喧嘩「へし切、あなたそんなに警戒心が薄いとそのうちパクっと食われますよ」
菓子鉢に手を伸ばしかけた長谷部に宗三が気だるげな視線を向けた。
「なんの話だ?」
「二振り目の方の伊達男の話です」
「燭台切の?」
長谷部は口にほうりこんだ紅白の半球型の干菓子を喉にひっかけ、あわてて湯飲みに手をのばした。主の故郷の銘菓はころんとした可愛らしい見た目に反して口の中の水分をよく吸うのだ。
「ええ。一昨日もなにやら賑やかだったようじゃないですか」
「あれか?あれは別にたいしたことじゃないぞ?」
実際、たいした話ではなかった。単に長谷部の自室で燭台切と軽い口論が発生しただけ。それも元はと言えば、きちんと休養をとるようにと燭台切から再三苦言を呈されていたにも関わらず、過労で倒れた翌日にすぐ仕事を再開しようとした長谷部が悪かったのだ。それは長谷部本人も自覚していた。自室でこそこそ作業していたところを燭台切に見咎められ、売り言葉に買い言葉が口をついて出たのはそのせいだった。
「俺がいつお前に面倒をみてほしいと頼んだ?」
燭台切の周囲の空気が一瞬揺らぐ。言い過ぎた、と息を飲んだときには遅かった。
「……そうだね。確かに君に頼まれたわけではないよね」
一歩踏み出されて思わず後ずさり、バランスを崩して倒れそうになったところを抱き寄せられた。布越しに触れられた手から熱が伝わってくる。混乱する長谷部の耳に甘い声が流し込まれた。
「僕が君に頼めばいいのかな?……ねえ、長谷部くん。君の身体を心配することを許してくれるかい?」
「なっ……お前、一振り目の真似はやめろ!」
「似ているだろう?」
からかうような声音に長谷部も肩の力が抜ける。
「同じ声なんだから当たり前だ」
「『ご指名かい?』」
「『いいね。君の意見もとりいれてみるよ』」
「……『せっかくだから、楽しまないかい?』」
「っ、似てる、似てるから駄目押しするな、腹がよじれる!」
笑いすぎて頬が痛い。そのとき長谷部の背後からカチャリと金属音が聞こえた。
「なんだか楽しそうなことをしているねぇ」
「ひっ……」
まるでのしかかられたかのような圧を背中に感じ、長谷部は目の前の燭台切にしがみついた。
「僕の長谷部くんから預かった書類を届けに来たんだけど、名前を出されたら僕からもお願いしないわけにはいかないよねえ……二振り目の長谷部くん?二振り目の僕が、君の身体を心配することを許してくれるかい?」
腰が抜けて頷くことしかできない長谷部を見て満足したのか、一振り目の燭台切は朗らかに笑うと同位体の肩をぽんとたたき、部屋をでていった。
長谷部くんってほんと“僕”の声が好きだよね……そうつぶやいた二振り目の燭台切の複雑そうな顔を思い出して、長谷部はくすりと笑った。
「一振り目はともかく、二振り目はまだ子犬みたいなものだろう」
「あなたのそういうところが甘いんです。へし切もそう思いませんか?」
一振り目の長谷部は納得していない様子の二振り目を一瞥すると、紫陽花の練切りを黒文字で一口大に切り分けながら鷹揚に口をひらいた。
「宗三の言う通りだな。特がついたばかりで可愛らしく見えても、あの男の本質は大型の肉食獣だ。俺としたことがその程度の洞察力も持ち合わせていないとは情けない」
「自分に特が付く前にとっとと食われた奴には言われたくないなぁ」
「食われたんじゃない。俺が食わせたんだ」
「……はぁ?」
「なんだ気づかなかったのか?それだけ鈍いとなると、お前は自分が俺の光忠にどんな顔をしているのかもわかってなさそうだな」
反論しようと開けた口に練切りを放り込まれ、長谷部は思わずそのまま口を閉じた。
「あなたの燭台切が面白がってちょっかいをだすのもいけないんですよ。二振り目の方はすっかり誤解しているでしょうね。ま、格好つけてまともに喧嘩の一つもしようとしないのもあとほんの少しのことでしょうから、へし切も態度をあらためる気がないならそろそろ覚悟をきめておきなさいな」
何を言い返しても二振りがかりでばっさりと切られる気配しかない。今日はもう黙っていようと決めた長谷部の口の中にざらりとした甘さが広がった。