ワンダーラスト 着陸座標がランダムだなんて、ずいぶんひどい話だ。ポッドを降りていちめんに広がる砂漠を見た僕は、自分の運の悪さを嘆いた。
何もない空間を見つめてしばらく固まってから、兄にメッセージを送った。この実習だって成績に直結するのに、運次第で得られるものが違うなんて不公平だ。兄からの返事は「何もないところにも歴史はある」とか「運も実力のうち」とか、何のアドバイスにもならないことだった。得意げに笑う奴の顔が頭に浮かんで、僕は一人で砂漠の砂を蹴った。
この「惑星外実習」は5年前から始まったもので、ついに民間人が安全に地球で過ごすための装置ができたことがきっかけだ。「母なる地球を知ろう」なんて言われても、僕にとって地球は「母」なんかじゃなくて、全然知らない場所だ。父も母も地球で暮らしたことはないし、200年前まで人類がここで暮らしていて、しかも、それまで何千年も暮らしていたなんてちっとも信じられないことなのだ。
歴史としてはもちろん知っている。人類は地球でうまれて、文明を発達させた。ところが文明を発達させたことで、生きていくための資源が枯渇していった。加えて異常気象とか、なんかよくない物質とか、そういうものがどんどん制御できなくなっていったらしい。地球によく似た環境の星をようやく見つけて、もう地球に見切りをつけて移住しようということになったのが確か2040年だ。十年間かけてほぼすべての人類を移住させて、地球とはそれきりだ。歴史の授業で初めて習ったとき、僕たちの祖先はなんてばかなんだと衝撃をうけたものだ。
この実習は僕たち学生に地球について学習させるなんて言いながら、地球に残っている「歴史的資源」を手っ取り早く回収させるためのプログラムだってことも知っている。遊園地に運良く降り立った兄がかき集めてきた過去の資源は、すべて学校に提出しなければいけなくて、それから戻ってくることはなかったのだから。
過去の資源なんてものに、どれくらいの価値があるのかは知らない。地球にいた頃の人類がどんなふうに暮らしていたかなんてデータとして残っているし、当時の技術だってほとんどそのまま持っていって移住したのだから。こんな何もない星、僕は別にこれっぽっちも興味がなかったし、来たくもなかったのに。
しばらく歩いてみたが、遠くに山がみえて、あとはひたすらに砂があるだけだ。ぽつぽつと植物が生えているので、最悪あれを採取して、レポートには「草が生えてました」と書くしかないかもしれない。
一時間ほど歩いて、僕はようやく何かを見つけた。整備された道路が見えてきて、その先に大きな建物が見える。
掠れた文字で「UNITED STATES NAVY」と書いてあるのが辛うじて読める。軍の施設か何かだろうか。測定器を作動させて危険物質を確認する。軍の設備の周辺は危ないので、必ず測定してから入るようにと散々言われているのだ。
特に危険物はないようなので、建物に近づいてみる。もしかしたら、今まで誰も見つけていないようなものがあるかもしれない。100年前に地球の人類は完全にいなくなったらしいけれど、もしかしたら生存者がいたりして。
さっきまでの暗い気持ちがすっかりどこかに行ってしまって、心臓が高鳴るのを感じる。重い金属の扉を思いっきり横に押すと、ギィーッという大きな音を立てながらも、思いの外それはすんなりと開いた。
「うわ……!」
これは大当たりだ! まず目に飛び込んできたのは、とても古いかたちの飛行機だった。歴史の教科書でしか見たことがないようなものが、僕の目の前に静かに佇んでいる。
格納庫の中に入ってぐるりと見渡すと、まるで秘密基地みたいだった。飛行機の横にはテーブルやソファが置かれているのに、壁際には何台ものバイクやヘルメットが並べられている。
軍の記念施設みたいなものだろうか。ポケットから端末を取り出して、全体の写真を何枚か撮る。何もないところに着陸したと見せかけてみんなを驚かせてやろうという気持ちが沸いてくる。撮った写真は今は送らず、帰ってからみんなに見せよう。
この施設が使われなくなって少なくとも百年以上は経っているはずなのに、格納庫の中はとても綺麗だ。移住計画のときの混乱や、移住せずに地球に残ることを選んだ少数の人たちによって略奪や荒らしが頻発したと授業で聞いていたのに、ここはそういう、世界のごたごたとは無縁みたいな空気だった。
奥の作業台のような場所に、壁を埋め尽くすほどの写真が飾られている。それらを一枚一枚見て、どうやらここは個人の持ち物だったらしいぞ、と僕は驚いた。ほとんどの写真に同じ人が写っているので、彼が持ち主なのだろう。
持ち主らしき人が写っている写真の下に、「ピート・マーヴェリック・ミッチェル」とパネルがついているものもある。ミッチェルさん、お邪魔します、と僕は心の中で呟いた。
みる限り、彼は海軍のパイロットらしかった。とても顔立ちの整った人で、まるで俳優みたいだ。ミッチェルさんが若い頃の写真は飛行機の前に一人で立っているものが多いので、それこそなにかのポスターみたいに見える。
歳を重ねてからのミッチェルさんの写真の方が、僕は好きだと思った。大抵はヒゲの生えたおじさんと一緒に映っていて、二人で笑い合っていたり、ヒゲのおじさんがミッチェルさんの頬にキスをしていたり、ミッチェルさんがヒゲのおじさんの頬にキスをしていたりする写真もあった。なんていうか、こっちのミッチェルさんのほうが「人間」って感じだ。
広い格納庫の中をぐるりと歩き回る。中央の飛行機と同じくらいの存在感を放つ銀色のキャンピングカーのドアに手をかけたが、そこは開かなかった。
他にも何かあるだろうか、と机の下にしまわれていたコンテナを開けると、その中にはノートがびっしりと入っていた。一番上のノートの表紙には「4.13.2050~5.31.2050」とある。
ぱらぱらとめくって中を確認する。日付と共にごく短い文章が綴られている。日記か何かだろうか。
コンテナからノートを全部出すと、ものすごい量だった。一番古いものには「1990」とあって、僕は教科書に載っていた歴史の年表を思い浮かべた。1990年っていつだ……? 何があったときだっけ、としばらく考え込んだけど、咄嗟には思い出せない。
少し丸みのある文字で書かれた文章に、僕は目を通す。
6/5/1990
ジョーがもう乗らないというので、カワサキZ500をかなり安く譲ってもらった。子どもが産まれたらバイクは手放すと約束していたらしい。
状態はかなり良いのでパーツの交換は必要なさそうだ。ここ数年乗っていなかったらしいので、オイル交換だけ行った。
なるほど、ミッチェルさんの趣味であったらしい機械いじりの記録が多いようだ。
数日おきに、その日行った作業や発注したパーツなどについて書かれている。古いものを修理したり改造したりして乗ったり飾ったりするのは、昔の人も同じだったのだなと妙に感心する。「古き良き」なんて言葉は、行ったこともない地球に焦がれる人たちが言いがちなことだと思っていた。
バイクや車にはあまり詳しくない。わからないながらもページをめくっていくと、あるページに目が止まる。珍しく機械いじり以外の話題だ。
6/27/1990
ブラッドリー六歳の誕生日。最後に電話したときにキャッチボールをしたいと言っていたので、今年はキャッチボールセットと自転車をプレゼントした。九月から入学する小学校をとても楽しみにしていた。キャロルは新しい仕事にもすっかり慣れたようだ。
7/4/1990
ブラッドリーとキャロルと一緒にアイスの家に行き、みんなで花火を見た。アイスはもうすぐ結婚するらしい。
1/10/1991
クリスマス休暇をキャロル、ブラッドリーと過ごした。少し前に会ったときより、ブラッドリーは随分大きくなったように見えた。キャロルにはマフラーと手袋、ブラッドリーにはレゴのセットをプレゼントした。出航前に会えてよかった。
機械関係の記録の間に、ブラッドリーとキャロルという親子との交流が綴られている。基本的には何をして過ごしたか、毎年のプレゼントに何をあげたかが書かれているので、備忘録として書いているようだ。
そのあとのページも、ひたすら同じような内容が続いていく。整備した乗り物のこと、ブラッドリーにあげたプレゼント、キャロルにあげたプレゼント、女性———いろんな女性の名前が出てくる——-にプレゼントしたもの、”グース”のお墓参りに行ったこと、友達の結婚式に行ったこと(ミッチェルさんの友達は”アイス”とか”スライダー”とか、みんなちょっと変わった名前だ。あだ名か何かなのか?)、仕事仲間のお葬式に出たこと……。
きっと、人との関わりを大切にしていた人なのだ。文章があまりにも簡潔で、彼自身のことはよくわからないが、それだけは読み取れる。
黙々と読み進めていくと、そのうち、「キャロルの見舞い」という言葉が多くなってきて、心臓がぎゅうとなった。ミッチェルさんとキャロルさんの関係はよくわからないが、長い付き合いで、お互いすごく大切だということはこの「記録」だけでも十分にわかる。淡々としたこの文章を書いていたとき、ミッチェルさんはどういう気持ちだったのだろう。
キャロルさんが亡くなってから、ミッチェルさんがブラッドリーと過ごす頻度はかなり高くなったみたいだった。それまでは数ヶ月に一度だった記録が、月に一度、週に一度、数日に一度に増えていく。
ところが、そのあとぱたりとブラッドリーの記録は無くなった。数ヶ月空いたあとに、またバイクや車、飛行機のパーツや修理の記録だけが続いていくが、空白の期間が多くなっていく。
妙な気分だった。「ブラッドリー」だって僕が生まれるずっと前の人なのに、僕は彼の成長をずっと見てきたような気分になっていた。野球が好きで、算数が得意で、背がどんどん伸びるブラッドリー。
ひたすらに続いていく機械いじりの記録や友人関係の記録をまた黙々と読み進め、再び「ブラッドリー」の文字を見つけたときに僕は思わず「あ」と声を上げた。
9/20/2009
アイスの家で会食。ブラッドリーが大学に進学したと聞く。
またしても簡潔すぎる文章だ。
その後も、ブラッドリーに関する文章は必ず伝聞体となっている。大学卒業、海軍入隊、昇進……。もしかしたら、ブラッドリーとは会っていてもここに書いていないだけなのかもしれない。大学が遠くにあって、電話でしか話していないのかもしれない。いくらでも可能性は考えられるはずなのに、彼らの間にはもう随分と距離があるような気がした。感情が一才介入しない文章からでも感じられる、「ブラッドリー」という文字から見える愛情とは不釣り合いなほどに、巨大な距離が。
それにしても、かつて地球で暮らしていた人がいるという痕跡をこうして目の当たりにすると、そこから去っていった人たちの気持ちというものが気になってくる。
地球に人がいて、暮らせなくなって、移住した。
歴史の一部として理解しているその流れが、本当に一部でしかなかったのだと僕はなんとなく気がついた。ここには、本当に人がいたのだ。
ミッチェルさんの手記は感情の記録がないためあまり参考にならないかもしれないが、移住計画発表時の手記を探す。順番が崩れないようにノートを整理して、ようやく「2040」と表紙に記載のあるノートを見つけた。
かなり驚いた。ノートを開いて目に飛び込んだのは、先ほどまで見ていた簡潔な文章とは全く違うものだったからだ。
2/1/2040
ブラッドリーの休暇が今日までだったので、今日は家でゆっくり過ごした。明日からは帰りもまちまちになるらしい。僕がここで一人で過ごす時間が増えて、次会うまでにぼけてしまったらどうしようと失礼な心配をしていた。昨日食べたものだって僕の方が覚えているのに。
ブラッドリーは忙しいと菓子パンばかりを食べるので、次会うまでに冬眠前のクマみたいになってしまうんじゃないかと、僕はそっちのほうが心配だ。
3/1/2040
合衆国政府から移住計画について正式に発表あり。ブラッドリーはますます忙しくなるだろう。先週までは時間を作って電話をしてくれていたが、ここ数日はそうもいかないようだ。一人でいることには慣れていると思っていたが、最近は少し心細い。ふだんパートナーを放っておかない男と結婚すると、こういうときに後悔する。孤独への耐性が低くなる。
4/1/2040
ブラッドリーが帰宅。電話の声よりは元気そうで安心。しばらく家にいられるらしい。街に買い物に出たが、移住計画の影響でなにもかもが品薄だった。市民にとっては青天の霹靂なのだから当然だろう。結局、缶詰をほんの少しとアイスクリームを大量に買って帰った。保存環境が限られるものは需要が少ない。
1パイントをブラッドリーが丸ごとたいらげるのも、今日だけは止めなかった。前代未聞の事態に対処するのは想像以上に大変だろう。たまにはご褒美をあげたい。
僕は一ページ目を5回くらい読み返して、それでも飲み込むのに時間がかかった。ミッチェルさんはブラッドリー———ブラッドリーはあの「ブラッドリー」?————と一緒に暮らしていて、おそらく婚姻関係にあって、それから、移住計画の発表に少しも驚いていないみたいだ。
おそらくは軍関係者であるブラッドリーにあらかじめ聞いていた可能性が高い。ミッチェルさんも軍属の人間だったはずだが、そういえば今まで読んできた箇所にも軍の行動や情報が推測できるような記載はほとんどなかった。
しかし、なによりもこの文章だ。あの報告書みたいな必要最低限の文言は? 途中から違う人間が書いているのか?
さっきまで白黒の映像を見ていたのに、急に色付きになったような感覚だ。
ひとまず2040年のノートを閉じて、過去のノートを適当に選んでぱらぱらと捲る。が、結局2009年以降のものを順番に見ていくことになった。
手記に大きな空白期間が多いのは、おそらくミッチェルさんが何らかの任務に当たっていたのだろうと推測する。どの惑星のどの時代にも軍人の仕事は絶えないのだとぼんやりと思う。
2019年のノートまで辿り着いて(とはいえ、ほとんどが空白だったのでそれほど時間はかからなかった)、僕は再び「あ」と声を上げた。
11/30/2019
ブラッドリーが遊びに来た。
たった1行。
彼らに何があったのかはわからないが、この1行を境にしてブラッドリーに関する記述がどんどん増えていく。
クリスマス休暇を共に過ごしたこと、ブラッドリーの車で街まで行ったこと、運転の癖が彼の父親——“グース”に似ていること、ブラッドリーが髭を剃るのに失敗して一日中凹んでいたこと、仕事仲間を呼んでみんなでバーベキューをしたこと、互いに指輪をプレゼントしたこと。
ブラッドリーに関する記述が増えるにつれて、文章がどんどん「色つき」になっていく。
2030年ごろから彼らはこの砂漠の格納庫で一緒に暮らしていたようだった。てっきり、ここはただの格納庫で、自宅にしまいきれない荷物を置いているだけだと思っていた僕は、生活すらもここで行われていたことに驚いた。そしておそらくは、ブラッドリーと暮らすまでミッチェルさんがここに一人で暮らしていたであろうことにも。
この先、地球に暮らすことが難しいんじゃないかと言われ始めたのも2030年ごろだったと聞いている。終わりに向かっていく星で、この砂漠で共に暮らすことを決めた二人のことを考えて、僕はどうしようもない気持ちになった。
彼らは移住をしないことを選択した。2035年の手記にそうあった。当時すでに六十歳をすぎていたミッチェルさんは移住に魅力を感じなかったし、ミッチェルさんが行かないならブラッドリーも行かない。「ブラッドリーが一人になっても困らないくらいの食料を今から買い溜めしておくこと」という文章のはしが、少しだけ滲んでいた。
移住計画が実行に移されて、人類がどんどん脱出して行っても彼らの生活は続いた。互いの誕生日にはとっておきのお酒を飲んで、お互いに優しくして、たまに喧嘩をしていた。「あのだらしない男に心底惚れている自分を殴りたくなるときがある」みたいな文章だけが日付の下に殴り書きされているページなんかがあったりする。そういうページを見て、僕は、ああまた喧嘩したんだな、とまるで友人のように思った。
テーブルの下にあったもう一つのコンテナを開けると、そちらにはアルバムがたくさん入っていた。写真を印刷するという文化は今はほとんどない。ただ、こうして分厚いファイルの山を見ると、物質として年月が可視化できることは悪くないかもしれないと思った。地球なんかに数時間いただけで、住んだこともないこの星の懐古主義にすっかり飲み込まれそうになっている。
アルバムには壁に貼ってあったのと似たような写真の他に、もっとたくさんの写真が貼ってある。ミッチェルさんは几帳面な性格のようで(壁にかけられた工具からもよく分かる)、写真の一つ一つに、いつ、誰と撮ったものかを書き添えている。
でも、それらのメモは、僕にはすでに不要なものがほとんどだった。特に髭の男性———ブラッドリーと写っているものは、記録に書いてあったものばかりだった。ハロウィンの仮装をして笑う二人も、髭が変な形になっているブラッドリーも、飛行機の整備をしているミッチェルさんの後ろ姿も、全部僕が「見てきた」二人だ。
はっと顔を上げると、格納庫の外はすっかり暗くなっていた。外に出ると、見たこともないような満天の星空が広がっていた。真っ暗な砂漠にいるせいか、僕たちの惑星から見る星空よりも、ずっと綺麗に見える。
ミッチェルさんとブラッドリーも、こんなふうに星を見たことがあったはずだ。僕が生まれるずっと前に、ここに二人で立っていたのだ。
そろそろポッドに戻って、帰る準備をしなければいけない。
格納庫の中に戻って、アルバムの中から一枚だけ写真を抜き取った。そのほかのものは全部元通りにしまって、端末で撮った格納庫の中の写真も削除した。
彼らはずっとここにいる。
その痕跡を奪うようなことを、僕はしたくなかった。いつか、ほかの誰かがここを見つけることがあるかもしれない。彼らの生活していた証を、全て持っていってしまうかもしれない。
でも、少なくとも、それは今日じゃない。
ポッドに戻る途中、生えている草を適当に抜いていこう。レポートの評価は最低になりそうだけど、それも人生経験の一つとしては悪くないはずだ。