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    成人済み腐女子

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    knsg

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    新武むかし噺
    という名のなんちゃって人魚姫パロディ
    あくまでファンタジー日本で設定とかはめちゃくちゃなのでふわっと読んで下さい

    ※注意
    ・捏造につぐ捏造
    ・ぐだぐだ面子もいる
    ・死ネタ!!!
    何でも笑って許せない人とデルセン先生は非推奨

    月に恋した男 豊かな海を臨める領地、そこを治める男がいた。
    その気性まことに聡明で思慮深く、学芸と武芸の両道に秀でており、治世者には欠如しがちな他者に対する思いやりを持ち合わせている傑物であった。
     また大変な美丈夫でもあった。
    見事な濡羽色の髪や秀麗な眉目、冴え冴えとした眼差しに誰もが魅了されたが、驕る事なく好く領主を勤めていた。
    名を瑞山と言う。



     ある日の事である。
    他領に向かう帆船の上に瑞山の姿はあった。政の為である。
    彼の治める土地の特徴からして、海路は切っても切り離せない。通行の術として船を使うことはこの地に住まう人々にとっては古くから馴染んだ手段だった。
     生まれ育った広大な海は陽光を反射させ、あちこちで光が弾けるさまを瑞山に見せ、その目を楽しませた。まさに順風な航海を予感させる好き日和であった。

     しかし、それも束の間の出来事となる。
    光を孕んだようだった海がにわかに澱み出したかと思うと、たちまち波が高く立ち、船が大きく揺さぶられはじめたのだ。
    船の上はまさに吃驚仰天の様相である。
    忙しく動き回る水夫達に混じり瑞山も働いたが、荒れ狂う波濤を止める事など何者にも出来るはずもない。ついに突き上げられるような衝撃が船底を叩いたかと思うと、瑞山の体は軽々しくも船の外へと投げ出されてしまったのだった。
    海面に身体を撃ちつけられた痛みと辛い海水に喉を焼かれる痛みとに眉を顰めながら、暴れる波のただ中、真っ二つに裂けた大きな船が黒い海に沈んで行くのを瑞山は見た。



     どん、という重たい痛みによって瑞山は目を覚ました。
    胃の腑から迫り上がる不快感に、抗う事なく大量の海水を吐き戻し、水気の含んだ咳を繰り返しながらもやっと辺りを見回した。
    掌に感じる荒い砂の感触と、波打ちの音。
    浜だった。まさかあの嵐から生きて戻れるとは。
     すっかり夜になってしまった空に月はなく、新月の砂浜には暗い帳が降りていて、一帯の様子は全く伺えなかった。それでも瑞山は、その気配に気が付いた。
    傍に、誰かがいる。
    表情や輪郭さえ定かではない暗中でも、その人物が自分の顔を見つめているのが確かに分かった。それ程までに、その陰を幻覚と呼んでしまうには、確りとした肉の重みを感じるのだった。
    「きみが…」
    私を助けてくれたのか、そう言葉にすることは出来なかった。
    数刻前の出来事がまるで嘘であるかのような静かな波の音、穏やかな潮風の音、そして砂浜の上を何者かが這いずるようなざらついた音を聞きながら、瑞山は意識を手放したのだった。

     再びの目覚めのきっかけは、顔を照らす陽の光。
    または腹を圧迫する重しの息苦しさによってだった。
    覚醒した途端、瑞山は思わずぎょっとしてしまった。何故なら腹の上に腕が落ちていたのだ。
    荒縄を束にしたようなそれは、筋肉を纏ったとてつもなく太い腕だった。そしてその腕の元にはちゃんと二の腕が、肩が、もとい身体が着いていた。男だった。
    男が、自分の身体を抱き込む形で横たわっている。
    大男だった。そして何故か、全裸であった。



     領地に戻った瑞山は、自分の乗っていた船が大破し無惨にも海の底にのまれたこと。乗組員のうち数名の死体が見つかったこと。その他の者は皆行方知れずであることを聞かされた。
    その事実は瑞山の胸を大いに痛め、そして生きて帰れた幸福を噛み締めさせた。
    「礼を言うよ、ありがとう」
    そう言って傍に笑いかけると、そこに控えていた大きな影は返事の代わりとばかりに瑞山を見つめ返したのだった。

     どうやら海で自分を救ってくれたらしい男は、瑞山がその存在に気付くと同時に目を覚ましたようだった。
    重たく太い腕に見合った七尺はあろうかという巨躯は隆々としており、赤褐色の髪はざんばらで、その長い髪の隙間から瑞山をじっと見つめていた。
    裸であるのは、溺れている自分を助ける為に脱いだのか、あるいは荒れる波により剥かれたのか。
    どちらにせよ、おかげで凍え死なずにすんだのだが、いくら考えたところで真偽は一向に分からなかった。
    男が一言も喋らないためだ。
    近場に住む漁師かとも思ったのだが、名を聞いても、どこの者かを問うても沈黙するばかりで、ただ瑞山を探しに来た者達に対して威嚇するように唸り声をあげたので、どうやら喋れない訳ではないらしい。
    まるで人ではなく獣かなにかのようであった。
    しかし瑞山はこの男をそのまま放っておくことなど出来はしなかった。
    「大丈夫だ、彼らは私を害しに来たのではない」
    何故か自分を庇うようにして役人達を睨みつけている男の背を撫でてやると、理解したのか大人しくなった。
    不思議な男であった。
    瑞山は、遅れてやってきた家人が持ってきた己の羽織を受け取ると、それを男の腰に巻き付けてやり、居館まで手を引いてやったのだった。
    これが男、新兵衛との出会いである。


     命の恩人として館に招いた男は、口が利けないばかりか、どうやら世に言う常識の一切が備わっていないようだった。
    何よりもまずは服をと思い、直ぐに拵えさせた単衣(なんせ男の大きさに見合う着物が無いのだ)を着せようにも、帯の結び方さえ分からぬようで苦労がいったし、扉の開け方から匙の持ち方までを、瑞山自らが全て教えてやった。
     幸いだったのは、そんな風でも男が決して暗愚ではなかったことだ。
    瑞山が一度こうだと教えたものは確りと覚え、始まりこそ頭を悩ませはしたが、後はこれといって手がかかることもなかった。
    相変わらず瑞山の側を離れることを酷く嫌がり、背後に付き従ってはあちこちをその凶相で睨み付け、周りの者を慄かせていたが、それでも言いつけたことはきちんとやり遂げるし、膂力も体力も桁外れなのだ。男はたちまち素晴らしい働き手になった。
    特に男を気に入ったのが他ならぬ瑞山であった。
    名を付けたのも彼だった。

    「権兵衛は上手いことやりゆうがか?」
    「ごんべえ?」
    「名無しじゃろう、やき権兵衛ぜよ」
    「そんな適当な名付けがあるか」
    そういってカラカラと笑ったのは瑞山の見舞いに訪れた古馴染みの一人だった。
    しかし名前がないと不便なのも確かである。瑞山はその古馴染みが付けた綽名を捩り、男のことを「新兵衛」と呼んだ。初めて会ったあの新月の夜のことが忘れられなかった為だ。
     あの時の黒く大きな影は未だに瑞山の傍にあり、昔から瑞山の影であったかのようにぴたりと行儀よく収まっている。その巨躯にも関わらず不思議と暗に紛れるのが上手い男であった。そしてそれが不快ではなかった。
     瑞山の元の気性として、他人に教養や勉学などを説くことを好んでいるというのも理由であった。
    素直に、それこそ白砂に海水が染み込むように、与えられる知識を吸収せんとする新兵衛のことを可愛く思わないはずがなかったのである。
     いつしか新兵衛は、瑞山のことを"先生"として認識するようになった。他者を教え導く存在を先生と呼ぶのだと覚えさせたのは瑞山本人であったが、何故か自分の名前を"ずいざん"ではなく"せんせい"と覚えてしまったのには流石に参ってしまった。いくら改めようとしてもこればかりはどうにもならず、ついには瑞山の方が折れたのだった。

     新兵衛の存在が、あの事故によりささけてしまった瑞山の神経を均していったのは事実である。
    出会ってから数日しか経ってはいなかったが、瑞山はこの身寄りの分からぬ男が望むのなら、いつまでも己の側に置き続けようとまで決めていた。
    口もきけぬばかりか頭も患っていると謗る声もあったが全く意に介さなかった。
    それは命を救ってくれた新兵衛に対する恩義だとか、憐憫の気持ちばかりでは無かったのかもしれない。



     新兵衛の成長はまさに目覚ましいものだった。
    季節を跨ぐころには瑞山に教えられずとも大抵の雑事を一人でこなせるようになっていた。
    箸を使って食事をし、着衣の順番や結び方を間違えることもない。どうも馬が合わないらしい古馴染みとの子供のような喧嘩は、もはや日常茶飯ですらあった。
     相変わらず何も思い出せず、話をすることも出来なかったが、そんなものは些細なことに思われた。瑞山はこの寡黙な男にどこへ行くのにも供をさせた。
     海路などは尚のこと。外交をするうえで、やはり船での渡りはやむを得なかったし、それらを避けての徒らな時間の浪費は瑞山の望むところではなかった。怖気というつもりはないが、しかし後ろに新兵衛が控えていると思うと、あの時の海を怯む気持ちがふと軽くなるような心地がしたのだ。
    波さえ心なしか凪いでいるように感じられた。

    「近々赴く北方の御仁は大層な酒好きらしい。私は呑めないのだが、君はどうなのだろう」
    「もしも私が酔い潰れて動けなくなってしまっても、君がいるなら安心だろう、君は私を助けるのが上手だから」
     寝所に並べた布団の片方で、横になった瑞山が隣に語りかけた。
    先生の側から離れ難いという新兵衛の悪癖は、館内の誰もが寝静まった夜半、彼の寝所に忍び込むまでに及んだ。朝の気配で目を覚まし、部屋の隅で丸くなっている大きな陰を見つけた時には柄にもなく驚いたものだ。
    しかし瑞山はそれを嗜めることはせず、布団を二つ並べてやり、こうして語りかける事を眠りへの誘いとしたのだった。新兵衛は心底楽しげな様子で、瑞山の顔を熱心に見つめていた。

     全てが上手く廻っている。
    まさにそう形容するのに相応しい、それは安寧たる日々であった。



     突然だった。穏やかに続くと思っていた日常に、その便りが届いたのは。
    瑞山に宛てられたそれは、彼の婚姻に関するものだった。
    といっても、何もこれが初めての縁談ではない。
    そもそもはあの事故のあった日、目的であった政の中には、さる豪商の血縁との縁談を取り纏めることも含まれていたのだ。しかし瑞山が養生している間に「縁起が悪い」という商人らしい理由で流れてしまったのだった。
     瑞山の二親は既に没している。伴侶を得て血縁を途切れさせぬようにするのは彼の領主としての責務であった。
    そんな折に届いた「是非に我が家の娘と」という書状に、否やと唱える理由を瑞山は持っていなかった。
    宛先は他領の主だった。珍しくも、娘の為に一度御目通り願いたいと書かれた書状に日付を書く事で返事とし、瑞山はやはり新兵衛を伴ってその地に赴いた。

     初めてその領主の娘と相見えた時、不思議なことにこの娘と夫婦となるだろうという漠然とした、しかし確たる予感としか言えない情動が瑞山に去来した。
    喩えて言うなら姿なき何者かに「なるべし」と定められたかのような、如何とも言いがたい感覚だ。
    このようなこともあるのかと考えに耽る間もなく、娘の方も満更ではない様子とくれば、話が進むのは早かった。
    娘との縁談はその日のうちに確約となり、瑞山と娘は晴れて婚約者という形に納まったのだった。
    新兵衛はその始終を、瑞山の陰としてただ静かに、じっと見つめていた。
     季節は冬を越えんとする時分の話である。
    しかしこの日からであった、瑞山の体に災いの手が伸びようとしていたのは。



     最初の異変は縁談がまとまり、領地に帰ろうとするその翌日だった。出立しようという時になって瑞山の足元に力が入らなくなってしまったのだ。
    旅の疲れが急に出たのやもしれぬと、義父となる人が用意させた籠に乗っての帰路となったのだが、しかし船着場につく頃になればすっかり元に戻っていた。珍しく慌てた様子の新兵衛を宥めることの方に苦労がいったくらいだった。
     しかしそれ以降も、足腰に力の入らぬことや気怠さによって床に伏せることが続いた。
    面妖なことに前触れもなく倒れ伏し、かと思えば翌日には何事もなかったかのように回復するといった具合の異な病であった。
     こうなってしまってはその身を案じる声もある。徒に大事にはしたくないと言う瑞山の意見を無視する形で医者が館に呼ばれたが、領内の名医をもってしても病の名前はおろか、その理由さえもとんと分からないということであった。
    そしてそれは日に日に悪化の一途を辿った。



    「結婚おめでとう、しかし新婚そうそう不治の病とは君もついてないな」
     西方に住む友人が見舞いと称してわざわざ訪ねて来たのは、瑞山の病が発覚してから一月ほどたった頃だった。
    前日には良かった体調も、今はまた急な悪化をみせた為、不躾とは思いながらも寝所での面会となっている。祝言はまだなのだが、と答える瑞山の顔色は決して良いとは言い難かった。
     あれから婚姻の話は破談にこそなってはいないものの、瑞山の意向で先延ばしとなっていた。日によっては動けぬ日もあるとなればそれも致し方ないことだろう。
    昨日も娘から何通目かになる瑞山の身を案じる旨の文が届けられていた。無用な心配はかけまいとするものの、こればかりは己の身体と言えども儘ならぬことであった。
    「君が弱ってると周りの皆んなも落ち込んでしまうだろう、良くも悪くも他人に影響を与える奴だからさ、君って」
    「そんなことを言うためにわざわざ来たのか?」
    「まさか!純粋に心配してるんだぜ?こんなもの持ってくるくらいにはさ」
     そう言って瑞山に手渡されたのは、色味ばかりがやたらと豪奢な刀袋に納められた、一振りの短刀だった。
    「元は懇意にしてる…なんていうか仕事仲間が売り付けてきた物なんだけど、なんでも彼女の家系が古から連綿と続く巫女の血を引くとか何とかで…」
    「それは騙されていないか?」
    「だとしても面白いだろ!とにかくそんな人物から譲り受けた破魔の護身刀って訳さ、都で話題の人魚の肉よりは病魔に効きそうだろ」

     一見するとごくありふれた短刀であったが、見舞いの品と言われてしまえば、胡散臭いからといった理由で突き返すのは憚られた。神頼みという考えは端から持ち合わせてはいない瑞山であるが、周りの者の勧めもあり、その短刀は仰々しくも寝所に飾られたのだった。

     その日の夜のことである。
    友人が辞去した後に瑞山の不調は更なる悪化をみせ、発熱の末に布団の中で一日を終えることとなった。
     こういった夜は大抵、新兵衛が不寝番として側に控えており、深更に瑞山が目を覚ました時にも顔色にこそ出してはいなかったが、どこか不安げな眼差しで瑞山を覗き込んでいた。
    「なんだか見覚えのある光景だな」
     それはいつかの新月の夜。瑞山が新兵衛と初めて会ったあの砂浜でのことである。
    あの時も男はこんな顔をしていたのだろうか。いつもは厳しい顔付きで泰然としているというのに、この時ばかりはまるで迷い子にでもなってしまったかのような、そんな憂いの表情だった。
    瑞山が布団から伸ばした手で、存外丸みを帯びた冷たい頬を撫でてやっている間も、その陰りが晴れることはなかった。
    「一度は君に拾ってもらった命だ、失くしてしまうのは余りに惜しい」
    なので捨てる気は毛頭ない、君がそんな顔をする必要はないのだと、言外に込めた思いが伝わったのか否か、もうそれは知る由もない。
     頬に添えられていた瑞山の手に、新兵衛の巌のような手が重ねられた。それは労わるにしては力強く、縋るというには弱々しい手付きに思われた。
    徐に新兵衛が立ち上がった。
    最早名残惜しいものはないとばかりに離されてしまった手をそのままに、只事ならざる雰囲気で歩みを進める新兵衛の動向を伺った。
    果たしてその先にあったものは、友人から譲り受けたあの短刀であった。
    「新兵衛?」
    思わず溢れ落ちた声に応える者はいなかった。
    大きな影は刀袋に納められたままの短刀を引っ掴むと、振り返ることなく寝所を後にした。
    そしてそのまま新兵衛が帰ってくることは、終ぞなかった。



     あれから一月が経とうとしている。しかし新兵衛の行方はとうとして知れなかった。
     西方の名士である友人から譲り受けた品とあって、口さがない者共は「金目の物と見て盗んだのだ」「最初からそのつもりで領主に取り入ったのだ」と噂したが、それらは瑞山が黙らせた。
     新兵衛がそんなことの為に己の側にいた訳ではないという具体的な証があった訳ではない。しかし瑞山にとっては男と過ごした一年にも満たない月日が何よりの確証といえた。
    それ程までに新兵衛の忠心や実直さは疑うべくもないものだったのである。

     瑞山はいつまででも新兵衛が戻るのを待つつもりでいたが、待ってくれないものもあった。己の婚儀である。
     友人曰くの不治の病はある時から回復の兆しをみせ、今では足が動かぬことも、急な発熱をすることも少なくなっていた。これには医者も驚き、館内の者や古馴染み達も大いに喜んでくれたのだが、結局原因は分からぬままだった。
    しかし倒れ伏してしまうことを心配する必要がなくなった今、たった一人の不在を理由に祝言を延期にするなど出来るはずもない。
    そういった訳で、瑞山は花嫁御寮を迎えに行く為に海を渡っている。

     他領まで外商に赴く蒸気船に瑞山は同乗していた。
    船の目的自体は商いであったが、海運業を生業とする古馴染みの持ち船で、その友人の強い勧めによりこの大型船を遣っての旅路と成ったのだった。
     どこまでも続く海洋の先を眺めていると、新兵衛の代わりに着いて行くと言って聞かなかった昔馴染みが、物悲しげな顔で呟いた。
    「新兵衛くんは何処まで行ってしまったんだろうね…彼真面目だったから、僕がお供じゃ頼りないって怒られちゃうかな」
    そう言って苦く笑った隣に立つ男の顔を見る。心配されているのが嫌でもわかる表情だった。昔から他人の痛みが分かる、優しい性根の持ち主なのだ。
    そう思ったところで、瑞山はとうとう気が付いてしまった。
    自分は確かに悲しみ、痛んでいる。
    隣にいる人物、その立ち位置。その違和感に。
    今まさに海へとこの身を投げれば、何処かに消えた自分の影が再び現れ、救い出してくれるのではないかと、益体もないことを考えてしまう程度に。



     陽が波間に沈んでいった後も船は進んでいた。船内の誰もが穏やかな波間に身を委ねる、そんな静かな夜だった。
     瑞山はふと目を覚ました。自分の顔を覗き込む何者かの気配を感じたのだ。
    それは忘れることのできない、大きな影の気配だった。
    「…新兵衛?」
    洋燈の灯りが届かない暗がりに茫と輪郭を滲ませて立っていたその影は、瑞山がその名を呼ばわると静かに客室から背を向け、夜の下へと紛れていった。
    瑞山は羽織るものもそのままに急いで後を追った。

     月が朧げに光る夜空であった。薄明るく照らし出された甲板に出てみると、今度こそ瑞山の瞳はその巨躯を捉えることができた。
    海を背後に佇んでいたのは、やはり新兵衛であった。
    「新兵衛っ、一体今まで何処に…」
     言いたいことがそれこそ山のようにあった。だが今はただ、帰ってきてくれたことへの喜びを受け止めたい。
    迅る足取りで歩み寄ろうとした瑞山だったが、しかしそれは叶わなかった。
    他ならぬ新兵衛が制した為だ。
    夜闇に、男の低く暗澹とした声が落された。
    「先生に仇なす輩を誅して参りました」
    驚いた。それは今まで喋れないとばかり思っていた新兵衛が、初めて言葉を発したことばかりではなかった。
    改めてその姿を見ると、上裸になった全身はぐっしょりと濡れそぼれている。まさかこの海の上まで泳いできたとでも言うのだろうか。春先といっても夜である、しかし男は肌を刺す寒波にも身震え一つ起こしていなかった。
    「私に仇なす輩だと?」
    「はい、今より一年程前、海上にて帆船を襲わせ先生を排せんとした罪人なれば」
    一年前の海の事故と言えば忘れもしない。
    あの情景、あの絶望。そしてあの静かな新月の夜を。
    告白は続く。
    「後は元凶を始末するのみ」
    新兵衛は"誅した"といった。その為に姿を晦ましたと。
    しかしまだ終わっていないともいう。
    相対してから瑞山の胸に訪れた嫌な胸騒ぎが、男の言葉が続くのを拒んでいた。
    「もういい、もう放っておけ」
    君は私の傍に控えていればいい。
    気付けばそんな言葉がまろび出ていた。
    領主という立場、または懸念と成りうる事柄は全て解決させなければ気が済まない、そんな性分である瑞山から出たとは到底思い難い言い様であった。男もそう思ったのだろうか。
    新兵衛が、ふと笑った。
    困ったというふうに眉を下げた、そんな寂しい顔で、それが出会ってから初めて見た新兵衛の笑顔だった。
    「そうはいきません、その元凶は人の命を贄として船を襲った兇徒、先生の命を奪いかけたばかりか、一生消えぬかもしれぬ呪いまで仕掛けた化生の者なのです」



     罪人が海に奉った願いは一つ。
    『これより海を渡る船を一隻沈めること。その報酬として水夫の命は全て捧げる』
    化生はその願いをのみ、沈めたのがあの船。
    人間の命など些末なもの。しかし海中に浮かぶ男の姿を見つけた時に化生は思ってしまった。
    『この美しい人間は、その眼の色さえ美しく出来ているのだろうか』
    気付いた時には浜に上げて、その瞼が開かれるまでずっと見つめていました。
    そして貴方が目を覚まされた。
    そこには見事な月が嵌まっておりました。
    貴方は陸に戻って行かれたが、しかし欲とは尽きぬもの、人ならざる者でもそれは同じ。化生は今度は浅ましくもこう考えた。
    『災いとして産まれたこの身なれど、貴方の力となれるのではないか』と。
    世俗を知らず人語を操れずとも、人を数多喰い殺し、永い時を生きていた化生にとって小さき魔性などは羽虫のようなもの。追い払うこと、寄せ付けぬことなど造作もなかった。それで御身を護れていると思い上がっていたのです。
    けれど違った。
    貴方は誰をも惹きつける貴いお方でした。
    化生はあろうことか貴方が心を砕く者、貴方が信を置く存在に嫉妬し、ついにはその卑しい心が怨嗟となって貴方に降り掛かってしまった。貴方の病はその呪いによるもの、放っておけばいずれはお命まで蝕みましょう。
    結局、化生は災い以外の何者にも成れはしなかった。

    「全ては私の過ち、あの夜に見た月の色を、もっと側で見ていたいと思ってしまったが故の」
     新兵衛の左手の刃が、月光を受けて鈍く光った。いつから握られていたのか、抜身のそれは一月前に新兵衛が持ち出した例の短刀だった。
    瑞山は足が床板に縫い止められてしまったかのように動くことが出来ずにいた。男の言葉が取り留めもなく頭の中に浮かんでは消えてゆく。
    何故だか今、共に過ごした日々の情景が眩い光となって瞼の裏に思いおこされていた。
    新兵衛が「先生」と呼んだ。
    漸く見上げた顔は、やはり笑っていた。
    「詫びの言葉もありませんが、どうか永らえてください」
    「やめろ!」

     一閃。
    静止の言葉も虚しく、夜闇にぱっと波紋が飛んだ。
    黒く噴き上がったそれは血潮であった。迷いなく翻った短刀が、新兵衛の首を捌いた跡だった。
    ぐらりと、力を無くした巨躯が後方へ傾いだ。瑞山は弾かれたようにして駆け寄ったが、新兵衛へと伸ばされた手は虚しくも空をかいた。
    船縁の向こう側へと倒れた大きな影は、そうしてそのまま冷たい海へと落ちていったのだった。

     大きな飛沫の音に気付いた見張りの者達が駆け付けて来た時、瑞山は縁にしがみ付くようにして暗い海を覗き込んでいた。
     灯りを持った数名の乗組員が慌てた様子で海の上を照らす。男達の息を飲む気配がした。
    あやかしだ。
    誰かの怯えきった声が聞こえた。墨のような海に、ぬらぬらとした赤黒い鱗に覆われた長大な海蛇が、波間にその巨影を任せるように、ただ漂っていた。
    海上にて船を沈めると言い伝えられる化生の存在。
    水面から覗く悍ましい表皮、大木にも似たその影はどこまでも長く、尾端は海の底へと沈んでいた。
     船上が俄に戦慄きだした。化け物だ、沈められるぞと男達の恐慌の騒めきが伝播する。
    「違う…新兵衛は、わたしの…」
    瑞山の口から小さく零された声を拾う者は誰一人としていなかった。
    ふと、なまぬるいものが己の頬を伝い落ちていくのに気が付いた。
    呆然と指先で掬ったそれは、やがて瑞山の目の前で泡となり、ほどけて消えていった。



     数日後、領主の元に浜辺で男の死体が打ち上げられたとの報せが届いた。
    袈裟懸けに大きな刀傷を負ったその死体は領地内でも由緒ある家柄の地主で、領主とも面識のある男であった。
    役人の調べも虚しく、下手人はおろか殺された動機さえ分からずじまいであったが、男が一月程前から「海が殺しにくる」と言って怯え、全くもって異様な様子であったとの噂だけが囁かれた。

     そんななかでも領主の祝言は滞りなく執り行われた。
    麗しく聡明な奥方が領地に迎えられることとなり、昔馴染み達や、遠方の友人、そしてその地に住まう誰も彼もがお似合いの二人であると祝福し、慶び讃えた。
    歴代の中でも名君であったと謳われることになるその領主は、まことに良くその地を治め、人々はその庇護下で穏やかに、そして健やかに暮らしたという。
    その賢い治政は彼が逝去するまで続き、何時いかなる時でも、海は寄り添うように、静かに波打っていた。




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