲み、家に帰ったら昼食もほどほどに爆睡し、起きたら夕食の冷凍食品を食べて、また翌朝まで寝る。ひどい生活だ、伯父に知られたら怒られるかもしれんなと仁は苦い笑みを漏らす。
     竜三はテーブルの上の使われない灰皿を脇に寄せて、使ったおしぼりを畳んで置いてから仁の顔を見た。
    「そういや、いつも思うんだが、お前んとこの調査課の主任さん、どこかで見た顔だよな」
    「シゲさん?」
    「いや名前とか知らんけど」
    「安達繁里殿だ。覚えておらんか」
     仁から聞かされた名を頭の中で反芻する。安達、と聞いてまず思い出すのは熊のような当主ではなく、その妻である夜叉のごとき女武者だ。
    「安達って、鬼つよのばあさんの息子か?」
    「ああ、そうだ。シゲさんにあの時代の記憶はない。だが、炎を憎む気持ちは人一倍だ」
    「まあ、親父があんな殺され方したらなあ……記憶はなくても魂が覚えてるのかね。っていうか、両親はやっぱりあの安達夫婦なのか?」
    「それは知らん。同僚の親御さんのことを根掘り葉掘り聞く男というのも気持ち悪いだろう。まあしかし見るからに、あの風貌になるにはあの両親から生まれなければ無理だろう」
     仁がそう言って笑ったところに、竜三のビールが運ばれてきた。二人は乾杯も言わずにグラスをカチンと軽く合わせた。一気にグラスの半分をあおる竜三が一息ついたところで、仁が言った。
    「そういうお前の相棒刑事も、昔見た顔だ」
    「智次か」
    「智次というのか。確か六本刀の一人」
    「ああ、そうだな。そういや、連中と戦ったんだったな」
    「強かったぞ。そして潔かった。智次を斬ったあと、俺は言ったんだ。来世ではまことの武人となれ、と」
     武人という言葉を聞いて、竜三は一瞬納得したような顔を見せた。
    「智次はすげえよ。剣道四段、柔道三段、逮捕術は全国二位の腕前だ」
     さらにいうなら、性格は温厚真面目、義理に厚く人望もあり、何より頭も良い。彼ほどの能力ある男が、武家に生まれなかったというそれだけの理由で、牢人として無様で無念な最期を迎えたというのだから、それがあの時代の世の成り行きであったとしても、やはり歯がゆさがある。
    「そうか。まことの武人になったのだな」
     穏やかな笑みを浮かべながら、仁がぽつりと、噛みしめるようにつぶやいた。
     警察官という名の、まことの武人に。
    「彼にも記憶はないのか」仁が訊いた。
    「ああ、ない。記憶の有り無しの基準がよくわからんな」竜三はそう答え、次いで「そういえば地頭殿には記憶あるのか」と、わずかにそわそわとした風情で尋ねた。
    「さあ、わからん。有るのかなと思う態度の時もあれば、いや無いような気もするなと思う時もある。どっちなのかと尋ねたことはない」
    「なんだそれ。のんびりしてんな」
     仁は竜三に笑いかけて言った。
    「前に少し話しただろう。大学3年の時だったか。俺が消防吏員になると言った時、軽く親族会議になったんだ。ランクの高い国立大まで出て、なんで地方公務員にならないといけないのか、いずれは志村グループの要職に就く身だろう、どうしても人を助けたいというのなら医者か弁護士か政治家にでもなれ、と散々言われてなあ」
    「まあ、俺だってそう言うよ、お前の親戚の立場なら」
    「でも俺は、なぜだろうなあ、文字通りこの身を粉にして、体当たりで人を救いたいと思ったんだ。不条理で、不合理で、あとは真っ暗な穴に落ちるしかないんだというどん底にいる人たちに、真っ先に手を伸ばしてすくいあげたいと思ったんだ」
     それはまるで、懺悔のように。過去の自分をなぞるように。次こそはと、リベンジするように。
    「で、親族の色んな意見がある中で、当主である伯父さんが言ったんだ。『仁がそうしたいならそれでいい』ってな。それで話は終わり。伯父さんは今生でも俺が幼いころから気にかけてくれていてな、親戚の中には、当主が俺を見限ったから好きにさせるんだという人もいたが、俺はそうは思わん。あの人は、俺の本質をわかってくれているんだ」
     それは記憶があるからこそなのかもしれない。だが、記憶がなくてもただ仁の本質を理解し尊重してくれているのかもしれない。
    「正直、どっちでもいいんだ。伯父さんに過去の記憶があるかないかなんて、気にならないんだ」
     そうかよ、と呟いて、竜三はグラスを仁に向かって持ち上げた。仁が自分のグラスをぶつける。カチンと小気味よい音が鳴った。
     竜三はなぜだかわからないが嬉しかった。竜三も同じような心持ちがしていた。あの時代の記憶があるか否かは、さほど気にならなくなっていた。それほどに、今が充実していた。






     はるか昔、仁は栗毛の馬に乗っていた。強大な敵との孤独な闘争のただ中で、傷だらけの仁の心を癒し、全身全霊で仁のために仕え、種族を超えて友となった馬は信といった。
     戦場から戦場へ渡り歩くその道中も、信の背で揺られると、ささくれだった心がすっと落ち着くのだった。仁は馬に乗るのが好きだった。
     赤いタンク車の運転席でハンドルを回しながら、仁はふとそのことを思い出した。
     信、お前に乗っているより、こちらの方がずっと高い場所から景色が見られるよ。だけど、お前の背から伝わる筋肉のしなりや通り過ぎていく風の心地よさは、決して得られない。それでも、俺は、この車に乗るのも好きだよ。
     積んでいる水は約ニトン、その他に様々な機材を積んでおり、坂道になるとめいっぱいアクセルを踏み込んでも、信の最高速度にはかなわないだろう。
     重量のある車特有の振動とエンジンのうなる音にもとっくに慣れている。助手席に座る上司が「腹減った~」と言うので、仁は「そうですね」と返事を返す。
     査察に出向した帰りだった。時刻は十七時半、九月下旬になり少し日が落ちるのが早くなったため、夕日が空を真っ赤に染めている。
    「早く帰りましょ……ん?」そう言った矢先、仁は走行する前方に、煙が上がっているのを発見した。白い煙に黒が混ざり始めている。
    「おい、まさか、火事か?」
     隣に座る小隊長も、助手席で思わず姿勢を正す。コンソールに設置された機械を操作し、赤色灯とサイレンを鳴らしながら仁に言った。
    「境井、行け!」
    「了解!」
     先ほどまでおとなしかった動物が突然騒ぎだしたかのような消防車両の豹変ぶりに、周囲の車は驚き、突然息を吹き返した赤い車体を見つめたが、その頃にはすでに煙の下に炎も出現しており、照らし合わせたかのように各車両が左に寄せて中央線を赤車に譲った。



     また火事か……そう思いながら竜三は覆面パトカー──白のスバル・レガシィ──を降りる。ここに到着するまでに、すでに火災が鎮圧されていることは無線で知っていた。
     大通りから一つ角を曲がった先にある住宅街に歩いていくと、道路に何本も伸びる消防ホース。つまづいて転ばないように足元を見ながら歩を進める。
     火災に遭った住宅の敷地入り口前で、水が出ていないホースを持って待機している救助隊員が居る。それが幼馴染であることを認め、竜三は声をかけた。
    「仁。今回はかなり早く消火できたようだな」
    仁は頷いて、竜三に道を開ける。
    「出向の帰り道でな、発見がかなり早かった。それに、うちの小隊の車は水槽を積んでいるタンク車だ。消火栓につながなくても即行で水が出せるからな。焼いたのは居間の半分の床と壁、天井を少し。だがなあ、残念なことに、犠牲者が出てしまったよ」
    「そうらしいな。すでに救急車で病院に搬送中だとか」
    「ああ。だけど、ここだけの話だが……あれは助からんだろうな。心肺停止してから、少し経っているようだったから」
     そう話しながら、仁はホースを持たない右手を、まるで手についた何かを振り落とそうとするように肘の辺りからぶんぶんと降る。その仕草を見て、竜三は昔を思い出していた。
    「仁、お前その癖、あの時代からやってたよな」
    「ん? 癖?」
    「手をぶんぶん振るじゃねえか」
     そう言われて、仁は右手を軽く持ち上げ何度かグーパーと開いたり閉じたりした。
    「ああ、そうらしい。自分ではよくわからんのだが。どうやら、死者が出た時によくやっているらしくてな。小隊長からストレス反応じゃないかと言われたよ」
     弱弱しく笑う仁の肩を叩いて、竜三は智次と共に中へ入った。
     木造の平屋建て住宅。
     玄関を入ってすぐ右が台所と居間を一つにしたリビングダイニングになっており、中央に三人用ソファがあって、被害者の男性はここに寝ていたのだという。男の一人暮らしで、床には洗濯前の衣類やゴミが入ったビニール袋が無造作に置いてある。テレビが壁際に設置されており、その三〇cmほど離れた場所にある壁付けコンセントを中心として、部屋の半分が焼けていた。焼けていない箇所にあっても放水した水で汚損されており、さらに壁や天井には、壁の中が燃えていないかを確かめるために消防隊が開けた穴が虚しく口の中をのぞかせていた。
     焼けた壁の下に、テレビの電気プラグが転がっている。プラグ全体が真っ黒に煤けて、二本の差し刃は完全に溶融し脱落していた。
    「典型的なトラッキング現象ですね」
     熊のような大きい身体をした調査員──安達繁里がそう言うと、警察の鑑識も頷いて同意を示した。
     トラッキング現象はコンセントの電気プラグの間に埃などがたまり、そこに湿気などで水気を帯びると電気が通りやすくなることで微弱な電流で炭化が進み、ついには発火するもので、電気火災の原因の大半をしめるオーソドックスな現象である。
     無口な智次が穏やかな口調で、先に臨場していた一班の班長──竜三と智次が所属する強行犯捜査一係長──に訊いた。
    「被害者は熱傷ですか?」
    「いや、炎は被害者までは届いていなかった。なんらかの理由で避難できず、一酸化炭素中毒になったか、あるいは内因性の傷病で火が出る前に亡くなっていたか」
    「被害者の顔は血色がよく、苦しんだ様子もありませんでした。消防隊の活動で辺りはめちゃくちゃですが、テーブルの下に酒の空き缶があります」横から、鑑識が口を出す。
     酒を飲んで眠ったところに火災が発生し、目を覚ますことなく一酸化炭素中毒で死亡したのか、と竜三は思ったが、それを口にすると鑑識から「先入観を持たないでください」とお叱りを受けるので黙っていた。
     それからしばらくして、火災調査を行っていた竜三たちのもとに、救急車に同乗して病院へ行っていた刑事から、被害者の男に死亡判定が出たという連絡が入った。





    「事件になるかもしれん」
     火災から数日後、出勤したばかりの竜三たち班員に向かって、班長がぼそりと告げた。
     就業時間前で、自席でスマホを見ていた竜三は、顔をあげて係長席に座る班長を見る。
    「事件って、どの件です」
    「二五日の火災だ。男がソファで心肺停止しており、火災原因はトラッキング現象と判定されたやつ」
     竜三の問いかけに答える班長のデスクに、自然と班員が集まる。部下をぐるりと見回して、班長は口を開いた。
    「検死解剖の結果、死因は一酸化炭素中毒。血中にアルコールが認められるが、それ以外の薬物はない」
    「特におかしいとこないじゃないですか。酒飲んで寝込んだところに火事が起きて、一酸化炭素中毒で動けなくなって死んだ」と智次。
    「君たちも知っての通り、今回の火災は消火が早くて室内の一部が焼けただけだっただろう。その焼損物の量から比較して、血中の一酸化炭素濃度が高すぎるんだそうだ」
    「そんなに異常なんですか?」
    「うーん…まあこういうのは色んな環境条件によって変わるからなあ、絶対におかしいとは言えないが、しかしこの解剖結果を受けて鑑識が再度見分した結果、火源の壁付けコンセント及びテレビの電気プラグ付近から、次亜塩素酸ナトリウムが検出されている」
    「次亜塩素酸っていうと、えーと……」
     どこかで聞いたことがある薬品名だなあと思いながら竜三は記憶を探るが、特にぴんとくるものはない。竜三の横で、智次がやはり穏やかに言った。
    「消毒に用いられるものですね。家庭用の商品としては主にハイター」
     ああ! と竜三他数名の班員が頷いた。班長は続けた。
    「科捜研から聞いたんだが、次亜塩素酸ナトリウムは強電解質で電気を通しやすく、通電しているものに付着すると極めて短時間で発火して、トラッキング現象を起こすんだそうだ」
    「つまり、人為的にトラッキング現象を再現したと?」誰かが言った。
     再び智次が片手を顎に当てながら言う。
    「普通なら火災原因が明らかにトラッキングなら、燃えかすの成分分析まではしない。次亜塩素酸ナトリウムが検出されることはなかった」
    「ハイターの空容器の一部でも見つかれば、たまたま火源の近くにあったハイターが熱で破損し溢れただけとも考えられるが、鑑識と消防の調査課が血眼で焼損物をあさったんだが、ブツは出なかった。そもそも、火災があんなに早期に消火されなければ、一酸化炭素濃度が濃くても矛盾しなかった。もしこれが第三者の行為の結果とするなら、その行為者にとって消防隊があんなに早く駆けつけたことは誤算だっただろうな」
     班長がそう言ったとき、事務室のドアが開き、青い鑑識の作業着を着た男が入ってきて、何食わぬ顔をして輪の中に加わった。
    「かなりきな臭いことになってきましたよ。
     彼が一酸化炭素中毒になったのが火災のせいでないとしたら、一体何が考えられるだろうということになりましてね、探してみたんですよ。まあ七輪なんかを使ってその後持ち出していたとしたら、証拠物は残ってないってことになるわけですが、そもそもあれが人為的なものであるとしたら、行為者はあの家を燃やしてしまうつもりだったんですから、わざわざ使用済みの七輪なんてでかいものを持ち出して人目につくような真似はしないと思うんですよ。で、可能性があったのは、台所に設置されていたガス湯沸器です」
    「収去して調べたのか?」と班長。
    「はい、はい。で、ガス湯沸器っていうのは簡単に言うと、使用中に排気がうまくいかないと不完全燃焼を起こして一酸化炭素が発生するんですけどね、件の湯沸器は強制排気方式でして、これまた簡単に言うとファンを回して強制的に排気を外に出すんですが、このファンを回すための配線が短絡しておりまして」
    「たんらく」
    「切れていたということで。まあ配線の短絡は経年劣化なんかでたまにあることなんですけど、顕微鏡でのぞいてみたら、切り口は鋭利なもので切っているようでして、おそらくニッパーかと。で、さらに」
    「ちょ、ちょっとまて。こいつはいよいよもっておかしなことになってきた。課長! ちょっといいですか」
     班長が事務室の中央、窓を背にデスクに座る刑事一課長を呼ぶ。顔をあげた初老の男は、目つきは鋭く刺すような空気をまとってはいるが、物腰は柔らかく、言葉遣いも常に丁寧である。
     のそりと立ち上がり一班の方へ歩いてくる。班員はホワイトボードを出して部屋の端にある応接セットの方へ移動した。即席の捜査会議である。
     班長がこれまでの経緯をざっと課長に説明し、一枚の写真をホワイトボードに貼付した。病院で撮られた男の顔写真である。すでに死亡して数時間が経っているというのに、まるで眠っているかのように綺麗な顔だ。
    「被害者は弓野一太さん、五二歳。一人暮らし、八年前に妻と死別。両親はすでに鬼籍に入っており、実姉が結婚して秋田に住んでいます。今日、身元確認のため到着する予定です。
     職業は電気工事士、個人で電気屋を経営し、製品の販売ではなく、配送や配線工事、電気修理などをやっていました」
     班長がそれだけ言って、次を頼むというように鑑識員の顔を見た。
    「はい、はい。二五日の火災については概要はご存知だと思いますが、どうにも死因を偽装した疑いがあります。男性は細工したガス湯沸器が原因で一酸化炭素中毒で死亡または体動困難の状態になった後、誰かがコンセント付近に次亜塩素酸ナトリウムを付着させ火災を発生させて、おそらくは男性含め証拠物をまとめて燃やそうとしたのではないかと」
    「確かか」
    「もう一つ。ガス湯沸器は排気ファンを止めるために配線が切られており、その切断はおそらくニッパーと思われますが、これが年季の入ったニッパーでしてね、一ミリにも満たない山型の傷が入っていました。目がよければ肉眼でも確認できると思いますが、使用されたニッパーはわずかに刃が欠けている。しかも、三年前に発生したボヤ火災で切断された電気配線と、切り口の形状が一致しました。マル被は電気工事の経験者で、少なくとも三年前からこの地にいます」
     班員がざわついた。班長は表情を変えることもなく、課長に問う。
    「それでですね、課長、この顔に見覚えはありませんか」
     班長が課長に意味ありげに尋ねると、「なに?」と呟きながら課長は身を乗り出し写真を眺めたが、しばらくして「いや、思い当たらん」と答えた。
    「ヒントは一五年前の笹間地区大火災」
     班長の一声に、課長はほんの数秒沈黙し「ああ──あの時の参考人か」とつぶやいた。
    「過去に取り調べたことが?」と智次が訊くと、課長は頷いて「笹間地区大火災を覚えていないか」と付け足した。
     智次は素直に首を横に振って「私は県外の出ですから。竜三は知らないか?」と相棒に水を向ける。
    「俺もまだ学生だったからなあ、ニュースでやってるのを見てただけだったけど、確か木造密集地で大火災が起きて、夜中の火事ってのもあって、死者が十人ちょっと出たんじゃなかったか?」
     班長が頷いた。
    「弓野さんの身内の連絡先を当たるのに調べたときにわかった、というか思い出したんだけどな。あの大火災では死者が一ニ人、被害家屋が三ニ棟。出火原因は、出火前日に火元倉庫で電気配線工事をやっていて、その工事の不備による漏電とされている。弓野さんはその電気工事の元請けで、施工を知り合いの電気工事士に依頼していてな、それで参考人として話を聞いたんだ」
    「後味の悪い事件だったな。実際に工事した電気工事士は自殺しちまったんだ」
     課長も声のトーンを下げた。誰も何も言わないが、事情を知らない班員たちの「どうして」という視線に班長が応えた。
    「俺たちは、その電気工事士に任意同行を求めたんだ。本人も工事をやったことは認めていたし、しかも発熱している状態で工事を施工したもんだから、ミスがあったかもしれないとすら供述していた。ただ、仮に何らかの罪に問うとしても、業務上過失程度で、放火罪を適用しようなんて思っていなかった。それが、任同したのがマスコミにスッパ抜かれっちまってな。週刊誌が放火犯の可能性もあるなんて書き立てて、世間はすっかりそっちの方に偏っちまった。まあ、古い木造家屋ばっかりで時代的にも火災保険に入っている家も少なくて、着の身着のまま放り出された恨みつらみみたいなのが蔓延していたのも事実だが。で、本人含めて家族も世間から袋叩きにあって、結局本人は自殺、妻子は街を出て行ったよ」
    「それは……残念なことでしたね。しかし、大火災の関係者が焼き殺されようとしたというのは、少し因果めいたものを感じます」
     智次が穏やかに呟いた。捜査一課長はすぐに腰を上げ、班長の顔を見る。
    「よし、俺は署長と副署長に報告して、所轄署だけの捜査本部を立ち上げるかについて話し合って来る。一班は調べを進めておいてくれ」
    「了解です」
     颯爽と部屋を出て行く課長の背を見送り、班長は部下たちに対して次々と指示を出した。被害者である弓野の友人・知人、利害関係者を洗う鑑取りに人員を割いていき、最後に竜三と智次に向き合った班長は、意外で地道な任務を割り振った。
    「思うに、このマル被は、同じような配線短絡行為を、他にもやっているんじゃないかな」
    「はい、はい。私もそう思います。印象の話で申し訳ありませんが、どうにも手慣れている感じがしますな」鑑識員も同意を示した。
    「悪いが、他署の管内も含めて似たような電気火災がないかを探してみてくれないか。とりあえずここ三年くらいで。何件か集まれば、そこに共通する人物が浮かぶかもしれないし、ひょっとしたら証拠品が見つかるかもしれん」
    「なんか、雲を掴むような話ですね……」
     げんなりとしながらも了解を返して、竜三と智次は他署に照会をかけようと、事務机に座り電話に手をのばす。だが、受話器に手をかけた竜三の手を、智次が止めた。
    「竜三、思うんだが、マル被の細工が、必ずしも火災事件になるとは限らなくないか? 配線が発熱するくらいなら、少し火が出ても自然に消えることも多いだろうし、発火時に家人がいればすぐに消火して大事には至らないだろう。むしろ、そういう“火災未満”の方が多いような気がする」
    「確かになあ」
     竜三はしばし考え、それから仁が勤める消防署に電話をかけた。受付の署員に頼み、仁に電話を繋いでもらう。運よく今日は勤務日だった。
    「忙しいとこ悪いな」
    〈いや、かまわん。何かあったか?〉
    「うん、つかぬことを聞くけどな、なんていうか、火が出るじゃん? でもそれを家人が見つけて消したとするじゃん? そしたらもう消防隊呼ぶ必要ないじゃん? そういう時でも、消防に通報ってあったりするのか?」
     あまり捜査内容に触れず、どう表現したらいいかを考えながら話す竜三に、仁が言葉を返す。
    〈竜三、お前、頭の悪いしゃべり方だな〉
    「うるせえよ」
    〈そういうのを消防では事後聞知火災という。ひどい時には一ヶ月以上経ってから電話してきたりもするぞ〉
    「え、なんでわざわざ?」
    〈修理などのために火災保険を使おうと思ったら、消防が発行するり災証明書がいるからだ〉
    「一ヶ月以上前の火災でも、調査するのか?」
    〈火災の定義に照らして、火災と認められたら調査書は必ず作成しなければならない。あと、火災と認められなかったら、り災証明書は出せない〉
    「その調査書って、貸し出しなんて……できないよなあ、やっぱり」
    〈捜査事項照会書、だっけ? なんかそんな書類出したらいいんじゃなかったか?〉
    「うん、いつ起こった火災の調査書を借りたらいいのかわからん」
    〈俺にはお前が言っていることがわからん。とりあえず、俺は火災調査は専門外だ、詳しい相談がしたいなら、調査課にかけろ。何なら、シゲさんに話を通しておくから十分してからかけてみろ〉
     そう言って、仁は調査課の直通番号を告げた。メモをとりながら、竜三は安達繁里の熊のような風貌を思い出していた。
    〈ちなみに、シゲさんは外見は父親似、中身は母親似だから気をつけろよ〉
    「マジか、それ最強最悪生物じゃねえか」
    〈会ったことはないが、弟さんはその逆らしい〉
    「見目麗しく、性格は温厚ってことか? 俺付き合うならそっちがいい」
    〈諦めて熊に吠えられろ〉
     笑いながら、仁は電話を切った。タイミングよく智次がカップコーヒーを持ってきてくれる。仁との会話を智次に伝え、頃合いを見て調査課に電話をかける。
     繁里は快活な話し方をする男だった。竜三の話を相槌を打ちながら聞いてくれていたが、ここ三年分の電気火災及び電気火災の可能性がある原因不明火災の調査書を全部貸してくれと言った時、何の遠慮もなく「アホか」と返してきた。
    〈小さい書庫まるごと貸してくれと言っているようなもんだ。物理的に無理だろう。そもそも、そんな照会書、通るわけない〉
    「ですよねー……でも過去の火災について調べたいんですよ」
    〈……貸し出しじゃなく閲覧だけなら何とかなるか。相手は警察だしな……何とか係長と話をつけてくるから少し待ってろ、ください〉
     繁里が電話口を離れて十分ほど待った。戻ってきた繁里は身体に似合いの熊のような声で、特例だからな! 個人情報なんだから本来は警察にだって照会書なしには見せられないんだからな! と何度も苦言を呈しながらも、竜三らが消防署に来て調査書を閲覧し、貸し出しを希望する事案があったならば、その時照会書を提出するということで約束してくれたのだった。


     班長に状況を伝え、二人は消防署に向かうため車に乗り込む。運転は智次が買って出た。
     助手席に座って、竜三は窓に肘をついてぼうっと外を眺める。
     火。火事。火災。それは竜三が最も憎む災害だ。
    「なあ智次。このマル被って、やっぱり連続放火やってんのかな」
    「連続かはわからないが、少なくとも先日の火災には、悪意を感じるな」
     それを聞いて、竜三は胸の奥がひりひりと熱く痛むような思いがした。

     竜三は昔、人を燃やした。もちろん今生の話ではない。
     志村城での仁との決闘で、竜三は仁に頼んだ。なかったことにしてくれと。竜三は裏切ったのではなく、敵のふところに潜入していただけなのだと証言してくれと。
     愚かなことを言ったと思う。仁が馬鹿な願いを聞き届けず、その手で引導を渡してくれたことに、今となっては感謝すらしている。
     竜三は報いを受けたのだ。因果応報だ。
     もしもあの時、仁がすべてをなかったことにして、罪に対する罰を受けなかったなら、きっとこうして人に生まれ変わることは永劫なかっただろうと根拠もなく思う。万が一転生できたとしても、警察官として働いたり、仁と再び友になることはなかっただろう。
     人を生きたまま焼いた罪の報いは、どこかで精算しなければならない。
     だからこそ、この事件を俺が解決しなければと竜三は思った。
     これは義務なのだ。あの日、城の門を開けさせるために罪のない男を業火に投じた竜三の、あの哀れな無辜の民になんら返せなかった竜三に課せられた、700年以上続く因果。
     それを今、果たす。たとえそれが自己満足であったとしても。
     犯人に必ず法の裁きを受けさせる。
     そのために警察官になったんだ。

    続く
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