賢者の魔法使いに選ばれた日 隙間風の吹く小屋の中、1人で物思いにふける。
シャーウッドの森の中は静かで、考え事をするには丁度いい。
ブランシェットでの生活は、以前よりも格段に恵まれている。奥様の美味しいパイが食べられるし、旦那様も尊敬できる方だ。何より、ヒースとずっと一緒にいられる。
……いられると、思っていた。
今日、いつものように師匠に教わりながら森の手前でヒースと訓練をしていたら急に二人が苦しみ始めた。
「熱い……」
呻きながら、ヒースは腰を、師匠は脚を抑えてうずくまった。
何故か光っているように見えるし、オレだけ何も無いことにも戸惑った。
「ヒース、どうした!?敵襲か!?」
シャーウッドの森で森番をやっていると、連日躾のなってない獣がやってくる。躾をして帰したり、利用したりとしていたが、まさかヒースに刃を向けるやつがいたのか?
迷わず呪文を唱え、熱がるヒースに水をぶっかけた。ついでに師匠も。いつもはすぐに文句を言ってくるはずなのに黙ってうずくまっていたことが怖くて、周囲を警戒しながらヒースを揺さぶる。
「おい、ヒース、ヒース!!!」
「大丈夫……シノ、ちょっと待って……。」
苦しそうにしながらも安心させるために笑顔を浮かべてくる主君に対して、何も出来ない自分に腹が立つ。
しばらくしたら二人とも落ち着いたようで、大きく息を吐く。声をかけようとして気がついた。師匠のむき出しの足首には、先程まではなかったはずの真っ黒な痣のようなものが出来ていた。
「敵にやられたのか!?ヒースは何もされてないか!?こんなに近くにいたのに、くそっ!」
苛立ちが抑えきれず、近くの木に寄りかかるように殴りつける。
「慌てるな。これは賢者の魔法使いの証だ。この『紋章』が身体の一部に刻まれた魔法使いは、あの空に浮かぶ忌々しい『大いなる厄災』と戦うことになる。」
厄災と戦う……?師匠が?いや、さっき苦しんでいたのは師匠だけじゃない。
「ヒースにも出てるのか?師匠と同じのが。」
「シノ!?勝手に裾まくりあげないで!」
「なんだ、師匠と同じところにはないのか。そういえば、さっき二人が抑えていたのは違う場所だったな。ならヒースは腰か。見せろ。」
「どうやって見るつもりなんだ?」
「そんなの決まってるだろ。」
言いながらヒースの服をめくる。ヒースは嫌がったって逃れようとしたが、師匠と二人で押さえつける。師匠も確認しておきたかったらしい。
ヒースの腰の左側。この目で紋章の確認が出来た。
「これが選ばれた証なのか?どこかにぶつけたとか、さっき襲撃されたとかじゃないか?何も気配はなかったが。」
「何もされてないよ。ただ、突然腰が熱を持って立っていられなくなった……。俺から見えにくいけど、紋章は賢者の魔法使いに選ばれた証、か。」
声色が暗くなったヒースが気にかかるが、突然選ばれたと言われても戸惑いしかないだろうし、そんなものだろう。
ひとまず敵襲はないことがわかり、警戒を解く。
落ち着けたことで、何故オレだけ選ばれてないのかという疑問がふつふつと沸き起こってくる。
痛みに耐性があるせいで気づかなかっただけかもしれないと、僅かな希望を頼りに身体中をまさぐるが紋章が出来た様子はない。念の為、上半身裸になってヒースにも確認してもらったが紋章はどこにも出ていないようだ。
そんなはずはない、とズボンも脱ごうとしたら止められた。
「シノは痛がっていなかっただろう。光ってもなかったはずだ。お前は選ばれなかったんだよ。」
師匠の言葉に、思わず手をあげそうになった。気づいたヒースが止めようとしている気配を感じたので、腕の力を抜こうとすると身体中の力が抜けてへたりこんでしまった。
「なんでオレだけ……。」
ヒースは俺が呆然としていた間に師匠と話していたようだ。
後で聞いたことだが、賢者の魔法使いに選ばれたら一旦魔法舎に行かなければならないこと。年に1度来る厄災と戦わなければならないこと。各国から4人ずつ魔法使いが選ばれていること、この程度の情報を師匠から教わったらしい。
誰が賢者の魔法使いとしているのかは把握していないそうだ。
それにしても、オレだけ選ばれていないのは納得がいかない。
我に返り、オレ達よりも詳しいはずの師匠に頼み込む。
「オレは、ヒースより強い。ヒースを守るのは俺だ。師匠、ヒースの紋章を俺に移せないのか?」
「それは無理だ。出来るならどの魔法使いもやってるだろうな。」
「シノ!俺は戦える。俺の代わりに父上と母上……ブランシェットをここで守っていて。俺の帰る場所を守って。お前にしか頼めないんだ。シャーウッドの森番、シノ。」
真剣な顔で主にそんなことを言われたら、従者には断ることなんて出来るはずがない。
まだどうにか言い返そうとしたが、口がはくはくと動くだけで何も言葉にならなかった。
「じゃあ、留守番は頼むよシノ。準備したら魔法舎に行ってくる。」
「いやだ」
必死に口を動かして、言えたのはそれだけだった。
それだけでも、ヒースには充分意図は伝わっているはずだ。
それでも、ヒースは行くと言った。
そんなヒースの背中を見て、数年前の記憶が蘇る。
「もしも賢者の魔法使いになったら、オレが〈大いなる厄災〉を追い払ってやる。だから安心しろ、ヒース。」
実際に賢者の魔法使いになったのは、オレじゃなくてヒースだった。
オレには何が出来る?守る?ヒースがいないこの城を?
オレの帰る場所はヒースだ。初めて喧嘩して、仲直りしたときからずっと。
なあ、普段は信じていないが、今だけは神に祈るよ。
「ヒースの代わりにオレを賢者の魔法使いにしてくれ」って。
それから一言も口を聞かないまま師匠と準備を終えたヒースは、オレに背を向けたままエレベーターへ向かった。
これから何度この背中を見送ることになるだろうか。
小屋に戻り、1人で物思いにふける。
賢者の魔法使いになるにはどうすればいい。オレが強いと証明すればいいのか?
あの〈大いなる厄災〉にだって負けない、強い魔法使いになればいいのか?
強くなれば選ばれるなんて保証はひとつも無い。
ただ、帰ってくるのを待つだけなのは性に合わない。
ヒースに心配されないように、魔法舎に向かっている時に魔物退治を旦那様に申し付けられるようになった。いや、最初はオレから頼んだ。
知らない土地へ行って、襲いかかってくる魔物を倒す。
最初こそ手こずったが、どの森も勝手知ったるシャーウッドの森と似ていたため、どう動けばいいのか手に取るようにわかるようになってきた。
何より、がむしゃらに戦っている間だけは全て忘れていられた。ただ一つ。この命はヒースに捧げる。魔物ごときにくれてやるものか。それだけは忘れなかった。
オレの名が知れ渡り始め、旦那様と関わりのない領地からも魔物の討伐を頼まれるようになった頃。
〈大いなる厄災〉が近づいてきた。
賢者の魔法使いではないオレでは、ヒースの代わりに行くことは出来ない。
ただ、ヒースを見送ることしか出来ない自分が歯がゆかった。
今日、ヒースは魔法舎に行く。不測の事態に備えて、前日から魔法舎にいるそうだ。
「今まではシノと過ごしてきたけど、これからはもう出来ないんだね。毎年楽しみにしていた、なんて言うと不謹慎かな。」
「いや、オレも楽しみにしていた。旦那様や奥様、なによりヒースと一緒に過ごす夜は年に一度の楽しみだった。」
「そっか……。」
喜び、悔しさ、使命感、怯え、様々な感情がヒースの中で渦巻いているのを感じる。
オレと違い、ヒースは坊ちゃんだ。まともに戦ったことなんてないだろう。師匠に習ったことは、全然役に立たなかった。師匠はあてにならない。
魔法舎で他の先生に教えて貰えている、尊敬できる方だという話をよく聞く。その先生がヒースを助けてくれるだろうか。最近、師匠がブランシェットに来ないのはその影響だろうか。
ああ、やっぱり
「代わりにオレが行ければって顔してるね。」
その声からは感情が押し殺されていて、オレは顔をあげることが出来ない。
「シノ。お前の主として命じる。ブランシェットを頼む。」
「御意。」
跪き、オレも全ての感情を押し殺して答える。
衣擦れの音から、ヒースがオレから遠ざかって行くのがわかった。
その音が聞こえなくなるまで、オレは顔をあげなかった。
震える声を抑えて、凛と言い放った主に最大限の敬意を払って。
毎年、ひとりじゃ怖いだろうからと城に入れてくれた旦那様は、今年ももちろん誘ってくれた。
だが、断った。今年は森番らしく、森の中で過ごす。
ヒースのことを思うと、いても経ってもいられなかった。
夜が開けるまで、ひたすら鎌をふるい続けた。
手の皮がぐちゃぐちゃで、血まみれになっていた頃にはもう夜が開けていた。
《マッツァー・スディーパス》
試しに1つ、シュガーを出してみた。いつも通りの、少し角が削れたシュガーが手の中に現れた。
「良かった……。」
互いを守るという約束はまだ破られていない。ヒースは生きている。シュガーを口に放り投げ、眠りについた。
それから数日後のことだ。オレにも紋章が現れたのは。
今度はオレも戦える。ヒースもきっと喜んでくれるだろう。
身支度を整え、足早に魔法舎へ向かった。