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    gozen_tyuu

    @gozen_tyuu
    推しカプの雑なやつかエロいやつ

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    gozen_tyuu

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    カブルーが記憶喪失になるカブライの冒頭。本文は開発中のものです

    「かっ、カッ、カブルーが頭打って意識不明ってホント?!」

     息せき切って部屋へと入ってきたのは、髪を乱したマルシルだった。彼女は大きな瞳を不安げに見開き、杖を支えにしながらぜえぜえと肩で息をしている。
     部屋の中にいたヤアドが、彼女を宥めるように指を口に当てた。

    「ええ。けれどもう治療は済んでいますよ。今は眠っているだけです」
    「よ、よかったぁ……」

     マルシルがへなへなとその場に膝を突いた。落ち着いたヤアドの様子にほっとしたのか、目には安堵の涙を浮かべている。

    「ライオスさんが一緒にいたので、処置が早くて助かりました。ね? ライオスさん」
    「えっ、ああ、うん……」

     ベッドの脇に座っていたライオスが、声をかけられてはっとしたように顔を上げた。どこか気まずそうに顔を見合わせ、傍で眠るカブルーにまた視線をやった。膝の上で組んだ手を落ち着かなさそうに組み替えながら、ライオスはじっと黙っている。その表情は硬く、どこか青褪めているようにも見えた。

    「……ライオス、大丈夫?」
    「ライオスさん、少し休んできてはどうですか? ずっと側に付いていたでしょう」

     マルシルが心配そうな顔つきでライオスの顔を覗き込み、ヤアドもまたそれを肯定するかのように言葉を続ける。

    「彼が目を覚ましたらお呼びしますから。そんな顔色では、カブルーさんが逆に驚いてしまいますよ」
    「……すまない、そんなにひどい顔をしているかな」
    「真っ青だよ……わ、手も冷えてる」
    「何か温かいものでも用意させましょう。隣の部屋に……」
    「……う……」
    「!」

     小さな声と共にカブルーが身動ぎをし、三人は口をつぐんでそちらを見た。長い睫毛が震え、顔を顰めながら瞼が開かれる。目を開けたカブルーは、自分を不安げに覗き込む顔を見て瞬きをした。

    「……ライオス? どうしたんですか……?」
    「か、カブルー! よかったぁ! 平気? どこも痛くない?」
    「え、マルシルにヤアドさんまで……一体どういう、……う、」
    「……だ、大丈夫?」
    「……ちょっと、気持ち悪いです」
    「まだ横になったままの方がいいですよ。傷は治療しましたが、頭を強く打ったみたいですから」
    「ヤアドさん……すみません、ちょっと状況がわからなくて……何があったんですか?」
    「俺だ」

     目覚めたばかりで状況が飲み込めないでいるカブルーが尋ねると、硬い声が鳴りを静めた。

    「……ライオス?」
    「俺のせいだ。俺が、ふざけて階段から落ちそうになったのを君が庇った。君が怪我をしたのは俺のせいだ。すまない、カブルー」

     そう言って、ライオスは深く頭を下げた。謝罪を受けたカブルーと、ライオスの告白を聞いた二人は驚いて固まっていたが、じき我に返ったマルシルが声を荒げた。

    「へァ!? な、何してるの! 目を覚ましたからいいものの……もっと大事になるかもしれなかったんだよ?!」
    「ああ。本当にすまない」
    「バカ! ライオスのバカ!」
     
     マルシルが涙ぐみながらライオスの肩を何度も叩く。殆ど痛くもないであろうそれをライオスは黙って受け入れている。

    「……マルシルさん、その辺りで……」
    「うぅー……」

     ヤアドがマルシルの肩にそっと手を置いて宥めると、マルシルはぐすぐすと鼻を啜りながらもライオスを叩くのをやめた。何も言わずに俯いたままでいるライオスに、ヤアドは一転して硬い面持ちで口を開いた。

    「ライオスさん」
    「うん」
    「あなたの振る舞いは、王としても一人の大人としても到底褒められたものではありません。それはわかりますね」

     厳しい老人の声が、場の空気を硬く張り詰めさせた。直接声を掛けられていないカブルーとマルシルでさえ、思わず身を竦ませる。ライオスは顔を上げ、深い威厳を湛えた目をまっすぐと見返した。

    「ああ。軽率だった。二度としない」
    「よろしい」

     ヤアドは深く頷くと、厳しい声を和らげ、枕に頭を預けたままのカブルーへ向き直る。

    「カブルーさん、あなたはしばらく休んでいてください。少し様子を見た方がいい。それまでの間のことは我々で出来ますから……」
    「あの、すみません、今は何時ですか?」
    「今ですか? もう夕食が終わった頃ですよ」

     それを聞いたカブルーは、俄かに焦りの表情を浮かべた。

    「夜!? あの、今日の昼に南方のドワーフたちが来る予定があったと思います。会食はどうなりました? どういった話をしていましたか? それから、東方から書状が届いていると聞いたんですが、それについては……?」

     カブルーが慌てた様子で告げた内容に、ヤアドが言葉を失った。マルシルが息を飲み、ライオスもまた、到底信じられないものを見る面持ちでカブルーを見ていた。

    「……あの……?」

     固まったように動かない三人の様子に、妙な雰囲気を察したカブルーが窺うように首を傾げる。マルシルが、口に当てた手の下で唇を震わせた。

    「そ、の話って……」
    「カブルーさん」

     ヤアドが彼女の言葉を遮って、小さく首を振る。戸惑いながらこちらを見上げる青年を宥めるように静かに口を開いた。

    「その会食ならば滞りなく終わっていますよ。……二ヶ月ほど前に」


     その後、治療に当たった治療師と医者が呼び戻され、ライオスら三人も立ち合いの元再度カブルーの状態について診察が行われた。
    結果下されたのは、カブルーがここ二ヶ月ほどの記憶を失くしてしまっているらしい、との結論だった。

    「……頭部への強い衝撃で記憶が飛ぶ、って話は聞いたことありましたが、実際に自分がなるとは思いませんでしたよ」
    「ほ、ほんとにわかんないの? 最近のことなんにも?」
    「駄目ですね。昨日一日のことを思い出して話してみたら、それも二ヶ月前のことだと言われましたし」
    「えぇ……? だ、大丈夫なの……?」
    「まあ違和感はありますが、なるべく早く業務に復帰できるようにします。記憶にない期間のことはヤアドさんが時間を取って教えてくれるそうなので」
    「うーん、それは心配ないのかもしれないけど……」

     マルシルがちらりと横目でライオスを見た。ヤアドは先ほど医師を伴って部屋を退出したが、マルシルとライオスは部屋に残ったままだ。けれどもライオスは椅子に座ったまま、じっと黙り込んでいる。
     明らかに暗い様子のライオスにマルシルは不安そうで、怪我で倒れたばかりのカブルーとどちらを気にかけたらいいのかおろおろとしているようだ。カブルーはそんな彼女の心配を和らげようと声をかける。

    「魔術まで使って診てもらいましたから、心配ありませんよ。けどお言葉に甘えて、今日はもう部屋に戻って休むことにします。マルシルも、遅くまでありがとうございました」
    「えっ、ううん、全然! 大丈夫? 一人で帰れる?」
    「さっきも立ち上がってみたでしょう、大丈夫ですよ。外を出歩くわけじゃありませんし。それじゃあ……」
    「俺が、」

     不意にライオスが口を開き、二人は思わずそちらの方を向いた。ライオスが椅子から腰を浮かせ、カブルーと目が合うと一瞬息を飲みながらも続けた。

    「……部屋まで、送らせてもらえないか。大した距離ではないけれど」
    「──ええ。それじゃあお願いできますか? ライオス」
    「ああ」

     カブルーはゆっくりベッドから起き上がると脇に寄せられた靴を履いた。手を貸そうかという二人の目線を無言で辞退し、勢い付けないように立ち上がる。立ち上がってから少し様子を窺ってみるが、眩暈も気分の悪さもない。平常そのものだ。

    「では、マルシル。おやすみなさい」
    「あ、うん。おやすみ……」

     彼女に挨拶を返し、カブルーはライオスが開いた扉をくぐって部屋の外へ出た。王に扉を開けさせるなど臣下にあるまじき振る舞いだが、ここは素直に厚意を受けておいたほうが彼の気も軽くなるだろう。軽く礼を言ってカブルーは静かな廊下を自室へ向かって歩き出す。

    「ライオス、夕食は食べたんですか?」

     時間はもう日付も変わろうという頃だ。普段のライオスならばとうに食事も風呂も終えてベッドに入っている頃のはず。なるべく普段通りの調子を心掛けながら、カブルーはライオスに話しかける。

    「いや……」
    「駄目ですよ、食事は大切になんでしょう。朝までもちませんよ、何か食べてください」
    「……食欲がないんだ」
    「あなたからそんな言葉が出るなんて。……ごめんなさい。俺のせいですよね」

     カブルーは、思わず歩みを止めて眉を寄せた。ライオスにとって食事は、生命活動に必要であるという枠を超えて重要なものだ。彼は健康のための食というものの重要性をよく理解しているし、また食を楽しんでもいる。息詰まる宮廷生活の中の数少ない愉しみの一つであるのだ。胃袋が満たされることはなくとも、嬉しそうに食事をして舌鼓を打つ風景を常日頃から眺めていればライオスにとって食事を抜くということがいかに辛いことなのかを想像するのは容易い。そのライオスが、自身の怪我の責任を感じて食欲を失くすほどに沈んでいる姿は胸が痛んだ。
     少し前で立ち止まったライオスがカブルーの方を振り返る。彼は焦った表情で、カブルーの言葉を強く否定するように首を横に振った。

    「それは違う。君は何も悪くない、カブルー。俺がふざけたせいなんだ。本当にすまない、君に迷惑を、」
    「嘘ですよね」

     謝罪を重ねようとするライオスの言葉を、カブルーはきっぱりと否定した。猫のように丸いアーモンドの瞳が、隠し立てすることは許さないとばかりの強さで戸惑う琥珀色を捕らえる。

    「あなたは確かに王としての自覚が致命的に欠けてます、ライオス。ただそれでも、悪ふざけで人に怪我をさせるような人間じゃありません。……何があったんですか?」

     カブルーが問うとライオスは唇を歪め、苦々しげに視線を逸らす。この沈黙は肯定の証だ。この人は本当に嘘が下手だな、と考えながらカブルーは目をうっすらと細める。

    「あなたと俺が二人で城下町に出掛けたのは確かだ。マルシルもヤアドさんもそこは同意してます。二人の態度からして、出掛ける前に何かあった風でもありませんでした。俺が怪我をした理由……町で何かがあったんじゃありませんか?」

     カブルーが目覚めたときのライオスの態度。蒼褪め、俯きながら視線を逸らして落ち着かなさそうに指を組んでいた。体を小さくするように丸める姿勢を始めカブルーは、ばつの悪さから来るものだと捉えた。自分に怪我をさせたという負い目から縮こまっているのだと。だが、時間が経つにつれ段々とそこにただの罪悪感では片付けられないような違和感を覚え始めたのだ。
     ライオスの目にあったのは、罪の意識だけではない。あれの正体は怯えだ。何かへの、否、誰かへの。

     この国が興ってからカブルーが一番恐れていること。それは、王であるライオスに危害が及ぶことだった。今メリニが千年前に滅びた黄金の国の流れを汲むものとして認められているのは、紛れもなくライオスの功績である。ライオスがかつての王の言い伝え通りに魔術師を打ち倒し、悪魔をも食らって迷宮を解放に導いたからこそ、この地を治める新たな王として認められているのだ。もしもライオスが王の座に就いていなかったとしたら、この国は今こうして多くの民が暮らせる場所にはなっていなかっただろう。
     しかし当然のことながら、この国の存在を快く思う者ばかりではない。かつての暮らしを奪われた隣国を始め、迷宮やそこに眠る技術を短命種の手に渡したくない長命種、悪魔の存在を心の支えとしていた迷宮の主たちや、ただ富や利益を求める者たち。
     人の欲に限りがないように、人の悪意もまた際限がない。この世には、筆舌に尽くしがたいほど残酷な手段を思い付き、実行してしまう人間がいる。

     ──もしもライオスの命が、何者かの悪意によって脅かされたとしたら。もしも彼の心や体に、生涯消えない傷が残されてしまったとしたら。

     想像をするだけで、カブルーは自分の顔がひどく冷たく表情を失くしていくのを感じた。怖気とも寒気ともつかない感覚に、体中の産毛が逆立つような心地がする。無意識の内に、手が片時も離さず身に着けている短剣へと伸びていた。だがしかし、ライオスはカブルーの言わんとするところを察したのかじわじわと目を丸くし、大袈裟なまでに手と首を横に振った。

    「ち、違う! 何もなかった。……町は、平和そのものだったよ」

     ライオスはそう言いつつも視線を下げた。その仕草の意味を読み取ろうとカブルーは指の先までをも注意深く目線を走らせる。だが、何かを隠していることはわかっても、その正体が何かまではわかろうはずもない。
     結局、それ以上の追及の言葉を考える前に二人はカブルーの部屋の前へと着いてしまった。カブルーは今夜はライオスから話を聞き出すのは無理だと諦め、ここまで見送りに来てくれた謝意を伝えると、軽く頭を下げて部屋へと入る。

    「おやすみなさい。ライオス」
    「……ああ。おやすみ、カブルー」

     控えめに笑みを浮かべながら、カブルーは扉を静かに閉じた。最後に見えたライオスの、どこか痛みを堪えるような表情が頭の奥にちくりと刺さって抜けそうになかった。



     カブルーの記憶の件は、診察をした医者と治療師以外の城の者には伏せられることになった。カブルーは国内外共に知り合いが多い。一人一人に説明をして回るわけにいかないし、二ヶ月という期間であれば多少のことなら誤魔化せると本人が主張したからだ。実際、黙っている不都合よりも話が広まることにより新たな問題が起こる可能性のほうが高そうだと思われたため、怪我をしたという事実は伝えてもいいが、記憶については伝える相手を事前に決めておき、それ以外の人物には秘匿することで話がまとまった。

    「誰になら話してもいいかなあ」
    「できればリンシャには言っておきたいです。月に一度は顔を出しているので、先月も行ってるはずですし」
    「そうですね、彼女なら話しても問題ないでしょう。カブルーさんとは付き合いも長いですし」
    「あ、あとごめん、チルチャックにも話していいかな……? その、今度お城に来る用事があるらしいから、お茶に誘おうと思ってたの。私ほら、多分黙っていられないし……」
    「構わないですよ。彼なら口も堅そうです」
    「ファリンが戻ってきたら話してもいいだろうか。あとセンシとイヅツミも」
    「センシさんとイヅツミさんは、そもそも俺の記憶になんか興味なさそうですけどね。最後に会ったのも二ヶ月以上前ですし」
    「ううん、そうか……なら言う意味もあまりないかな」
    「ファリンさんには帰ってきたら話をしましょうか」
    「パッタドルさんには言ったらだめですね。確実に西にバレます」
    「彼はどうなんだ? あの蕎麦打ちの」
    「ミスルンですか……。どちらかと云えば言わないほうがいいとは思いますけど、かなり鋭い人なので何かしら勘付かれる可能性はありますね。言わないでくれとお願いしたら多分聞いてくれるとは思いますが」
    「念のため、話す時は直接会う場合に限定しましょう。使い魔にはくれぐれも気を付けてください」

     大事をとってもう一日の休息を経てから、公務に復帰したカブルーの一日は目まぐるしかった。
     カブルーは普段ライオスの補佐に加え、会食の予定を組んだり議会の内容を纏めたりするのだが、二ヶ月間の記憶が抜けていてはそれも儘ならない。
     そのためカブルーは、自分が覚えていない間のことは逐一ヤアドに尋ねて記憶の補填を図ることにした。ライオスへの進言は今話されている内容の要約のみに努め、食事の間も議事録を読み込んでどんな些細な齟齬も出ないよう全神経を集中させる。その努力の甲斐あって、カブルーの記憶が失われたことは誰にも悟られずに済んでおり、一週間もする頃には、カブルーは二ヶ月の空白などまるでなかったように思えるようにすらなっていた。記憶が抜けているせいで時々妙な居心地の悪さというか、違和感を覚えることはあるものの、これはきっと時間が解決してくれる。

     そう思う一方で、時間が経っても解決できない問題があった。ライオスのことである。結局未だカブルーは、あの日本当は何があったのかをライオスから聞き出すことができないでいた。なんと言って口を割らせたものか決めかねていたのだ。
     当然と言うべきか、ライオスもその件を話題に出そうとはしない。彼はいつも通りの態度だ。否、正確には、いつも通りの態度にしようとしている。ライオスの言動には、自然に振る舞おうとする不自然さがあった。話す時の間の取り方、距離の詰め方、どれを取ってもライオスのカブルーへの接し方には違和感が拭えなくて、カブルーはもどかしい思いをしていた。

     ──何を遠慮することがあるんですか。俺はあんたの友人でしょう?

     そう言いたくなる衝動を、何度抑えたか知れない。兎角カブルーは、ライオスがこちらの様子を窺って言葉を選んでくるのが嫌だった。距離を取られれば、空いた以上に間を詰めたくなる。不自然に視線が逸らされるのを見ると、頬を掴んでこちらを向かせたくなる。早く以前のように、気安い友人として接して欲しかった。
     しかし無理に聞き出そうとしても、きっとライオスは拒むだろう。しつこく聞くのも逆効果だ。意固地にさせてしまう可能性がある。そう考え、カブルーは職務を全うしつつライオスから自然に話を聞き出せるタイミングを窺っていたのだった。

     そうしてカブルーが倒れてから十日ほど経った日のこと。
     その日は比較的落ち着いた一日だった。諸外国からの来客予定はなく、雨も降っていなかったので「じゃあ町に行って話を聞くがてら視察をしようか」ということになった。その提案をしたのがライオスだったので、カブルーは少なからず驚く。彼が城の外に出たがるのはよくあることだが、カブルーが怪我をして以降は初めてのことだったからだ。表情を観察しても特に気負った風でもないので、やっぱりあの日町では何事もなかったのだろうかとカブルーは内心首を傾げる。

     しかしこれはチャンスだろう。以前と同じような状況ともなれば、自然と話題にすることもできるかもしれない。
     これはカブルーの勘であるが、ライオスが隠しているのはただカブルーが怪我をした経緯だけではないような気がしていた。仮に、どんな理由で自分が怪我をしたのだとしても、ライオスが抱いているのがカブルーへの罪悪感だけならば傷も癒えほとんど元通りの生活を続けている今もなお自分と距離を置こうとする理由の説明がつかない。ライオスはそれ以外に何か秘密を抱えていて、その情報が空白の二ヶ月の記憶の内にあるのではないか。カブルーは、そのように見当をつけていた。
     ただ、その秘密の内容についてはさっぱりだ。ライオスがカブルーに隠し事をすることはあるがほとんどの場合内容は他愛のないもので、間食をしただとか魔物の死体を部屋に持ち込んだとかその程度だ。それも大抵少し突けば口を割る。そのライオスが、あそこまで言い辛そうにする秘密とは一体なんだというのか。
     考えたところで確証が得られるわけでもない。カブルーはひとまず憶測をやめ、外出の準備を整えたライオスの元へ歩み寄った。
     
     城下町の視察は、ライオスの息抜きになると同時に民の暮らしや声を実際に見聞きできる重要な仕事の一つだ。種族も育ちも多種多様な住人たちが集い、まだ固有の文化というものも確立していないこの国の歩みは手探りなことも多い。どんな不満や問題があるのか生の声を聞けるのは貴重だし、市井の声に耳を傾ける善王という印象を強くするのにも役に立つ。最も、ライオスに関しては親しみより先に威厳を覚えてもらったほうがいいような気もするが。

    「今日は畑に関する話が多かったですね」
    「ああ……春先に蒔いた種がそろそろ芽が出る頃だからな。収穫量やら税率が心配なんだろう」

     一通り町を歩き回った後、手頃な石段の上に腰を下ろして持ってきた水筒をライオスへ差し出す。中身を一口飲んだライオスが礼を言ってカブルーへ水筒を返した。
     暖かくも冷たくもない風が二人の間を通り抜ける。ぼうっと町を眺めるライオスをカブルーは眺めていた。

    「ライオス」

     自分から少し離れた場所に座るライオスがもどかしい。手を伸ばせば届く距離なのに、伸ばさなければ触れられないというのが不思議とどうにも許しがたく思えた。

    「聞かせてくれませんか。あの日何があったのかを」

     カブルーの言葉にライオスが振り向いた。色々考えはしたが、結局彼に対しては回りくどいことをせずに真っ直ぐ向かっていく方が効率がいい。

    「俺はやっぱり、あなたがふざけて俺に怪我をさせたなんて思えません。けれど、あなたはまだ俺に対して責任を感じているように見えます。その理由は一体何なんですか?」

     ライオスの眉が小さく上がる。聞かれることを想定はしていたのだろう、彼は少しだけ目を伏せ、何やら観念したように口を開いた。

    「ふざけた……つもりではなかった。けど、俺の軽はずみな行動が原因だったのは確かだ」
    「その軽はずみな行動の詳細は?」
    「…………」

     ライオスが顔を歪めて目線を逸らした。よほど言いたくないらしい。自分に非があると認める割には往生際が悪いことだ。その詳細がわからないままではこちらも叱責すればいいのか励ませばいいのかわからないだろう、とカブルーは内心で舌を打った。

    「まあ、それに関してはとりあえず置いておきます。ライオス。あなた他にも、俺に隠していることがありますよね?」

     そう言った途端、ライオスの顔色が変わった。その変化にカブルーも目を見開く。この顔。この表情。あの時と同じだ。カブルーが意識を取り戻して最初に見た顔。青褪めて何かに怯えながらカブルーを見ていたあの時と同じ表情。
     カブルーの胸に、得体の知れない衝動が沸き起こる。ライオスが不安そうな顔をしていると、何か声を掛けなければと思ってしまう。彼の話を聞いて、その心を曇らせている原因を取り除いてやりたくなる。

     一体誰があんたにそんな顔をさせているんだ、早く教えてくれ。

    「……君に隠し事はできないものな」

     カブルーの声にならぬ懇願に応えるように、ライオスはそう言って仕方ないなとため息を吐く。
     その言葉にカブルーは、ようやくの安堵を覚えた。話さえ聞ければ、きっと自分はそれを解決するためのいい案を出せるだろう。ライオスの表情を陰らせる何かへの対処をすることができる。その想像は、いささか張り詰めていたカブルーの気を少し緩ませた。
     だがしかし、ライオスから返って来た言葉はその期待を裏切るものだった。

    「確かに俺は君に隠していることがある。だがこれは国や政治に関わることではない俺のごく個人的な事情で、君には関係のないことだ。君が聞く必要はない」

     ──ひどく冷淡な言葉が、カブルーの脳を打ち据えた。

     束の間呼吸すら忘れ、言われたことが耳から抜けて頭の中をぐるぐると回る。ライオスの個人的な事情。俺には関係がない?
     カブルーは、信じられない心地でライオスを見返した。静かな瞳でこちらを見やる琥珀色に、次第に腹の底からふつふつと、重苦しい質量の何かが迫り上がってくる。

    「は? ……なんですかそれ。なんであんたが勝手にそれを決めるんです?」

     言葉の意味がようやく胸に落ちた時、衝動のままに声が出た。関係がないとはどういうことだ。その言い草ではまるで、政治が絡まなければ自分とライオスが話す理由など存在しないかのようだ。メリニの王ではない、ただのライオス・トーデンが抱えている問題ならば、友人としての自分にならば言ってもいいのではないか。
     握りしめた拳が震える。脳を焼く感情は、怒りだった。ライオスが吐いた言葉への、自分を拒絶したことへの怒りと激しい憤り。これほどの強い感情を彼に抱くのは、あの迷宮の中で彼を殴った時以来だろう。現に今、カブルーはライオスに掴みかかりたくなる衝動を必死に抑え込んでいる。

    「説明もしないで関係がない? 断言するだけの根拠も言わずに決めつけるんですか? それがあなたの臣下への、友人への態度だと?」

     拳に訴えない代わりに、自らの口から出てくる言葉は明らかに鋭く苛立っていた。普段は息をするように考えている筈の、相手への配慮が今は一つも出てこない。それどころか、怒りであれ悲しみであれ、自分の言葉でライオスが感情を乱せばいいとさえ思った。
     カブルーは、ライオスが正直に話してくれるだろうと思っていた。事が起こった当初では言い辛いことでも、時間を置いて落ち着いた今なら真摯に尋ねればきっと答えてくれる。それがどんな類の悩みであれ、胸に抱く不安を自分に打ち明けてくれる。臣下としても友人としても、それだけの信頼を得ているという自信があったのだ。
     だが、ライオスから返ってきたのはにべもない断絶だった。まるで彼に認識されていなかった頃を彷彿とさせる、意思の疎通をしようという気概すら感じさせない拒絶。無関心を体現したかのような瞳。あの頃のライオスの態度を、カブルーは未だに悪夢に見る。ひどい裏切りを受けた気分だった。
     当のライオスは何も言わず、ただカブルーに視線を向けている。カブルーは大きく、大きく息を吐き出して瞼を強く閉じてぐらぐらと煮えるような怒りを抑えようとした。そうしなければ、本当に彼を殴ってしまいそうだった。

    「……わかりました、もう聞きません。差し出がましいことを申し上げて大変失礼を致しました、陛下?」

     そう言って、カブルーはにっこりと作った笑顔をライオスへ向け、腰を屈めるだけの礼をした。この表情の理由がわからないわけではないだろう、ライオスの顔がようやっと傷付いたように歪む。舌打ちをしたくなる気持ちを、カブルーは笑顔の奥に硬く硬く押し込んだ。

    「(先に拒絶したのは、あんたの方だろうが)」

     強い怒りが目の奥でぱちぱちと弾ける。ひどく痛ましいその顔さえ、今は只々腹立たしい。カブルーはライオスのことを、世界で一番憎らしい男だと思った。





    「カブルー! いらっしゃい。そこ座って?」
    「ありがとうございます、マルシル。お邪魔します」

     部屋を訪ねてきたカブルーを迎えたマルシルが、ぱたぱたと足音を響かせながら笑顔を見せる。
     彼女は丸く可愛らしいティーポットとカップを二組用意してテーブルへ置いた。卓上には小さな花の盛られた盆も一緒に置かれている。

    「あ、それね。水耕栽培なの。薬の材料になるんだよ」
    「へえ、そうなんですか。魔力草みたいなものですか?」
    「うん。魔力草みたいに食べればそのまま効果が出るっていうようなものじゃないんだけど、花の部分がね……あ、ごめん。その話聞きに来たんじゃないよね」

     目を輝かせながら語り始めようとしたマルシルだったが、はっと口に手を当てて話すのをやめる。彼女の話はカブルーとしても興味深いものが多く、耳を傾けるのは楽しい時間でもあるのだが彼女の言う通り今日はそれが目的ではないのだった。
     ──これがライオスなら、きっとこちらが止めるまで好きに話を続けるのだろうが。

    「……えっと、ライオスのことだよね。聞きたいのって」

     カブルーはマルシルへと静かに頷き返す。今日カブルーが彼女の元を訪れたのは、他でもないライオスについての話を聞くためだった。
     数日前、城下町でライオスから話を聞き出すことに失敗してから、カブルーはライオスと私的な会話の一切を避けていた。未だ彼の言ったことを許せず、さりとて冷静に話し合うこともできないと判断したからである。ライオスも、そんなカブルーの意図を察したのかこちらに踏み込んでくることをしない。都合がいいと思えたが、このままの状態を延々続けるつもりもなかった。
     かといって同じように水を向けても、事態が好転することはないだろう。それどころかより悪くなるのは火を見るよりも明らかだ。今度こそ致命的な決裂を招きかねない。そのためカブルーは、ライオスと話をするための情報を集めることにした。失った記憶の中にライオスの抱える秘密についてのヒントがあるのはほぼ確実だが、思い出せないものは仕方がない。それならば、その間のことを知る人物に尋ねる他ないだろう。そう考えた際、真っ先に浮かんだのがマルシルだった。彼女は、今城にいる中で最もライオスと親しい人物だ。何か有用な情報を知っている可能性は高い。

    「ええ。あの人は、自分がふざけたせいで俺に怪我をさせたと言ってましたが、どうにも腑に落ちなくて」

     マルシルがポットからお茶を注いでくれるのに会釈を返しながら言うと、彼女もカップを手に持ち、眉を下げながらカブルーの言葉に頷いた。

    「ライオスの言ったこと、やっぱりちょっと違和感あったんだよね。確かに子供っぽいところあるけど、そんな危ないことするなんて思えなかったから」

     あの時はびっくりして思わず殴っちゃったけど、とマルシルは頬を赤くしてお茶を飲む。彼女の反応は自分の怪我への心配あってのことだったのだろうから、カブルーとしてはその点に関して申し訳ない限りだ。

    「けど、ごめんね、私も本当のところはわからないの。あの時はあなたたち二人だけだったから、他に見てた人もいなくて」
    「そういえば、聞いてませんでしたね。俺が怪我をしてからはどういう感じだったんでしょう」
    「私も後から聞いただけだけど、」

     そう前置いてマルシルが話したことによると。
     カブルーが怪我をした後、ライオスはその場ですぐに治療魔術を施した。傷は塞がり幸い出血も多くはなかったが、意識が戻らないためその場で声を上げて人を呼び、近くにいたオークの自警団と協力して担架で城に運び込んだらしい。
     話を聞き終えると、カブルーは思わず額に手を当てて俯いた。

    「……なんか、想像すると恥ずかしいですね……真昼間に俺……」
    「なんで?! 恥ずかしくなんかないよ! 頭を打ったんだから慎重にならないと」
    「ええ、それはわかるんですけどこう……情けないところを見せたなって気持ちが拭えなくて……」

     きっと倒れて運ばれる自分を見た人間は何人もいるだろう。知り合いもいたかもしれない。何よりも、ライオス自身に手を煩わせたというのがいたたまれなかった。どこの国に臣下を担架で運ぶ王がいるというのか。この国にいた。唯一喜ばしいのは、目の前で急な怪我人が出た時のライオスの対応が適切かつ迅速であるということが図らずともわかったということか。

    「……実は、ライオスが俺に隠しているのは、そのことだけじゃない気がするんです」

     そう口にすると、マルシルのカップを傾ける動きが一瞬固まった。おや、と目を細めつつもカブルーは話を続ける。

    「なんだか態度がぎこちないというか、どうにも余所余所しい感じがして……、マルシルは、何か心当たりがありませんか?」

     緑の目が明らかに逸らされる。これは知っているな、と確信してカブルーはじっと彼女の顔を見つめて反応を待った。しばしの沈黙の後、マルシルが観念したようにため息を吐く。

    「……あるよ、心当たり。というより、知ってるって言った方がいいかな」
    「……それが何か、教えてもらっても?」

     カブルーの問いに彼女は答えず、代わりに静かにカップを置くとカブルーへと問い返してきた。

    「カブルーは直接聞いてみた? ライオスにそのこと」

     その言葉にカブルーは頷きを返し、自分が聞いたことを伝える。

    「確かに隠していることはある。だがこれは自分の個人的な事情なので、俺に言う必要はないと」

     それを聞いた途端、マルシルは大きく脱力をし、カップにぶつからないようにずるずると倒れ込んでテーブルに頭を打ち付けた。

    「はぁぁ~~~~……、そっか、そんな風に言ってるんだぁ……。もう、なんでそうなるのかなああ……!?」
    「あの、マルシル?」

     大きく大きく吐かれた息と、段々と強まっていく語気。カブルーが恐る恐る手を伸ばすと、彼女はがばりと勢いよく起き上がった。

    「カブルー!」
    「は、はい」
    「ごめんね、やっぱりこれは私の口からは言えない。ライオスが自分で言わなくちゃいけないことだと思うから」
    「……そうですか」

     落胆を隠さない声がカブルーから零れた。斜め下を向くように俯いた青年の黒々とした睫毛にマルシルはうっと喉を詰まらせたが、ぶんぶんと何かを振り払うように首を振り、両の拳を胸の前で握り締める。

    「私は、ライオスの言っていることは間違ってると思う。なんで話そうとしないのか、それは全然理解できない」

     けどね、とマルシルは続けた。

    「きっとね、カブルーのためだと思うの」
    「……俺の?」
    「そう。ライオスはライオスなりに、真剣にカブルーのためを思って、その選択をしてる。周りから見れば的外れで、間違っているように見えるけれど、ライオスの中ではちゃんと理由のあることだと思うの」

     いやでも、やっぱりどう考えればそういう結論になるのか理解できない……!とマルシルはまた頭を抱え込む。唸りながら悩む彼女を見ながら、カブルーはぽつりと呟いた。

    「……そんなの、わかってますよ」

     彼女に言われるまでもなく、そんなことはわかっている。ライオスが善良な人間であることなど、自分はとっくにわかっているのだ。
     カブルーは、確かにライオスに拒絶されて怒りを覚えた。今だって怒っている。けどそれは、ライオスが自分を騙したり、陥れようとしているのではないかと疑ったからではない。何か悩みを抱えているというのに、自分にそれを打ち明けてくれなかったことが悔しかった。頼ってもらえなかったことが悲しかったのだ。
     ライオスと友人になりたいという気持ちは始めはカブルーの一方的な想いでしかなかった。けれど今は、ライオス自らカブルーのことを友人と呼んでくれている。事実、王と臣下だけでない信頼関係をライオスと築けているという自負がカブルーにはあった。
     ライオスにとって、友人と呼べる人物は非常に少ない。人間嫌いの魔物好き。人の悪意に心底うんざりしているくせに、人間なんてと一括りに嫌うこともできない生き辛さを抱えた男。ライオスの人間への接し方の基本は許容だ。親しい人間には寛容に、それ以外に対しては無関心となる。良くも悪くも他者へ積極的な働きかけをする性質ではない。決して自分から人を害そうとする人間ではないのだ、意図せず人の心を抉ることはあっても。
     そんな彼が、カブルーを怒らせてもなお貫こうとする嘘なのである。それはきっと、誰かの為を思ってのことに違いなかった。

    「大丈夫ですよ、マルシル。俺だって、ライオスのことは信じていますから」

     眉を下げた笑みと共にそう返せば、マルシルがほっと安心したように笑顔を浮かべる。それを見てカブルーは、ライオスが以前言っていたことを思い出した。マルシルが笑っていると安心すると。その意味が、自分にも今なんとなくわかったような気がする。

    「だからその、怒らないであげて。その、あんまり強くは」
    「そこはまあ、ライオスの態度次第ですね」
    「うっ……だめそう」

     笑みを引っ込めてへにょんと耳を下げるマルシルを見て、カブルーは思わず笑った。



     その夜、カブルーは相談があると言ってヤアドの元を訪れた。ここしばらくは記録に残っていない会話の内容などを聞くためにカブルーは頻繁にヤアドを訪ねていたので彼は快くカブルーを招き入れる。執務に関してカブルーがいくつかの確認を済ませると、ヤアドは机に置かれた本を揃えながら口を開いた。

    「カブルーさん。ライオスさんと最近話はしていますか?」

     その言葉に、思わず巻物を持つ指に力が入る。紙に僅か皺が寄ったのを見て取るとヤアドはほんの少し目を細めた。

    「……仕事に関することであれば。ですが、それ以外の話はしていません」
    「そうですか」

     静かなヤアドの声に、カブルーの緊張が募る。数日前、自分がライオスと町でした会話をヤアドは知らない筈だ。だが、あの日以来カブルーもそしてライオスも、露骨に互いに対する態度を変えている。何かあったのだと察するには十分だろう。

    「先日のライオスさんの話を、あなたはどう思いましたか?」
    「先日の、というと」
    「あなたが倒れた時の話です」

     ヤアドの問いに、カブルーは表情を引き締めたまま答える。

    「嘘を言っていると思いました。何か隠し事をしているとも」

     カブルーの言葉にヤアドはそうですね、と首肯する。

    「僕も、ふざけただけという彼の言葉は嘘だと思いました。まだ若く未熟なところもありますが、彼は優しい人です。いくら気心知れた相手とは言え、そんな軽率な真似をするようには思えません。……ただ、彼があなたの怪我に関して何らかの責任を感じているのは確かなのでしょう。その訳までは、僕は知りません」

     ヤアドの語り口に、カブルーはぱちりと瞬きをした。彼は年嵩で、厳格な宰相だ。カブルー以上に自分や相手の立場を考えて振る舞うことを徹底している。その彼がまるで年若い少年のように自らを呼称するのは珍しい。要は、今話していることはメリニ王国の宰相ではなくただのヤアドとしての発言ということだ。

    「僕はライオスさんの隠している事が何かを知っています。彼の嘘が、その秘密に関連したものであろうことも想像できます。ただ、その理由が僕にはわからない」

     黄金郷の民を解放してくれたライオスに、彼は強い恩義を感じている。また、ライオスの人柄を強く買ってもいるのだ。ヤアドのライオスに関する信頼は時に自分たち以上だと感じることがある。千年の年月が培った器ゆえにライオスのことをそう評価しているのか、予言の英雄を妄信しているのかその理由まではわからないが。

    「あなたが知るべきことなのだと思います。ですから、カブルーさん。どうかライオスさんをお願いします」

     そう言ってヤアドは微笑んだ。少し困ったような瞳は、まるで年の離れた兄を心配する弟のようだった。




    「んで、誰にも教えてもらえねえから俺のところに来たと」
    「すみません、突然押しかけて」

     手土産として渡したワインの銘柄を確認しただけで封を切らずに台所へ置いたチルチャックは、彼の手に余る大きさのマグを両手に持って来て自分とカブルーの前へと置いた。中身は水だ。門前払いも想定していたので、彼の気遣いに素直に感謝を述べるとチルチャックは眉を顰めた顔でカブルーの正面に座る。

    「チルチャックさんはライオスに信頼されていますし、先日もマルシルさんとお茶をしていたようですから。何かご存知なのではないかと」

     人好きのする笑顔を湛えてそう言ってみせれば、彼は心底うんざりするといった表情で水を煽ってさらに眉間の皺を深めた。きっと自分の分だけでも酒を注いでおくべきだったと思っているに違いない。

    「……どこまで知ってる」
    「何も。ただ、ライオスには俺に言えない秘密があるとだけ」

     低く潜められたチルチャックの声に、カブルーは真っ直ぐに背を伸ばしながらじっと対面に座る彼を見据える。経験豊富なハーフフットの、値踏みをするように細められた目つき。しばし視線がかち合った後、チルチャックは目線を外してとんとんとテーブルを指で叩いた。そのままテーブルに肘を突き直し、黙ってマグの水面を眺める。
     こうして彼と一対一で話すのは、これが初めてだ。お互いに顔を見知ってはいるが、直接の繋がりはない。一度きちんと話してみたいとは思っていたが、何かと警戒心の強い彼はあまりカブルーに近付こうとしせず、姿を見かける時は大抵ライオスやマルシルが一緒にいたからだ。旧知の仲に割り込むのはさしものカブルーも気が引ける。
     彼もきっと、ライオスの秘密を知ってはいるのだろう。だが、それをカブルーに教える義理は彼にはない。口は悪いが、パーティの仲間たちをとても大事に思ってくれているのだ、というのはライオスの言だ。チルチャックにしてみれば、ライオスは手のかかる息子のようなものだろうか。互いに命を預け合った元仲間と、いつの間にか元仲間の懐に潜り込んでいた素性の知れない男。どちらの肩を持つかなどわかりきっている。
     やはりそう簡単にはいかないかとカブルーが腰を浮かせようとした時、チルチャックが口を開いた。

    「恋人だったんだよ、お前とライオス」
    「…………は?」

     唐突な彼の言葉に、カブルーはぽかんと口を開けた。耳に入った言葉があまりに信じられなくて聞き返したくなるが、チルチャックは気のない素振りでマグを揺らすだけだ。なんとなくであるが、繰り返し言うつもりはないという意思を感じる。

    「俺を揶揄ってる、わけじゃありませんよね」
    「冗談でこんな趣味の悪いこと言うかよ」

     最もである。チルチャックは年相応に下世話な話題を振ることもあると聞いているが、言っていいことと悪いことの分別は付く人間であるように思えた。
     カブルーは思わず手を口に当てた。ざわざわと胸が落ち着かない鼓動を立てる。

    「……俺の記憶にはありません。いつからですか?」
    「知らねえよ。覚えてないってんならここ二ヶ月の間のどっかだろ。マルシルなら知ってるんじゃねえの」
    「あの、ヤアドとマルシルは知ってるんですよね?」
    「あとファリンにイヅツミ。確かめちゃいないが、センシも知ってるんじゃないのか」
    「他には誰が知ってます? 城の人間は? エルフ達や他国の誰かにその情報は」
    「だーもう知らねえよ! マルシルに聞けマルシルに!」

     チルチャックが声を荒げてカブルーの顔の前に手を突き出す。思わず椅子から立ち上がり、テーブル越しに彼に詰め寄ろうとしていたようだ。カブルーは咳払いをして椅子に座り直し、動揺を鎮めるために大きく息を吐く。
     ライオスが抱えている秘密について、カブルーは様々な憶測を巡らせていた。だが、その中にも自分と彼が恋人同士であるなどという発想は欠片もなかった。本当に、ライオスが絡むと自分は驚かされてばかりだ。

    「……よかったんですか? 俺に教えて」
    「別に言うなとは言われてねえからな。それに、聞くまで帰らないつもりだったろ、お前」
    「いいえそんな、ただ、いいお話が聞けるまで何日か通う必要はあるかなとは思ってましたが」
    「そういうとこだよ」

     チルチャックがうんざりとした様子を隠さずに肩をすくめる。恐らく彼も、ライオスと自分の関係について詳しいことは知らないのだろう。仮に知っていたとしても、到底喜んで話してくれるようには思えない。最初からしぶしぶ付き合ってくれていたのは明白だ、長居をするのは彼の機嫌を損ねるだけだろう。

    「そろそろお暇します。貴重なお話をありがとうございました。このお礼はまた改めて」
    「いらねえ。こんなことで城に取り入ったなんて思われたら迷惑だ」
    「俺個人からの気持ちですよ、チルチャックさん」

     にっこりと、彼の下の娘たちであれば頬を染めてしまいそうな笑みでそう返せばチルチャックはいよいよ我慢の限界なのか「とっとと帰れ」と手の甲で追い払うような仕草をされた。カブルーは苦笑をしながらも素直に会釈を返して彼の家を後にする。

     ようやく求めていた答えに繋がるものが得られ、カブルーの足取りは軽かった。これでライオスと対等に話ができる。彼と不自然な距離を取る必要もなくなるのだ。

     徐々に離れていくカブルーの背中の後ろで、チルチャックは同族にしか聞こえないような小さな声で何やら呟くと、ため息を吐き出しながら家の中へ戻っていった。




    「ライオス、俺です。カブルーです。少し話をさせていただけませんか」

     城に戻ったカブルーは、その足でライオスの部屋を訪れた。声を掛けるとしばしの間を置いて、扉が重たげに開かれる。

    「……なんだろうか」
    「少し込み入った話になります。中へ入っても?」

     ドアを開けたライオスの表情は、硬く曇っていた。その顔をさせているのが自分だという自負は十分にあったので、カブルーは表情に出さずとも胸を痛める。彼の隠していた秘密を知った今、ライオスへの怒りは殆ど消え去っていた。それどころか、
     ライオスは無言のままドアを開いてカブルーを招き入れた。軽く頭を下げながら部屋へと入り、扉が閉まったのを待ってライオスへと向き直る。さて、どう話を切り出したものか。

    「ライオス」

     カブルーはひとまず、彼の名前を呼んでみた。特に意識したつもりはなかったが、思ったよりも柔らかい声が出て驚く。カブルーの声はまるきり愛しい相手を呼ぶような、甘えるような声だった。
     それを聞いたライオスは、びくりと体を震わせた。そして目を見開き、信じがたいというような表情でカブルーを見つめ返す。

    「カブルー、君、まさか記憶が……?」

     その言葉に、カブルーは思わず唇を吊り上げた。チルチャックの言ったことはやはり真実だった。名前を呼ぶ声色一つで違いがわかるほど、自分とライオスは深い仲であったのだ。だが、確証を得たからといって嘘をつくわけにはいかない。

    「いいえ、残念ながら。ただ、俺とあなたの関係について話を聞かせてもらったんです。チルチャックさんに」
    「……チルチャック?」

     彼が最も信頼している相手の一人であろう仲間の名前を出すと、ライオスは幾許か瞬きをした後に顔を歪めた。

    「……彼は薄情者なんだ。きちんと口止めをしておくべきだった」
    「どうして? 俺は、その話を聞けてよかったと思うのに」

     カブルーはそっとライオスに歩み寄った。だがライオスは、こちらを警戒するように身構える。彼がそんな態度を取る理由がわからなくて、カブルーは足を止めた。

    「……記憶が戻っていないなら、君と俺の関係は元の友人のままだ。何も変わらない。……話はそれだけだろうか」
    「っ、待ってください、ライオス」

     ライオスが、苦々しげな表情を浮かべて背を向けようとするのにカブルーは焦る。

    「確かに、俺は今までのことを思い出したわけじゃありません。……勝手に詮索されて気分を害したのであれば謝ります。けど、あなたは……そのことを俺に伝えようとしませんでした。関係ないだなんて嘘をついて。その理由は、一体何なんですか?」

     関係がないどころか、カブルーは当事者だ。真っ先に教えて然るべきだろう。カブルーの頭に、不穏な考えがよぎる。

    「……あなたは、この関係を望んでいなかったんですか? 俺と恋人であるのは嫌だと……ただの友人に戻りたいと、そう思っていたんですか?」

     考えたくなかった可能性。だが言葉に出すとそれは至極最もらしく聞こえ、カブルーの心に重たく圧し掛かる。
     自分はいい恋人ではなかったのだろうか。たった二ヶ月に満たない時間でさえ彼に愛想を尽かされるほど、自分の態度はひどいものだったのだろうか。それとも初めから、ライオスは自分と恋人になりたいなどと思っていなかった?

    「……じゃないか」

     ライオスが、ぽつりと何かを呟く。

    「ただの友人に戻りたかったのは、君の方なんじゃないのか」
    「……え?」

     思わず聞き返すと、ライオスは弾かれたように顔を上げた。

    「君が言ったんじゃないか! 俺が君を好きだと言った時、仕方ないから恋人になりましょうって! 本当は、……本当は、嫌だったんだろう?!」

     ライオスの瞳が、まるで熱で溶けた硝子のように揺らいでいた。カブルーは思わず息を飲む。

    「それなら、初めからそう言ってくれればよかったじゃないか。喜ぶ振りをして、俺に合わせてしたくもないことをさせて…………そっちの方が、よほど傷付く」

     そう言い切って、ライオスは何かを堪えるように目を伏せる。強く噛み締められた歯が痛々しかった。

    「ら、ライオ、」
    「……出て行ってくれないか、カブルー」

     ライオスは、静かな声でカブルーを遮った。喉が乾いて張り付き、言葉が出てこない。諦めの悪い手だけが宙を彷徨った。

    「頼む。……こんなことで、君に命令なんかしたくない」
    「……っ、わかり、ました」

     浮かせた手を胸に戻し、ぎゅうと握り締めてカブルーはようやく声を絞り出した。こちらを見ようともしないライオスに、掛けていい言葉が見つからない。辛うじて失礼します、とだけ告げてカブルーはライオスの部屋を出た。
     閉ざされた扉の外でカブルーは、立ち尽くして額を抑える。指先は冷たく、肌には汗が滲んでいた。
     好意を告げられて嫌だった? 彼に気を遣って、望んでもいないのに彼の恋人になったと?
     ライオスの言ったことを思い返し、カブルーは首を振った。そんなはずはない。
     ──だって、嬉しかったのだ。
     カブルーは、ライオスのことをそういった意味で好きだと意識したことはなかった。元々女性以外を恋愛対象として見たこともない。けれどチルチャックからライオスの秘密を教えられた時、驚きの次に沸いた感情は紛れもない喜びだった。
     ライオスが自分のことを好きでいてくれている。あのライオスが、恋人という唯一の座に自分を置いてくれている。彼の一番特別になれたのだという歓喜でカブルーの心は満たされた。今の自分がそう思うのだから、ライオスから好意を告げられた時の自分だってきっとそう思ったはずだ。人の内面というものは、時に驚くほど容易く変わる。だが、二ヶ月間の記憶を有していない今の自分と、記憶を失う前の自分。この短期間で、そこまで心変わりをしたとも思えない。

     確かめなければならない。
     あの日本当は何があったのか、そして過去の自分はどういう意図でその発言をしたのか。それを知らなければ、自分は、否、自分たちはきっと前に進めない。
     カブルーは自室へ帰ろうとするのを止め、まったく違う場所を目指して進み始めた。幾つかの角を曲がり、目的の部屋に辿り着く。軽く深呼吸をし、姿勢を正してから扉をノックする。

    「……カブルー? どうかしたの?」

     扉をそっと開け、顧問魔術師の彼女が顔を出す。カブルーは精一杯作り上げた笑顔を浮かべて、彼女に腰を折ってみせた。

    「ちょっと、最終手段のお願いに」

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