この子は「恋」がわからないので(FF5・バツレナ) 最近、ようやく気付いたことがある。
「ねえファリス。あのね。あの……」
今更すぎると呆れられるだろうか。けれどきっと、例え今恥をかくとしても、このまま真相を知らずにいるよりはずっとましに違いない。これも明日の自分を育てる糧。そう思い込むことにして、レナはなんとか言葉を継いだ。
「……バッツって、もしかして、すごく美形だったりするの?」
そう小声で尋ねた相手は、盛大に酒を噴き出した。完全に予想外の展開だ。レナは心の底から驚き、急いで席を立った。咳き込むその背側に回り、できるだけ優しく撫でてやる。うううと小さな唸りが聞こえた。
「ファリス、大丈夫? ものを飲み込む時は焦らずゆっくりとね」
「うう、年寄り扱いするなあああ」
時間帯はちょうど夜の始まり、酒場にとっては書き入れ時だ。テーブルはどこも満員、料理の匂いと喧騒に満ちる店内でこのささやかな騒動に気付く客はなかったが、従業員が一人駆けつけ、大丈夫ですかと手布を渡してくれた。ありがたくそれでまだ咽せているファリスの口元を軽く拭ってやって、それからテーブル上をささっと拭き取る。床は、先ほどの気の利く従業員が黙ってモップをかけてくれた。
「ううん……どちらかというと、小さな子のお世話——」
「それも嫌だあああ」
テーブルの下で足を踏み鳴らす姿はそれこそ子どものようだったが、もう指摘しない方が良さそうだった。何しろこう見えても正体は近海を騒がせる海賊船の船長である。年齢もレナより上だ。
その名だけで誰をも恐れさせるはずの海賊は俯いたまま八つ当たりのようにテーブルをひとしきり殴り、それからパッと顔を上げた。長く垂れた前髪が跳ねるように散り分かれ、隠れていた表情が露わになる。受け取る印象はまず「猛烈な不機嫌」、それから「この上なく怜悧」。
そう、怜悧。乱れた髪を雑に掻き上げる手つきすら、何故か様になる。猛禽じみた切れ長の瞳をこんな……それこそ子どもじみた理由で不満そうに歪ませ、口の端をひくひくと引き攣らせていてもなお崩れない、整った印象。
いつものことながら感心してしまう。
(うーん……)
そう、間違いなく「美形」。
これがそうなのだとレナにだってわかる。
「というか、『大事な相談』ってそれなのか⁉︎」
「そうだけど……」
「嘘だろ……⁉︎」
「ごめんなさい、わたし、そんなに変な質問しちゃった?」
ファリスはまたもテーブルに突っ伏し、何故かひとしきり苦悶の様子を見せてから再びガバッと頭を上げた。
「そうだな変だよ! あいつがびっ、び……いやなんでそんな変なこと考えたんだ⁉︎」
「なんでって——」
口を開いて息を吸ったところで静止し、レナは瞬いた。
当然のように説明できると思っていたのに、咄嗟に言葉に成らなかった。
だってどう言い表せばいいのだろう。
例えば並んで歩いている時、すぐ横にある肩の揺れ方だとか。少し見上げた位置にある横顔だとか。頬の線、耳の形、揺れる前髪が目元に落とす影。大笑いする時に覗く歯。無言で微笑む時の眼差しのやわらかさ。その全部。
目を奪われるとか、そういう強烈さはないのだけれど。
心が明るくなる? 嬉しくなる? ずっと飽きずに見ていられる?
一言で表すなら?
(……「好ましい」?)
そう、彼の姿形、仕草の何もかもが好ましく、目に映る——確かにこれだ。「好ましい」。
どうやら家族へ抱く好意とは違う。なんだか世間から色々ずれていると言われるレナにだって、これは区別できる。
だけどつい最近知り合ったばかりの相手に抱く感情として、これは普通のものなのか。それは知らないことなので考えてもわからなかった。
だから、わかる範囲で一生懸命考えたのだ。
もしかしたら——こうなるのは自分一人ではないのでは?
世間の誰にとっても、彼は特別好ましく思われる存在なのでは?
例えば花のように宝石のように、強いられずとも皆が自ずと目を向けてしまう。そういう存在なのでは?
つまり。彼は、この上なく美しい——のでは?
思いついた瞬間は、それが正解のように思えた。
そうであるならば様々な辻褄が合うし。自分の感情は少しもおかしくない正当なもの、と。そういうことにもなる。
とはいえ今のファリスの反応で、その自信はいっぺんに萎んでしまった。やっぱり自分だけがおかしいのだろうか。きっとそうなのだろう。
もしも前提から誤っていたならば、以上の経緯を延々説明するのはひどく恥ずかしい。かと言って、しかめ面ながらも辛抱強く待ってくれている相手にいつまでも無言でいるわけにもいかない。
ので。
可能な限り、端折って話すことにした。
「バッツと一緒に通りを歩くと、普段より周りの人の視線を集めるように感じるの。だから……」
ファリスが両手で顔を覆う。何かに絶望した者のように。
「レナがいっつもガン見してるからじゃねえの⁉︎」
「がん……何?」
「あいつのボッサボサ頭が目立ってるんじゃねーの⁉︎て言ったんだよ」
「ぼっさ……?」
「ガラフにも同じこと聞いてみろよ、絶対すげー笑いが取れるから」
「笑い……?」
「あー、もうこんなふざけた話やめだ、やめ」
ファリスは片膝を立て、最早やけくそのように盃を煽り始めた。その横顔を、レナは首を傾げつつ眺める。こんなに行儀の悪い座り方をしても、あからさまな不機嫌を振り撒いていても、何故か見苦しくはならない。どころか、却って端正さが際立って見えてくる。
鋭ければ鋭いほど魅力的に見える。まるで刀剣のような美だと思う。
(わかるのに……)
それは、わかるのに。どうして一番知りたい、肝心なことに限って答えが見つからないのだろう。
ふうとため息を吐いたらそれが二つ重なって、上げた視線が交差した。鋭くも美しい猛禽の瞳は翠緑の色で、睨まれたわけでもないのにレナは少し睫毛を伏せた。
(——やっぱり、似てる……)
「はあ。まあ……うん。飲もうぜ。せっかくだしさ」
本日奢るのはレナという取り決めであり、何が「せっかく」なのかは不明だった。が、気まずさを取り去ろうとするファリスなりの気遣いとは理解できたので、素直に礼を述べて杯を受け取り、そっと口を付ける。甘いような苦いような、城では口にしたことのない香りと風味が口内に広がった。嫌ではない。そのままこくこくと嚥下する。第一印象より飲みやすい。
こちらを見ている海賊の目が僅かに緩んでいく。視界の外でそれを感じる。
少し――落ち着かない。
どこかの席がどっと沸いた。肉料理の大皿が運ばれてきたらしい。湯気と食欲をそそる匂いが薄暗い天井まで充満し、レナは急に夜の深まりを感じた。肩の力が抜けた。
——まあ……今日はここまでで、いいかしら。
特に何も解決しなかったけれど、きっと今考えても仕方ない事なのだろう。そのうち急に理解できる時も来るかもしれない。
「美味しいわ。付き合ってくれてありがとう、ファリス」
笑顔を向けると、海賊はニイと笑みで応えた。
「お上品とは無縁の荒っぽい酒ばっかだけど、ま、お姫様の旅の思い出にってな。色々どうぞ」
見る者を射抜く猛禽の瞳。笑むと急に人懐っこい印象になる。
色はレナと同じで、そして。
やっぱり何故か——父に似ている。
※ ※ ※
「なあ。俺、臭うかな?」
「なんじゃ急に。『日による』としか言えんぞい」
「やっぱり臭ってるのか……」
ガックリと肩を落とすバッツの姿に、ガラフはおや、と目を瞬いた。
何しろ夜の酒場である。一日の勤労から解放された者たちの陽気なざわめきの中で、しょんぼりと肩を落とす姿など他に見当たらない。
「何日も野山を歩き続けたら、誰だってそれなりに香るものじゃろ。今は特に問題ないぞい」
「そうか……?」
町に着いて久しぶりに体を拭き、衣服も替えてからまだそれほど時間は経っていない。というのに、目の前の若者は疑わしそうに自らの袖や襟元を鼻に当てては何か考え込んでいる。
「うーん。でも自分の匂いはわからないって言うしな……」
「なんじゃ。さてはご婦人方に何か言われたか?」
嘘を吐けない瞳が素早く動いてこちらを見据える。正解らしい。
「レナがさ」
なるほど。つい笑顔になってしまう。
「……すごく、見つめてくるんだよ」
「うん?」
「特に並んで歩いてる時にさ。ずーっと俺を見上げてるんだよ。話す時も黙ってる時も割とずっと。目をぱっちり見開いてさあ。ほらレナってさ、嘘つけないタイプだろ。だから、本当は俺に言いたいけど言えないことが何かあるんじゃないかって」
「ふ……ふむ?」
ガラフは腕組し、考え込むふりをして天井を仰いだ。もちろん、小刻みに震える肩を誤魔化すためだけの動きだったのだが、気付かれる様子はない。
「レナがあんまり俺のことを見てるから怪しく思われるのか、通りすがりの人達まで俺をじろじろ見ていくし……」
「本人には訊いてみたのか?」
「いや、だって、それで直接『臭い』なんて言われたらさ……さすがに俺でも傷付くっていうか」
「なるほど」
「でも、レナが遠慮して言わずに我慢してくれてるんなら、それに甘え続けるのも悪いっていうか……」
そこでちょうど卓に二人分の酒杯が到着した。気分が切り替わらない様子の若者の手に一つ押し付け、笑顔で半ば強引に乾杯する。
「うむ。なんとなく話はわかったぞい。——ま、とはいえ、それでも本人に訊くべきじゃよ」
同時に運ばれてきた小皿料理に手を伸ばしながら、ガラフは気楽に述べた。頭の隅にひとつまみ程度はあった「年長者らしく相談に乗ってやろう」という真面目な気分はとっくに消え失せている。なぜならこの話題に、深刻になるべき要素は一つもないともうわかったので。
「自分が多少傷つくとしても、それが思いやりってもんじゃろ。甲斐性を見せるチャンスじゃと思って。ほれほれ」
「ううん……」
「それに、まあ。もしかしたら、全然違う理由かもしれんし?」
「……髪型が変、とか……?」
「いやいやいや、もっと良い方向でこう、何か。な?」
「そうかな……そうかもな……いや、そうか……?」
ぼんやりと手中の杯に話しかけているバッツを尻目に、揚げ物を一つ摘んで口に放り込む。
「うーむ、美味い!」
反応はない。このまま一人で完食しても気付かれないかもしれない。
さて、と老人は目の前の若者を眺める。
きっと今まで他人の目などろくに気にすることもなく来たのだろう。
見てくれは、無粋ではないが洒脱でもない。いじいじと酒杯を弄ぶ無骨な両手はなるほど、きちんと経験を積んだ剣士の手である。年齢的にも体格的にも立派に成人であり、一人で野に生きる術も身についており、健康。家族はない様子だが、ここまで育ってくれれば、少なくとも彼の親は安心だろう。
なのに。今の様子ときたらまるで、山から人里に降りたばかりの小動物のようではないか。本人は真剣なのだろうが、外野としてはひたすらに微笑ましい。
ここから一体どんな「人間」に育つのやら。
「面白いのう」
酒と料理、それに長く追える楽しみ。過去一切を失くしても、それさえあれば存外前向きに生きていけるものらしい。
微笑む老人は今一度、心から呟いた。
「本当に、面白いのう……」
※ ※ ※
その同時刻、同店内。対角に位置する壁際の席。
「うぅん……おとうさまぁ……」
テーブルに伏したままふにゃふにゃと寝言を零すレナ、その周囲に転がる空の杯はたったの三つ。自身は五杯目を傾けながらそれを見下ろし、ファリスは苦笑した。
「……だから、荒っぽい酒だって教えてやったのに」
「ふふ……」
何やらいい夢を見ているらしい。目を閉じたまま微笑む王女の寝顔は全く呑気そのものだった。気の抜け切った表情は普段以上に幼く見え、しかし無防備な肢体やら睫毛やら半開きの唇やら、若い娘らしい色気が妙に漂ってしまっている部分もある。なるほど、王女と聞けばその生国に身代金を吹っかける程度の考えしかなかったが。あるいは肩書きもないただの娘として売り出してみても、なかなかいい値が——
不意に本業の顔で凝視している自分に気付き、ファリスは頭を振った。少しでも売れそうなものを目にすると、ついその値を見積もりしてしまう。趣味と実益を兼ねた長年の癖だが、しばらくは抑えた方が良いのだろう。
「あーあ。悪い奴にとっ捕まって売り飛ばされても知らねーからな」
ファリスは不意に表情を消し、目を険しくした。薄紅色の髪の隙間に覗く細い首筋、そこから卓上に鎖がこぼれ落ちている。先端に小さな石が煌めく首飾り。ファリスは無言でそれに指を伸ばし——やめた。息を吐く。
別に、賊らしく光り物を狙った、というわけではない。そんなつまらない仕事はしない主義だし、同じ物なら自分だって服の下に持っている。
「今日こそ『これ』について訊かれるもんだと、覚悟してたんだけどなあ?」
「——……」
酔い潰れた王女の唇から、この場に全く無関係な名前が一つ転げ出た。内緒話の音量で、でもなんだか妙に幸せそうに。
「はいはい。今はそっちで頭いっぱいなわけだ」
ふん、と肩をそびやかして深く座り直し、ファリスはまた杯を煽る。
界隈ではそれなりに恐れられている自負がある。その自分がこんな小娘に振り回されているなんて。小さなパッチワーク製の財布(先日市場で裁縫上手の婦人から購入したのだと得意顔で見せられた)が空っぽになるまで飲み続けてやろうか——そんなささやかな逆襲心が一瞬首をもたげたが、すぐに霧散した。明朝には町を出て、またしばらくは戦いの日々だ。今そんな悪戯に興じている場合ではない。
それ以前に眠りこける王女を宿まで運ぶのは、このまま自分の仕事になるのだろうし。頭も足もしっかりしたまま、ほどほどで止めておくべき。なのだろう。きっと。
「くそっ。なんで俺がこんな親切ぶったこと……」
この場にあいつがいれば押し付けてやるのに。その方がレナも喜ぶかもしれないのに。名前だって呼んだのはあいつのだし。勝手にお幸せになってくれ。などと八つ当たり気味に考えるが、いないものはいないのだった。今頃は宿か、呑気に散策でもしているのだろう。
「ああくそっ。俺はおっかない海賊なんだぞ、聞いてるか、おい」
凄んでみるが、眠る少女相手にはもちろん何の効果もない。もっとも、意識があったとしても彼女はころころ笑うばかりで、きっと少しも怯えてはくれないのだが。本当におかしな小娘だと思う。
「ふん。いいさ。ちゃんとお前から訊ねてくるまで、俺だってなーんにも答えてやらないからな」
甘やかしてもらえると思ったら大間違いだ。
頬をちょんと指で押すと、くすぐったかったのか、眠る王女は幸福な子どものように微笑んだ。
一瞬本当に幼い子どもの幻が重なって見えて、ファリスは天井に息を吐いた。