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    ゆーき

    @ma_mashi733

    絵を描いたり話を書いたりする者

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    POIPOI 15

    ゆーき

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    10年前に書いた一次創作保管用。
    一人の人間を愛し続けたドラゴンのお話。

    アネモネ 気付いたらここにいた。
     目を開けて、光のさす方を向いて。そうしたら、僕は恋をしていました。




     優しい声に呼ばれた。
     はじめてのそれは、言葉ではなく音と言ったほうが正しくて、僕はちっともその意味がわからなかった。それよりここは狭くて暗くて、僕は何度も体をひねって、藻掻いて足掻いて、暴れ回って、やっと呼吸をした。ひゅう、と喉の奥で冷たい空気が鳴いて、ようやく僕は世界に生まれてきた。
     目を開けて、光のさす方を向いたらそこには優しい何かがいて、僕はそれを世界で一番大切にしないといけないと思った。なぜだろう。わからないけれど、僕を最初に見つけてくれた、最初に僕を呼んだ、その手は僕を抱き上げて、僕ははじめて温もりを知った。こうして僕は、生まれながらに彼女に恋をした。


     時がたって、彼女は少し大きくなった。僕を抱き上げたちいさな手も、一回り大きくなった。でも相変わらず温かい。
     そして僕は、相変わらず彼女が大好きだった。彼女の言葉は話せないけれど、彼女と同じ姿ではないけれど、一緒にいて、走ったり飛んだり遊んだりするのは何より楽しかったし、彼女の笑顔が好きだった。
     僕はこの頃、ようやく風に乗ることができるようになったところだった。羽を広げて、バランスをとって、体重移動も忘れちゃならない。尻尾も気をつけないと、彼女に邪魔される。風が吹くと、僕は浮かぶ。まるで溶けるように、混ざるように。それは気持ちよくて心地よくて、僕は生まれる前は風だったかなあと、思うくらいで。そうしていると彼女は尻尾に飛びついてきて、僕はバランスを崩して落下するのだ。それをけらけら笑う彼女が、僕はやっぱり好きだった。

     また時が立って、彼女はまた大きくなった。でも、僕のほうがずっと大きくなった。もう同じベッドにはとてもじゃないけど入らない。
     周りは僕を「どらごん」と呼ぶ。そういう名前らしい。彼女は「りりあ」と呼ばれると必ず振り向いていたから、きっとこれが名前なのだろう。僕は、どらごん。彼女はりりあ。ものには名前があるのだと、大きくなってやっと気づいた。音はその頃から言葉だとわかり始めて、ああ、みんなこれを使って気持ちを伝えているんだと理解した。
     りりあ、りりあ。僕の大好きなりりあ。
     もう僕を抱き上げることはできないけど、りりあはときどき僕の背中に乗って空を飛ぶ。風に溶けるような感覚を感じて、りりあは嬉しそうになにか言っていた。
     ああ、りりあの言葉がわかったら、もっと楽しいだろうなあ。りりあの気持ちがわかったら、もっと嬉しいだろうなあ。ずっと一緒に、いられるんだろうなあ。








     リリアは美しい女になった。私は、特別美しくも賢くもない、ただでかいだけのドラゴンだった。さして頭がいいわけでもないから、何年経ってもリリアの言葉を全部理解することはできないでいる。
     リリアはいつも笑っていた。私の背中に乗る時も、私の鼻面を撫でるときも、それから、私が知らないところでもきっと、リリアは笑っていただろう。私は幸せだった。リリアもそうだろうと、私と共にいることが幸せなのだろうと信じていた。

     リリアはだんだん、私の元へ来なくなった。毎日が1日おき、2日おきと。リリアは笑っていたけれど、私は苦しかった。感じるのは生まれてくるときのあの窮屈さと息苦しさが永遠に続くような胸の苦しさで、痛みで、溺れるような悲しみばかりで。
     リリア、リリア。呼んでも私の声はヒトの話すそれとは違った。
     ああそうか、私はリリアのようにヒトではなかった。私はドラゴンだった。リリアのように美しくもない。全て違う。大きさも、瞳の色も、肌も、姿形も。
     忘れていたのか、気づかなかったのか、それともただ、認めたくないだけだったのか。リリアが来ない理由など私にわかるわけもなかった。はじめから私とリリアは別のものだったのだから。





     目を閉じると、風の声がした。
     東の果てで戦が起きた。大地は血にまみれ、空も真っ赤だと。生ぬるい風は、煙の臭いを運んできて、リリアと遊んだ草原はどうなったかと私を不安にさせた。
     リリアが来なくなり、もうしばらく経つ。私はリリアが住むところから少し離れた洞窟で暮らしていた。ジメジメした洞窟に吹き込んでくるさわやかな風が好きで、それが決め手だった。
     リリアの噂が聞こえてこないかとこうして毎日風の声に耳を傾けても聞こえるのは戦の話ばかりで、ちっともおもしろくない。私は今もリリアが好きだったけれど、それはなんとも救いようのない事実で、私の思考を後ろ向きなものにするには十分だった。もしかして、リリアははじめから私の事などどうでもよかったのではないだろうか。ああ、そういえば、リリアは私をドラゴンと呼んではくれなかった。リリアは一度だって私の名前を呼んだことはなかった。
     リリア、私はこんなに呼んでいるのに。ずっと、今も、こうして。でも、君にはこの言葉は届かない。私はヒトの言葉は話せない。
     リリア、今、どこにいるんだい?幸せかい?笑っているのかい?私のことなど、忘れてしまったかい?


     煙の臭いは日に日に強くなり、私はついに我慢ができなくなって様子を見に行くことにした。
     リリアは無事だろうか。リリアと遊んだ草原は無事だろうか。無駄にでかくなった私の翼は冷たい空気を抱いて無駄にでかくなった体を浮かばせた。遠い空は赤く染まり、噂通りだとただそれだけを思った。
     突然の雨が、体を叩き視界がくすんだ。ため息のようについた呼吸は白く立ち上り、風に溶けていく。羽ばたくたびに鱗が擦れ、がなる雨音の中に響き渡った。
     一体、どのくらいの間私はあの洞窟にいたのだろう。リリアが一緒にいたころは、めぐる時を祝ったりもしていたから数えてもいたけれど。ああ、もしかして、これはドラゴンとしての性なのか。
     いつからかわかっていた。私はヒトより永い時を生きるものだと。

     草原は雨で煙り、見通すことは難しい。しかし、その姿はあの頃と変わらぬようだった。
     ほう、と息をついて草の中に伏せる。ひやりと、冷たい感覚だ。ざあざあと雨が大地を叩く音が余計に頭に響いた。
     そして、そして私は、聞いてしまった。
     世界の終わりを嘆くような、引き裂かれた痛みに悲鳴を上げるような、そんな、耳をふさぎたくなるほどの泣き声を。
     はっと、頭を持ち上げて目を凝らせば誰かが四角い石に縋り付いている。
     ああ、私はこの声を知っている。知っていたくなかった。近づくこともためらわれ、草の中にうずくまったまま、私はそれを眺めていた。
     リリア、なんで、そんなに泣いているんだい。私は君に会えなくても、君に忘れられても、君が笑っていてくれるなら構わないと思っていたよ。それなのに、君は泣いている。喉が千切れそうなくらい声を上げて。リリア、なんで。私にできることはないのかい?何があったか教えてくれないかい?
     ああでも、尋ねたところで、私にはきっと、その意味を理解はできない。私はリリアとは違う生き物で、私がどんなにリリアを愛していても、リリアはヒトで、私はヒトではない。──そう、ヒトではなかった。君を護るすべなど、私にははじめからなかった。そばにいることも愛することも、私がすることではなかった。
     けれど、これだけはわかる。リリアは、誰かを愛していたのだ。それを、失った。
     リリア、私もきっと似た気持ちだよ。失うどころかはじめから手に入れてもなかった。全部幻だったんだと、気付いてしまったから。それでも、君を泣かせたくないと願うのは、傲慢なことなのだろうか。
     雨に濡れながら地に伏せ泣くリリアの上に、翼を広げた。風邪を引く、の言葉すら私では伝えられないけれど、それじゃあ寒いだろう。
     彼女はこちらを見上げて、腫れた目を丸くした。あの綺麗な目だ。涙にぬれても、雨にぬれても、美しいリリアだ。それを見たら、彼女が散々私の心を苦しめたことなど、もうどうでもよくなってしまって、そばにいられることが私はたまらなく嬉しかった。バカだろう。わかっている。バカみたいに、リリアが好きだった。
    頭を垂れればリリアは私の鼻面に顔を寄せた。懐かしい匂いだ。優しい匂いだ。生まれて初めて懐かれた匂いだ。何度も何度もリリアは何かを言ったけど、私にはわからなかった。
     私のことが嫌いになったのかい?私のことを忘れていたのかい?
     尋ねたってきっと、答えはわからない。それでもこうして、リリアは私を受け入れてくれるから。私は世界で一番、リリアを大切にするのだ。生まれたとき、そう決めたのだ。


     戦火はリリアの街におよび、ついには空から無数の火の玉が降り注いだ。地をうち、家を砕き、木々を燃やし、滅ぼす。私はリリアを抱えて飛び立った。どこへとも、あてもなく、それでも護るために、風より早く、飛び去った。背中にいくつも熱いものがあたっても、痛みに耐えて飛び続けた。
     そうして、私とリリアは別の街で生きることにした。傷だらけの体をリリアが拭いて、布を巻いてくれた。私の鼻面に抱きついて、なぜかまた泣いた。
     何故泣くんだ?また何か失ったのかリリア、リリア。私は君が好きだ。君の瞳も、匂いも、温もりも、名前も、手も、髪も。
     私はこんなに君の名前を呼んでいるのに、なぜ、君は私を呼ばないんだ?リリアだけが、私を呼ばない。君が呼んでくれたら、どんなところにだって飛んでいってみせるのに。
     一緒にいるのに苦しい。なぜだろう。一緒にいるのに不安になる。
     この気持ちはなんだ。
     教えてくれないか、リリア。


     リリアと私は二人でまたしばらく同じ時を生きた。また私の背に乗って、一緒に空を飛んだ。追いかけあって、笑いあった。
     リリアは少しずつ、前のように笑うようになった。それを見て、私もただ幸せだった。もしも、このままリリアの愛する者が自分になったなら、リリアはずっと笑ってくれるだろうと。私は失われたりしない、リリアを泣かせはしないなどと、夢のようなことまで考えた。
     ある日、リリアは知らないヒトを連れてきた。嬉しそうに、私に向かって何かを言う。寄り添って、大切にするように、リリアの肩に手を置く男を見て、私は理解した。リリアは新しい愛する者を見つけられたのだと。そしてこの男の愛する者も、リリアなのだと。
     ああ、リリア。君の言葉はわからないけれど、幸せなんだね?嬉しいんだね?それなら、私も嬉しいんだ。
     また忘れかけていた。私は、リリアと同じものではなかった。ヒトでは、なかったのだ。

     月日がたって、また息が白くなる頃、リリアの腹は大きく腫れていた。心配で鼻を鳴らしながら匂いをかいでいたら、リリアが笑った。なんだか、平気そうだ。それにリリアから優しい匂いがする。甘いような、包まれるような、安心する匂いだ。
     ヒトは不思議な生き物なのだなあ。腹が腫れると優しい匂いがするなんて。
     私もその匂いに包まれて眠りについた。そばにリリアがいることを感じて、私はこの上なく幸せだった。
     すこしたって、どこから帰ってきたリリアの腹はすっかり元通りになっていて、代わりに腕の中に妙なものが入っていた。小さなヒトだ。匂いをかぐと、リリアと同じ匂いがした。
     これも、リリア?なのか?
     名前を知りたかったけれど、リリアの言葉のどれがこの生き物の名前かは理解できなかった。あの腫れた腹の中に入っていたのだろうか。顔をのぞけば、くしゅっとくしゃみをかけられた。


     何度も何度もあの息が白くなる頃を通り過ぎて、リリアは歳をとった。リリアが産んだ子供の名前はアレンという男の子だった。リリアが何度もその言葉を子供に向けて言うから、私はやっと、それがこの子供の名前だと理解した。
     アレンは活発な少年で、幼い時のリリアのように私が飛ぼうとすると尻尾にしがみついて邪魔をする。私の背中によじ登ってはぶら下がったり飛び降りたりして、リリアに叱られていた。
     そんなアレンも、今は立派な男になった。口元は父親に似ている。目はリリアだ。私の好きな綺麗な目だ。アレンも、あの日の父親と同じように小柄な女を連れてやってきた。その肩に置かれた手を見て、私はアレンが幸せなのだと悟った。それを見たリリアが笑っていたから、リリアも同じように幸せなのだと悟った。その顔や手にはシワが増えた。少し姿が変わっても、私はリリアが好きだった。
     リリアはアレンが家から出ていくのを見届けてから私の鼻面に抱きついた。伝わらない言葉で、私は彼女に話しかけた。
     リリア、私はずっと君のそばにいる。君には夫もいるだろう。アレンが離れても寂しくないように、私がちゃんとここにいる。私だけは、ずっとここにいるよ。

     アレンがちいさなヒトを連れてくるころ、私のための場所ができた。リリアと、リリアの夫が自宅を改築して私が入れる屋根付きの小屋を隣接して建ててくれた。今までは以前暮らしていた洞窟とリリアの家を行き来していたから、とても嬉しかった。ありがとうと、伝わらないとわかっていながら私の言葉で何度も言えば、リリアはにっこりと笑った。
     私も、一緒にいていいのだね、そばにいていいのだね。
     私はリリアを一人にしないように一緒に生きてきたけれど、いつの間にか、私が一人にならないように君たちが一緒にいてくれる。リリアがみんなを連れてきた。嬉しいよ、楽しいよ、リリア。言葉がわからなくても、姿が違っても、私はここにいれて嬉しいよ。

     リリアは庭で花を育て始めた。歩くのがゆっくりになって、背も小さくなった。シワもずっと増えた。花に触れる老いた手は優しくて、温かいものだった。
     雨が降る日は翼を広げてリリアの傘になった。
     晴れた日はリリアが花をいじるのをずっと眺めていた。
     嵐が来れば風上に立って花を守った。私が好きな赤い花は綺麗に咲き誇り、家の庭を飾った。

     時が経ち、リリアの夫が死んだ。
     死んだ理由はよくわからないけど、動かなくなった彼は四角い箱に収められ、リリアが育てたいろいろな花も一緒に入れられた。リリアはまた失った。また悲しんでしまう。泣いてしまう。そう思って沈んでいたのに、リリアは私のそばに来て寂しそうに笑ってみせた。
     ああ、ヒトとは本当にわからない生き物だ。彼のことが大切だったのだろう?愛していたのだろう?そんな寂しそうに笑うのなら、いっそ泣いてしまえばいいのではないかい?私の鼻面を抱くのなら、彼をもう一度抱いてくればいいのではないのかい?
     そうか、今はアレンもいる。アレンの子どもたちもいる。もちろん、私もいる。リリアは寂しいけれど、平気なのだろう。少しだけ、理解できているだろうか。リリアの気持ちを、ほんの少しでも私はわかっているだろうか。



     私とリリアは二人で暮らした。昔と同じだ。
     遠くの街のアレンたちからはよく手紙が届く。私には読めないけれど、リリアの顔を見ていればだいたいわかった。
     ああ、二人でずっと一緒にいたね。リリア、私は、今でも変わらず君を愛しているよ。世界で一番大切に思っているよ。昔は見返りを欲しがったけれど、今はそんなことは思わない。こうして、微睡みながらそばにいられることが幸せなのだ。リリア、もうすぐ、君もいなくなってしまうのだろうか。私はそれが怖いような、でも、さだめだと納得もしているような、不思議な気分だ。それより、今君が笑ってくれればいい。それが一番いい。たとえ、リリアがいなくなって、私が一人になる日がもうすぐ来るのだとしても。


     リリアは起き上がれなくなり、毎日ベッドから窓の外を見ていた。アレンは一生懸命花に水を上げたりしていたけど、リリアが育ててきた花たちは元気がなく見えた。
     私は毎日願った。神様どうか、リリアをまだ連れてかないでください。あともう少しだけ、リリアといたい。あと少し、もう少しだけ。お願いします。お願いします。
     私にはまだ、リリアを失う勇気がない。失ったらきっと、私は泣いて泣いて、涙が枯れても泣き続けて、世界の終わりまで、泣き続けてしまう。私は彼女がいなくなることを受け入れたつもりだったけれど、少しずつそれは崩れて、受け入れようとするたびにやっぱりだめだと、弱虫な私が首をふる。二人になったばかりの頃は、リリアが笑ってくれればいいなんて思っていたけれど、私はやっぱり傲慢で、リリアに笑っていてほしい上に、いなくならないでほしいなんて願ってしまう。
     窓から覗くとリリアは笑った。リリアと話がしたい。リリアに伝えたいことがたくさんある。生まれた瞬間からリリアが好きで、リリアがそばにいて、たくさん教えてもらった。たくさん出会いももらった。いろんな感情ももらった。リリアがいなかったら、この私はいなかった。頭の先からしっぽの先まで、リリアが与えてくれたもので溢れている。そのリリアが、いなくなったら、私はどうなる。泡のように溶けて消えてしまうのではないだろうか。
     話がしてみたい。せめて一度でも、リリアに名を呼んでもらいたい。
     リリア。君の名を、君の言葉で呼べたなら、何度も呼ぼう。愛おしく、何度だって呼んでみせる。君を愛している。生まれた時からこの瞬間まで、片時も、忘れたことなんてない。こんなに、君を愛しているのに、私は、なぜ、ヒトではないのだ。なぜ、ヒトではなかったのだ。私はなぜ、ヒトとして生まれてこなかったのだ。これほど、自分がヒトでないことを恨んだことはない。リリア、せめて、君の言葉がわかったなら、私の言葉が君に届いたのなら、伝えたいことを、想いを、全部君に話せるのに。

     リリアは、長く眠るようになった。私は今度こそリリアが目覚めなくなるのではないかと、毎日気が気ではなかった。目蓋があいて、私の大好きな美しい瞳がこちらを向いて、初めて安堵する。この瞳も、きっともうすぐ私を映さなくなる。私がこの瞳を見て焦がれることも、きっと、もうすぐできなくなる。わかっていても、その時が来るのはとてつもない恐怖で、抗えないものであることにたまらなくなった。

     そして私は家を出た。
     逃げ出したのだ。私がヒトではないという現実からも、もうすぐリリアを失うであろう現実からも。
     昔暮らした洞窟の奥に潜り込んで、さめざめと泣いた。ああ、情けない。愛しているのに、私はずっとそばにいると、偉そうに確信していたのに。リリア、リリア。想えば想うほど、逃げ出したくなる。泣きながらいつの間にか眠りについて、私は夢を見た。








     深い緑色の草原に、群青色の夜空から星屑が降り注いでいる。キラキラと美しいのに、なんだか少し悲しい。草の上に落ちた小さな星は落ちてすぐに光を失って、石になる。それはすぐさま砕け散って、冷たい空気の中にまたキラキラと立ち昇って消えていくのだ。
     私はこの場所を知っている。リリアと遊んだ草原だ。リリアの育てた赤い花が草原のあちこちに咲いている。息の白くなるあの頃にも、美しく咲くその花が私は一番好きだった。
     降り注ぐ星屑の向こうに、誰かが立っている。
     間違いない、リリアだ。私は駆け寄ろうとして、途中で不安になった。リリアはまだ、私が触れられる場所にいるだろうか。あのベッドの上でもいいから、まだ、生きていてくれているだろうか。
     リリア、聞いてくれるかい、夢の中だけれど、夢の中だからこそ、君に、伝えられるだろうか。
     なあ、リリア、



    「──君と、話がしたいんだ」



     リリアは振り返ると、ニッコリと笑った。
     白いワンピースを着たその姿は、少女の頃のリリアだった。

    「私も。あなたが生まれた時からずっとお話してみたかったの。おんなじ言葉で、ゆっくり」
    「……」
    「神様が叶えてくれたのね、長く生きたご褒美に」
    「そう、だね。リリアは、たくさん生きた。……覚えているかい?この草原で、ふたりでよく遊んだ」
    「そうね、毎日のように遊んだわね。貴方が初めて飛べるようになったときのことも、覚えているわ」
    「練習しているのに君が邪魔をするんだ」
    「面白かったんですもの。垂れ下がったしっぽがぶらぶらしていて」
    「おかげでうまくバランスを取れるようになったよ。今では君を乗せてどこへだって行ける」
    「……私、貴方にずっと謝りたかったの。貴方を置いて行ってしまった。ずっと、会いに行かなかった」
    「いいんだ。大切な人ができたのだろう?」
    「初めて恋をしたの。彼は、戦争で死んでしまったけれど。泣いていたら、貴方が側に来てくれた。私は……自分の愚かさに呆れ返ったわ。貴方のことを蔑ろにしてしまった。いつも側にいてくれたのは貴方なのに」
    「私は君が、私のことを嫌いになってしまったかと思ったんだ」
    「そんなことあるわけないじゃない。本当にごめんなさい」
    「いや、またあえて嬉しかった」
    「私が結婚しても、側にいてくれたわね」
    「アレンが生まれたね」
    「そう、孫の顔も見れたわ」
    「にぎやかになって、楽しかった」
    「私も、幸せだったわ。夫が死んでも、貴方達がいたのだもの。ひとりだったら、きっとまた悲しみに押しつぶされていたわ」
    「私もそうだ。君がいたから、ひとりじゃなかった。君の残してきたものが好きだ。君の子どもたちも、君の育てた花も、私は好きだ」
    「ありがとう。貴方が手伝ってくれたおかげで綺麗に咲いたのよ」
    「そうだろうか」
    「そうよ」
    「……なあ、リリア。私は、何度も君の名前を呼んでいたんだ。君には聞こえてないかもしれないけれど、私は、君が好きで、君のことを誰よりも大切に想ってきた。でも君は、私をみんなのようにドラゴンと、呼んでくれない。それはなぜだ?私は、君に、名前を呼んでほしい」
    「ふふ、そう。そうね、ずっと秘密にしていたから。みんな、貴方をドラゴンと呼ぶものね。でも違うの」
    「どういうことだい?」
    「貴方の名前は、私しか知らないの。だって、私がつけたのだもの。みんな貴方をドラゴンと呼ぶけれど、貴方の本当の名前は、別のものよ」
    「…………」
    「貴方の名前は、"アネモネ"。貴方が大好きな赤い花と同じ名前よ。貴方が生まれた寒い季節にも貴方とおんなじ赤い色の花を咲かせるの。すぐに決めたわ。このお花と同じ名前にしようって」
    「…………ああ、なんだ、そうか。私が生まれて初めて呼ばれた声は、君の声で……私の名前を、呼ぶ声だったのか」
    「……ありがとう、アネモネ。貴方がいたから私はここまで生きてこれた。貴方がいたから、私の人生があった。まるで、私の半身のように辛いことも悲しいことも楽しいことも貴方が背負ってくれた。こんなに幸せなことはないわ」
    「それは私のセリフだ。だが、私は君を失っても、未だ永い時を生きなければならない。半身を失った私は、どうしたらいいのだろう」
    「大丈夫。貴方はひとりじゃないわ。私の子どもたちがいる。私の花壇を守って、私の子どもたちを、見守って。私も一緒に見守っていくから」
    「……わかった、そうしよう。約束する。ありがとう、リリア。私は、本当に、君を愛していたよ。これからも、ずっと愛しているよ。リリア」








    「私も、貴方が大好きよ、アネモネ」













     永い永い時が流れて、生と死が何度も繰り返された。リリアの花壇をリリアの子孫たちが代々受け継いでいく。私はそれを見守った。
     新たに家族が増えるたびに、私は花を育てるすべを教え、私の周りには、いつも子どもたちの笑い声があった。私はいつしか老いて、あまり体も動かなくなった。
     リリア、君との約束を、私は果たせただろうか。君は今この景色を見ているだろうか。一面に咲くアネモネの花は、とても綺麗だ。君の残した花壇は、今はとてもとても広くなって、世界中から人々が見に来るような場所になったんだよ。私は、ヒトではなかったけれど、君と出会えて幸せだった。君と共に生きられてよかった。リリア、私は今でも、君のことが好きだよ。本当に、君が大好きなんだ。叶うなら、この景色を君と見ていたかった。


    「ねえ」


     ゆっくり目を開けると、そこには白いワンピースの幼い女の子。うちの家族のものではない。キラキラと輝く目は宝石のようで、とても綺麗だった。私を興味深く見つめて、その場を去る気もなさそうだ。起きたばかりでぼんやりとする頭のまま、少女に尋ねた。

    「……花を見に来たのかい?」
    「ちがうわ」
    「迷子かい?」
    「ちがうわ」
    「はて……では、なにかな」
    「あなたとおなじものがみたくてきたの」
    「それは嬉しいが、一体どうしてだい?」
    「わからないけど、あなたをみたら、あなたのことがすきになったの。だから、あなたのみているものがみたくなったの」
    「……そうか。隣へおいで」

     少女はとことこと駆け寄って、私の横に座った。なんだか、この子は優しい匂いがする。一面に咲くアネモネの花を見て、その子はうわあと歓声をあげた。

    「あかくって、まるであなたみたい」
    「そうさ、私もこの花も同じ名前なんだよ」
    「へえ、なんていうの?」
    「アネモネ、というんだ。秘密の名前だ」
    「アネモネ……すてきななまえね!」
    「君の名前は何て言うんだい?」
    「わたしはね、リリア!」

     ──ああ、
     私の願いも神様が叶えてくれたようだ。
     きっと、これが私が長く生きたご褒美、なのだね。

     にっこりと白い歯を見せて少女は笑う。


    「だいすきよ、アネモネ」








    end


    赤いアネモネの花言葉  「君を愛す」






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