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    tyoko178iv

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    tyoko178iv

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    人はそれを愛と呼ぶ戯曲の主は、自分以外の全てを愛していました。
    強い者に奪われることも弱い者に施すことも、オラクルにとっては紛れもない愛の形でした。
    けれど、昔の彼にとって愛とは、他者と繋がるための手段であり、目的ではありません。
    愛を与え続けた彼の心はいつも空っぽで
    その手の内には、何も残っていなかったのです。




    「ふぅ……ちょっと一休みしよう」

     プロキオンはまとめた荷物を下ろし一息つく。首元にかけたタオルで顔を拭い水分補給をすると、ほんの少し疲れが癒えたような気がする。住み慣れた家を出て、新居に移動するために荷物をまとめていたが、存外物が多く苦戦している。こんなことなら、カノープスやチコーニャに手伝って貰えばよかった…などという甘えた思考が頭をよぎる。だがカノープスは異界を救うための旅に出ているし、チコーニャは警官としての仕事や、竜の世界の始祖としての仕事に追われている。普段から二人に頼りきりということもあり、引っ越しの荷物のまとめくらいは自分でやると、チコーニャに見栄を張ったばかりだ。まだ弱音を吐くには早い。

    「そのためにチコちゃんに勤務変わって貰ったんやし……第一、見せられんものが出てきた時に言い訳できへんからなぁ….」

     などとぼやきながら、雑誌や書類を紐で束ねる。自分でも忘れているような落とし物があるかもしれない。
     タンスの中に仕舞われていた、見る人によっては正気を失いそうなデザインのシャツやセーターを、一枚一枚丁寧に段ボールの中に詰めていく。すると、奥の方から可愛らしい子供用の服が出てくる。かつてこの家で暮らしていた、カノープスやチコーニャのために用意したものだ。

    「あ、これ懐かしいなぁ。あの二人、昔はこんなに小さかったんやね」
     思えばこの家で生活してきた時間も長い。だが印象深く思い出せるのは、二人の子供たちと過ごした時のことだった。
     プロキオンはニブルヘルに来て数百年になるが、ここ数十年の思い出が一番強く印象に残っている。それまでのことは、正直なことを言うとあまり覚えていなかった。

     服や書類の整理が終わり、細かな荷物のまとめは終わりが見えてきた。プロキオンは、少し迷った素振りを見せながら、チコーニャやカノープスにも教えていない、小さな鍵付きの箱を開ける。そこには、親友の牙でできた自決用のナイフに、数枚の写真が入っていた。

    (あれ……なんでここに、チコちゃんやカノくんの写真も入っとるんやろう。ちゃんとわけてたはずやのに。最後にこれを開けた時っていつやったっけ……)

     古い記憶を探る。確か、ドグマがニブルヘルにやってきた時のことだ。
    この箱を開ける時は決まってプロキオンの思考が鈍る時だった。恐らく、何か「危うい」ことを考え、ふと目についた二人の写真を見て思考を呼び戻されたのだろう。そのまま、この箱の中に写真をしまってしまったようだった。

    (……懐かしいな。本当に二人とも大きくなったなぁ)

     一つ一つ写真を眺める。そのどれにも、鮮明に呼び起こせる思い出があった。

    (……これは)

     一番下にあった写真は特別古い、かつてバビロンで撮った兄妹との証明写真だ。
    その中に、穏やかに微笑むかつての自分の姿が映っている。

     もうあの頃のように微笑むことはできないだろう。写真を眺め、口元を歪める。
     戯曲の中心にいた過去の自分と、今の自分。
    一体何が変わったのだろうか。

     ニブルヘルに来た時の自分は、上部だけを繕って生きていたような気がする。
    アーテルに「貴方に欠落している感情を見つけなさい」と抽象的な宿題を出され、異界に放られて以来当てなく居場所を探し続けた。
    アーテルの眷属にして貰えたら…と淡い期待を抱いていたのも、ある種の諦観によるものだったのかもしれない。
    そしてニブルヘルという『底』に辿りついた。

    「もう終わっている存在が辿り着く末路にはお似合いの場所だ」

     この国や世界を見た時に、直感的にそう感じた。そして、バビロンで培った知識を持って国を制定した。ろくでもないものになると思ったが、もう一人の仲間の技量もあり、思った以上に素晴らしいものとなった。

     なんとなく国のために生き、なんとなく善人として振る舞う。アーテルの宿題は、そのうちなんとかなるだろう。そも、見捨てられたようなものだ。今更彼女との約束を律儀に守った所で、縁はとっくに千切れているのだから…。
    今思えば、とんだ拗らせだ。思春期特有の思い込みを見ているようで、恥ずかしさすらある。
    要するに、自暴自棄になっていたのだ。
    ニブルヘルのために働く気はあったが、あの時の自分に今ほどこの場所に対する熱意はなかった。
    その気持ちが変化したのは……。

    『今日からプロキオンを、カノープスの世話係に任命する。あんた、子育ての経験があるんだろう?』

     かつてのアンフェルはそう笑顔で告げた。表向きは精神的に余裕のなかったシリウスに代わり、幼いカノープスの面倒を見て欲しかったと言う話だが……。

    (僕は最初から知っとったよ。あの時アンフェルが僕に求めたのは、バビロンでやっていたようなことだと。カノ君を、国のために働く兵器として洗脳するように求めたこと)

     幼いカノープスは『棺』という抑制装置から目覚めたばかりで、まともに動いたり喋ったりもできない状態だった。
     初めて出会った時の彼は、病室から抜け出した時の姿で路地裏に転がっていた。引きちぎられた点滴、崩れかけてた手足を支えるための枷のベルト。薬によってぼやかされた、虚ろな瞳で自分を見る彼を放っておくことが出来ず結局家に連れて帰ってきてしまったことを、ほんの少し後悔したことも覚えている。

     けれど、その後悔を飲み込めてしまうほど、彼との生活は楽しかった。
    カノープスは幼い頃から聡い子だったから、きっと自分がどんな目的で近づいたのかも、薄々察していたのだろう。
    それでも、自分と一緒にいる時間を心地いいと感じてくれたこと、こんな自分を義父として慕ってくれたこと……。
     どんな辛い境遇にあってもシリウスを信じ、受け入れたこと。その一途な姿が、頑なだったシリウスや自分の心を動かしたことも……。
     初めて「愛おしい」と他人を感じた瞬間だった。

     かつて自分にとって愛することとは、他者からの感情を得るために消費する代償だった。 
     愛とは、何かを捧げなくては得られないものだとずっと思っていた。
     けれど、カノープスから教えられた愛は、相手を信頼し、互いの交流の中で生まれた温かい欠片を交換しあうこと。それらは言葉であったり互いの温もりであったり、目には見えないものだったが、ぽっかりと空いた心の穴を少しずつ埋めてくれた。

     彼がいなかったから、今のニブルヘルにはいなかっただろう。
     ニブルヘルで生活する上で、更に沢山の出会いがあった。その中でも、最も鮮烈な存在……

    「……チコちゃん」

     プロキオンのもう一人の娘、そして今となっては番となった少女。
     彼女のことは最初は苦手だった。チコーニャは、プロキオンが目を逸らし続けた罪の形をしていたから。
     あの時話すことを拒否し、目を逸らし続けていたら、きっと今とは違う未来が待っていたのだろう。或いは、自分は生きていなかったかもしれない。
     カノープスから教えられた穏やかで温かな感情とは異なり、彼女から向けられる感情はいつも鮮烈で、自分にとっての世界を塗り替えていく。その塗り替えに、自分が呑まれるのではないかと恐怖を抱いた時もあった。
     その恐怖は、彼女と向き合うことで克服していった。罪の形をしていた彼女と向き合うことで、彼女の見え方も変わっていった。
     その過程で、自分がいつまでもバビロンの呪いに縛られていたことに気づく。その枷を解き放ってくれたのはチコーニャだった。

    「僕が彼女に、愛してるなんて言う資格はあるんやろうか」

     チコーニャに対する思いは、異性に対する恋愛感情や渇望と少し異なる。

    『チコーニャには幸せになって欲しい』

     その過程で、自分の愛が必要ならば喜んで捧げたい。それにたり得る全てを、呪いを解く過程で貰っているのだから。
     この感情が愛なのか、好意なのか、はたまたそれらとは違う執着なのか、プロキオンには説明できない。
     やはり自分は、他人をまともに愛することなどできないのだろうかと考える時もある。だからこそ、チコーニャに中々面と向かって「好き」や「愛してる」と、中々告げることができない。
     その自分の身勝手な行為が、彼女を大いに傷つけてしまう時もあった。
     傷ついた彼女の顔を見た、その時自分は……。

     ぼやけていた思考が急激に晴れる感覚がする、あと少しで答えを得られるかと思った瞬間、暗い部屋に鳴り響く着信音で我に帰った。
     片付け始めた頃はまだ明るかったのに、もう窓の外はすっかり暗くなっていた。

     急いで端末を取る。着信画面にはチコーニャと、彼女の幼い頃の写真が映った。

    「もしもしチコちゃん?どないしたん?」
    『プロキオンさん、まだ家にいるんですか?私の仕事が終わったら、駅前に集合するって約束だったじゃないですか』
    「あ…!そうやった!ごめんごめん、もうそんな時間やったんか!急いで出るから……」
    『焦らなくて大丈夫ですよ。……やっぱり引っ越しの手伝い、私も手伝いますから』
    「はは……ありがとう。いっつも迷惑かけっぱなしやな僕」
    『……夫婦なんですから、私たち。今更見られて恥ずかしいものなんてないですよ』

     そう恥ずかしそうに呟くチコーニャは堪らなく愛らしく見える。

     プロキオンは自然とある言葉を紡ぎ、面と向かっては聞き慣れない言葉の文字列に、チコーニャは顔を綻ばせた。
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