【シャリシャア】エンドロールのそのあとに 02「まったく……まさかアンタが寝坊で遅刻をするとはな」
出勤時刻に目を覚ます、という特大の遅刻をやらかしたシャリアは、出社するなり所長のドレンにこってりと絞られた。
齢三十を過ぎてガチめの説教を頂いてしまった理由は、遅刻そのものではなく遅刻をするに至ってしまった『理由』のほうだったので、シャリアはただただ恐縮することしかできなかった。
「はあ……。まあ、いいけどな。仲がいいのは結構なことだ」
コーヒーサーバーから二人分のコーヒーを運んできたドレンが、その一方をシャリアに差し出してくれる。
どうせ朝から何も食べていないんだろう。
無言で差し出されたそれを受け取って、シャリアは「ありがとうございます」と苦笑いを浮かべた。
薄い茶色をしたそれは、ミルク入りの甘いコーヒーだ。
空っぽの胃にも優しいそれをひと口啜れば、冷房で冷えた身体が内側からじんわりとあたたまっていく。
「昨日もずいぶんと派手なお迎えがあったみたいだしな」
「ご覧になられていましたか」
シャリアはまた恐縮した。
昨日のあれは完全にシャアの不意打ちだったが、知り合いに見られていたとはさすがに気恥ずかしかった。
「別に覗き見するつもりはなかったんだけどな。たまたま派手な車が走ってきたから目に入っちまっただけだ」
「良くも悪くも人目を惹く御方ですので……」
「服の方は地味になったみたいだが、車の方がアレじゃあな」
それがなくても人目を惹くんだろうが、と。
デスクに飾ってあるフォトフレームを見て、ドレンが目を細める。
シャリアからは裏側しか見えないそれには、独立戦争時代に撮ったソドンクルーたちの集合写真が飾られていた。
中心に立つのは艦長であるドレン。その脇には若き日のシャリアとシャアも並んでいる。
暗いオリーブドラブ色の軍服が居並ぶ中で、シャアが纏う真っ赤な士官服は今も色鮮やかな輝きを放っていることだろう。
「アンタらが一緒に暮らすと聞いて、一時はどうなることかと思ったが……」
「おや、そうだったのですか?」
「どっちも生活能力皆無だろうが」
「それについては返す言葉もありませんね……」
シャリアもシャアも軍での暮らしが長かったので、今更一般人として生きていけるかは甚だ疑問であった。
「ですが、案外なんとかやれておりますよ。もちろん、ドレン所長たちのご指導あればこそでありますが」
「よせよせ。俺をアンタたちの生活に巻き込むな」
「釣れないことを仰らないでください。同じ釜の飯を食った仲ではありませんか」
「それが高じて、リタイア後も同じ職場に配属されるとはな……念のために聞いとくが、裏から手を回したりしてないだろうな?」
「もちろん」
真っ赤な嘘である。
灰色の幽霊。最強のニュータイプ。
華々しい二つ名に加えて、戦後のシャリアが高めに高めた悪名によって、シャリアへの再就職先斡旋は困難を極めた。
どこもかしこもシャリアの名を聞くなり「そんな厄介者を押しつけられるのは御免だ」とけんもほろろな有様で「だったらドレンの下に送ってくれ」と半ば捨て鉢になりながらシャリアが提案したところ、何故かそれが通って現在に至る。
「まあ……アンタの有能さは身をもって知っているし、問題さえ起こさなければ俺としては歓迎するけどな。問題さえ起こさなければ」
大事なことだぞと言わんばかりに同じ言葉を二度繰り返されて、シャリアはコーヒーを啜りながら「努力します」と生返事を返す。
「あの御仁の方もな。あれでいてあの方は、アンタには甘えているところがあった。仲がいいのは結構なことだが、ほどほどにせんと痛い目を見るぞ」
「…………」
それは自分にも言えることだな、とシャリアは思った。
シャアがシャリアに執着するように、シャリアもまたシャアに強い執着を抱いているのだから。
「……どうした? 何か問題でもあるのか?」
突然黙り込んだシャリアの顔を、ドレンが覗き込んでくる。
基本的には厳しい態度を取るが、大尉の位で艦長を務め上げただけのことはあって、ひとの心の機微には聡いひとだった。
「いいえ。むしろ順調そのもので……強いて言えばそれが怖いと言いますか」
誤魔化すようにシャリアがへらりと笑えば、ドレンが「なんだ惚気か」とうんざりため息をつく。
「心配して損した。馬に蹴られて死ぬのは御免だぞ」
「おや。ドレン大尉は馬に乗られるので?」
「旧世紀の洒落だ! あといまの俺は大尉じゃなくて所長だ!」
──一方その頃。
シャリアと同じく予定から大幅に遅れて大学へやって来たシャアは、午後の講義が行われる講義室へと足を向けていた。
まだ昼休みの時間帯であることもあり、席に着く学生の姿はまばらだった。
シャアは半ば指定席となっている後方左隅の席に陣取ると、タブレットを立ち上げてまとめかけだったレポートを開いた。
キーボードの接続を確かめてぱたぱたとレポートの続きを書き始めると、ふいにタブレットの画面に暗い影が落ちる。
「重役出勤とはいい身分だな、シロウズ」
開口一番皮肉が飛んできて、その容赦のなさにシャアは思わず吹き出した。
この大学においてシャアに対してここまで横柄な口を利く人間は、ひとりしかいない。
「……すまんな、アムロ。午前はどうしても外せない用事ができてしまったんだ」
「なにが用事だ。どうせ噂の彼氏と朝までよろしくしてたんだろう」
不満そうにそう言いながら当たり前のようにシャアの隣に腰を下ろしたのは、癖の強い茶色の髪を持つ青年だった。
名前はアムロ・レイ。
父親が技術関係の仕事をしているとかで幼い頃から機械いじりを得意としている、この大学きっての才子である。
「ほんと、珍しいですね。あなたが遅刻なんて」
さらにその後ろから、青い髪の少年がやって来る。
彼はカミーユ。
こちらもプチモビの大会で優勝するなどの華々しい経歴を持っており、年上であるシャアやアムロに対しても物怖じしない態度で接する気の強い少年だった。
この大学に入ってすぐの頃、なにかと遠巻きにされがちだったシャアに対して、気後れせずに声をかけてくれたのがこの二人だった。
学年や専攻は違ったが、それゆえに彼らの話は刺激的で、いつの間にか行動を共にすることが当たり前の仲になっていた。
今日の午前中の講義も三人一緒に履修していたので、欠席したシャアの姿を探しにきてくれたのだろう。
「心配かけてすまなかったな、カミーユ」
「べっ、別に心配なんてしてませんよ」
「そうだぞ、カミーユ。授業をさぼって彼氏としっぽりしてた奴のことなんて、心配してやるだけ損だ」
「えっ、そうなんですか」
がたたっ、と椅子を鳴らしてアムロとは反対の席に、顔を真っ赤にしたカミーユが飛び込んでくる。
シャアやアムロよりも年若い彼は、そういった話題に敏感だった。
「どうなんですか!」
「まあ……そうだな……?」
前のめりに問い詰めてくるカミーユに頷きを返せば、机の下からアムロの蹴りが飛んできた。
「お、大人って……」
「シロウズ。あんまりカミーユをからかうな」
「からかってなどいない。事実だ」
その答えになぜかアムロが頭を抱えて唸る。
「だから余計にタチが悪いんだよ……」
午後の講義を一通り終えた三人は、学内のカフェテリアで休憩を取っていた。
昼時では学生でごった返すここも、夕方であればそれなりに空席を見つけることができる。
シャアとアムロはアイスコーヒーを、カミーユはソフトクリームをそれぞれ買い込んで、気の置けない会話を楽しんでいた。
「……ほら。午前中の講義のレジュメ。貸しひとつだぞ」
アムロから転送されてきたそれを開いて、シャアが微笑む。
「助かる。君のレジュメは要点がまとまっていて分かりやすいからな」
「ええーそうですか? 僕、アムロさんのメモって走り書きすぎてて何がなんだかさっぱり……」
そう言いながら身を寄せてくるカミーユにタブレットを見せてやると、やはり「うわ、これ何語ですか?」と眉間に皺を寄せた。
教授から配られたファイルの上に赤字で直接書き込みがしてあるそれは、確かにレジュメというより走り書きといった方が正しい。
しかし、この分野にある程度の理解がある者であれば、むしろアムロのメモの方が無駄な説明が省かれている分ポイントが掴みやすく、読み解きやすかった。
「カミーユにノートを見せるときは、ちゃんと説明を加えてあるだろう?」
「それはそうですけど……」
つまり、シャアに対して雑なレジュメをそのまま寄越すのは「お前ならそれで理解できるだろう」という、アムロからの雑な信頼だった。
「ふっ……」
シャアはそれをこそばゆく思いながら、騒ぐカミーユを横目にコーヒーを啜る。
「はあ……それにしたって、シロウズさんがそこまで夢中になるほどのひとって、いったいどんなひとなんですかね?」
「うん?」
いつの間にか話題の矛先が自分に向けられていて、シャアは首を傾げた。
「だってアムロさんのレジュメを読み解けるほどのひとなんですよ? そのシロウズさんが見初めるひとなんですから、きっとすっごい頭がいいとか、すっごいお金持ちとか、なんかすっごいひとなんでしょう? きっと」
「どういう理屈だ」
シャリアを褒められることに悪い気はしない。
けれど、その基準が自分であることには、いささか疑問が残った。
「いや、この際だからはっきり言わせてもらいますけど、あなたここで学ぶことなんてないでしょう?」
バリバリとソフトクリームのコーンをかじりながら、カミーユがじとりと睨みつけてくる。
するどい。
「そんなことはないが……」
「カミーユ。こいつは俺たちとおしゃべりするためにここに来てるのさ」
「えっ」
「冗談だよ」
昨日のシャリアとの会話を思い出し、こちらもするどい、とシャアは思った。
シャアそっちのけで盛り上がる二人をしばらく眺め、ふいにシャアの中からひとつの提案が浮かび上がってくる。
「……そこまで気になるなら、今度の休みにでもうちに遊びに来るか?」
「えっ」
その言葉に、アムロとカミーユが一斉に振り向く。
「あ、いや……そんなに驚かれるとは思わなかったのだが……」
「いや、驚きますよ! ねえ?」
「……ああ、そうだな。あなたがそんなことを言うなんて、正直意外だった。もっと秘密主義かと思ってたから……」
「特別そういうわけではないんだが……交流を持つべき相手は、多少選ばせてもらっているところがあるのは事実だな」
ジオン公国の元英雄、シャリア・ブルとシャア・アズナブル。
退役したとはいえその名が持つ影響力は絶大で、シャアがシロウズと偽名を使って市井に紛れているのも、そうしたことへの対策の一環だった。
「しかし、その……親しい友人は家に招いてホームパーティするものだと、昔何かで読んでな……」
シャリアと二人きりで過ごす日々も心地良かったが、大学でアムロたちと交流することもまた違った心地良さがあった。
「とはいえ男所帯だから、たいしたもてなしもできないがな」
しかしこれはいささか踏み込みすぎたか、と。
シャアが控えめに意見を取り下げようとすると、それを察したカミーユが慌てて首を振った。
「いいですいいです、もてなしなんて! 俺、行ってみたいです!」
バン、と勢いよくテーブルを叩いて、カミーユが表情を輝かせる。
「……アムロ君は?」
「え? いや、俺は……別に……」
「ええー? 一緒に行きましょうよー!」
「はあ……。分かった分かった、行くよ。行っても迷惑じゃない日が分かったら、連絡してくれ」
「あ……ああ、承知した」
とんとん拍子に事が運んでしまい、つい呆気に取られて言葉が硬くなってしまう。
しかし、すっかり舞い上がっているカミーユはそんなことなど気にも留めずに、手土産は何がいいだろうか、と忙しなくアムロに話しかけていた。
その姿は本当にどこにでもいる普通の学生で、自分もその中の一部となっていることにシャアは今更ながら奇妙な気持ちを味わっていた。
もしかしたら、これを。
「楽しい……というのかもしれないな」
じんわりとあたたかくなる胸に手を置いて、シャアも「土産なら何か甘いものがいいな」と言いながら、二人の輪に混ざっていった。