願いはひとつ 薄く開いた目に映ったのは、石組みの天井。見覚えはあるのに、頭が回らなくて、その答えにたどり着けない。
「目、覚めたか? よかった」
声のした方へ向こうとしたら、身体がまるで鉛のように重かった。視線だけを巡らせると、そこには安堵したような表情のラハの姿。
「ラハ……ここ……」
「ナップルームだ。ラグナロクで帰還して皆の出迎えを受けたあと、バルデシオン分館に着くなり気を失って倒れたんだよ、あんた。覚えてないか?」
そっと頬を撫でるラハの指先が温かくて心地いい。
相変わらず頭はうまく回らず、断片的な記憶が浮かんでは消えていく。ラグナロク……帰還……。そうだ、終末を退けて、ゼノスと戦って、そして気がついたらラグナロクのブリッジにいた。そのままオールド・シャーレアンに帰還して、皆の歓声に迎えられて。
「……俺、皆の前で倒れるわけにはいかないって、なんとか立ってたんだけど……」
「バカ。そんなときまで英雄として振る舞わなくていいんだ。本当に……本当に、酷い怪我だったんだから。それなのに、あんたはみんなの心配ばっかりで……」
「……ラハ」
なぜだか、ラハが泣いてしまいそうな気がした。ラハにはいつも、笑っていてほしいのに。それが無理でも、できる限りは。その頬に触れたくて重い腕を懸命に伸ばすと、温かな手のひらが絡みついてきた。
「ラハの手、温かい」
「あんたの身体が冷たいんだよ。血を流しすぎて、貧血状態だって。寒くないか?」
「身体が、すごく、重い」
「なら、もう少し休んでるといい」
沈黙と静寂。時折風に鳴る窓だけが、時間の流れを感じさせる。手から伝わる温もりは一向に離れる気配がなく、分け与えられる体温に身も心も緩んでくる気がした。
「……本当に、酷い怪我だったんだ」
静まり返った部屋に、ぽつりと落ちた呟き。きっとこれは詰られる流れだ。だけどそれだけ心配をかけてしまったのだろうから、ここは大人しく耳を傾ける。
「身体中傷だらけで、尻尾も千切れかけてて」
ああ、尻尾がなくなるのは嫌だなと、今更ながらに思った。感情を表現するのが苦手な自分の、言葉よりも雄弁なそれ。ベッドの中でゆるゆると振って、存在を確かめる。
「肋骨は折れてるし、内臓もボロボロで……手も、骨が砕けてて」
「……手?」
「どんな戦い方したら、あんなふうになるんだよ……。オレ、もうあんたが銃を握れなくなるんじゃないかって……!」
とうとう零れ落ちた雫が、ひとつ、ふたつと床を叩いた。自分なんかよりずっと毅いと思っていた彼の涙は、どんな言葉よりも胸に刺さる。
「ごめんね。ほら、みんながちゃんと治してくれたから、大丈夫だよ」
絡めたままの手をぎゅっと握り、無事を伝える。互いの手は、もうすっかり同じ温度になっていた。大丈夫かな、却ってラハの手が冷えてしまったんじゃないかな、そんなことをとりとめもなく考えていたら、不意に額を弾かれた。
「……痛い」
「オレの、オレ達の心も痛かった。やっと目覚めて、ああよかったって安心したのに、また倒れて。だからこれは、痛み分けだ」
「……ごめん、なさい」
「と、とにかく! しばらくは安静にしてるんだぞ。交代で見張りに就くからな。寝てるのに飽きても、外出は禁止だ」
シャーレアンもラザハンも、落ち着いたらゆっくり見て回りたいと思っていたけれど、当分はお預けになりそうだ。諸々の事後処理は自分の出る幕じゃないだろうし、ここは言われたとおり、静養するのがよさそうだ。……退屈は、恐らくするだろうけれど。
それでも、こうやって身体の怠さに辟易するのも、言い合いができるのも、生きて帰ってこられたから。終末を退けられたからだ。
「うん……ねぇ、ラハ」
あのとき、天の最果てで、最後の瞬間に想ったこと。ラグナロクではなんだかタイミングが掴めないまま、結局言い損ねていた言葉。今更かもしれないけれど、ラハにも、みんなにも、ちゃんと伝えたい。
「……ただいま」
――ただいま、アーテリス。母なる惑星。