見渡す限り、石と砂と、そして機械の世界。
そんな状況でも、戦争は続いている。
限られた資源を奪い合うために。
……数百年前。
突如世界を襲った急速な砂漠化現象。
それでも各国で研究を重ね、全人口をフォローし得るプラントの準備は進められていた。それで、全てを賄えるはずだった。
その均衡が崩れたのは、ほんの一つのスイッチから。
過酷な長時間勤務の続く、某国の軍事研究施設で。
宿直の研究員が疲労のあまり誤操作してしまったそれは、長距離弾道ミサイルの発射ボタン。
これにより発射されたミサイルが、各国のプラントに壊滅的な打撃を与えた。……そうして、当初より速いスピードで、砂漠化は進行する。
あとは残った、あるいは活用可能なプラントをどう運用するか。
その利権と、そして生存のために必要な設備の奪い合いのために、大きな戦争が繰り返し起こった。
また、起因となった人為ミスに危機感を覚えた世界各国は、疲労を感じず失敗を犯さない労働力……ロボットの開発に躍起になった。
完璧にコントロールされた機械による運用を行うことで、疲労による人為的ミスを撲滅する。それが世界の指標となった。また、効率的な労働力として、ロボット開発は躍進を遂げ、それに伴いAIの研究も進んだ。
よりニンゲンに近く。ニンゲンより秀でて。ニンゲンに出来ない危険な仕事をこなすモノ。オートマタ。
近年では人口皮膚に臓器、人工血液や骨格まで備えた、解剖しなければヒトと区別がつかないようなモノまでいると言う。
戦闘力に優れたモノ、知能の高いモノ、耐久力に特化したモノ、娯楽遊興を賄うモノ。
……世界には、そんな。
ヒトの姿を模したヒトでないモノが溢れた。
中でも有名だったのは、某国肝煎りの通称、『 戦闘力0の殺戮兵器』。
見た目は完全にニンゲンのそれと変わらず、非武装で戦場に現れたソレは。
自らは刃を振るうことも、弾雨を浴びせることもなく、花の香りさえ漂わせて、笑顔で村ひとつ、簡単に沈めてしまうのだと言う。
しかもそれに際して、一滴の血も流さない。屍の上で微笑む人形。
穏やかな面貌で、やさしい歌声で。
人の心を狂わせ自滅させる死の天使。
……そんな風に聴いていた。
多くの国を股にかける、巨大軍事複合企業(コングロマリット)、スタンフィールド財団の開発した最新鋭のオートマタ。
彼の声には独特の波長が含まれており、これが戦場の、そしてヒトの脳の電気信号を狂わせる。
かつて世界を席巻した歌姫のうたごえ。
その歌を聞いたニンゲンは、疑心暗鬼に陥りまともな意思疎通が取れなくなり、自壊する。まるで神話のセイレーンだ。
そうして、彼自身が手を下すことのないまま、幾つもの戦場が彼の足元に沈んだ。
無数に折り重なる骸を前に、彼はやわらかく微笑を浮かべる。
基本の表情として彼にインプットされているのは、その表情だったから。
死の天使はわらいながら、うたいながら、荒野の戦場を渡り歩いた。
フリーランスの技師として各地を旅する千空が、そのオートマタに出会ったのはとある戦地でのことだった。
任務を終え帰投途中の彼の、喉の不調に遭遇し、メンテナンスを請け負った。
機密に関わることになったため、その日から国との間で専属契約が結ばれ、千空はそのオートマタの担当技師となった。
機械は機械。ヒトはヒト。
どんなに酷似していても、それは別のモノだと、そう思っていたけれど。
いざ改めて向き合ってみると、悪名高い殺戮兵器は、彼が抱いていた印象とまるで違った。白い花のようなやわらかい笑顔で、その機械人形は、ゲンと名乗った。
……もっと、冷たい顔で笑うのだと思っていた。
そうして、会話を交わしていくうち、このオートマタには感情がないのではなく……ただ、知らないのだとわかった。
他者との触れ合いも、コミュニケーションの方法も、モラルをかたちづくる、さまざまな条件もなにひとつ。
……こんなロボットはありえない。最低限のセーフティラインすら設定されていない。ただ命令に従い、歌い、滅ぼすだけ。
そんなものを、少なくとも公の認可を受けて作れる筈がない。
しかし、これだけ精緻な、人間と区別が付かないようなオートマタを、認可なく巨額の公金あるいは私費を注ぎ込んで作れるような財力は、この国にはない。
いくら軍事顧問のスタンフィールドが巨大な財閥だと言っても限度がある。
……ふと、ある可能性に思い当たった。
胸が悪くなるような、不快な想像。
その正否を確かめるため、長期メンテナンスを装って、ゲンの身体を調べた。
細胞組成と血液の成分の分析結果が出たところで、千空は苦虫を噛み潰した。
─── ……間違いない。
ゲンは、ニンゲンだ。洗脳か薬物か、何らかの方法で自らを機械兵器だと思い込まされてはいるが、喉に取り付けられた特殊な装置を除いて、少なくとも90%以上は生体だ。身体データの増減もあり、つまり成長している。
だが。……この事実は、感情の芽生え始めたゲンにとって、更なる負担にしかならないのではないか。自らがニンゲンではないと、機械だと思っていた。それが任務で唯一のプログラムだったからこそ、呵責なくヒトの命を奪うことができた。
本来のゲンは、ただ何も知らなかった、知らされなかっただけで、残酷さとは無縁の性質をしている。
そうして、そのために今、苦しんでいる。
それを知ってしまったから。
ニンゲンに戻してやりたい。自由にしてやりたいと思う気持ちと、この事実がゲンに与える影響を……傷を怖れる気持ちがせめぎ合う。
「 ……どう、したの、ドクター?メンテナンス、どこか、欠陥、あった?」
たどたどしい声に、はっと顔を上げた。
夜空の色をした瞳が、いつの間にかこちらをじっと見ていた。
視線の先にはモニターがあって。
慌てて、電源を引き抜く。
「 ……ドクター?今の………… 」
大きく見開かれた目から、ややしてはらはらと涙がこぼれた。
本人も、なぜ泣いているのか。何が悲しいのか。わからないと言った表情で、ただ涙をこぼしている。
初めての、制御不能な感情の奔流に呑まれて戸惑う様子は、まるでちいさなこどものようで。泣くな、と囁きかけて、ほっそりとした身体を抱き寄せた。
「 なんで……、わかんない。わかんない。わかんない。……ドクター、これは、なに?」
それには答えず、宥めるように背を撫でながら、問いかける。
「 ……ゲン、俺と来るか?」
初めて感情を覗かせた時。ゲンは自分を解体してほしいと言った。耐えられないと。
けれど、感情を教えてくれたことに感謝している。出会えてよかった。ありがとう、と。
覚えたばかりのたどたどしい言葉で訴えた。
けれど。
彼の本当の望みは、きっとそうではない。
腕の中から、ゲンを解放して。
夜空の色の瞳を覗き込みながら、手を伸ばす。
「 ……生きてぇんだろ。テメーは。
だから、俺が地獄の底まで付き合ってやるよ」
知らなければただの兵器でいられた彼に、感情を芽生えさせてしまったのは自分だ。
そして、その声が多くの命を摘み取ったのだと知りながら、死なせたくないと思っている。だから。
地獄の底まで、共に。
そう告げて差し出した手を、ゲンはおずおずと握り返した。
「 ……うん、俺は……ドクター……、君といっしょに、いきたい」
生きたい、なのか、行きたい、なのか。
そんなことはどうでもいい。
差し伸べた手を握り返してくれた。……それだけでいい。
そうして二人は、この不自由な鳥籠から手に手を取って逃げ出した。
アテはある。
千空がかつて拠点としていた、砂礫に覆われた、地図にもないような小さな村。
そこならば、奴等の目も届かない。
ひとまずそこを目指すことにして、夜陰に紛れてジープを走らせた。