最初で最期のラブレター。 遺書を書くことにした。
もし、直哉に悟にとっての傑のような、七海にとっての灰原のような友人がいれば、怒り狂いながら止めていたのかもしれないが、閉鎖されたコミュニティの中で育った直哉には、直哉を引っぱたいてまで引き止めてくれる間柄の人間がいない。
正確に言うと、直哉はコミュニティそのものを拒絶し、否定しているわけだから、大前提から叶わないのは言うまでもないが。
とにかく、直哉は遺書を書くことにした。
それは、別に直哉が人生を諦めたとか悲壮感的な、哀愁漂うようなものではないし、絶望などと言った極めてネガティブな感情とは無縁のものであって、直哉はただ「あ、せや、書こう」と思いついたから書いているだけであって、これから死地に向かうわけでもない。
なんなら、明日は普通に休みの日で、久々に映画館にアニメ映画を見に行く予定を立てている。
戦闘シーン以外にはあまり興味が無いので、適当にポップコーンでも食べながら見る算段をつけている。
書き置きを一つ、残すように紙面の前に向き直った直哉は、改めて遺書というものを残すことに、どこか照れを感じつつ、万年筆を滑らせた。
デカデカと一筆、遺書。という字を書くと、それだけで様になって見える。
もうこれでいいのではないだろうかと、直哉は少しだけ思ったが、せっかくなので一つ、文書を付け加えることにした。
『禪院直哉が所有している財産は、伏黒甚爾に全て譲渡するか、それが不可能であれば〇〇小学校・〇〇中学校・〇〇高校に平等に寄付すること』
ここに記載されているのは、全て直哉が通っていた学校だ。
思い入れがあるわけではない、単純に自分の死後、自分の手元にあるものを家の人間や高専に渡したくないだけだ。
受け取ってくれるのが甚爾であればいいし、そうでなければ猿にでもバラまいてやれば、甚壱たちも歯がゆい顔をするだろうとニヤついた。
他に、何か書くことはあるだろうかと直哉は少しだけ考えて、万年筆を机の端に置いた。
遺書として、残したいことは沢山あったけど、どうにもこうにもそれらを書き連ねる事が出来るほど、直哉は素直な性格をしていない。
暫く迷って、紙を端に寄せた。
新しい紙を一枚取り出して、そこに一文だけ添えた。
『甚爾くん、大好き』
どうせ死んだ後に見られるのなら、いいか。と、その時直哉は確かにそう思ったのだ。
〇
直哉は、甚爾のことが好きだ。
もっと正確に言うならば、大好きだ。
それは愛というよりは柔らかな羽毛のような恋慕のようなもので、明確に恋と喩えるには些か執着心と信仰心が強かった。
直哉は、甚爾のことが好きで、好きで、好きで、大好きだが、世界は直哉の為に廻ってくれない。
甚爾は、直哉のことなんかちっとも目にもくれやしなかった。
興味が無いというか、直哉の体感では嫌われている。
別に、それが家の人間だったらなんとも思わないが、甚爾から家の出来損ないたちと同じように嫌われるのはなんだかしんどいものだった。
だからまあ、恋以前の問題で、直哉がその感情に強者に対するリスペクト以上の名前をつけたことは無い。
それを恋と呼ぶには、あまりにもスカスカで、それでも直哉は甚爾のことが好きだった。
だから、恵とかいう息子と共に、スポンサーを名乗る悟と一緒に父親と交渉に来た甚爾が、直哉から息子を庇うように立って殺気をむき出しにした瞬間、直哉は「ああ、甚爾くんと自分との間に仲良くなるって選択肢は無いんやなあ」と理解した。
甚爾は、直哉のことなんかちっとも興味が無い。
甚爾にとっての直哉はいつまで経っても禪院家の次期当主様で、呪力のない猿を嫌悪するまさに禪院家のクズ代表の姿そのものだ。
恵が次期当主になるとわかれば、その時点で直哉派か恵派に別れて禪院家内部で冷戦が始まるだろう。そうなれば、直哉はもう一生甚爾と笑いあって話せない。そうならなくても、直哉はこの先ずっと甚爾に信頼してもらえない。
信頼も糞もない人生を歩んできたのは直哉なので、きっと自業自得なのだ。
そう思わなければやっていけないぐらい、甚爾に殺気を向けられた後の直哉は疲れていた。
恵という異分子により、今いる地位が崩れる不安に駆られたのだと勘違いした甚壱に「もう少し仕事に励め」と言われたが、直哉はその時本当に、ただただ突きつけられた現実のしんどさに参っていただけだ。
余計なお世話だと甚壱を詰り、いつものように部屋に戻ったところで直哉は思った。
せや、遺書を書こう。
普段ほとんど使われない机に、未開封のインクと万年筆を引っ張り出して、これまたほとんど使われていなかった紙束を取り出した。
伝令などで式を飛ばす時に使う紙束だが、いちいち紙に書くより走って直接口頭で言いに行く方が早いので、一式用意されてはいるものの、直哉は一度も使ったことがなかった。
そうして、直哉の部屋にあまり見慣れないセットが机の上に用意され、直哉は机の前に座って万年筆を手に取った。
──完成した遺書をどうすればいいか、直哉はわからなかった。
完全に勢いだけで書いたので、まあ人目につかないところに置いとけばいいか、と。
一枚ずつ綺麗に折りたたんだ紙を突っ込んだ封筒を、押し入れのダンボール内、ビデオとビデオの間に突っ込んだ。
後で、誰かに言いつけておけば死んだときにそこから遺書を取り出してくれる。
筈である。──多分。