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    z_jousan

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    z_jousan

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    「梟切」という刀を持ったある武士の話。

    暗夜梟盧 昔、物部何某という武士がいた。
     ある晩、何某が下男と辻を歩いていると、夜陰の中に大の男が手を広げたほどの大きな女の首が舞っていた。髪を振り乱し不気味に笑う女の首は、何某の姿を認めると、恐ろしい顔で何某を睨みつけた。すると何某の目はたちまち潰れてしまった。
     何某は目の見えぬまま咄嗟に刀を抜き、女の首に斬りつけた。首は「ぎゃっ」と叫び声をあげそのまま消えてしまい、翌朝に下男が辻へと行ってみると、そこには大きな梟が首を飛ばされ死んでいたという。

    ***

     物部与一もののべよいちが盲目となってから、もう六月むつきほどが経つ。彼はある晩、梟が化けた異形のものに襲われ、視力を失いながらもそれを退けた。彼は山のふもとの小さな村の、小さな邸宅に住むうだつの上がらない武士であったから、その話はすぐさま村中に広がり、村の者も家中の者も「与一様は化け物をも退ける剣の達人じゃ」などと囃した。それはいつの間にやら村外にも伝わり、近隣で与一の化け物退治の話は広く知られる事となった。
     それからというもの、与一の元には弟子入りを志願する者、家臣に加えてくれと頭を下げる武辺者もどき、果ては「武辺に優れた物部与一様に相応しい打ち物をお持ちしました」などと言って刀剣を売りつけようとする怪しげな商人までが毎日のようにやって来るようになった。与一はそれらに、いちいち武士に有るまじき丁寧さで断ったが、一度断ってもなお粘る商人には「某には、化け物すらも両断するこの無銘の刀ひとつで充分、商いをするのなら他を当たるが良い」とにべもなく言った。
     物部与一は、梟の化け物を退けた愛刀を「梟切ふくろうぎり」と名付けて大層大事にしていた。

    ***

     その晩は月のない夜であった。
    与一はなかなか寝付けず、ただ目を瞑り身を横たえていた。闇の中での生活に慣れて久しいが、眠れぬ夜の沈むような闇は与一のまぶたの奥に深々と積もり落ち着かない。いつもよりはさほど賑やかではない虫の音を聴き、与一は夜陰の中でじっとしていた。
     その時である。
     虫の音がぴたりと止んだ。風すらもない。それから、暗い部屋の中に唐突に何かが湧いて出たような異様な気配が現れた。与一はこの気配によく似たものを知っている。与一が斬った梟の化け物のそれにそっくりだった。
     咄嗟に枕元の刀を取る。梟切と名付けた愛刀は、与一の手にピタリと吸い付くように馴染む。だが、この晩だけは何かがおかしかった。愛刀を握り込んだ右手がピリピリと痺れる。だがそれに構わず、与一は座位のまま刀をかまえ唸るように闇に問いかける。
    「物の怪か」
     返答はない。が、闇の中の気配がゆらゆらと大きくうねった。笑っている、と与一は思った。
    「随分な言い草であるな。だがその不敬を許そう。俺は寛大ゆえ」
     男の声であった。
     だが、鐘の音の遠く甘い余韻のような、地鳴りのような、或いは不吉な梟の鳴き声のような、複雑な音色のようなその声は人ではない。人の喉から出て良い声ではなかった。聖なるもの、善なるもの、恐ろしいもの、おぞましいもの、それらを全て混ぜ合わせたような声で、何者かは与一に再び呼びかける。
    「お前は俺の事をよく知っておるはずだぞ」
     闇から手が伸びてくるような幻覚が与一を襲った。青白い手。思わず強ばった手に何者かは触れ、握った刀から与一の指を外させた。刀を取り上げられ、与一は硬直している他なかった。何者かの冷たい手は与一の右手を握る。その瞬間、見えないはずの目に、何者かの正体と思しき姿が闇から浮かび上がるように瞬いた。
     黒く長い髪で顔の半分を隠した若い男。その白い顔は美しく、青い色で縁取られた切れ長の瞳は、じっと与一を見つめている。ニィッとつり上がっている口元は、笑みを作ったまま開くことは無い。身につけた黒い直垂の袖には金の蛇の目のような模様が染められていた。この文様には見覚えがある。
    「お主は……」
     与一は有り得ない、という顔で美丈夫を見ていた。だが、有り得ないと思いながらも与一の中には不思議な確信があった。
    「お主は、もしや、梟切か?」
     絞り出したその言葉に、美丈夫は満足気に声を上げて笑った。
    「そう、俺は梟切だ。お前の使う刀に生じた神、とでも申せば分かりやすかろう? なあ、物部与一よ」

    ***

     それから梟切は度々あらわれた。
     普段、与一が梟切を手元に置いている時には姿を見せないが、日が落ちて辺りが闇に包まれると、美丈夫の姿の梟切がいつの間にかそばに立っている。初めこそ、斬って捨てた化け物の怨霊の残滓か、と訝しんだが、そのうち与一は深く考えるのをやめてしまった。の美丈夫からは害意を感じず、また「俺は刀に生じた神である」との言を思い出したからでもある。本当に刀に生じた神であるなら、曲がりなりにも武士である己はそれ受け入れるべきではないか、と思ったのだ。
     そしてある夜、与一が経を読んでいる際に彼は幾度目かの顕現をした。
    「つまらぬ事をしているな、与一」
     梟切は尊大に言った。与一は静かに顔を上げて、見えない目で声のする方を向いた。
    「そうであろうか」
    「経など読んでも、強くはならんぞ」
     そうであろうか、と与一はもう一度口の中で呟き、
    「経を読むことで心が穏やかになる。心が静謐せいひつすれば、いざ剣を抜いたとて、太刀筋に迷いも生まれなくなるのではないだろうか」
    と応え、思い出したように
    「だが、俺は目が見えぬ。剣を振ることはもうあるまい。お前の言う強さなど、俺には無用のものとなってしまったよ」
    と付け加えた。
     見えぬながら、与一は梟切が声を立てずに笑ったのを感じた。
    「盲目であることなど何するものぞ。良いから俺を振るうがいい、許す。俺はお前に更なる力を与えることが出来るのだぞ」
     そのどこか励ますような声に、与一は少しばかり困った顔をした。不覚にも、この神とも妖とも言えぬ愛刀の化身の言葉に感じ入ったのである。
    彼は、俺を慰めているのだろうか。
    「梟切よ」
     与一はそう呼びかける。朋輩にかけるような声が出てしまい、今のは彼のよく言う「不敬」であっただろうか、と内心笑った。
    「確かに無念ではあるぞ、戦にも出られぬこの身体になった事は。俺はお前を振るうことは、もう出来ぬ。だがこのように、ただ懸命に生きることも戦いのひとつではないだろうか」
     与一は梟切へと真っ直ぐ目を向けた。不思議なことに、梟切の姿ははっきりとまぶたの裏に映っている。
    「俺は今も戦っているのだぞ」
    「そうか」
     刀の化身はそれだけ呟き、黙ってしまったので、与一は再び経を読み始めた。
     物部与一と梟切のこのような問答は、数年後に与一が亡くなるまで続いた。

    ***

     月の無い暗い晩に、与一は死んだ。
     家中は通夜と葬儀の支度でひどく慌ただしくなったが、与一の遺体はその喧騒をまるで知らないような静かな奥の間に安置されていた。枕元には片手巻きの打刀が置いてある。
     物部家のある下人が、手燭を持って奥の間に向かう濡れ縁を歩いていた。本来、彼程度の身分の者が屋敷の奥に足を踏み入れることは滅多にないが、夜目の効く彼は主人の傍で大事ないかはべっていろと命じられたのだ。
     夜は深く、下人は何となく薄ら寒い気がした。本来ならばとっくに通夜をやっている時刻であるのに、寺に向かわせた使いは未だ帰ってこない。村の老爺が「お寺の方で、なんぞあったのかもしれんなぁ」と呟いていたのを思い出す。薄気味悪い夜だ、と下人はため息をついた。
     奥の間についた。襖を開けようとした下人は、何かを感じる。誰かの気配。おかしい。物部家は武家とはいえ、小さな小さな一族だ。今は奥方や子息すら葬儀の支度に駆け回っている。ここで、俺以外に警備を命じられた者が居るのだろうか。
     意を決して襖を開けた。仰臥する主人の遺体のそばに、誰かが座っている。黒い大きな影にも見えたそれは、よく見れば黒い垂らし髪と黒い直垂であると分かった。
    「お主、何者だ」
     声が震えている。下人は恐ろしくて仕方がなかった。
     影は長い黒髪の垂れる首をゆっくりと回し、振り向いた。その顔には黒い髪がかかって半分ほどが隠れていたが、もう半分から見える肌は青白く、凛々しい眉や切れ長の目の具合は美丈夫と言っても過言ではない。薄い唇は言葉を発する様子もなく、ただにやりと笑っている。美しい笑みだが、それと同時に酷薄で傲慢、そして深淵とした何かを感じ、下人の恐れは冷や汗となって額に噴き出した。これは果たして人であろうか、という考えが頭の中を支配する。
    「名乗れっ! 何者だ!」
     笑みに歪む口が開く。下人は頭のどこかで、聞きたくない、と願った。
    「梟切物部」
     男はそれだけ言った。与一の遺体の傍からすっと立ち上がると戸を開け放してある濡れ縁を降り、素足のまま土を踏んだ。下人は追いかける事も出来ず、ただその背を見つめていた。黒い髪は夜風にたなびき、いつの間にか、消えた。
     下人はしばらく茫然としていた。夢だったのだろうか、と汗で冷えた額を拭う。ふと、主人の寝かされている枕元に目をやった下人は、あっと声を上げる。
    亡くなった物部与一実隆もののべよいちさねたかの愛刀、化け物をも切り裂く無銘の剣「梟切」は消えていた。

    ***

     その後、消えた「梟切」を物部家の者と村の者と総出で探したが無銘の刀が見つかることは無く、そのうちにあちこちで戦が始まり、村では物部与一の化け物退治の話が僅かに伝わるのみとなった。
     物部与一実隆の愛刀「梟切」の行方は、ようとして知れない。
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