シャドジェネ彼は、私達の知っているシャドウではないよ。ブラックアームズと遭ったことがあるということは、……少なくとも50年が経っているはずだ
50年! すごいわ、それって。
雰囲気はすこし変わっているけれど、体のようすはそのままにみえたわ。おじいさまの研究は、ちゃんと成功したのね!
少女は心底嬉しそうに笑った。
老人は厚い眼鏡の奥で、表情を隠した。
50年の時がすぎると、果たして自分たちはどうしているのだろうか。
老人は、確実に生きていないはずである。不老不死化の技術が確立したとて、それを己に適用しようと望む人柄ではない。
では少女は。生きていれば、歳の盛りをとっくに過ぎてはいるが、じゅうぶんに人生を堪能したと言える時期になっているかもしれない。
しかし、彼の瞳が言っている。変わらぬ鮮烈な紅眼、無愛想で口よりも饒舌なまなざしが。
自分たちの間に、望まぬ別れがあったことを。
真っ白な遠景。宙空から見下ろす視線。他に動くもののない静けさ。
不穏な場所だ。
けれども、少女の心は未知に弾み、鮮やかな色を受け取った。
シャドウ、ここにいたのね。よかった、探してたの
両手で握ってもまだ余る、彼の大きな手を取って引くと、僅かな抵抗を感じた。こわばった体。虚空を滑る視線。詰めた息。ひどい仕打ちをしてしまった。理由を置き去って確信があった。なぜならこんなに苦しそう。
何がいけなかったのか、思い当たるところがないなりに、ただそっと手を離した。腕の重みに沿って、元の場所に戻すように。
手が離れる瞬間、彼の方から握り直された。どうしたんだ、マリア。まるで何事もなかったように、仕切り直すように、その大きな手で包んだ。いつものように。
ほんとうに?
見上げる視線も、瞳の紅も変わらないけれど、白い胸の下でなにかを押し込めている。
見たことがないほど、摩耗したエアーシューズ。
少女はそこには触れなかった。触れてはいけないと思った。
なぜなら彼は誇り高くて、カッコよかったから。
行ってみたい場所があるの
この、空間で?
風もなく波もない果てなき湖面に、小さな小さなさざなみが立つ。
靴を脱いだ素足に水は思ったよりは冷たくなかった。
この空間では、色々な感覚が頼りない。暑さも寒さも時間の流れに存在しているものなのかもしれないと思う。
自然のものではない。それはすこし、残念だった。
ほら、ここ、浅いでしょ
マリア……
いつもの心配性の顔をしていた。ここはアークではないのに、こうしていると普段と変わらないようだ。そしてあまりはしゃぐと体に障る、と言うのだ。
でも、そうはならなかった。
ふっと表情をひっこめた彼が、なんでもないことのように言う。
向こうに、滝があった。見に行くか
少女は驚いた。彼の方から提案されたことに、とても嬉しくなって満開の笑顔で応えた。
留まった時の片隅で、切り取られた世界の断片で。
手を取り、共に歩き。
水を吹き溢す崖を指差し声を上げた少女が振り返ると、柔らかな視線が交差した。
片頬を持ち上げて瞼をそっと下ろす、噛み締めるような微笑みを前にして、ああと思う。
きっと今、見てはいけないものを見ている。
きっと同じ気持ち。共に同じものを見て、感じて、共にする喜び、分かち合う時を、お互いを、たった今を、この上なく想う気持ち。
ねえ、知ってるのね。知ってしまったのね。
真っ直ぐで優しくて、強くて頑固なあなたが、持っていなかったもの。
くたびれた跡のあるグローブは奇妙で、しかし馴染む感触がした。
黒い異星の来訪者に怒りを顕にしていた時、静かな慈しみを頬に乗せていた時とを胸に思い浮かべる。
マリアの知らない年月が彼に鋭さと深みを与えた。
それは張り裂けそうな痛みを伴った。それと暖かい涙のような震えを。
あんなにカッコよくなるんだ。いつか。
たぶん、たくさんの苦しみを経て。
彼の前途を想って、少女はすこし泣いた。
でも、わたしだってがんばれる。
だってあなたの姿が、力になったもの。
わたしのヒーロー。